アメリカの映画スターは数多くいますが、二枚目でかつ人望もあり、かのオーソン・ウェルズから大統領選出馬を勧められたこともある俳優・・・と言えば、誰でしょう?
ちなみに彼は、ウェルズの誘いを 「既に私は大統領役や歴史上の偉人を何人も演じている。もうこれだけで充分ではないか?」 と断ったそうですが。
そんな粋な台詞を口にしたのは、
グレゴリー・ペック
(Gregory Peck )
今日は、彼の命日にあたります。
1916年にカリフォネニア州サンディエゴに生まれたペックは、大学で医学を学んだものの演劇に興味を持ち、卒業後にニューヨークの演劇学校に移ったという変り種。
1944年に映画デビューを果たし、1962年には 『アラバマ物語』 でアカデミー主演男優賞を獲得、知性・品格を持ち合わせた紳士役として名声・人気を博しました。
この時期の作品で印象深いのは、私が生まれる前に封切られた 『ローマの休日』(1953年) 。
巨匠ウィリアム・ワイラー監督、主演オードリー・ヘップバーンによる不朽の名作・・・王女役の清楚なヘップバーンと1日だけのはかないロマンスを繰り広げた新聞記者役のベック。
〝真実の口〟で手が吸い込まれるかのようなジェスチャーは、一体どれ程の観光客が真似をしたことでしょう。
そして物語のラストで彼と彼女が万感の思いを込めて見つめ合う場面・・・言葉をかけられなくとも目線と表情だけで互いの想いが伝わるシーンは、何度見ても切なくなります。
そんな二枚目役が定着していたペックが、そのイメージをガラッと変えたのが、『オーメン』 (1976年)。
彼の演じる外交官が、死産した我が子のかわりに迎えた養子が、実は悪魔の子であった・・・その衝撃の事実が明らかにされる中、彼が自ら育てた子を殺す決心にまで至る心理描写と迫真の演技は、それまでの二枚目役からはかなりのイメージ・チェンジ。
薄気味悪いストーリー展開と合わせ、ちょっと忘れることができません。
紳士役からホラー映画の性格俳優役まで演じただけでなく、アカデミー協会会長・ハリウッド俳優協会会長、さらにはアメリカ癌協会理事など、幅広い活動を続けたペック氏が亡くなったのは、2003年6月12日・・・87歳での大往生でした。
20世紀のアメリカ映画産業を支えた名優のご冥福をお祈りします。