失 踪 | ナベちゃんの徒然草

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還暦を過ぎ、新たな人生を模索中・・・。

◆効率の良い内燃機関で、発火点が約225℃の液体燃料であれば  

  軽油・重油等の石油系以外の液体燃料でも駆動できる。
◆スロットルバルブがなく、燃料噴射量だけで出力を制御する。
◆2サイクルと4サイクルの2種類がある。
◆自動車はもちろん、小型から巨大船舶まで広く利用されている。


さて、上記特徴を有する内燃機関は、何? 
・・・って、もう多くの方はお分かりですょネ。 

今日はそのディーゼル・エンジンを開発したエンジニア・発明家


 ルドルフ・クリスチアン・カール・ディーゼル

Rudolf Christian Karl Diesel

 

の命日にあたります。

       

ディーゼルは1858年、皮革製品の製造職人だったドイツ人で、フランスに移民した父の次男としてパリで生まれました。

1870年に普仏戦争が勃発したため、一家はフランスから退去を余儀なくされロンドンに移住しましたが、当時12歳だったルドルフだけはドイツ語での教育を受けるべくアウクスブルクで数学教師をしていた叔父の下に送られ、職業訓練学校に入学。

14歳の時に 「エンジニアになりたい」 と両親に手紙を送ったという彼は、1873年にトップの成績で訓練学校を卒業すると、奨学金を得てミュンヘン工科大学に進学。

在学中腸チフスを患いながらも首席で卒業すると、大学時代の恩師カール・フォン・リンデの助手として冷凍・製氷工場の設計・建設に携わり、1年後にはそこの工場長に。

1883年に結婚すると、1890年には妻子と共にベルリンに移住。

リンデの研究開発部門の責任者に就任すると、冷凍技術以外の分野でも研究を進めました。


そして熱効率と燃費の研究をする中で、彼はアンモニアの蒸気を利用した蒸気機関を開発したのですが、その試運転中に起きた爆発事故に巻き込まれて何ヶ月も入院する羽目に。

しかしそれにもメゲず・・・というより一層執念を燃やしたと言うべきか、彼は内燃機関の研究を進め、1893年に 『
既知の蒸気機関と内燃機関を置換する合理的熱機関の理論と構築』 という論文を発表。

これがディーゼル・エンジン開発の基礎となり、同年2月に特許を取得。

更にアメリカでも特許を取得し、安価な石油や重油で利用できるこの画期的な内燃機関は、アッと言う間に世界中に広がりました。

そして当初は〝オイル・エンジン〟と呼ばれていましたが、やがて彼の名を冠して〝ディーゼル・エンジン〟と呼ばれるように。

 

       

世界の産業発展に大きな貢献を果たしたエンジンを開発したディーゼルですが、その最期は突然やってきてしまいました。

今から107年前の1913年9月29日、会議出席のためロンドンに向かっていた彼は、乗っていた蒸気船ドレスデン号の船内から忽然と姿を消してしまったのです。

そして失踪から10日後、ノルウェーに近い北海でオランダ船が腐乱死体がを引き上げ、所持品からディーゼルであることが確認されました。

 

船室のベッドには使われた痕跡がなく、彼の帽子とオーバーが畳まれて甲板の手すりの下に置かれているのが発見され、状況からは自殺の可能性が。
 

しかし、そう簡単に断定できる状況ではなかったのです。

実は彼の死には国家的陰謀説が・・・。

第1次世界大戦間近のドイツがディーゼル・エンジンを潜水艦に利用すべく特許を国家に提供するよう迫ったのですが、ディーゼルはそれを拒否。

そればかりか、ドイツの敵国イギリスに協力しようとしていたのです。

そのイギリスへの渡航途上に失踪したのですから、ドイツが妨害しようと彼を暗殺したことは、十分考えられること。


ディーゼルの失踪直後、妻のマルタが夫から預かった鞄を開けてみると、中には20万マルクの現金と、預金口座がカラになっていることを示す書類が入っていたそうな。

妻に現金を残したのは、自殺を覚悟したからなのか? 
それとも暗殺を覚悟していたのか?

その答えは、ディーゼルにしか分かりません。
うー


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