自 働 | ナベちゃんの徒然草

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還暦を過ぎ、新たな人生を模索中・・・。

昭和世代には馴染みがあっても、最近の若者には使ったことがない人が多いであろう、

 

 公衆電話


これが新橋駅の中等待合室前と上野駅の駅長室前の通路に1台ずつ、計2台が日本で初めて設置されたのが、今からちょうど120年前の今日・1900(明治33)年9月11日だったそうな。


1890年に電話局が設置され、電話事業が開始されてから10年後のことでしたが、当時は〝自働電話〟と呼ばれていました。(↓)

       

 

利用者は交換手を呼び出してから必要に応じて10銭もしくは5銭硬貨を投入し、鐘やゴングを鳴らして交換手にお金を入れたことを知らせて相手に繋いでもらうという、どこぞの国では絶対通用しない性善説方式(?)だったとか。

 

公衆電話と呼ばれるようになったのは、1925(大正14)年に交換手が不要となったダイヤル式電話機が導入されてから。

 

そして中高年の方にとって公衆電話の代名詞ともいえる赤電話が登場したのは1953年。 

 

黒電話との差別化でこの色が選ばれ、商店などへの委託公衆電話として順次入れ替えられました。

 

1968(昭和43)年にはダイヤル市外通話可能で10円硬貨全農式の大型青電話が、そして1973(昭和48)年には、100円玉が使える黄電話が登場。


私が学生時代、実家に電話を掛ける時は100円玉を握りしめてこの公衆電話に走ったものですが・・・100円入れるとおつりが出ないため、10円玉とのサジ加減に神経を使ったものです。あせあせ


1975(昭和50)年にプッシュボタン式電話がお目見え。
テレホンカードが使える緑電話が登場したのは1982(昭和57)年。

 

私が社会人になった翌年でしたが、この頃から小銭をジャラジャラ持たなくて済むようになりましたネ。

ただいい気になって長電話していると、待っている人からドンドンと電話ボックスを叩かれましたが・・・。

 

そして現在はデジタル方式でパソコン通信もできる灰色電話もあります。

 

(※ちなみにピンク電話は、厳密には公衆電話ではなく店舗経営者等の希望により設置されている加入電話だそうな。)

 

とは言え、最近は街中で公衆電話をみかけなくなったと思いませんか?

それもそのはず、1985(昭和60)年には全国で90万台以上あった公衆電話は、携帯電話の登場と共に減り続け、2020年3月末で約15万1千台にまで減少。ダメだぁ顔

 

今や小学生までスマホを持つ時代ですから、今後も増えることはないでしょうネ。

 

よく 「公衆電話を使うとチケットが取りやすい」 という都市伝説(?)を時々耳にしますが、残念ながら一般電話と全く差はないとのこと。

 

しかし、この公衆電話が威力を発揮する場合があるんです。

 

それは・・・災害発生時。

 

 

 

一般電話や携帯電話の回線がパンクしても、災害時優先電話である公衆電話は通話が可能で、場合によっては無料にもなるため利用価値は充分にあり。
 

万一に備えて、NTT各社のHPでお住まいや勤務先近くの公衆電話設置場所を予め検索しておくと良いでしょう。

 ※NTT東日本の検索は、こちら。
 https://service.geospace.jp/ptd-ntteast/PublicTelSite/TopPage/

 
※NTT西日本の検索は、こちら
 
https://www.ntt-west.co.jp/ptd/map/

 

そして、公衆電話を利用したことのないお子さんには使い方を教えておくこと、更には家族全員にテレホンカードを1枚常時携帯させることをオススメします。

 ※テレカに関する過去記事は、こちら。

 

 

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