惨 敗 | ナベちゃんの徒然草

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還暦を過ぎ、新たな人生を模索中・・・。

今からちょうど80年前の今日・1942(昭和17)年6月4日から6日までの3日間、大東亜戦争の戦況を大きく変える転機となった日米両軍の死闘、

 ミッドウェー海戦

が繰り広げられました。(※日本時間では5~7日)


    

 

結果は日本海軍の惨敗に終わり、この海戦で大打撃を被った日本軍はこれ以降急速に太平洋での制海・制空権を失い、敗戦へと大きく戦局が傾くことに。


この海戦の詳細についてここでは論じませんが、私なりに当時の日米両軍の状況について簡単に比較してみたいと思います。

 

★ アメリカ軍は既に日本軍の暗号を解読しており、ミッドウェー島の攻撃を察知し待ち構えていたが、日本軍はそれを知らなかった。

 

★ パイロットの操縦技術は日本軍が優秀であったが、アメリカ軍は既にレーダーを装備して日本軍の位置を的確に把握していたのに対し、日本軍は目視での偵察のみでアメリカ軍の位置の把握が不完全であった。

 

★ 日本軍空母部隊司令官・南雲忠一中将(↓)は元来水雷戦術畑の軍人で空母・航空機の知識は殆どなく、年功序列でポストに就いた人物

 

 

一方アメリカ軍の司令官・スプルーアンス少将は巡洋艦の一艦長であったが、ハルゼー中将が彼の冷静沈着な性格と高い状況判断能力を評価し、自らの後任に抜擢した人物であった。

 

★ アメリカ軍空母にはスプリンクラー装置が装備され、早期の消火活動が可能だったが、日本軍空母には装備なし。

 

等々・・・。  
 

不十分な偵察情報等により指令本部が混乱をきたし、航空機の搭載爆弾を急遽陸用爆弾から魚雷に交換させる指示を出しましたが、その作業のまっ最中にアメリカ軍の急降下爆撃を受け、空母は甲板に投げ出された自軍の爆弾・ガソリンに引火、大打撃を被る結果を招いてしまいます。

 

結局日本軍は航空母艦4・巡洋艦1の沈没に対し、アメリカ軍は航空母艦1・巡洋艦1の沈没に留まり、戦死者に至っては日本軍3,000名超に対し、アメリカ軍300余名と圧倒的な損失を被ったのでした。
 

    
                
炎上・沈没した空母・飛龍

 

後世、この搭載爆弾の交換を〝運命の5分間〟と称し、「もしこの交換がなければ日本軍が勝利した」 と論じる方もいるようです。

 

私も、もし司令官が年功序列の南雲中将ではなく、『飛龍』の艦長でアメリカ軍が恐れたほどの実力者・山口多聞中将(↓)であったなら、戦況は全く変わっていたと思います。

 

 

おまけにこの海戦の戦績について、大本営は天皇や国民に「アメリカ軍の空母ホーネット・エンタープライズを撃沈、味方の損害は空母一隻・重巡洋艦一隻沈没、空母一隻大破」とウソを公表。

以降こうした虚偽の〝大本営発表〟が終戦まで続くことに。

 

私たちは歴史を謙虚に学び、『過去の苦い失敗』 を繰り返す愚は避けたいものです。

 

あらためて、太平洋に散った3,000余の英霊に・・・敬礼!

 

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