【連載】早慶レガッタ直前特集「俺がやる」第3回 荒川蓮主務×小林慎太郎×原波斗 | 早スポオフィシャルブログ

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第3回はマネジャーの荒川蓮主務(国教4=東京・早実)、小林慎太郎(基理3=東京・早大学院)、原波斗(基理3=東京・早大学院)に、選手を支える立場としてのやりがいや、早慶戦での役割について伺った。
※このインタビューは3月24日に行われたものです。

「昨年はめちゃくちゃ悔しかった」(小林)

インタビューに答える小林(写真左)


ーー自己紹介をお願いします
 新3年の原波斗と申します。学部は基幹理工学部で、高校からボートを続けていて、大学からはマネジャーをしています。
荒川 新4年の荒川蓮と申します。学部は国際教養学部です。漕艇部では主務をやっていて、ボート自体は大学から始めて最初からマネジャーとして入部しました。
小林 新4年の小林慎太郎と申します、学部は基幹理工学部です。原と同じく高校からボートをやっていて、その流れで大学からはマネジャーをやっています。

ーーお互いの印象は
 荒川主務のファーストインプレッションは、すごく話しかけやすい人で、相談に乗りやすい人ですね。仕事の面では、新しいことに挑戦できる人だなと。これをやりたいと言ったら、やらせてくれます。どんどんいい方向に変えてくれる人だと思います。
荒川 コミュ障みたいなのが入ってきたなと(笑)。こいつ人と話せるのかなというのがファーストインプレッションですね(笑)。今は、あまり変わってないといえば変わっていないですが、ただボートが好きだなっていうのは一番大きいです。何だかんだ言って、いろいろ考えていたり、不器用なところがあるのかもしれないですけど、ボートへの愛があるなと思います。
小林 原くんは高校時代からの仲なのですが、頭が切れるという僕にはないところを持っているイメージです。その面でとても毎回助けられています。

ーープライベートでの交流は
 慎太郎はね、もう6年目だもんね。
小林 友達だよね、シンプルに普通の。
荒川 こいつは戸田に住んでいるので、あと野球が好きなので。あとF1が好きで、自分も好きなので。スポーツ系の関わりは多い気がします。でも、自分の代は人数が少ないのでこの2人とは同期ではないですが、もう半分同期みたいに感じています。特に意識してプライベートで遊びに行こう、というよりかは、友達みたいに飯行くか!みたいに普通にこんな感じの交流が多い気がします。特段、大きなことはないですね(笑)。
 わざわざ場を作ってという訳ではなく、ふらっと、自然と行くみたいな感じですね。

ーー入部した経緯とマネジャーになった理由を教えてください
荒川 本音と建前があるんですけど...本音は...やはり建前でいいですか(笑)?自分は小学校、中学校、高校とずっと陸上競技をしていて、長距離をしていたんですけど。陸上競技ってやはり個人競技で、また長距離となると1人で長い距離を走るので結構、独りよがりというか、孤独感を感じていて。ちょうど、高校2年から3年の間がちょうどコロナにヒットして、個人スポーツで孤独さを感じていたのがさらにコロナ禍でチームメートと交わる機会も減って。それで、孤独感とか寂しさを感じていて、大学からはチームスポーツ、新しいスポーツにチャレンジしたいなという気持ちがどこかにありました。そこで友達の誘いもあり、チームスポーツの中でも究極のチームスポーツと称されているボート競技というのに目がつきました。最初はマネジャーとして絶対入るというよりかは、むしろコックスとか考えていたのですが、ただ自分は国際教養学部で留学に行かなければいけないという特性があったので、そういうことを考えた上でどういう形であれば部に一番貢献できるか、ずっと接点を持ち続けられるかと考えた時に、マネジャーの方がいいかなと考えて。あと究極のチームスポーツと言われていますが、マネジャーもここまで活動範囲が広いと言ったら、あれですけど、ここまでチームとしての輪が求められるマネジャーって珍しいのかなと自分自身は思っています。その中で、チームスポーツ、そして究極のチームスポーツに携わりたいという自分の思いを体現できると思ったのでボートにマネジャーとして入部することに決めたという感じです。
 僕は、高校でボートをやっていて、付属の高校だったので同じ戸田でボートをやっていたんですけど、なので早慶戦というのも出場の機会があって。僕は、ちょうど高校3年生の時の早慶戦の出場の時に手を骨折して出られなくなってしまったんです。それが心に残っていて、不完全燃焼というか。ボート、大学になったら、こんなにきつい競技はやめようと思っていたんですけど、ボートに関わりたいという気持ちがどこかにあって、マネジャーというのは、早慶戦でも主役と言っていいくらいの立ち位置なんですね、漕艇部の中で。そういうところにも惹かれてマネジャーを選びました。
小林 僕も高校時代、漕手をやっていたんですけど、先輩で、マネジャーをしている方もいて、そういう方を見ていてマネジャーという職もあるんだなというのを知って、高校時代に早慶戦に出て、こういう舞台を自分たちで作れるマネジャーってそうそうに経験できるものではないなと思ったので、そういう経験ができるところに入りたいなというのが最初の理由ですね。

ーーマネジャーとしてのやりがいは
荒川 うーん、いっぱいあるんですけど。自分がこの部に入って一番の原動力、モチベーションになっているところが、やはり大会に勝った選手とか、それこそ自分は2年前に早慶レガッタでコンマさで勝ったというのを経験して、あと?のインカレで2位になったりだとかあとは、その翌年かな?新人戦で優勝したり、去年も優勝して2連覇になったりとかそういう瞬間って言葉で言い表せないくらいの感情になるんですよね。自分は高校までスポーツしていたんですけど、あまりそういう気持ちになったことがなくて。大学でボート部になって初めてそういう気持ちを味わって、何でかなって考えた時に、当然やっている幅、タスクも多いですし、考えることも増えますし、自分が本気でスポーツと向き合っているからこそ味わえるものっていうのがあって、さっきも話しましたけど、ボート部のマネジャーって本当に活動範囲が広くって、そんなこともやっているんだ!っていうくらい広いんです。そういう自分の労力をいかに割いているかというのに対する結果を出してくれる選手がいるので、あとはみんなの熱い思いとかいうのが一番ですね。だったら選手でいいじゃんと思うかもしれないんですけど、マネジャーはマネジャーで、早慶戦ではこいつらが中心になって大会を組んで、その舞台で選手が勝ってくれたらお互いが噛み合って喜び合える瞬間だと思います。早慶戦に限らず、個々の大会でもそうなのですが。それが自分の中で大きいです。
 やはり頼られた時とか、オフの日とかでもビデオ撮ってとか言われたら、少し変態かもしれないんですが、喜んで撮りますし、あと自分が撮ったビデオを真剣に見ながらクルミート?している選手であったり、それが結果的に勝利に結びついてくれればそれはとてつもなくうれしいです。昨年だと新人戦で同期が乗ったエイトが優勝したんですけど、その時は本当に嬉しくてやはりそういう積み重ね、頼られたりだとか、自分がやったことを最大限に選手が活用して勝ちを持ってきてくれることが一番のモチベーションです。
小林 僕も大会に勝った時は少なからず自分のやったことが少しでも力になっていると考えたら、めちゃくちゃうれしいですし、そういった点を考えると昨年の早慶戦はマネジャーとして初めて関わったのですが、負けてしまって、高校の時も早慶戦を見ていて、負けた時も勝った時もあったんですけど、素直にうれしいとか悲しいという気持ちはあったのですが、昨年はめちゃくちゃ悔しかったので、こういう気持ちになるんだなと感じたので、まだ早慶戦とかでは勝ったことはないですけど、インカレとか早慶戦で勝った時はうれしいんだろうなという気持ちです。

ーーマネジャーをやっていて大変なことはありますか
荒川 自分は主務として、この2人は早慶戦を中心にやってくれているので、違うベクオルなのかなと思うんですけど、主務になってから、明らかに考える幅が広がりました。今までは正直、先輩がいて自分はマネジャーだけをしていて、マネジャーの役割をしっかりこなしたりだとか、マネジャーの雰囲気を考えることにフォーカスする必要があったんですけど、自分が主務になって、立場が変わったことで、部全体を見なくてはいけないし、その中でもマネジャーを見なくてはいけないし、一人一人の声を聞かなくてはいけないし、あとは、立場上やはり、マネジャーをまとめる立場でもあるので、マネジャーの味方でなくてはいけないけど、選手との関係性もあるので、ただマネジャーはこうでっていうので間に立たなてはいけない立場にあるのはなかなか難しいなと思います。一方で、そういったところをうまく調整できたりだとか、いい雰囲気に部活全体がなっているなと実感することもあるので、大変だということは自分のやりがいと表裏一体なのかなと思います。
 最近は、早慶戦の仕事がほぼ大半を閉めていて、早慶戦の仕事になると、部内というよりかは外の人と関わりながら大きな大会を作り上げていくので、自分がコントロールできないアクシデントであったりとか、仕事の遅れが起きた時に自分の中で自分の力で何とかしなければならない。部内ではなく外の人と関わってやっているので責任が重いですし、絶対に間違えられない。そういうプレッシャーというのは大きくて、それが大変なことだと思います。でも大学生なのに、こんな経験をさせてもらえていると考えるとすごいことですし、今年は早慶戦絶対に勝ってくれると信じているのでそれをモチベーションに頑張っています。
小林 私は早慶戦の幹事のようなポジションをやらせていただいているんですけど、今までは先輩とかから与えられた仕事をこなせば自分はクリアみたいなところがあったんですけど。幹事というポジションになると、大会に関わること全てが自分に関わってくるのでいろいろな人に聞かれたりとか、自分も気にしなければいけないことがあるのでそういったところをコントロールしなくてはいけないので難しい部分や成長しなくてはいけないなと感じるシーンがあります。

 

「お金でも地位でも名誉でもなく記憶」(荒川)

 

質問に答える荒川(写真中央)


ーー早慶戦の準備を始めた時期はいつごろですか
小林 昨年の10月末とかです。

ーー何からはじめましたか?
 年明けてからやはり総務室って忙しくなるよね
小林 10月末に手伝ってくださる、OGの方との1回目の会議があって、そこから毎月あって、年内だと、プログラムに掲載する広告を皆で集めたりとかです。
 年明けてから始まる仕事が多くて、それの下準備みたいな感じでした。

ーー早慶レガッタでの見どころはなんですか
小林
 ボートのレースで一番観客が集まると言われているのが早慶戦レガッタなのですが、特にゴールの桜橋のところは人がとても集まるのであんなに歓声が聞こえるのは戸田でもないことですし、また2艇だけが漕ぐというのが早慶レガッタならではなのでそこを実際に来てもらえればなって思います。
 隅田川でボートを漕ぐっていうのは早大と慶大にしかできないことで、やはり安全面とかもあるので。あと救助3回という伝統があるので、それで警察とか消防とか関係各者が協力してくださっているというのがあるので隅田川でボートを見れるのは唯一無二だし、見どころだなと思います。
荒川 他大学のボート部と話している時とか、コックスの人と話している時に一回、本当に隅田川で舵を引きたいがためだけに早稲田入りたいぐらいだわと言っていて、他の大学からしたら隅田川で漕げる、舵を引けるというのは貴重な、本当に早慶の2校だけに許された舞台で戦えるというところは自分も面白さを感じています。ボートコースと一般河川で漕ぐのとでは全然違うのでそれこそ潮の流れとかコンデイションもレース時間も変わりますしその中で、テクニックをもって漕ぎ上がってくる3750メートルというのはどのシーンを切り取っても見どころなのではと思います。

ーー早慶レガッタへの意気込みをお願いします
 昨年、負けてしまって僕は当日は試合を直接見れなかったんですけど、ライブ配信を見ながら涙を流すくらい悔しくて、だから今年は絶対勝ちたい、次の試合では絶対に勝ちたいという気持ちでこの一年間望んでました。準備を始めたのは昨年の10月ですけどもう昨年の早慶戦から、今年の背早慶戦レガッタは絶対勝ちたいという気持ちでマネジャーをやってきたので、絶対勝って欲しい、一番最初に桜橋の下を抜けて欲しいという思い出で残りの一カ月を、もう切っていますが、頑張りたいと思います。
荒川 プログラムを今年書いたのですが、好きなアーテイストがライブで言った言葉が早慶戦にぴったりだと思っていて、「限界の人間をギリギリで救ってくれるのはお金でも地位でも名誉でもなく記憶です」と言っていて、その言葉がすごく刺さって。自分は4年目、4年生ですけど、何が原動力となって、こんなにもきついことをやっているのかな思うと、やはり早慶戦で勝った時の達成感って、ずっと脳裏にあるんですよね、どんなにきつい、ギリギリの時でも本当に自分をもう一回頑張ろうと思わせてくれたのは本当にあの瞬間なので、その瞬間っていうのは最後に味わったのは2年前は50cm差で勝った時なので、その記憶が自分の中で限界を救い続けてくれたので、その記憶をもう一度自分の中で刻みたいのでそのために自分のできることは全部するし、選手も死力を尽くして頑張って欲しいなという思いなので自分としては絶対にあと一カ月後にその記憶を刻みあげるという気持ちで活動しています。
小林 昨年の早慶レガッタでは、対校エイトの時は、前の主務と一緒に桜橋で見ていたのですが、その主務の方が悔し涙を流していて。自分自身も、選手でなくてもこんなに悔しいことってあるんだなと思ったので、今年は歓喜の輪に入れるようにしっかり頑張りたいと思います。


ーーありがとうございました!
(取材、写真 小島大典、西本和宏 編集 芦刈れい)

 



荒川蓮(あらかわ・れん)(※写真中央)東京・早稲田実業高出身。国際教養学部4年。
小林慎太郎(こばやし・しんたろう)(※写真左)東京・早大学院高出身。基幹理工学部3年。
原波斗(はら・なみと)(※写真右)東京・早大学院高出身。基幹理工学部3年。