イギリスの高級陶器メーカーとして有名な、ウォッジウッド。
我が家にも一組だけティーカップがあります(と言っても、貰い物です)が・・・今日は同社の創業者にして、〝英国陶工の父〟と称される
ジョサイア・ウェッジウッド
(Josiah Wedgwood )
の命日にあたります。
ジョサイアは1730年にやはり陶工だった父親の末っ子・第13子(!)としてイギリス・スタッフォードシャーに生まれました。
彼が9歳の時に父親が亡くなると、長兄が引き継いだ工房で徒弟となって修行を開始。
11歳の時に天然痘にかかり右足が不自由になるも陶工への道はあきらめず、24歳の時には当時英国で最も公明だった陶工トーマス・ウェルドンと会社の共同経営に参画するまでに。
そこで様々な実験を重ねて新しい釉薬などの研究を進めた彼は、28歳の時にアイビーハウス工房を借り受け独立、ウェッジウッド社を設立します。
その後も日々研究を重ねた彼は、 1763年に当時としては画期的な乳白色の〝クリーム・ウェア〟の開発に成功。
これが時のシャーロット王妃の目に留まり、3年後には “Potter to Her Majesty ” (女王陛下の陶工)の称号を拝命しました。
そして彼は優秀な陶工というだけでなく、一流の経営者でもありました。
最大級の規模を誇った同社のエルトリア工場では、合理化・規律管理・従業員の健康管理など革新的なシステムを次々導入。
当時は珍しかったショールームをロンドンの目抜き通りに開設したりカタログを作成するなど、人々にウェッジウッドというブランドを浸透させる工夫も行いました。
また同社の発展の陰には、トーマス・ベントレーという片腕の存在が見逃せません。
ジョサイアと同い年で商人だった彼は1762年に右足の治療に当たった医師の紹介で知り合いましたが、利益追及をするだけではない彼の信念に惹かれたジョシュアは、彼を共同経営者に招聘。
ビジネスに精通していたベントレーは各国の王侯貴族に対しブランド・アンバサダーとして活躍、上流階級への同社製品の売り込みやブランドのイメージアップに大きく貢献しました。
2人はホンダ技研の本田宗一郎氏と藤沢武夫氏のような強い信頼関係にあったのでしょうネ。
同社の発展にはもう一人、1764年に結婚した従妹のサラの存在も見逃せません。
彼女の女性としての意見にジョサイアは素直に耳を傾けたそうですが、これも同社の製品が人気を博した大きな要因だったといいます。
1768年には右足の状態が悪化し切断を余儀なくされましたが、彼はそれに怯むことなく研究・実験を重ね、同年には深みのある光沢を放つ〝ブラック・バサルト〟を、更にその6年後には、最大の偉業であり後に世界的な人気を博することになるオリジナルの素地〝ジャスパー〟を開発。
1783年には王立協会の会員にも選ばれました。
1795年1月3日に65歳で天に召されましたが、彼の長男・ジョサイア2世は会社を引き継ぎ、長石の代わりに牛骨を利用した有名な〝ボーン・チャイナ〟の開発に成功。
更に長女スザンナが産んだ息子の名は、チャールズ・ダーウィン・・・そう、あの進化論で有名な生物学者だったのです。
ウェッジウッド一族は、陶器だけではなく自然科学の発展にも大きく貢献していたんですネ。
その偉大なる一族のルーツである名工・名経営者のご冥福を、あらためてお祈り致します。