自席で前を向き、腕、足を組んでいる七海の前の席には廊下側を向き、足を組み、右肘を背もたれにかけて座る担任、桜木の姿があった。

「じゃ、続きはまた今度」それは七海に言ったのだろう。桜木は最上に向かって微笑んで見せると教室を後にした。

「なあ最上。桜祭り行こうよ」七海がそんな話をしだした。最上が快諾しようとした時、

「あー! 行こう行こう! 何かね、色々お店出てるらしいよ」入ってきたのは同じクラスの女子生徒で、昼食の時、七海の隣に座ったロリ系の少女だった。身長一五〇後半。短い髪型の金色というよりは黄土色の、言ってみれば岩見の栗色をより抜いた感じの髪が良く似合う少女だ。藤堂沙霧(とうどうさぎり)といった。

「沙霧ちゃん、道場休んでいいの? 私はスイミングスクール休んじゃう」

昼は霧小路の隣に座った美少女。水鏡葉月(みかがみはづき)。身長は藤堂より一〇センチメートル程、高そうだ。

成る程、水泳をやるのか。スタイルはいいわけだ。体を細く保つ為に、食事を節制するわけではなく、全身の筋肉を過酷に使役して、吸収した分を適度に消耗すれば、例え太りやすい年頃でも、このような快挙を成し遂げられるものなのだろう。半端ではない自分の美貌を知らねば、出来ぬ芸当だと最上は思った。

 人として醜い母親を持つが故に、女性に厳しかった最上は、しかし美しいものは美しいと認める性格も持っていた。これも最上の厳しい所である。どんな真実にも価値があり、真実は評価し、認めねばならないというのが最上の掟であり、誇りであった。

「大丈夫! 今日は稽古ないから」と藤堂は答えた。

「そうなんだ! じゃ、行こうか、最上君」

水鏡が嬉しそうにこちらを振り返った。その時、

「なーんか締まらねえな」

見ると教室の後ろ扉と前扉が同時に開閉して、前から霧小路、後ろから声の主御柳と岩見が入ってきた。

「いたか最上」と岩見。

「グラウンド行ったらよ。六人しかいねーんだよ」と御柳が言う。「何でも皆花見に行っちまったってんで、今日の部活は中止になっちまってさ」

 すると霧小路が口を挟んだ。

 三  放課後

 土曜最後の授業は担任の英会話だった。鳳凰高校での英語は文法、読解、会話の三種類で、特に会話の授業は重視されていた。会話慣れした方が文法も読解も身に付き易いと考えられている為だった。

やがてホームルームが終わって放課後となる。

今日と明日は駅前の商店街が桜祭りで賑わっており、学校と反対側の駅前に続く桜通りが特別な賑わいを見せているはずである。各クラスともガランとして人の気配が無い。岩見、御柳は部活だろうし、一人でぶらつくのも嫌いではなかった最上は、手洗いから教室へ戻る途中、静まり返った廊下で、ふと花見でもと考えていた。

「…まだなのか?」

 隣のクラスの前に差し掛かった時、その声は耳に届いた。

「そんな感じだね」

「分かった。今夜あたり、私が仕掛けてみよう」

花見に行かない人もいるようだ。まあ、自分もここにいるのだから、似たような人達かも知れない。一年九組の教室に近づくにつれて、その会話は次第に大きくなっていった。

「強引に接触する気か? 勘気被るなよ?」

「フフフ…まだなのだろう? 勘気も何もないではないか。…心配はいらぬ。私は優しいのだよ。少し手を貸して差し上げるだけの事」

「ま、いいけどね。あたしは」

二人の女、間違いない。一人は七海だ。だが今一人はいったい誰だ?

「ところでさぁ。そっちはどうなの?」

「まだ、何とも言えない。特別な兆候は無いようだ。…やはり我々が一番乗りだと思いたいが。少なくとも潜伏してはいるだろうから」

 なにやら気になる内容だったが、最上は躊躇わず教室へ入っていった。

 室内は何人かの荷物が机上に置いてある。この祭りの最中に、不運にして部活動に赴く事になった者が岩見達の他にもいたようだ。女子バスケットボール部も、県大会の優勝候補だと聞いている。霧小路の荷物もそこにあった。最上のようにいずれ戻って来る者も勿論いるだろう。

教室には二人しかいなかった。声の主も自然と特定できる。

「オカルト話でもしてたのか?」

 入ってきた最上を注視する二人のうち一人に軽く声をかけた。

「サンキュ。沢井さん。大丈夫。一人あてがあるから」御柳が最上に目配せする。

「頼んだぞ最上」岩見が静かだが、力強い口調で最上に声をかける。

「何か、見えないんだけど…。貴方サッカーするの? 岩見君達も上手いよ?」

「いや」最上は考え事をしていた。両親への侮蔑が蒸し返していたのである。一人でいる時など、専らそれだった。それとなく見回すと、自分から最も遠い所に座っている、あの黒髪の美少女と眼が合った。

 自分は今どんな顔をしているのだろう。ふとそんな気持ちになる。これほど美しい少女を意識すれば、自分は? を問わずにはいられない。きっと憎悪を全面に浮かべてブツブツと呟いていたに違いない。見ると彼女は笑っていた。

 可笑しいよな…。でもこれが俺の人生だ、と最上は思う。醜く爛れきった心を隠す場所も求めず、醜いならば醜い自分の身の程をよく知っておきたかった。それが、いざ成長を遂げる時に、実を結ぶと言い聞かせて生きて来た。自分を偽る奴に成長は無い。

 最上は唇をきつく結びなおした。すると、例の美少女が、今度は何か違和感でも感じたように、おや? という表情をした。

 最上は、どうも苦手になって、そのまま外へ視線をやってしまった。

“気後れか? 全く俺って奴は…”

 情けない。という言葉を噛み締めながら、結局何をどう対応しても、格好の付かないところを見ると、自分は劣等感と融合した醜い高校生でしかないのだろう。いよいよ自己嫌悪に沈む自分を、しかし冷静に見詰めているような自分がいるのだった。

 沢井というマネージャーは最上の返事はどうでも良かったらしく御柳達と話していた。

「ま、いいんだけど、三人とも頑張ってね。吉沢副部長、超上手いから」

最後にムフとでも付けたそうな口上だ。沢井はそれだけ言って去って行った。霧小路が吹き出すのを堪えてヒソヒソと「何あれ?」と言ったのが聞こえる。

 七海が隣から最上に乗り出し

「頑張ってねってさ」やれやれといった苦笑を伴う言い方だ。

「フン」

 最上は鼻で笑った。