今から、ちょうど50年前の今日・1972(昭和47)年10月28日、
全国民が注目する〝お客様〟が羽田空港にやってきました。
その前月に当時の総理大臣・田中角栄氏が支那を電撃訪問、共同声明を出して実質的な国交回復を果たしました。(↓)
それを記念して支那から親善大使として派遣されたのが、2頭のジャイアント・パンダ、
康康(カンカン・♂) ・ 蘭蘭(ランラン・♀)
白黒のツートンカラーで、まるで動くぬいぐるみのような可愛い2頭は、当時の日本では殆ど未知の動物・・・まさに〝珍獣〟でした。
たちまち日本中にパンダ・ブームが巻き起こり、11月5日の初公開日には上野動物公園の外にまで見物客が列をなし、バンダ舎に辿り着くまでに数時間。
しかも立ち止まって見る事は許されず、やっとガラス越しに見られると思ったら、寝ているパンダを数秒見ただけ・・・なんて方ばかり。😰
※当時のニュース映像が、こちら。(↓)
それでも2頭の来日による経済効果は、かなりなものだったはず。
〝人寄せパンダ〟 という言葉がありますが、これは1981年に田中角栄氏が応援演説中に 「私は人寄せパンダ」 と言ったのが語源とか・・・さすがは大政治家、しっかり自分の功績を利用してますネ。
一方、大変だったのは受け入れ先・上野動物園の職員さん達。
何せ初めて受け入れる動物で、生態や飼育法が殆ど分からぬ手探り状態。
しかも国家的な贈り物ですから、失敗は許されぬ状況・・・飼育担当者のストレスは、想像を絶する凄まじさだったと思います。
専門チームを作り、風邪をひいただけでも治療法が分からぬような状態の中で2頭を飼育した苦労は、NHKの 『プロジェクトX』 でも取り上げられました。
そんな苦労を知る由もなく、国内では 「早く2世を」 という期待がかけられましたが・・・残念ながらランランは1979年に腎不全で、またカンカンも後を追うように翌年亡くなってしまいました。
解剖の結果、ランランの体内には胎児が・・・飼育係の無念は想像に余りあります。
(※ちなみに彼ら2頭は剥製にされ、現在多磨動物公園に展示されています。)
現在日本国内に生息しているジャイアントパンダは、上野動物園に5頭・南紀白浜のアドベンチャーワールドに7頭、そして神戸市立王子動物園に1頭のみ。
そして残念ながら、その所有権は全て支那。
しかしこのジャイアントパンダ、厳密にはチベットに棲息している動物であり本来は支那の所有物でないことを、私たちはしっかり認識しなければなりません。(↓)