以前拙ブログでもご紹介したように、戦後まもなくの1949年には、国鉄に於いて下山・三鷹・松川各事件が続発しました。(↓)
そのいずれもがCIAや共産党・労働組合などが絡むと思われる奇怪な事件でしたが、それらとは別に純粋(?)な鉄道として国鉄の信頼を大きく損ねた
桜木町事故
が起きたのは、今からちょうど70年前の今日でした。
同日午後1時過ぎ、国鉄京浜線桜木町駅構内の上り線で工事を行っていた作業員が謝って落としたスパナが当たり、架線が垂れ下がってしまいました。
作業員は上り線に列車を進入させないよう手配をしましたが、下り線はそのまま運行を続けていました。
そして午後1時45分頃、赤羽発桜木町粋の下り電車(5両編成)が下り線からポイントを渡って上り線に侵入。
先頭車両のパンタグラフに、垂れ下がった電線が絡まってしまったのです。
運転士は急いで下ろそうとしたものの、パンタグラフは破損して車体と接触した状態にあり、そこで電流がショートして発火。
車両は木製の屋根から激しく炎上し始めました。
事故が起きた63系車両は、窓が中段を固定した3段構造で、開口部の高さは僅か29cmしかなく、人間が通り抜けることは非常に困難。
またショートにより自動ドアが開かず、乗務員や駅員すら非常用ドアコックの位置を知らなかったため、扉を外から開けることが出来ませんでした。
また当時の車両は連結部分が内開きの扉で、しかも外側から施錠されており、乗客は密室状態の車両に取り残される形に。
高架上に停車したまま燃え盛る車両を、群衆や駅員らはただ茫然と眺めているしかなく・・・結果先頭車両が全焼、2両目が半焼し、焼死者106名・重軽傷者92名を出す大惨事となってしまいました。
木製の古い車両、固定されていた窓や施錠されていた扉、電気ショートによる自動ドアの故障等々様々な要因が重なったとはいえ、この2年前に大阪・寝屋川市の香里園駅で起きた電気ショートによって自動ドアが開かず乗客が窓を叩き割って逃げた火災事故の教訓を何ら活かせなかったことが、犠牲者を増やした主要因だったと言えましょう。
しかしさすがに国鉄は、当該事故翌日には63系全車両の車体に車外コック位置を〝▽〟で標記し、車内にも座席下のコック位置を記したガリ版刷りの紙を貼付。
ところがこの11年後に起きた 『三河島事故』 では、この表示が逆に被害を大きくする要因になってしまったのですから、何とも皮肉ですが・・・。
※『三河島事故』 に関する過去記事は、こちら。(↓)
現在の鉄道車両の多くは窓が開かずガラスも強化されていて人力で割るのは困難。
もし車内で火災やトラブルが起きた時、どうやって逃げればいいのか?
利用する方は、非常ドアの場所や開け方くらいは確認した方がよろしいかと・・・。