・・・と言えば、生涯で70回以上引越しを繰り返したベートーヴェンが有名ですょネ。
しかしそれを上回る93回、時には1日に3回(!)も引越したという、1999年にアメリカの雑誌 『LIFE』 が〝この1,000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人〟の中で唯一選んだ(86位)日本人がいたのですが・・・誰だと思いますか?
この渓斎英泉が描いた肖像画だけでは分からずとも、その名はおそらく誰でもご存知でありましょう、
葛飾 北斎
今日は、この江戸時代後期に活躍した天才浮世絵師の命日・没後175周年にあたります。
1760(宝暦10)年に、武蔵国葛飾郡(現在の東京都葛飾区)に百姓の子として生まれた北斎は、小さい時から手先が器用だったようで、14歳で早くも版木彫りの仕事に就きます。
そして18歳の時に浮世絵師・勝川春章に弟子入りしますが、内緒で狩野派や洋画など他派を学んだことで師匠の逆鱗に触れ、破門に。
それからは生活を支えるべく本の挿絵・役者絵・美人画・相撲画、果ては団扇の絵まで描きまくり、時には内職として唐辛子などの行商までしたとか。
そして有名な 『富嶽三十六景』 は、彼が70歳過ぎての作品。
中でも私が最も感銘を受けるのは、〝神奈川沖浪裏〟(↓)
北斎本人がそれを知らずとも、縦横がしっかり黄金比率になっている名作です。
構図といい波しぶきの躍動感といい、写真もビデオもない時代にどうしてこれ程の表現ができたのか?・・・ただただ驚嘆するばかり。
これを見て触発されたドビュッシーが、交響詩 『海』 を作曲したのも頷けます。
この作品より30年前に描いた〝賀奈川沖本杢之図〟の波は、こうでした。
数段の進歩がみられるのが、誰の目にも明らかですょネ。
同居していた娘の葛飾応為 (※この名前、子供の頃 「お~い、お~い」 と呼んだことからつけた名だとか) ともども創作活動に集中するあまり片づけに手が回らず、部屋が荒れるたびに引越を繰り返したという、〝片づけられない症候群〟のハシリともいえる親子。
しかし生涯に3万点以上もの作品を残したといわれる北斎の創作意欲とエネルギーは、凄じいばかり。
70年にわたって絵筆を取り続け、嘉永2(1849)年4月18日に90歳で世を去った北斎の最期の言葉は、
「天 我をして 十年の命を長らしめば・・・
五年の命を保たしめば 真正の画工となるを得べし」
だったとか。
今宵は画集のページを久しぶりにめくりつつ、世界中の芸術家に影響を及ぼした、我が国が誇る怪物絵師・葛飾北斎の冥福をお祈り致します。
『もっと知りたい葛飾北斎』 (東京美術・刊)