各界にそう言われる方がいらっしゃいますが・・・こと落語に関して名人というと、私は真っ先にこの方の顔が目に浮かびます。
五代目 柳家小さん 師匠
今日は、独特の風貌と人懐こい笑顔で多くのファンを魅了した、この不世出の落語家の命日・二十三回忌にあたります。
1915(大正4)年に、私の郷里・長野県長野市で生まれた小さん (本名・小林盛夫)師匠 は、18歳の時に4代目・柳家小さんに弟子入り。
しかしその3年後には徴兵により陸軍麻布第3連隊に入隊。
同年に勃発した 『二・二六事件』 に二等兵として訳も分からず警視庁占拠メンバーに入れられ、立て籠り中に落語をさせられた・・・という逸話は有名です。
終戦・復員後の1947年に真打に昇進、同年に亡くなった師匠の名を受け継ぎ、1950年に五代目を襲名。
1972年に落語協会会長に就任、以来1996年まで4半世紀にわたり落語界の発展に尽力されました。
実は小さん師匠が会長に就任するまでの落語界は、ある意味大相撲よりもファジーな世界・・・真打昇進に関しても確たる基準がありませんでした。
前々から密かに落語界の改革を目論んでいた小さん師匠は、協会会長に就任すると、それまで会長の自宅にあった協会事務所を自腹を切って別の場所に借り、大学卒の若者を事務員に採用するなど新施策を次々に断行。
そして画期的だったのは、真打昇進を実技試験によって決定する制度を導入>したことでしょうか。
ただこれに関しては一部の落語家から反発を受け、落語界の分裂を招く結果になったことは残念でしたが・・・。
しかし師匠本人の芸は揺るがず、蕎麦をすする場面などはまさに天下一品、他の追随を許さぬ至高のワザ。
1995年には落語界初の重要無形文化財保持者、すなわち 『人間国宝』 に認定されました。 (現在に至るまで、落語界では上方落語の桂米朝師匠と柳家小三治師匠の3人しかこの栄誉を受けた方はいらっしゃいません。)
剣道の達人としても有名だった師匠は身体も丈夫だったそうですが、1996年には高座の合間に上野広小路でマッサージを受けている最中に脳梗塞を発症した際、たまたま同室の客が東京大学の医師で迅速な対処をしてくれたおかげで後遺症が比較的軽く済んで高座に復帰できた、という強運の持ち主でもありました。
その時救急車で搬送される際、「高速は使うな、No高速(のうこうそく)」と言ったとか言わなかったとか・・・。😅
しかし前日夜まで食事をきれいに平らげる程元気だったそうですが、2002(平成14)年5月16日早朝・・・起こしに行った長女が、布団の中で冷たくなっている師匠を発見。
87歳での、まさに静かなる大往生でした。
〝うまいねェ~・・・これでインスタントかい?〟
テレビCMの名(?)セリフを思い出しつつ、〝昭和の大名人〟 のご冥福をお祈りしたいと思います。
お時間にのある方は、名人芸の一端をこちらの動画でお楽しみください。