今日は、我が愛読誌・月刊『致知』7月号より、巻頭特集記事を一部編集にてご紹介致します。
◆ ◆ ◆ ◆
〝師資相承(ししそうしょう)〟とは、師から弟子へと道を次代に伝えていくこと、と広辞苑にある。
分野を問わない。
あらゆる学問・道・文化・伝統は、師弟の相承によって伝えられてきた。
人類の歴史は師資相承の歴史といっても過言ではない。
師資相承と言えば、本誌には思い浮かぶ人が2人いる。
一人は東京電力の社長・会長から経団連の会長を務められた平岩外四氏(↓)である。
平岩氏は秘書課長時代、当時社長だった木川田一隆氏に呼ばれ社長室に入り、木川田社長の顔を見た瞬間、社長が何の件で自分を呼んだのか分かった、と言われている。
四六時中、社長の置かれている状況に思いを馳せ、社長と心を一つにしていたことが、それを可能にしたのだろう。
そして、その姿勢の持続がそのまま、平岩氏の経営者としての視点・見識・実力を養成していく基盤となったと思われる。
もう一人は円覚寺の横田南嶺管長である。
横田管長は先代管長の足立大進老師に約30年仕え、侍者として旅にもよく同行した。
旅館では同じ部屋に宿泊させてもらうことも度々だった。
そんな時、老師より遅く起きては侍者の務めができない。
といって老師より先に血起きては、老師の眠りを妨げてしまう。
といって老師より先に血起きては、老師の眠りを妨げてしまう。
そこでどうしたか・・・目が覚めても起き出さず、老師が目覚めるのを布団の中でじっと待つのである。
そして老師が起きられた瞬間に起き、挨拶、寝具の片づけ、お茶の支度と動くのだ。
ホテルの個室に宿泊する時には、更に気を遣った。
老師の眠る部屋の隣室でひたすら神経を集中し、目覚めの気配を察すると、すぐさま用事を足しに向かう。
「そのような機微を察することが大切でした。」
「そのような機微を察することが大切でした。」
と横田管長は話されていた。
先代管長を尊敬し、徹底的に仕え切る。
30年に及ぶその繰り返しの中で、禅の師家としての相承はなされたのだろう。
お二人の逸話から私たちが学ぶものは多い。
上智大学名誉教授だった渡部昇一氏もまた、師を大事にした人だった。 その言葉がある。
「人は心底尊敬した人物から知らず知らずの内に多くを学ぶ。
学生でも偉い先生を心から尊敬している者は器量がどんどん大きくなる。
しかし先生を批判したり表面的に奉っているだけとなると、成長が止まる。」
学生でも偉い先生を心から尊敬している者は器量がどんどん大きくなる。
しかし先生を批判したり表面的に奉っているだけとなると、成長が止まる。」
師弟関係においては、教えんとする者の姿勢より学ばんとする者の姿勢にすべてがかかっている、と言えるかもしれない。
哲学者・森信三師は、人間を形成する要素として先天的素質・逆境による試練・師匠運の3つを挙げている。
人格を形成するには師匠運が最も大事であり、どういう師匠に出会うかで先の2つの影響されると述べ、こう結ばれている。
「尊敬する人がいなくなった時、その人の進歩は止まる。
尊敬する対象が年とともにはっきりするようでなければ、真の大成は期しがたい。」
私たちも終生仰ぐ師を持ち、その教えを相承していく人生を歩みたいものである。
◆ ◆ ◆ ◆
「尊敬する人がいなくなった時、その人の進歩は止まる。
尊敬する対象が年とともにはっきりするようでなければ、真の大成は期しがたい。」
私たちも終生仰ぐ師を持ち、その教えを相承していく人生を歩みたいものである。
◆ ◆ ◆ ◆
皆さんに、終生仰ぐ師はおられますか?
また、その教えを我が子や部下に相承していますか?