この日は今回の旅の二つ目の目的である、『源氏物語』に所縁のある名所の一つを訪ねます。
10年以上前、一度は挫折した「かな書道」でしたが、昨年、放送大学の番組を見て、『徒然草』『方丈記』などの古典文学や『小倉百人一首』などの和歌に興味を抱いてから、再び初心者用の本を購入して独学で学んでいました。
当然ながら、なかなか上達できずに悶々としていたところ、「かな書道教室」を探し当て、この春から本格的に習い始めています。
その後、先生からの勧めで古筆も学び始めると、手本とする『伝藤原行成筆 関戸本古今集』『伝紀貫之筆 高野切』などが書かれた時代の背景なども知りたくなりました。
古筆(こひつ)とは、平安時代から鎌倉時代にかけて書かれた和様の名筆をさしていう。時にはもっと範囲を狭くしてその名筆中でも特に「かな書」のこと。(ウィキペディアより)
『古今和歌集』『新古今和歌集』など勅撰和歌集に収載されている和歌、さらには『源氏物語』『伊勢物語』『土佐日記』、作者や作中の人物、次から次へと興味をそそられます。
なかでも『源氏物語』はこれまで敬遠してきた代表作でした。「光源氏」という宮廷のプレイボーイが主人公であることくらいの知識しか持ち合わせていませんでした。いわゆる、食わず嫌いでした。
まだ完読しておらず、勿論、現代口語訳を読んでいる訳ですが、物語が進行するにつれ、知りたかった時代背景がなんとなく想像されます。
そして驚かされるのは、作者紫式部の知識量。古今集をはじめ、古歌(こか)や中国の古典などがふんだんに用いられ、さらに彼女が詠んだ豊富な歌の数々。どれくらいの才媛であったのでしょうか。
前置きが長くなりましたが、紫式部が『源氏物語』の着想を得、「須磨」「明石」の2帖を書いたといわれている、滋賀県大津市にある「石山寺(いしやまでら)」へ向かいました。