巨 匠 | ナベちゃんの徒然草

ナベちゃんの徒然草

還暦を過ぎ、新たな人生を模索中・・・。

ファッション・ブランドに詳しい女性なら・・・いや、私のようにその方面に疎い男性でも、このロゴは見覚えがあるでしょう。

    

今日は、この世界的な有名ブランドの創設者にして、〝オートクチュールの巨匠〟といわれた

 

 クリストバル・バレンシアガ・エイサギーレ
      Cristóbal Balenciaga Eizaguirre

の命日・没後50周年にあたります。

       

バレンシアガは1895年に、スペイン・バスク地方のゲタリアという町で生まれました。

お針子だった母親に育てられた彼は12歳から洋裁師見習いとして働き始めると、程なくして町で最も高貴な身分だったカーサ・トーレス伯爵夫人が最初の顧客、そしてパトロンに。

伯爵夫人によってマドリードに送られ修業を積んだ彼は、1919年にサン・セバスチャンでブティックを開店させると、1933年にマドリード、その2年後バルセロナに支店を開設。

スペイン王室や王侯貴族が彼の顧客となりましたが、1936年に勃発したスペイン内戦に巻き込まれて全店を焼失。

内戦の影響で主要顧客だった貴族から殆ど注文がなくなったことから倒産した彼はフランス・パリに移住し、1937年8月ジョルジュ・サンク通りにクチュールメゾンを開店。

当時はコルセットを使ってボディラインを強調する服が好まれる中、ウエストラインのない〝バレル・ルック〟やシンプリシティを追求した〝サック・ドレス〟など、体型を気にせずに着られる、ゆったりとした服を発表し、パリのファッション業界から注目を集めました。

 

    

完璧主義者で、素材はもちろん機械を嫌ってあくまで手縫いに拘った彼の作品はグレース・ケリーら多くのセレブに愛され、同業者のココ・シャネル(↓)をして

「ドレスのデザイン・裁断・縫製を一人で全てこなせる本物のクチュリエは彼だけ」

と言わしめました。


1948年にはパリのジョージ5世通りに最初のブティックをオープンし、香水・手袋・スカーフ・バッグなどを展示・販売・・・そのブランド力を一般消費者にも知らしめました。

また1960年には、かつてお世話になったカーサ・トーレス伯爵夫人の孫娘、ベルギーのファビオラ妃のウェディングドレスを制作しています。

       

 

しかしその直後の1960年代から、ファッション界では徐々に(高級既製服すなわち立体裁断による型紙を利用し大量受注・生産する)プレタポルテが主流に。

そして1968年に起きたパリ5月革命の直後、バレンシアガは

「プレタに乗り出すには、あまりにもクチュールを知り過ぎた。」

という有名な言葉を残し、突然店舗の閉鎖と引退を発表。

故フランコ将軍の孫娘のためにウェディング・ドレスを制作したのを最後に、1972年3月23日・・・77歳でこの世を去りました。

昔数本のネクタイを締めていたものの、現在は彼のブランド品を持っていない私ですが、生前ユベール・ド・ジバンシー、オスカー・デ・ラ・レンタ、アンドレ・クレージュ、エマニュエル・ウンガロ、ミラ・ショーンなど多くの一流デザイナーを教え育てたことに感謝しつつ、冥福を祈りたいと思います

 

 

            人気ブログランキング