八  謀略のエデン

 最上は森の道を歩いていた。抜ければ丘の上に閑静な住宅街と、その奥に佇む鳳凰高校の校舎が見えてくる。

元々暗い人生観を持っていた最上には、今の高校生活に、束の間の希望を見出した後の絶望は、より深い闇を見せられたようで、余りに過酷過ぎた。最上はいつに無く憂鬱な朝を、高校へ向かって歩いていた。

「おはよう。最上君で良かったよね?」

 突然女性の声を背中に感じて、最上は振り返る。そこには昨日見たサッカー部女子マネージャーの姿があった。ブルーの瞳は、カラーコンタクト等ではなく、彼女が父親から譲り受けた物だった。白人とのハーフ。その恵まれた容姿は、校内で知らぬ者は無かった。

「おはようございます。確かマネージャーの…」

 最上がそう言うと、彼女は自ら名乗った。

「三年一組の水島沙羅(みずしまさら)よ。吉沢君をねじ伏せるなんて凄いわ。岩見君から聞いたけど、中学時代は凄いボランチだったんでしょう? 高凪中自体が強ければ、地区選抜に入ってたんじゃないかって」

 最上は水島が嬉しそうに話すのを聞いていた。岩見は友人の事を悪く言わない。絶対だ。きっと好きな女生徒の前でも、自慢げに自分や御柳の話をするに違いない。岩見はそういう男だ。そんな時、自分は気付いてやれるだろうか? 『いや、凄いというなら岩見だろう』そう言って岩見に差す光を遮らないでやれるだろうか。

 最上は、自分が岩見達の仲間として、友達甲斐のある人間なのかと、自問せずにはいられなかった。

「サッカー部には入ってくれないの? あまり気乗りしてないって聞いたから」

 水島が肩を軽くぶつけて、入部を勧める。

「考えてません」

 最上はキッパリと言った。

「どうして? サッカーは好きなんでしょう?」

「はい…」

 最上はそれ以上答えなかった。

「まあ、いいわ。また、そのうちね」

水島は後ろを見やってから、そそくさと先を急いだ。暫くすると、後ろから数人の足音がドタドタと迫ってきた。

「とぉつ撃ィー!!」

「キャアーッ!!」

 すると水鏡はすぐさま走り寄って、見た所会社員のような女の正面に立ち止まり足を揃えて深く頭を下げた。そして顔を起こすと厚く礼を言うのだった。

「どなたかは存じませんが、本当に有り難うございました」

 ヘイラムは眼だけでそれをチラッと見やり、直ぐに最上に歩み寄って来たかと思うと、両肩をがしりと掴み、強く揺すった。

「まだ、思い出せないの? 時間が無いって言ったでしょう!?」

 時間が無い? あの夢か! 最上は理解した。あれはヘイラムが意図的に起こした事象だ! どうやったかは知らないが、今となっては何故か確信が持てた。しかし、この女の言う『記憶』とはいったい…?

周囲が慌てて止めようと近寄ったが、最上も感じているこの強い威圧感を感じてか、二人を囲んで一旦立ち止まった。

しかし御柳が手をボキリと鳴らすと岩見もヘイラムの肩に手を掛けた。

「おい、あんた。その辺にしてくれないか?」

 御柳はヘイラムに対して身構える。

「礼は言いますがね」岩見も怯まなかった。

「止めて下さい! 彼、今疲れているんです!」

水鏡はヘイラムの腕に組み付いて、最上から離そうとしたが、腕の力が足りなかったらしく、ベソをかいてしがみ付くだけだった。

 ヘイラムは周囲に構わず深い溜息を吐き、更にその後、深呼吸を一回してその腕を放した。

「フフフ…」

 ヘイラムの笑いは恐らく自棄(やけ)だろう。

「はぁ~…。まあ……いいわ」

 今までは殆ど軍の将校のような口調であったが、女性らしい言葉も使うようだ。ヘイラムは、水鏡に向き直った。

「礼はいい。気にしないで」

 そして、今度は最上にこう言った。

「いずれ全て理解する。動揺しないように」

 ヘイラムは去って行った。

メイジョフと呼ばれた男は、恐らく猛毒か酸の力ではなかろうか。いずれにせよ、触れるのは危険であると考えられる様子だった。メイジョフの融解を始めた身体は、既に沸点をも越えたようだ。凄まじい蒸気を発しながら、右手で最上に掴みかかって来る!

「止せぇ!!!」

夢に出た女が必死に叫び、無謀にもメイジョフに飛び掛るが、最上の反射的な行動の方が一瞬早かった。

振り翳した最上の右手。その先に白い光が現れ、幾何学模様が幾重にも発現したように思う。すると瞬く間にメイジョフの姿が光り瞬き、次の瞬間消し飛んで塵となった。白い灰が辺りに拡散していく。

いったい自分は何をしたのだろう。今の光は何だ。俺は…何者だ? そんな疑問が最上の頭の中をグルグル回り続けて、彼は力無く崩れた。

「行きましょう」

 夢に出た女。確かヘイラムと言った。彼女は最上に、共に地上へ戻るよう促すのだった。

 何故か凄まじい疲労感の中、全身の力を振り絞って最上は立ち上がった。

 不思議だった。暗闇に目が慣れたと思っていたが、今の自分はどうやら、暗闇でも目が見えているようだ。その目で見ればヘイラムは紛れも無く夢に現れたあの女だった。

 地上へ出ると、岩見達が入口付近をうろついていた。傍に黒いスーツに白いブラウスを着たヘイラムが歩いていたので、多少気になった様子だが、最上が疲労しているのを見て心配してくれたようだった。

「どうした? 大丈夫か?」

岩見が血相を変えて駆け寄って来た。御柳が暗い入口の奥を覗きながら少し驚いて

「やっぱ、この中だったか! 地下一階までは降りたんだが、見えなくてなぁ…。お前よく…どこまで降りてたんだ?」

「何があったの? 最上君…」

 水鏡が中腰になって、正面から肩を起こすように顔を覗き込んで来た。

「自分でも分からない。何が起こったのか…。俺はこちらの方に助けられて…」