今日・12月11日は、〝たくあん漬け〟で皆様にお馴染みであろう、臨済宗の名僧
そうほう
沢庵 宗彭 師
1573(天正元)年、但馬国の武家に生まれた沢庵禅師は、父の奉公先・山名家が豊臣秀吉に滅ぼされたため10歳の時に出家。
師・薫甫に付き従って京都・大徳寺に入った後、宗彭に改名。
1604(慶長9)年に沢庵の法号を得て、その3年後に大徳寺首座、更に2年後には第154世住持となるも、その僅か3日後に大徳寺を去り、1620年には故郷・出石へ。
ところが1627年、江戸幕府が寺社の締め付けのために発令した〝紫衣召し上げ〟に反発。
京に戻り大徳寺の僧達をまとめて反対運動を起こした結果、出羽国上山への流罪に処せられてしまいます。
しかし5年後、2代将軍・秀忠の死によって出された大赦令により許されて大徳寺に戻った沢庵禅師は、上洛した3代将軍・家光に謁見。
この時から家光(↓)は禅師に帰依します。
一旦故郷に戻ったものの、家光の強い要請により江戸へ・・・禅師はそれを望まなかったようですが、結局1646(正保2)年12月11日に73歳で没するまで、柳生宗矩と共に家光のブレーンとして幕政に大きな影響を与えました。
さて冒頭、「たくあん漬けで・・・」 と申し上げましたが、日本人に馴染みの深いあの漬物は、必ずしも沢庵禅師が考案したというわけではないようです。
一説には、禅師の元を家光が訪れた際に大根の〝たくわえ漬け〟を出したところ大層気に入り、「たくわえ漬けにあらず、沢庵漬けなり」と命名した・・・など、諸説あるようです。
しかし沢庵禅師の名は漬物ではなく、その教えによって残されるべきでしょう。
禅師が柳生宗矩に〝剣禅一如〟を説いた、『不動智神妙録』 という書物があります。
宮本武蔵の 『五輪書』 と並び、後世の日本兵法の確立に大きく寄与したと高く評価されています・・・が、私にはそれ以上に剣や仏法を通した人間の正しい生き方を説いているように思います。
「心にとらわれない」、「心を止めない」・・・日常生活にも大事な心の在り方とは?
将軍・家光や剣豪・柳生宗矩が深く思慕した沢庵禅師の教えは、時代を超えて私たちの心に響くはずです。
今朝は食卓に〝たくあん漬け〟を出して、禅師を偲びましょう。