天母水管路古道 | たまのブログ

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職場や家庭で口走っている所感雑感を遺書代わり!?始めたつもりでしたが、いつのまにやら単なる日記に変貌することになりました
知識乏しく内容に誤りも散見されるかもしれませんが、我が思いに過ぎないということでお許しください


何かと明日の準備で忙しい星期四。

半年ほど前、つまり台湾赴任前から想定している今週末のイベントに備え、最後の詰めの段階。
せっかくの機会なので・・・と、あれもこれもと欲張ることもあれば、絶対忘れちゃならないものもあったり。
国内にいた頃は当たり前のことであっても、台北暮らしを続ける中ですっかり忘れたこともあり、何か見落としているような気がする不安に包まれる夜になっています。

そんな今夜の夕飯。

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焦がしとマスタードが絶妙の鶏肉飯大75NT$、燙青菜45NT$、揚げ豆腐75NT$、餛飩湯70NT$、といつもに比べ、ちょっと贅沢。
これが食後になると、食べすぎた~と腹パンパン。
この言葉もできない日本人オヤジに対し、レジで対応した若いニイチャンが口にあったかどうかと尋ねているようだったので、おいしいよ、と答えると嬉しそうにしていました。

さて、日曜日に歩いた天母古道親山歩道の続きは、石段を上り続け、ようやく、目的とする対象物が見えてきたところから。

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やや黒光りしている構造物がこの古めかしい水道管。

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日本統治時代に陽明山の水源から台北に水を供給するために作られた水道管だそうですが、これが今なお現役で働いているという優れもの。
他にもいくつか現役で活躍している非公開の施設もあるようですが、この天母古道に沿ってむき出しとなっている水道管ですから、見たいだけ見ることもできれば、中を流れる水流音を聞くこともできます!?




バカでかい管のつなぎ目にあるフランジは古いままか、更新されたか、見分けがつきませんが、こんな太い管をどうやって作ったのか?

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このらせん状のリードとピッチを見ると、二枚の平板を2条らせんに巻いて管を作ってあるのがわかり、なるほどねぇ、と感心。
古道沿いに設置された区間はさほど長くはなく、すぐに最上段部へ。

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ここに「自在閣」の瞭望台があり、ここで一休み。

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ここからの眺めは台北市内でも見えるところが限られるので、期待したほどではないのが残念でした。
椅子に座って水分補給をしているところに現れた子供の集団に取り囲まれ、邪魔者になってしまった感。

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そそくさとベンチを明け渡し。
さて、見たいものは見たことだし、もう帰るか、それとももう少し上まで歩くか?
迷う中、折角ここまで来たのでもう少し先まで向かってみることに。
すると、すぐに少し広い空間と分岐路。

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先ほどの水道管関連施設の一部にもなっているようです。

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このまま上るとすぐに一般道で、水平方向の横道に入ると遊歩道の林道。
その林道へ進んでみます。

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だんだん急斜面の岩場になり、右も左も断崖ですが、遊歩道だけは平坦で歩きやすい。

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落石注意の表示もありましたが、それ以上に怖いのが岩場から伸びている大きな樹木。

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そもそも岩場なのに、どうやって樹木の根っこが張り付いているのか不思議。
数百キロもある傾いた樹木をその根っこが一点で支えているこの強さ。
まじめに考えてみると、すごいなぁと感じながら歩きました。

一方、あちこち表示のあるサルへのマナー。

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でも、リスは見てもサルは姿を見せず。
ブログ上は残念でしたが、サルは危険度が高いので、出くわさない方が無難との思いが強く、見かけなくて安心しました。

そして、見学できない水道施設なんかも。

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こうして、ほぼ水平で平坦だった道を進むと、また石段。

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これが最後の石段だったようで、上りつくと一般道路へ。

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後で調べると、登らなくて迂回する方へ進めば、また森林トレッキングを楽しめたようですが、それには気づかず。
そして、そのまま一般道を進み、陽明山美軍宿舎群へ。

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かつて台湾に駐留していた米軍将官用の住居だったようですが、台北の街中とは雰囲気も全然違います。
一部はリノベカフェに生まれ変わっていまいたが、全体的にもう少し手を加えないと魅力的に乏しいヘリテージ住居に思えました。

面白さに欠けると、見て回ることに疲れを感じ、帰ることに。
天母まで戻るには時間を要すので、文化大学のバス停から街中へ戻るバスに乗って帰りました。

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明日は4時起き。
今夜は早めに休みます。