バリティエは最上を放した。

「あんさん、ホンマに何も知らんようやね…まあ、ええわ。ほな、あんさん、名前聞いてええか?」

「フン、男遊びか? 大概にしておくんだな」フォウリエンが意味ありげな笑みを浮かべているようだ。

「ウチは本気や!」

「フフフ…本気で殺す所だったではないか」

その時だった、突然フォウリエンの遠く背後に人影が現れた。静かに歩み寄って来るその人影は、水に落ちたように一瞬で地面に消えたように見えたが、その瞬間、厳城大附属の三人に戦慄が走ったようだった。

「あんさん、動かん方がええよ?」何かを察知したように、バリティエが体勢を低くして周囲に気を配り始めた。

 次の瞬間フォウリエンが鈍い音を立てて横へ吹き飛んだ。慌てて駆け寄るバリティエ。

「尋問は済んだようだな。その少年を渡して貰おうか」

朗々たる女の声。それはフォウリエンが立っていた位置、その地面より現れた人影から聞こえていた。聞いた事がある…そう、今朝の夢の中だ。あのショートカットの女。間違いない。凄まじい威圧感を最上も感じていた。

「こいつが欲しいのかよ」メイジョフと呼ばれた男は最上と夢に出た女の間に立ち、最上を質に取って蒸気を発し始めた。強い刺激臭が立ち込めて行く。

「貴様…」

夢に出た女は、どうやら最上を奪還する気らしい。最上はその瞬間に逃げる手段を考えていた。

「くっ…撤退だ! …退くぞ、バリティエ…メイジョフ……」

 だが、男は反応しなかった。殺る気だ。仲間の仇討ちのつもりか? だが最上がやったとは思っていないはずだ。腹いせのつもりだろうか。

「暗闇の…じ、女王…。その女…ヘイラムだ…!」

 フォウリエンは呻きながら危機を叫んでいた。バリティエはそれを聞いた途端、血相を変えた様子で、何やら手元でゴチャゴチャとやり始めた。

「な、何やて!? あんたそれ早う言いや! 死んでまうやないか!!」

突然霧が現れ、彼女等を包むのが、フォウリエンの発光体の光で見て取れた。霧は恐らくバリティエの力であろう。

「メイジョフ! ホンマ死にたいんか!? 撤退やゆうてんねん!!」

彼女等の姿は既に無く、遠ざかる声はそう告げていた。

「知った事かぁー!」

「ああ! 何しよんねん! ウチあんさん気に入ってんねんからぁ! 平気か? あんさん!?」

「惚けるなよ? 私はバリティエのように甘くは無いぞ?」

「ちと、ホンマに気ィ付けぇや! 殺してもうたら意味無いでぇ!」

「フォウリエンの言う通りだぜ。見た所、鳳凰の奴だろ? 舐めてっと死ぬぞ?」

 どうやらバリティエ、フォウリエンといった呼び名があるようだ。あだ名といってもいいだろう。しかし、変わった呼び方だ。

「戦闘バカは黙ってな! 頭も要るんだよ」

 手元に新たな光を出現させたフォウリエンはバリティエにそう言った。

「何やーアホー!」

 バリティエが喚くのをフォウリエンが深刻な顔で制した。

「これは? うちの校章では無いのか?」

 殆ど変形したそれは、壁にへばりついて炭となった所に覗いていた。

“どうも嫌な予感がする。これではまるで…“最上は傍に立っている男が禍禍しい気を放っているのが分かってしまった。

 不意に股間に重い痛みを感じて下を向こうとした時、バリティエが左腕を喉に押し当てて、顎を吊るした。

「あんさん悪い事言わへん。ウチあんさん気に入ってんねん。せやけどなあ、仲間一人死んでんねんから、荒っぽいんは、堪忍な? ウチの仲間ハスナワー殺ったん、あんさんなん? 言わんとこれ、引きちぎって喰ろうたるで」

 バリティエはどこまで本気なのかいまいち分からないが、股間の激痛は酷くなっていく。このままでは本人のつもりに関係なく、引き千切る前に握り潰されそうだ。

「いいから殺っちまえよバリティエ。そいつぁどうせ何も知らねえんだろう。俺がやってやろうか? クックック…」残忍に笑い出した男は、いよいよ暴れそうだった。

「よせ、メイジョフ。何か知っているかも知れないだろう? このまま脅せば何か吐くかも知れないんだ。バリティエに任せよう」フォウリエンが言う。

「ウチ、本当は優しいんよ。あんさんちゃうならいったい誰や? 何か知らへんか? ハスナワーっちゅうんはうちの学校の前芝康孝(まえしばやすたか)って不良(わる)の事や」

「…何も、知ら、な…い」最上は苦悶の表情でそう答えた。体中が妙に熱くなり、何かが自分の中で破裂しそうな勢いだったが、それが何か、今の最上には知る由も無かった。


夕暮れの空
坂を降りたその先は左も前も壁である。右側に広大な駐車スペースが広がり、後方は本来であれば、次のフロアへの斜面があるはずだったが、地下四階は最下層だ。行き止まりであった。左腕の痛みを堪えながら、出来る限り周囲を把握しようと眼を凝らすと、四階への斜面入口付近の丁度真下辺りに、電源の入った懐中電灯が、伏せて置いてあるのが分かった。傍に誰かいる。近づくと学ラン姿の男のようだった。

「何か分かった?」

 手に光を操る不気味な女は、どうやら掌から発光体を出現させているようだった。何という事だ。これでは魔法だ。

「間違いねえな。ハスナワーはここで殺られたんだろう」男は一九〇センチメートルはあろうかという大男で、これが高校生の身長だなどと思いたくも無かったが、確かに学ランを着ているようだった。

「ホンマに…あ、スマン」

突然耳元で声を出されて、最上は身を捩(よじ)った。関西弁の女は一言詫びてから、話を元に戻した。

「ホンマに殺られたんやろな?」

「これ見ろよ、バリティエ」

 男が足元を照らすと、大量の炭が横たわっていた。

「それは灰か?」発光体の女は男に尋ねた。

「ああ、本体はそっちで焼かれたんだろう」男は別の場所を指している。よく見ると、炭は至る所に大小山となっている。

 焼かれた? 何が? 最上は思わず立ち止まって考え込んだ。

「あんさんこっちや。ンなとこ立ち止まらんといてーな」関西弁の女は最上を隅に背中を預けるようにして立たせた。

 男は最上の姿を下から照らしていく。顔にライトが当たると、余りの眩しさに手を翳して光を拒んだ。

「紺の上着にグレーのスラックス。そのブレザー…」男は呟いた。

「何か焼かれているのか?」

 最上が質問すると、答えの代わりに女の操る例の発光体が高速で飛んで来た! それは最上の腹を直撃し、最上は暫くの間、呼吸困難の地獄に陥った。