【特別増刊・拡散希望】 惨 殺 | ナベちゃんの徒然草

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還暦を過ぎ、新たな人生を模索中・・・。

今日の特別増刊号は学校ではまず教えない、しかし日本人として知っておかねばならない出来事のご紹介です。

それは、今から104年前の2~5月に起きた


   に こう
 尼港事件

事件現場となったのは、アムール川河口にある都市・尼港(現・ロシア領ニコラエフスク・ナ・アムーレ)。

    

               中央・上が尼港の位置

1917年、ロシア革命によって帝政が瓦解し、レーニンが政権を奪いました・・・が、各国はこの新政府を承認せず、実際ロシア国内は無政府状態でした。

そんな状況の中、1920(大正9)年1月29日に突然尼港を共産パルチザン約4,300名(ロシア人約3,000名・朝鮮人約1,000名・支那人約300名)が包囲したのです。

 

   
           パルチザンの幹部たち


パルチザンって、戦争映画にも登場する、となくカッコ良い組織に聞こえますが、とんでもない。

彼らはシベリアに収監されていた囚人が無政府状態の中脱獄して徒党を組んだ、ならず者集団。

ロシア革命後、穏健派だったシベリア総督府が彼らに襲撃され倒されると、1918年8月からシベリア出兵していたアメリカ・イギリス両国は恐れをなして撤退。

同じくシベリアに出兵していた日本は地理的に近かったためそのまま治安維持を名目として残留。

 ※シベリア出兵に関する過去記事は、こちら。(↓)

 

しかし、如何せんシベリアは広大であり、戦力は分散。

 

共産パルチザンに包囲された時の尼港にいたのは、白系ロシア人約15,000名、支那人約1,000名、朝鮮人(※当時国籍は日本)約500名。

そして日本人は、治安維持のため派遣されていた日本陸軍・2個歩兵中隊約260名と軍属及びその妻子を含む婦女子440名の計約700名でした。

 

軍人としては日本軍260名とロシア兵を合計しても、僅か350名。

武装した相手はその10倍以上いましたから、武力差は圧倒的に不利な状況


彼らは 「我々に敵意はない」 と食糧の補給だけを要求して市内に入るや否や、白系ロシア兵を全員虐殺。

更に資産家や知識層と思しき一般市民をも次々と殺害して凍っていた川に放り込むと、財宝を略奪。


またユダヤ系の住民を選別し女性・子供を含めて全て・・・たった一晩で約2,500名を虐殺したのです。

 

この蛮行を知った現地駐在の石田副領事は、共産パルチザンに抗議すると同時に日本へ援軍・救助要請を打電。

しかし当時は真冬・・・海面は凍結して船舶は動けず、陸路で向かっても40日もかかる状況。

またそれ故に、尼港にいた日本人も脱出することが出来ず。

そして1920(大正9)年3月11日、パルチザンは日本軍に武装解除を要求しましたが、それまでの裏切りや残虐行為を見てきた日本軍は徹底抗戦を決意。

翌12日に日本軍は義勇兵を募り約100名でパルチザン本部を急襲するも、如何せん多勢に無勢でほぼ全滅。

その戦闘中に残った日本人約600名が領事館に逃げ込もうとしましたが、その間パルチザンに捕まったり虐殺され、辿り着けたのは約250名。

 

そこでもほぼ2日間にわたり徹底抗戦しましたが、領事館内で生き残ったのは僅か28名。

 

市内全体で生き残った日本人は日本軍の別動隊と民間人合わせて121名のみ。

彼等は全員逮捕・投獄され、食事もろくに与えられぬまま、日本の救援軍に対する防御陣地構築のための土方仕事に駆り出されました。

零下30℃という極寒の中、凍てついた大地に土嚢を積み上げて陣地の構築を強制され、それが終わると手のひらに太い針金を突き通されて後ろ手に縛られ、凍った河に生きたまま次々と川に放り込まれ殺害されたといいます。

    

          川に投げ込まれた遺体

 

そして5月に日本の援軍が到着する直前、彼らは生き残っていた日本人女性らを全員殺害し、市中に放火し焼き払って逃走したのです。

    
                
焦土と化した市内

それまでのパルチザンによる殺害方法は、凄惨の一言。

生きたまま両目を抉り取られたり、五本の指をバラバラに切り落とされたり、2頭の馬に手足を繋がれ引き裂かれるなど・・・もうこれ以上書くと吐き気を催しますので、詳しく知りたい方はネットで事件名から検索してください。

特に支那・朝鮮人パルチザンが残虐な殺し方をした・・・という証言もありますが、この事件で市内の約半数の住民が殺害され、日本人はほぼ全滅。

救援隊が入って事実が発覚した直後、日本国内で報道規制が敷かれたそうですから、現場がいかに凄惨だったかが分かります。

しかし国際的に史実として認定されている当該事件を教科書に載せず、ありもしない南京事件が載せられている日本・・・一刻も早くこの歴史教育を変えなければ、犠牲になった先人は浮かばれません。

 

 

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