信州生まれの私にとって、かつて東京との行き来で避けて通れぬ場所・・・それは、
碓 氷 峠
物心ついた頃、親に連れられて上京した時は、66.7/1,000という、当時の国鉄線で最も勾配のキツかった難所中の難所だったこの峠を、〝アプト式電気機関車〟で超えていました。
アプト式と言われても、若い方には何のことだか分からないかもしれませんネ。
下の写真の如く、線路中央にギザギザレールを1本敷き、電気機関車の動輪にもギアを装着して、これで滑落を防いで急勾配を登lり降りしたわけです。
実際に碓氷峠を走るアプト式電気機関車の動画を見つけましたので、ご覧ください。
私もこの列車に何回か乗った・・・はず。
軽井沢~横川間でこのアプト式電気機関車を使用するため、連結時間を利用して横川駅で売り子さんから必ず買ったのが、あの有名なおぎのやさんの〝峠の釜めし〟でした。
当時は確か長野~上野間が約8時間30分・・・今なら成田からホノルルまで楽勝で行ける時間を要した一大旅行であった東京行き。
子供心に遠くてあまり行きたくはなかった東京も、この釜めし食べたさにイヤイヤ列車に乗ったものでした。
そして、このアプト式走行が全廃されたのが、今から57年前の今日・1963(昭和38)年9月30日のこと。
その後、信越本線は完全電化。
かつて窓を開けて買っていた釜めしは、特急あさまの窓が開かないため、電気機関車連結の僅か5,6分間でホームに飛び出して買わなければならなくなりました。
アプト式でガタゴト揺られていた頃から半世紀以上経った今、上信越自動車道の開通により、長野へは車で3時間弱。
あの釜めしは、横川SAに寄って買い求める時代となりました。
そして今から23年前の今日・1997(平成9)年9月30日・・・北陸新幹線開通に伴い、軽井沢~横川間の信越本線が廃線に。
新幹線や高速道路で里帰りできるような時代が来るとは夢にも思わなかった子供の頃・・・。
今でも変わらぬ釜めしの味を楽しみながら、私は幼い頃に「ひと~つ、ふたぁ~つ・・・」とトンネルの数(全部で26個)を数えながら乗っていた信越本線と、車窓から見えた碓氷峠の深い谷とかつてその上を走ったレンガ造りの眼鏡橋を、懐かしく思い出すのです。
ちなみに、横川駅近くに 『碓氷峠鉄道文化むら』 という施設があり、アプト式を含めた鉄道の歴史などが展示されています。(↓)
もちろん、横川駅前の 『おぎのや』 さんでは、釜めしのお買い求めもお忘れなく!