火 祭 | ナベちゃんの徒然草

ナベちゃんの徒然草

還暦を過ぎ、新たな人生を模索中・・・。

早速ですが、皆さんは


 左義長

 

ってご存知でしょうか?

これは地方によって呼称が違い、私の郷里では 『どんど焼き』 って言ってましたが・・・。

それは(一般的に)毎年今日・1月14日の夜、または15日朝に、長い竹を3,4本組んで立て、そこにその年飾った門松や注連飾りなどを近隣住民が持ち寄って積み上げ、それを焼く行事のこと。

私が子供の頃は、成人の日だった1月15日に神社の境内(というか空き地)で行われ、柳の枝の先に餅をつけ、猛烈な炎の中に突っ込んで焼いて食べた思い出があります。

まぁ、ただ焼いただけであまり美味しくはなかったですが・・・。あせあせ

 

         

この行事は、『徒然草』 や 『弁内侍日記』 に記述があることから、少なくとも鎌倉時代から行われていたようです。

そしてその起源については諸説あるそうですが、有力なものとしては、平安時代の宮中で貴族が行っていた 『毬杖(ぎっちょう)』 と呼ばれるホッケーのスティックのような杖で毬を打ち合う正月遊びがあり、小正月に青竹を束ねて立ててその杖を3本結び、その上に扇子・短冊を添えて陰陽師が歌い囃しながらそれを焼いた事だとか。

※左利きの人を昔よく〝ぎっちょ〟と言いましたが、これはこの遊びを左利きの人が行うことを左毬杖(ひだりぎっちょう)と言ったのがルーツで、それが 「ひだりきっちょ」、「ぎっちょ」 に変化したもの、という説があります。

毬杖を3本束ねたことから三毬杖・・・これが民間に伝わり『左義長』と漢字が変化して定着したのだそうな。

では私の故郷のように、これがなぜ 『どんど焼き』 等と言われるようになったかというと、これも諸説あって

 ◆ 「尊(とうと)や尊(とうと)」と囃しながら櫓で火を燃やしたのが、

  後に訛って「どんど」に変わった。

 ◆ どんどんと燃える様子から名付けられた。


等々・・・皆さんのお住まいの地域または故郷ではどんな呼び名で、またどんなやり方をしていましたか?

だるまとかも飾っていた方もいらっしゃるかも。

現在は成人の日が第2月曜日になってしまいましたから、行う日もそれに合わせている地域もあるんでしょうネ。

 

あっ、そうそう・・・どんど焼きをする時に、書き初めを持って行って焼きましたが、その炎が高くなるほど字が上達する、なんて言われましたっけ。

あまり高くなかったから上手くならなかったんでしょうネ、私の場合は。

それはともかく、餅つきは不衛生だ、除夜の鐘はうるさいから・・・なんて理由で行事を中止する地域が昨年あたりから出だしたようですが、同様に「子供の歓声がうるさい」とかいってこの行事を止めさせようという輩が出ないとも限りません。

日本古来の行事を、ノイジーマイノリティーに遠慮する形で消滅させることだけは、絶対に止めて欲しいものです。うー

 

 

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