かつてマラソンのエースとして活躍した瀬古利彦選手と中村清監督や高橋尚子選手と小出義雄監督など、スポーツの世界には名コンビと嘔われた選手とコーチ・監督の師弟関係が多数存在しますが、特にその結びつきが強いのはボクシングだと思います。
命懸けの格闘技ゆえに教える方も教わる方も必死だからなのでしょうが、世界的な名選手を何人も育てた伝説的名トレーナーが何人もいます。
例えばモハメド・アリやシュガー・レイ・レナードを育てたアンジェロ・ダンディー、フロイド・パターソンやマイク・タイソンを世界チャンプに育て上げたカス・ダマト。
特にカス・ダマトは、彼が亡くなった後のタイソンが絵に描いたような転落人生を送ってしまったことを顧みるに、いかに選手の精神的支柱になっていたかが分かります。
では日本のボクシング界に、彼らに匹敵するトレーナーは? と問われたら、私は即座にこの方の名をあげます。
エディ・タウンゼント さん
Eddie Townsend
今日は、6人もの日本人世界チャンピオンを育て上げた、この〝名伯楽〟の命日・三十七回忌にあたります。
1914年にアメリカ人の父と日本人の母の間にハワイで生まれたタウンゼントさんは、11歳からボクシングを始めるやハードパンチャーとして連戦連勝。
しかし真珠湾攻撃直前に初黒星を喫すると、大東亜戦争開戦と同時に日本人の血を引く彼からは支援者が次々と離れ、孤独な立場に追い込まれます。
戦争によってジムが閉鎖されたことでやむなく現役を引退。
トレーナーとして生きる決意をして日本人女性と結婚した彼の前に、自分のジムからチャンピオンを出すことを目指していた力道山(↓)が現れ、日本に招聘。
その力道山が亡くなると、今度は偶然にも日系3世ボクサー・藤猛のトレーナーを務めることになり、彼が世界チャンピオンになったことで一躍注目を浴びました。
その後海老原博幸・柴田国明・ガッツ石松・友利正らの世界チャンプや、村田英次郎・赤井英和ら一流選手を次々と育成・・・日本のボクシング界になくてはならぬ存在に。
特に晩年、寝食を共にし我が子のように育てたのが、最後の弟子・井岡弘樹選手。
タウンゼントさんと井岡選手
井岡選手を1987年に日本最年少世界チャンプに育て上げたタウンゼントさんでしたが、その時は既にガンに侵されていました。
そして翌1988(昭和63)年1月31日に行われた井岡選手の初防衛戦直前、危篤状態に陥ります。
愛弟子が見事タイトルを防衛したことを病床で聞くやVサインを作り、その直後の2月1日に73歳で絶命したというエピソードには、私も当時涙したものです。
選手に対する厳しい姿勢とは裏腹に、彼の言葉からはご自身の辛い経験を通した深い愛情を感じずにはいられません。
「ボクシング辞めた後の人生の方が長いのョ。
無事に家に帰してあげるのもワタシの仕事ネ。」
「試合に負けた時、本当の友達がわかるのョ。」
「誰が負けたボクサー励ますの?
ワタシ負けたボクサーの味方ネ。」
そう言って、負けた選手のそばにずっと寄り添っていたという彼の温かい気持ちが、多くの教え子たちに慕われたのでしょう。
あるテレビ番組で、過去に育て上げた弟子たちに「エディさんに最も愛されたボクサーは誰か?」 という質問をしたところ、皆迷うことなく「自分が最も愛されたボクサーだ」と答えた、というエピソードがそれを証明しています。
また現在は俳優やコーチとして活躍している赤井英和さんが、タウンゼントさんの墓石の一部を形見としてバッグに忍ばせ常に持ち歩いているのも頷けます。
タウンゼントさんのような温かみと思いやりのある教師が増えれば、学校も荒れず自殺者は激減すると思うのですが・・・。
そんな彼の言葉を娘さんが集めた本があります。
『オーケー! ボーイ エディさんからの伝言』
(百合子タウンゼント・監修 卓球王国・刊)
子育てや選手の指導に悩む親御さんやコーチに、良きヒントをくれるかもしれません。
私も久しぶりに同書をめくりつつ、往年の名トレーナーのご冥福をお祈りしたいと思います。