穏やかで平穏な日常 -4ページ目

穏やかで平穏な日常

 目を閉じて深呼吸



 立ち止まって力を抜いて一服



 セコセコギスギスしないで



 ゆったり落ち着いて穏やかに



・・・・そんな生き方を。


ある本で、LSDを推奨する内容の物を読んだ。

外国の本で日本語訳されて発売されている。


もちろん、LSDは違法な薬物だ。


極微量で幻覚作用が強い薬らしい。

薬自体には依存性や身体への危険なども

あまり無いような?有るような・・・よく解らない事も

書いて有る。

ネットを調べても、同様になんだかよく解らない。



それを使うと、5次元の世界へアクセスしやすく

なると、その本では言っている。

5次元とはどういった世界か?

4次元まではなんとなく解るような気もするし

大勢の意見もだいたい一致している。

3次元+時間 というのが4次元という認識で

良いらしい。


5次元となると、意見がバラバラになってくる。

研究者それぞれで見解が異なるようだ。


この著者の場合の5次元とは、確かに存在する

世界であり、人間はまだそれを認識出来ない。

文章全体から想像すると、悟りの世界とか

アカシックレコードなどといった事と同じような

扱いをしているようだ。


なにしろ、現在の人間の持っている知識や

言葉、感覚などではとても表現できない為に

上手く伝えられない。

その為、語る人それぞれで違う事になってし

まうらしい。


ただ、それは確かに存在する次元(世界)なのだ。



著者によれば、その世界へのアクセスは容易ではない。

それこそ厳しい修行?宗教家のような修行を

一生つづけても辿り着けないのだという。

その中の極々一部の歴史に名を残しているような

人は辿り着けているらしい。



ようするに、一般の人が禅や瞑想などを一生しても

その世界は見えてこない。

だから・・・・修行なんてものは無駄。

心を落ち着かせたりする目的ならいいが、5次元の

世界を見る為には、現在の修行では無駄らしい。


現在の修行といっても・・・普通の人は関係ないが・・・



それが、LSDを使うと見える確立が非常に高いの

だというのだ。


真意の程は解らないが、実例も多くあるらしい。


それが、薬による幻覚なのか、本当に5次元へ

アクセスしているのか?


確かめようは無いが、なにしろそういう事らしい。



ただし、違法です。



そして、いくら表現の自由とは言っても

違法の薬を推奨するような内容の本の出版はどうなのか・・・・




宗教家は、悟りを得るために厳しい修行をする。

一生厳しい修行をし続けても、悟りを得られない

場合が殆どらしい。

得た人は歴史に名を残す人物になっている。

修行者のうちの1%も無いだろう、

0.1%も居ないだろう。



人間を作ったのは神だという。


動物・植物・世の中を作ったのは神だという。


神は全知全能で、愛と慈悲の塊なのだという。


そして、悟りとは・・・肉体を離れ、意識が神と

宇宙と・・なにしろ全ての意識が共有されている所?

にアクセスできるようになる事?らしい。


肉体を離れ?肉体は要らないらしい・・・

人間は、その悟りを得るために生きるらしい。


辛い事、苦しい事全ては、その為の修行なのだ。


人間は不完全だから、それが必要なのだ。






とても、矛盾だと思う。


人間は、神が作った失敗作なのか?

それとも、わざと不完全に作ったのか?


最初から、全て備わった完璧な物を

作れば良いのではないか?



あえて、苦しみを与えるような神は・・・

Sか??



精神科医の本を読んだ。

宗教家の本を読んだ。

カウンセラーの本を読んだ。


それぞれの主張があり、それぞれの視点で

それぞれの言葉で書いてある。


そこに至るまでの道のりも、それぞれだ。



そして、最終的に言いたい事は、みんな一緒だと思う。


「細かい事は気にせずに、自分の好きなように

自分のやりたいようにすればいい。」


もっと、短く言うと

「とにかく前向きに進め」 となるだろうか。



そこに辿り着くために、いろいろな考え方が用意されている。

または、いろいろなヒントを教えてくれているのだと思う。


精神科医のように、科学的な視点で見る事も一つの手段。

宗教家のように、神による教えによるのも一つの手段。


その中でも、また色々な方向に分岐した考えがある。


とにかく最後には、同じ事を言っている。



どの手段を選ぶかは、その人の自由だ。



その選んだ手段を徹底的に信じて実践すれば良い。

純粋に信じる事が出来るというのは、とても強い事だと思う。


でも・・・・ 


そこに、【でも】は必要ない。


単純に純粋に信じる事が大切だ。


矛盾は反論は当然出てくるだろう、しかし・・・


救われたければ、【でも】は使うな。






でも、自分はそれが出来ないから難しい。