今日のタイトルは、ある国の漢字表記なのですが・・・お分かりになるでしょうか。
もうひとつの表記・〝波蘭土〟なら、ピンとくるかも?
ヒントは、この国旗。
どうでしょう、もうお分かりになりましたか?
そう、正解は5ヶ月前のサッカーW杯で日本と予選同組だった
ポーランド共和国
Republic of Poland
今日は、この東欧に位置しバルト海に面した国の独立回復100周年にあたります。
面積は日本の約80%(九州,四国を除いた程度)、人口4,000万人弱のこの国について、皆さんはどんな印象をお持ちでしょうか?
ピアノが趣味の私としては、どうしても〝ショパンを生んだ国〟という固定観念がありますが、理系の方ならキュリー夫人の名が最初に出てくるかもしれませんネ。
歴史的には、以前は広大なポーランド・リトアニア共和国を形成していたものの、隣国によって度々分割・統合を繰り返した末、ポーランドの国名は、100年以上世界地図から消滅。
第一次世界大戦が終戦を迎えた1918年11月11日に独立を回復しました。
しかし第二次世界大戦中にドイツ・ソ連双方から侵略を受け総人口の20%超を喪失した上に再び分割され、1952年にポーランド人民共和国としてようやく主権を復活。
その後1980年代にワレサ議長が率いる〝連帯〟による自由化運動が活発化し、1989年9月に旧ソ連圏で最初の非社会主義政権を発足させました。
現在はEUにも加盟していますが、昭和世代の私としてはどうしても戦後ソ連を中心としたワルシャワ条約機構に属す社会主義国家だったイメージが強い国。
しかし実は、この地球の反対側に位置するヨーロッパの旧社会主義国が、親日国のひとつであることを知る日本人は少ないと思います。
そのキッカケは、日露戦争時にまで遡ります。
当時のポーランドはソ連に支配されていたため、日露戦争に合わせて蜂起を画策。
ロシア情報を提供すると同時に、当時ロシア軍の約30%を占める徴用されたポーランド兵士の特別待遇を要望。
それに応える形で、四国・松山に収容されたポーランド兵は、ロシア人捕虜とは分けられ特別待遇を受け、外出して地元の人々から心温まるもてなしを受けたそうな。
また第一次世界大戦中の1917年にロシア革命が勃発。
同国内が内戦状態になった時点で、流刑にされたり逃げてきたポーランド人がシベリアに15~20万人もいたとか。、
混乱の中、飢餓や寒さで多くのポーランド人が落命する中、シベリア出兵で同国に駐留していた日本兵が、ポーランド人の要請に応える形で彼らの救出に乗り出しました。
※シベリア出兵に関する過去記事は、こちら。(↓)
陸海軍は日本赤十字社と連携し、1920(大正9)年7月下旬にポーランド人孤児375人が敦賀経由で東京に、そして翌年の第二次救済事業では390名の孤児たちが大阪へ輸送。
更に子供たちが寂しがらないようにと、ポーランド人大人65名も同時に招き入れました。
栄養失調で弱っていた彼等は日本で手厚い看護を受け、全員が日本船に乗って無事祖国に帰ることが出来たのです。
この恩義をポーランドの人々は今でも子孫に語り継いでいるそうな。
そのお返しとして、ポーランド政府は阪神淡路大震災の被災児童らを1995年と翌年の2回、ポーランドに招待。
ワルシャワで4名のポーランド孤児との対面などを通じて子供達を温かく励ましてくれました。
また東日本大震災で被災した岩手県と宮城県の子供達を2週間ポーランドに招待してくれてもいます。
トルコのエルトゥールル号遭難事件と同様の話が、ポーランドともあったこと・・・私たちも子々孫々に語り継がねばなりませんネ。
※エルトゥールル号事件に関する過去記事は、こちら。(↓)
https://ameblo.jp/warmheart2003/entry-11970365610.html
ポーランドもトルコも、国旗の色は日の丸と同じ赤と白ですし。