年間約2,500万人・・・日本の総人口の1/4近くもの入場者数を誇る、世界屈指のレジャー施設といえば、東京ディズニーリゾート。 その核である
東京ディズニーランド(TDL)
がオープンしたのが、今からちょうど40年前の今日・1983(昭和58)年4月15日のことでした。
現在では知らぬ者のない、そして首都圏にお住まいの方なら大概の方は少なくとも一度は行かれた事があるであろう (と言いつつ、私はゲートまで行ったもののあまりの混雑に帰ってしまい、未だ中に入ったことがありません😅)人気絶頂のTDLですが、スンナリ開園したわけではありませんでした。
最初にディズニーランドを日本に作ろうと思い立ったのは、京成電鉄社長・川崎千春氏(1903-1991)。
京成バラ園で販売するバラの買い付けのため渡米した際に、 (その3年前にオープンした) ディズニーランドを見て衝撃を受けたことがきっかけでした。
時に1958(昭和33)年・・・私が生まれた年のことだったとか。
その後工業排水で汚れた東京湾・浦安地区を埋め立てて商業・レジャー施設を建設するため、京成電鉄・三井不動産・朝日土地興業の3社共同出資で 『オリエンタルランド』 を設立。
そして建設に猛反対する浦安の漁民たちとの補償交渉を一手に引き受けたのが、後に同社の社長にもなった〝伝説の豪傑〟・髙橋政知氏(1913-2000)でした。
連日のように酒席を設け、胸襟を開いて接する彼の人間性に惚れた漁民たちは補償交渉に同意、埋め立て工事は無事着工に漕ぎつけたのです。
また千葉県側との土地の払い下げ交渉等を纏め上げたのも同氏の手腕。
しかし1960年から始まった肝心のディズニーランド誘致交渉は、当初海外進出など全く考えていなかったアメリカ本社が全く興味を示さず、膠着状態。
何度も決裂寸前までいった交渉がようやく契約に至ったのは、最初にアプローチしてから19年後の1979(昭和54)年のこと・・・しかもディズニー側は一切出資しないライセンス方式でした。
(しかし後にTDLの成功を見たディズニー本社は、以後建設されたテーマパークを全て直営方式にしています。)
オープン前には 「埋立地にわざわざ遊びに行く観客はいない」 などとマスコミに酷評されたTDLでしたが、蓋を開けてみれば開園直後から大盛況・・・多くの方がリピーターになっていることは皆さんもご承知のとおり。
オープンまでの苦難の道のり、そしてディズニー・シー開園までの経緯を、高橋氏らに仕えた後オリエンタルランド社長の座を引き継いだ加賀美俊夫氏が書き記した本が、私の手許にあります。
『海を越える想像力』 (講談社・刊)
ディズニーランドだけでなく、周辺のリゾート施設建設まで見越して広大な土地を抑えた川崎千春氏の夢・先見性と高橋政知氏の交渉力・男気がなければ、国民に愛されているこの一大テーマパークは日本に誕生しなかったことを、ディズニー・ファンの方々には (この一冊を通して) 是非知っていただきたいと思います。
より一層愛着が湧くこと、請け合い!?