陸蒸気 | ナベちゃんの徒然草

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還暦を過ぎ、新たな人生を模索中・・・。

蒸気船を〝蒸気〟と略したことに比較して、〝陸(おか)蒸気〟と呼ばれた蒸気機関車。


日本人で初めて蒸気機関車に乗ったのは、アメリカに渡ったジョン万次郎 (1845年頃) とされていますが、蒸気機関車の存在は外国人によって江戸末期には日本に知らされていました。

 ※万次郎に関する過去記事は、こちら。(↓)

 

 

そして明治維新後、政府は周辺諸国が次々と欧米の植民地となっていることに危機感を覚えて富国強兵を推進する中、近代化の象徴として鉄道の敷設を大隈重信・伊藤博文らが画策。

 

モデルケースとして首都・東京と港のある横浜の間を結ぶ路線29kmの建設を1869年に決定。

 

当時技術力の高かったイギリスと提携を結んで技師を派遣してもらい、翌年から工事がスタート。

 

そして今からちょうど150年前の今日・1872(明治5)年9月12日に、新橋(現・汐留)~横浜(現・桜木町)駅間での開業式典が行われ、明治天皇のお召し列車が同駅間を往復しました。

 

ちなみにその時の平均時速は約32km、片道約50分かかったそうです。

 

    ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草

 

しかし29kmの路線のうち、その1/3の約10kmが橋を架け海上を通っていたというのは驚き。

 

それを見た欧米諸国は、日本が明治維新から僅か5年で鉄道を開通させたことに目を見張ったといいます。

 

歴史家のアーノルド・トインビーが人類の歴史における奇跡のひとつに明治維新後の日本の近代化をあげたのも頷けます。

 

当時の運賃は上等・中等・下等の3段階に分かれていたそうですが、下等料金の37銭5厘で米約10キロが買えたといいますから、かなりの高額。

 

にもかかわらず、鉄道員には士族出身者が多かったため乗客に対する応対は横柄だったとか。

 

その後の国鉄の接客態度は、それをそのまま引き継いでいた・・・と考えると、思わず納得?😅

 

また客車に乗ろうとした年配の女性客が草履を脱いで乗り込み、降りる時に 「私の草履がない!」 と慌てたというエピソードは、微笑ましいですネ。

     

          1877年頃の蒸気機関車(右奥が新橋駅舎)

 

それから100年も経たない内に同じ東海道路線には新幹線が走り、やがてはリニアも実用化されるはず・・・我が国の近代化は、鉄道の歴史を見るとよく分かります。

 

でも文明が進化するほど、蒸気機関車へのノスタルジーが増すのは何故なんでしょう?

 

トンネルに入ると慌てて車窓を閉めた時代が懐かしい・・・また、それを知らない子供たちがちょっぴり可哀想に思うのは、私だけ?


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