【競走部2023年度卒業生記念特集】第2回〜短距離〜 女子400メートル障害 後編 | 早スポオフィシャルブログ

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早稲田大学でスポーツ新聞を製作する「早稲田スポーツ新聞会」、通称早スポの公式ブログです。創刊から64年を迎え、600号も発行。ブログでは取材の裏話、新聞制作の秘話、現役大学生記者の苦悩を掲載‥これを読めば早スポ通になれる!

 『早大のお家芸』ーー。今年度、5月の関東学生対校選手権(関カレ)、9月の日本学生対校選手権(全カレ)でともに出場選手全員が決勝に進出するなど無類の強さを誇る早大女子400メートル障害(ヨンパー)。今回は、全カレ女王で今季女子主将を務めた川村優佳(スポ=東京・日大桜丘)、関カレ6位の清水羽菜(スポ=東京・白梅学園)、全カレ7位の津川瑠衣(スポ=東京・八王子)が登場。ともに2019年沖縄インターハイでは決勝の舞台で戦うなど、高校時代から名を馳せてきた3人に三者三様の4年間を振り返っていただいた。後編では、それぞれの大学4年間と後輩へのメッセージを伺った。

 

女子ヨンパー、それぞれの4年間

1番印象に残っている試合(以下参照)での、左から清水、川村、津川

 

ーー大学4年間を振り返っていかがですか

 

津川 私は振り返った時に一番最初に思いつくのは、やっぱり苦しかった、つらかったということです。1年生で入った時は、高校生の勢いがり小山さんとか上の先輩たちにずっと金魚のフンみたいくっついていって、全カレで入賞したりとかもあったのですが、2、3年は本当に人生のどん底と言っていいほど落ちていて。もうめちゃくちゃつらくて、辞めたかったし、実際に部活に行けなかった期間もありました。それでも周りがどこかで私を期待してくれて、また戻って来れるとずっと言ってくれていたので、最後はこうやって頑張ることができました。4年の春までは本当にまだまだつらくて、ハードルでも64秒から抜け出せないという状況がずっと続いていて、春シーズンはめちゃくちゃ悔しかったです。それでも川村とか清水が、同じ種目で走れる人数も決まっている中で3人で団結しながら、他校だったら絶対にライバル意識がすごいだろうけど、この3人だからこそこうやって最後まで辞めずに走り切れたかなと思っています。つらかったという言葉が一番思いつくのですが、それでも最後まで走っていて良かったなと今は思います。


清水 私は振り返るもなにも陸上をもっとやりたかったなという感じです。復帰できたのがラストシーズンで、3年間ずっと走れずじまいだったのでそれはやっぱり本当に悔しいし、何回泣いたか、何回病んだか分からないぐらいだったのですが、「これが人生か」という感じで受け入れました。3年間走れなかったから最後はめちゃくちゃ楽しくて。いろいろな試合に出たり、大学に入って初めて遠征に行ったりして競技を純粋に楽しめたし、走ることでいろいろな人に喜んでもらえたり、「走れるようになりました!」といういい報告をするために頑張ろうと思えました。高校までは負けず嫌いと言ったと思うのですが、(その時は)目標を達成するとか、全国で1位になるとか自分のためにしか走っていなかったのですが、大学は本当に支えてくれる両親とか優佳と瑠衣と先輩、コーチ陣のために絶対に走れるようになりたいという思いが強くて、人のために初めて競技に向き合っていたなというのはあります。


川村 私はつらい思い出とかもあるけど、それよりもこの大学で4年間陸上競技を終えられてすごく幸せだなと思っています。本当につらいこととかたくさんあったのですが、それよりも「この人たちにいい報告したい!」とか、「この人たちと一緒に頑張りたい!」と思わせてくれる人がたくさんいたから本当に頑張り切れたなと振り返って思うので、本当にいろいろな人に支えてもらって競技ができた4年間だったので、一言でまとめるなら、本当に幸せな4年間でした。

 

ーー4年間で成長しと感じるのはどのような部分ですか

川村 「役職が人を育てる」という言葉があると思うのですが、女子主将になってから本当に自分が勝ちたいなという思いもあったし、周りを見れるようになった、視野が広くなったと感じます。今まで1年生の時とかは先輩に一生懸命くっついていって、自分が一生懸命にやっている感じだったのですが、女子主将になってからはすごく周りを見て行動できるようになったなというのは思います。今思えば1、2年生の時は考えが浅かったというか、もっとこうやって広い視野で見たら「あの時先輩たちは私たちに対してこう思っていたのかな」と思ったりすることもあって、自分のこと考えながらも視野を広く、周りの人のことをよく見れるようになったのが成長できたことかなと思います。


清水 私は高校生の時は先生が厳しかったり、部活内に速い先輩がいてその人のことをずっと追いかけたりして、何も考えなくても速くなれるような環境で指導していて、ただガムシャラにやっていれば速くなれました。大学1年から私は正確にいうと競技ができないというか走りに向き合えていなかったのですが、一番成長できた点としては、考え抜けるようになった、深く哲学的に考えられるようになったというのはすごく思っています。なんでこんなに苦しいのに競技を続けるのかとか自問自答しまくっていたので、自分の一つ一つの行動や考え方を深く深く追求して、その結果自信を持って行動できたり、決断できたりというのができたので、それはすごく成長できたかなと思います。


津川 私も羽菜と同じように、高校の時よりは圧倒的に自分で考えて行動するようになったなというのは思っています。高校の時は感覚で動いていることが多かったのですが、いざ大学に入ってみたらコーチ陣にも「お前何も考えていないじゃん」と言われることも多くて。でもそれでも結構意地を張って、「私は感覚派なんで」と言い続けていたのですが、それだと勝てないということに気づいて、2、3年からそれがすごく分かってきて。めちゃくちゃこの4年間頑固ではあったのですが、その中でできていないこともあったのですが、周りから言われたことを素直に受け止めようと思う気持ちが芽生えたこと、吸収しようと思うようになったこととか、結構とげとげしい性格だったのですが、周りと一緒に頑張っていこうという川村の目標から、私も周りの下の子たちもしっかり見るように意識していたので、視野も広くなったと思うし、考えて行動するようにもなったかなと思います。

 

ーーこれまでの競技生活での経験を今後にどのように活かしていきたいですか

清水 成長できたポイントとは全然違うのですが、早稲田での4年間の競技生活だけではなくて、小4から13年間陸上競技をやってきて本当にいろいろな人に助けてもらって支えてもらって、いろいろな経験をさせてもらって、自分は目標に向かってただ頑張っていただけという感じなので、今度は私が助けてもらったみたいに、人のために動ける、それこそ優佳みたいに視野を広く人のために動ける優しい人間になりたいです。


津川 私は就活で言ったことをここで述べようと思うのですが、自己分析をした時になんで今まで走れてきたのかと思った時に、私の原動力はやっぱり支えてくれる方々の笑顔だったということに気づいて。だからこそ私は笑顔が見たいということでサービス業を志して、私の力量、接客とかで笑顔になっていただけたらなと思っています。そのためにスポーツで養った目標達成への執着心だとか、目標に対しての積み重ね方とかを社会人になっても活かして、同期がたくさんいてその中で這い上がっていくのはすごく大変なことで、そこで負けず嫌いを発揮して、どんどん這い上がっていけたらなと思います。


川村 私は4年間を通して、人のためにするというのがすごく好きだなと思って、自分が良くなるよりも人が良くなってくれた方がうれしく感じるということに気づきました。自分が成績を出すのももちろんうれしいけど、同期とか後輩とかが成績を出しているのもすごくうれしくて、私も瑠衣と一緒でサービス業に就くのですが、人のためが自分のためになるので、人のために動ける人にこれからもっとなっていきたいなと思います。あとはさっき羽菜が考える力がついたということを言っていたのですが、私も努力の方法とかを特に大学の陸上を通して学ぶことができたので、自分の目標に向かってしっかり努力して、立派な社会人になりたいなと思います。

 

ーー4年間で一番印象に残っているのはどの試合ですか

清水 復帰して国立競技場で走った春季オープンが一番印象に残っていて、国立競技場で走るのも初めてだったし、大きいし空気感も重いし、スパイクでタータンを踏みしめるのも練習ではやっていたけどヨンパーを走るということで、本当に夢みたいなだなと、復帰する前は考えられたなかった事態になってしまったので、それは今でも覚えています。走っていろいろな人に喜んでもらえて自分が一番うれしかったけど、それ以上に喜んでいる人の姿を見て「1回諦めたけど続けて良かったな」と思えた瞬間だったので、それが一番印象に残っています。


川村 私が一番印象に残っているのは全カレです。ヨンパーで優勝できたこともうれしかったのですが、それよりもマイルで優勝はできなかったけど、予選から優勝を狙えるかもしれないという仲間と優勝を目指す、勝ちを目指す楽しさを改めて感じることができました。高校はマイルに出たりしていなかったので、マイルで勝つ楽しさをあまり知らなくて。大1の時にマイルに出させてもらったのですが、その時は私がめちゃくちゃ遅かったから2位で優勝ができなくて。その時はガムシャラに走っていただけなので、先輩たちを勝たせたいという気持ちももちろんあったのですが、4年生になり、4年生の先輩たちはここまで強い思いを持って全カレに臨んでいたんだなというのもすごく感じることができたし、その上で優勝を目指して走ったマイルは本当に楽しかったなと思います。全カレも最後ヨンパーで勝てて、後輩たちにいいところを見せられたのもうれしかったなと思っています。


津川 私も最後の全カレが一番印象に残っています。全カレの決勝に個人で来れたというのは1年生ぶりだったので、本当にそこまでいろいろな思いがあって結果も全くついてきていなかったけど、唯一全カレの準決勝だけ今までにないようなありえない自信が舞い降りてきて、仲間からの支えもあり、決勝に駒を進めることができました。あと川村も言っていたように、去年同じメンバーでマイルを走った時より約6秒ぐらい速くなっているから、その成長が著しく見えたのが全カレだったので、一番印象に残っています。

 

ーー清水さんが4年生で復帰された時、お二人はどのように感じていましたか

川村 本当にうれしかったです。もちろんライバルだし、試合に出られる人数は決まっているからライバルとしては、羽菜が体づくりを頑張ってやってきたからこのまま私たちを超えちゃうんじゃないかという危機感もあったけど、つらい時期に本当にもがいて頑張ってきているのを見てきたので、危機感とかライバルとして燃えるというよりも、本当にうれしいというのが素直な感情でした。


津川 私も正直(関カレでは)メンバーを羽菜に取られて悔しいという思いよりは、うれしいという気持ちの方が結構強かったです。私は外れた分、400メートルで絶対に点数をとって帰ろうという気持ちがその時はとても強くて、とにかく羽菜が関東インカレ選ばれてすごく楽しそうに走っているのを見て、私ももっと頑張ろうと思ったし、悔しいという気持ちよりはとにかくうれしかった、本当に頑張ってきて良かったなと自分のことのようにうれしかったです。

 

ーー大学で競技生活に区切りをつけることが大学に入る時から決めていましたか

全員 はい。

 

ーー卒業後も競技を続けるか迷った時はありましたか

津川 ありませんでした。


川村 私も4年間しっかり頑張ろうと思って入学してきたのでありませんでした。


清水 私も大学4年間で競技を終えるものだと思っていたけど、まさか3年間も走れないなんて思ってもいなかったので。復帰できた時はどこまでいけるんだろうなとか、日本選手権標準まで切れたら続けたいなと思っていたし、就活がつらすぎてこのまま競技延長みたいなことも考えたり、自分の中で心残りがあるというかちょっと続けたいと思っていた時期もありましたが、最後の1年間は全部出し切って走れたので、終わろうと思ってやっていました。

 

ーーこれまでの陸上競技生活全体を振り返るといかがですか

川村 私は本当に指導者の方に恵まれたとすごく思っています。中学の顧問の先生も高校の顧問の先生も大学の監督・コーチ陣も本当に指導者に恵まれて、同期とか先輩後輩にも本当に恵まれていたなというのはすごく感じていて、だからこそ陸上をずっと頑張れたし、好きでいられたし、そこにはすごく感謝していて、10年間人に恵まれた競技人生だったなと思います。


清水 私は本当にケガばっかりしていたなと。何回ケガして何回骨を折ったか分からない、全身の骨を折りまくっている感じなので、そこは本当に未熟というか後悔している部分ではあります。ですが、本当に優佳と同じで人に恵まれたというのと、感謝してもしきれないぐらい応援してもらったり、支えてもらいました。特に母親は、中学の時は指導者がいなくて部活もあんまり強くないところだったので、一緒に競技場に行って練習したりしていたので本当に感謝していますし、小学生、中学生、高校、大学といろいろなことがあったけどずっと通して支えてくれたのは母親だったので、そこはすごく感謝していますし、瑠衣と優佳に出会えて一緒に競技ができてライバルとしていろいろな大会で競えて良かったなと思います。


津川 私もなんでここまでできたかなって考えたら、本当に小学生の時から周りの人に恵まれてきた競技人生だったので、本当にその方々には感謝の気持ちでいっぱいだなと今振り返ってもすごく思います。

 

ーー3人での一番の思い出は

津川 最初の1年生の時はコロナ禍で部活もなかったので、みんなで自転車で集まって公園で練習したりとか、10キロ走って集合してシャトルランしたりとか、ハードル跳んだりとか、そういうふうに毎日頑張っていたのが今思えば思い出です。


清水 私は正直、二人と走る機会があまりなかったというか、最後の1年しかなかったのですが、ヨンパーの練習で試合のような形でやるサンパーがあって、瑠衣とか大川(寿美香、スポ2=東京・三田国際学園)、優佳とかハードルブロックみんなでメンバー変えながらやるのがあって、練習からこんなに緊張感を持って瑠衣とか優佳とか大川と走れるのは、すごく贅沢だなと思っていました。ずっと走れなくてはたから見ていてみんないいなって思っていたし、欲を言えば小山さんとか関本さんとかハードルの先輩方ともハードル練習とか試合でレースを一緒に走りたかったというのはあるのですが、練習で全カレ決勝メンバーに相当するようなメンバーと一緒に走れるのはここでしかできないことだし、それはやっぱり印象に残っています。


川村 私は二つあって、さっき瑠衣も言っていたみたいに、コロナ禍で部活もない期間は3人で集まって、10キロ走って10キロ先の地点で集合とかあったりして、みんなで坂練したり、そういう期間がすごく楽しかったし、充実した練習期間だったなというのが一つと、あとは羽菜が冬季で復帰してきて、いつも早稲田は冬季練習にバトンを使ったセット走があって、みんなで何周もバトンをつないで走る走り込み練習があるのですが、3人でバトンをつないだ時があって。やっと3人で走れたなというか、3人でバトンをつなげてうれしかったのをすごく覚えています。

 

後輩へのメッセージ

女子の後輩と写真に収まる前列右から清水、津川、川村

 

ーー特に期待している後輩はどなたですか

全員 みんなです。

 

川村 やっぱりヨンパーとして、大川と内藤(香乃、スポ1=兵庫・北摂三田)には頑張ってほしいなと思っていて、2人も本当に頑張り屋さんで努力家なので、うまくいかない時とかつらい時とか結構あると思うのですが、競技を純粋に楽しみつつ、自分の目指すところを頑張ってほしいなと思うし、本当に伸び代がある2人なので、頑張ってほしいなと思います。


清水 それぞれの顔を思い浮かべるとみんな頑張ってほしいなと思うけど、あえて名前を出すなら、山越(理子、人2=東京・富士)と鷺(麻耶子、スポ3=東京・八王子東)です。今男子の短距離がすごく勢いがある中で、女子も強いんだぞというのを見せてほしいし、麻耶子も山越も大舞台で勝ち切れないというのをずっと課題にしていたと思うし、麻耶子はそれこそラストイヤーで優佳と同じ女子主将という立場ですごく悩むことも多いと思うのですが、頑張ってほしいなと思っています。

 

ーー最後に後輩へのメッセージをお願いします

津川 とにかく頑張りすぎないように頑張ってほしいです。やっぱり自分自身も追い込みすぎて頑張りすぎて潰れていってしまったという経験があるので、つらくなったら話せる人に話したりとかして少しでも自分の身を楽にして、周りはあまり気にせずに競技自体を楽しんで、頑張りすぎずに頑張ってほしいなと思います。


清水 今振り返ってみると、〜〜の大会で何秒を出したとか、関カレで何位に入賞したという記憶よりも、この練習がきつかったとか、あの人にあんなこと言われたなとか、あの場面でこんなふうに考えたなとかという方が印象に残っています。結果はもちろん大事だし、目標や結果がないと行動もできないし、濃密な時間も過ごせないと思うけど、結果だけに囚(とら)われすぎずにどう考えてどう動くとか、どんな人とどう過ごすかというところにも目を向けて頑張ってほしいなと思います。


川村 競技をやっていて勝利を目指して、競走部は特に対校戦に出て点数を持ち帰ってというのがすごく大切にされることだとは思うのですが、純粋に楽しんでやってほしいなというのがあります。さっき羽菜と瑠衣が言っていたけど、結果に囚(とら)われすぎず、その結果が悪くても自分がここからどうしたいか、どうしたら良くなるのかと考えたり、そういう方を大切にできればきっと結果も付いてくると思うので、結果に囚(とら)われすぎず、今の陸上競技を本当に楽しんでやってほしいなと思うし、もしつらい時があれば周りの人に頼って支え合いながらやっていってほしいなとすごく思っています。

(取材、編集 加藤志保、戸祭華子)

 

 

◆川村優佳(かわむら・ゆうか)※写真中央

 2001(平13)年12月28日生まれ。東京・日大桜丘高出身。スポーツ科学部。キャンプにハマっているという川村選手。特に、キャンプでの食事が好きだそうで、「寒いところで食べるご飯がたまらなく美味しいんです」。

 

◆清水羽菜(しみず・はな)※写真右

 2001(平13)年7月9日生まれ。東京・白梅学園高出身。スポーツ科学部。「行動力に優れている(川村)」という清水選手。昨年の冬には、四国を自転車で旅をしたそうです。「雨が降り、寒かったです」

 

◆津川瑠衣(つがわ・るい)※写真左

 2001(平13)年11月24日生まれ。東京・八王子高出身。スポーツ科学部。特に美意識が高いという津川選手。同期女子で韓国へ卒業旅行に行った際にはパックを大量に手に入れていたそうです!