当時、野球に青春を賭けていた私にとって、今日・9月3日は忘れられぬ日。
なぜなら選手としてだけでなく人間として尊敬している巨人軍・王貞治選手が、H・アーロン選手の持つ通算ホームラン記録を抜く
756号
を放ったのが、今から45年前・1977(昭和52)年9月3日だったからです。
前年まで通算716本を積み重ねてきた王選手は、このシーズンも順調にホームランを量産。
夏場に入ると徐々に世界新記録達成が見えてきた中、気温と共にファンもヒート・アップ。
そして8月31日に755号のタイ記録が生まれると、日本中がホームラン狂想曲状態に突入しました。
しかし対戦相手のピッチャーは歴史に自分の名を残したくないのか勝負を避け、以後13打席で四球が6・・・中々打たせてもらえない状況が続きます。
そして迎えた9月3日のヤクルト戦。
歩かせるつもりはなかったものの、結局第1打席で四球を出したヤクルト先発の鈴木康二朗投手は、3回裏ランナーなしで迎えた2打席目は異様な雰囲気の中で、敢然と勝負に出ます。
そしてカウント2-3からの6球目・・・彼の投じたウィニングショットであるシンカーを王選手がバットのマシンで捕らえ、打球はライナーでライトスタンドに突き刺さったのです。
「打たれたピッチャーに失礼だから」 と普段はガッツポーズすらしない王選手が、この時ばかりは両手を上げてバンザイした姿が印象的でした。
※こちらで歴史的瞬間をご覧いただけます。(↓)
45年前だから当然ですが、長嶋監督・王選手を始め皆さん若いですネ。
しかし残念ながら、私はこの瞬間を生中継で観ていないんです。
8月下旬以降、その瞬間を見逃すまいと毎日ナイター中継を観ていたんですが、この日だけは前々から友人の海外留学見送りで夕方から羽田空港に行く予定が。
(どうか、今日だけは打たないで!)
そんな身勝手なお願いをしたからバチが当たったんでしょうか・・・帰りの電車に乗っている最中、世紀の一打が飛び出してしまいました。
しかし当時日テレのプロ野球中継は、午後7時30分から。
世紀のホームランが出たのは午後7時10分・・・どっちみち、生では観られなかったんですけどネ。😅
達成直後に発売された特集雑誌(↓)も買い求め、我が家の家宝に・・・と思っていた私でしたが、転勤・引越を繰り返している内に紛失してしまったのは、残念至極。
そしてこの偉業に対し、(支持率が落ち目だった?)福田赳夫首相が国民栄誉賞を創設し、2日後に王選手に授与したのは有名です。
そして私がこの記念すべき日に関して忘れられない人がもう一人・・・それは、引き立て役になってしまったヤクルト・スワローズの鈴木康二朗投手。
第1打席でたまたま四球を出してしまいましたが、彼は決して逃げませんでした。
「打てるもんなら、打ってみろ」 という気概を込め、正々堂々と勝負した渾身の一球は・・・しかし魅入られたように真ん中高めに。
実は当時、某企業が 〝756号を献上したピッチャーにはサイパン島へのペア旅行をプレゼント〟 という懸賞を出していました。
玉砕をイメージした、ある意味エゲツない企画だったのですが、鈴木投手はその受け取りを拒否しプライドを見せつけてくれました。
そして翌年、発奮した鈴木投手は13勝を挙げてヤクルトの優勝に貢献しています。
私もピッチャーだっただけに、鈴木投手の心意気が痛いほど分かりました。
ただ彼はその後近鉄にトレードされ、1983年の春キャンプでサイパンに行くことになったのは、何とも皮肉。
鈴木投手、一体どんな気持ちで空港に降り立ったんでしょうネ?😅