【連載】『令和5年度卒業記念特集』第51回 山﨑大暉/男子ラクロス | 早スポオフィシャルブログ

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 泥臭く

 「泥臭く」――。2023年度早大ラクロス部男子の主将を務めた、山﨑大暉(政経=神奈川・鎌倉学園)はこの言葉を幾度となく繰り返す。全日本大学選手権で5度の優勝を誇る早大男子ラクロス部。そんな名門の看板を背負った主将にしては決して華々しくはなかった、泥臭い4年間を振り返る。

 

早慶戦で挨拶をする山﨑

 

 山﨑がラクロスを始めたのは早大に入学して1年がたったころ。入学当初は別の体育会に入ろうとしていた。しかし、留学をしたかったこと、必修の授業が毎日1限に入っていることを考慮し断念。そんな中、コロナウイルスが世界中で猛威を振るった。それにより留学が難しくなったことで、2年時からラクロス部への入部を決意。4年間続けなくてはいけないというルールから、留年する必要があったものの、「それでもやりたい」と心変わりすることはなかった。

 コロナウイルスの感染拡大により、大会の開催が不透明だった1年目。モチベーションの維持は難しかったというが、何よりラクロスが楽しかった。練習が終わった後も考えることは、次の日の練習が楽しみだということ。定期的に発表される、ポジションごとの序列を同期と競い合いながらさらに成長していった。しかし1年目最後の大会では、試合に出場していたメンバーの中で唯一関東ユースに選ばれず、悔しさを味わった。さらに2年目はBチームに上がったものの、シーズン最後の試合では出場できず、同期の長谷川靖眞(創理=東京・早大学院)とともに涙を流した。そんな中で、3年目は念願のAチームに昇格。しかし、レギュラーの壁は厚かった。なかなか出場機会を得ることができず、チームも関東ファイナル4で敗退。心残りがあるシーズンとなった。

 当時の4年生が引退し、主将を決める段階で山﨑は自分が引っ張ったほうがいいという思いから主将に立候補し就任。歴代の主将は下級生時からAチームに昇格し、3年時にはすでにチームの主軸を担っていることが多い。そんな彼らと比べると、山﨑は決して実績がある選手ではなかった。もちろん不安がなかったわけではない。しかしチームのために大役を買って出た。山﨑が中心となって決めた目標は前年度に引き続き、全日本選手権優勝。目標達成のため、昨年Aチームの主力を張っていた選手の多くが抜けた経験が浅いチームに、山﨑は自身の持ち味である『泥臭さ』を植え付けることにした。誰よりも走り、球際では負けずに、決して諦めない――。言葉に表すのは簡単だったが、それが身になるには時間がかかった。東京六大学交流戦(六大学交流戦)こそ2位で終えたものの、5月の早慶戦では大敗を喫した。危機感を覚えた山﨑は、夏合宿で強度の高い練習を増やすことを決定。チームの内部から反発があったというが、すべては全日本選手権優勝のためだった。

 

リーグ戦の東大戦でボールを持つ山﨑

 

 迎えた関東学生リーグ戦(リーグ戦)、第一戦の相手は武蔵大。前半までリードする展開だったが、第3Q(クオーター)で逆転を許してしまう。しかし山﨑が倒れこみながら放ったシュートがゴールに吸い込まれると、さらにゴール前でパスを受けた山﨑が逆転弾を放ち勝利で終えた。そして東大との戦いとなった第二戦。前半まで終始主導権を握られると、第4Qでは3点差に。勝利は不可能と思われたが、山﨑組の粘りは驚異的だった。着実に点差を縮めると、残り1分で2点を奪い奇跡的な逆転勝利を収めた。2連勝を収めリーグ戦突破に向けて好スタートを切ったが、残りの3戦で1勝2敗だったことで、リーグ戦は敗退。全日本選手権優勝の夢は道半ばで途絶えた。しかし、山﨑が1年間かけて作り上げた『泥臭さ』が、武蔵大戦と東大戦で間違いなくかたちとなった。

 

リーグ戦の武蔵大戦で逆転弾を決め、喜ぶ山﨑(写真中央奥)

 

 山﨑に田中組(2024年度早大ラクロス部男子)に期待することを聞くと笑顔でこう答えてくれた。「『泥臭さ』が少しでも残ってそのうえでチームの色を出して頑張ってほしいです」。このコメントからほどなくして行われた、田中組として初めての対外試合である六大学交流戦の開幕戦。序盤から対戦相手の明大に押される展開だったが、最終Qで見事逆転に成功。山﨑が植え付けた『泥臭さ』がたしかに、次の世代へ受け継がれた瞬間だった。

(記事 飯田諒 写真 近藤翔太、廣野一眞、梶谷里桜、権藤彩乃)