日露戦争といえば、日本海海戦と共に有名なのは二百三高地の激戦でしょう。(↓)
今日は、この消耗戦を指揮し勝利に導いた日本を代表する軍人、
乃木 希典 陸軍大将
1912(大正元)年9月13日、62歳で世を去ったのですが・・・この日は明治天皇の大喪の礼が執り行われた日。
その儀式が終了した当日の午後8時頃、自宅に於いて殉死して果てたのでした。
乃木大将は自刃された奥様の様子を見届けた後、自ら十文字に切腹した上に首を刺して絶命するという、壮絶な最期を遂げたのです。
殉死当日の乃木夫妻
実は乃木大将は、これ以前に死を願ったことがありました。
1度目は西南戦争時に連隊旗を奪われた時、そして2度目は前述の旅順包囲戦の際(自分の息子2人を含め)多くの戦死者を出した時。
しかしそのいずれも、明治天皇に止められていました。
その2度目の際、明治天皇は
「今は死ぬべき時に非ず。
もし死を願うなら、朕が世を去りてからにせよ。」
と仰られたそうですから、乃木大将はその言葉を忠実に守ったことになります。
当時この壮絶な殉死は世間に大きな衝撃を与え、葬儀には十数万人の民衆や多くの外国人も参列。
その後全国に乃木神社が建立されました。
お近くに乃木神社がある方には、是非今日お参りをしていただきたいものです。
さて王や皇帝などの権力者が亡くなった際、近親者や家臣・従者が後を追う殉死・・・現代人にはピンとこないかもしれませんが、古代エジプト・メソポタミア、また支那・朝鮮でも行われていたそうです。
またインドでは19世紀頃まで〝サティー〟 という、亡くなった夫の火葬の際、妻が同時に焼身自殺する儀式があったそうな。
日本ではどうかというと、古くは 『魏志倭人伝』 に邪馬台国の女王・卑弥呼が亡くなった際、塚に100人程の奴婢が殉葬されたという記述があるとか。
戦国時代では戦死したり敗戦で切腹した主君に殉じて家臣が追い腹を切ることは珍しくありませんでした。
合戦がなくなった江戸時代に入ると自然死であっても後を追う家臣がおり、逆にそうしないと不忠者・臆病者と批判されたそうな。
あの赤穂浪士討ち入り事件でも、討ち入り・切腹した義士たちは世間から賞賛された反面、脱藩し討ち入りに参加しなかった藩士達は卑怯者などと批判を浴び、悲惨な人生を送った者も多かったといいます。
戦後でも、吉田茂氏が逝去された際に大磯の自宅銅像前で永らく仕えた執事が焼身自殺を遂げた例が。
自分の意志で殉死するならともかく周囲の冷たい視線に耐えられず仕方なく切腹するなんて堪ったのではありませんが、日本人は昔から死(に方)に対して独特な美意識を持っていたようですネ。
しかし貴重な人材を殉死によって多数失ったことによる我が国の損失は、非常に大きかったと思います。
昭和時代の人気漫画 『愛と誠』 で、憧れの女性に
「君のためなら死ねる!」
と告白した秀才の名セリフがありましたが、皆さんはご主人や奥さんのために殉じることはできますか?
昔は夫に先立たれた妻が後を追うこともあったそうですが、我が家の女王様に聞いたら、
「もちろん、アンタがいなくなったらこの世に未練はないワ。」
ですって。
・・・見え透いたウソをつくんじゃないっ!
えっ、じゃあお前はどうなんだって?
私は日常生活に於いて十分彼女に殉じて(?)おります故、死ぬ時は何卒ご勘弁いただきたく・・・。😅