不 帰 | ナベちゃんの徒然草

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還暦を過ぎ、新たな人生を模索中・・・。

標高8,848mを誇る世界最高峰といえば、エベレスト。

 

かつては多くの登山家にとって難攻不落の剣が峰でしたが、科学の進歩により現在では年間500人前後、累計で9,000人以上が登頂を果たしています。

 

その中で人類史上初めてこの山頂に立ったのは1953年、イギリスのエドモンド・ヒラリー卿とシェルパのテンジンとされています。(↓)

 

しかしその30年程前に登頂を果たしたのでは?・・・といわれているのが、

 

 ジョージ・ハーバート・リー・マロリー 

      George Herbert Leigh Mallory 


今日は、当時イギリスの国民的英雄であった彼の命日・没後100周年にあたります。

     George Mallory

 

1856年に牧師の次男として生まれたマロリーは学力優秀で、早くも13歳の時にウィンチェスター・カレッジの数学奨学生に選ばれましたが、そこで出会ったロバート・アーヴィング先生によって登山へと導かれます。

 

1905年にケンブリッジ大学のモードリン・カレッジに入学。


ボートの漕手としても知られましたが、学位取得後も登山は続け、1911年にはモンブラン、1913年にはイギリス最難関といわれるピラー・ロックの登頂に成功。

 

結婚直後の1914年に勃発した第一次大戦では、砲兵隊に入隊・従軍。 


そして除隊後はチャーターハウス校に戻り教鞭を取りましたが、登山への魅力は断ち難く・・・イギリスのエベレスト登山隊に参加するために職を辞しました。             

 

1921年の第一次遠征では登山ルートを発見。 


翌22年の第二次遠征では、登頂まであと一歩というところに迫ります。

 

そして1924年、第3次遠征隊員として招聘されたマロリーは、10日後に38歳の誕生日を控えた6月8日朝8時・・・仲間のアンドリュー・アーヴィン隊員と共に頂上を目指して第5キャンプを出発した後、消息不明に。

 

人類で初めてエベレスト峰に分け入りヒーローとなっていたマロリーの遭難はイギリスに大きな衝撃を与え、彼の葬儀は当時の国王・首相も参列するという国葬並みの規模だったとのこと。

 

その後何度か彼の捜索が行われたものの発見には至らず・・・遺体が発見されたのは行方不明から75年後・1999年のことでした。

 

     

 

しかし携帯していたカメラは発見されず、その状況からだけでは彼がエベレストの山頂に到達したのかどうか確証が得られないまま、現在に至っています。

 

果たして世界最高峰に初めて立ったのは1924年のマロリーか、それとも30年後のヒラリー卿だったのか?・・・山岳史における永遠の謎かもしれません。

 

また仮にマロリーが最初に登頂していたとしても、生還していない以上成功とは認められない、とする意見もあります。

 

確かに潜水では浮上してOKマークを出さなければ記録は公認されませんが、皆さんは〝登頂の定義〟をどうお考えになるでしょうか?

 

なぜ登るのか? と問われて、

 

「そこに山があるからだ(Because it is there.)」 

 

という名セリフを残したといわれる英雄的登山家のご冥福を、あらためてお祈り致します。🙏


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