最近辞任した我が国の総理大臣に限らず、古今東西いずこの国でも権力者・政治家が常に高い人気を保つことが至難の業であることは歴史が証明していますが、人気が落ちるどころかこの人ほど悪評・悪名高い権力者はいないかもしれません。
ネロ・クラウディウス・カエサル・アウグストゥス・ゲルマニクス
(Nero Claudius Caesar Augustus Germanicus )
俗に〝暴帝ネロ〟などといわれた、ローマ皇帝です。
それほど悪政の限りを尽くしたわけですから、幼少の頃からさぞ暴れん坊だった・・・と思われがちですが、実態はさにあらず。
当時のローマ支配層は権力闘争と策謀が渦巻いており、ネロは大変複雑な人間関係の中で紀元37年に生まれました。
彼が3歳の時に父・グナエウスが死亡すると、時の皇帝カリギュラは母・小アグリッピナを島流しに、そして本来ネロが相続すべき遺産を全て剥奪・・・彼は叔母の手によって育てられます。
その後ネロは奴隷の女性・アクテと愛し合う音楽好きの青年に成長したのですが、皇帝カリギュラが暗殺されて伯父のクラウディウスが新皇帝となり、母がローマに戻ったことで大きくその運命が変わります。
我が子を皇帝にすべく母は自ら新皇帝の妻となり、ネロを皇太子(養子)に。
そしてネロの恋人・アクテが息子の邪魔になると考え、2人の仲を引き裂いてしまいます。
そして程なくクラウディウスが死亡したことにより、ネロは母の思惑通り弱冠16歳でローマ皇帝の座に就くことになるのですが・・・。
皇帝となって権力を手中に収めたネロは、当初こそ有能な側近の助力により善政を施したといわれていますが、やがて自分をその座に就かせた母の存在が邪魔になっていきます。
(ネロを手放したくないばかりに母子相姦までした伝説すらある) 母の過干渉・呪縛から逃れたいネロは、彼女にあてがわれた(?)妻・オクタウィアを無視し、嘗ての愛人・アクテとよりを戻そうと画策。
これに激怒した母が 「前皇帝の実子を皇帝にすべきだった」 と口走ったため、ネロはその義弟を毒殺。 そして母をも追放・殺害してしまいます。
この頃には、ネロの心はもう壊れていたのかもしれません。
妻と離縁し後に殺害、また人妻であったポッパエアという女性を無理やり夫と離縁させて再婚した揚句に彼女をも殺害。
そして自分を批判した者を次々と処刑し、ローマで起こった大火の犯人としてキリスト教徒を迫害したり(※ネロ自ら放火させた説あり)と、傍若無人の限りを尽くします。
古くから家庭教師として彼を支えてきた哲学者・セネカをも自殺に追い込むに至り、国家の将来に危機感を覚えたガリア総督らの指揮官や元老院がネロを 「公敵」 とみなし欠席裁判で死刑を宣告・・・ローマを追われたネロは、今から1942年前の今日・68年6月9日、喉を突き刺して僅か30年の人生に自ら幕を引いたのです。
奇しくもこの日は、前妻・オクタウィアの命日でもありました。
繊細で優しい男性であったといわれるネロが、何故暴帝に豹変したのか?
当時一般的に使用されていた食器などが鉛製であったことから 「鉛中毒」 を原因とする説もありますが、ローマ人全てが同じ症状になったわけでなし・・・。
やはり複雑な人間関係の中で生まれ、血で血を洗う凄まじい権力闘争の中に否応なく放り込まれたことと、歪んだ母子関係によって精神が保てなくなったと考えるべきなのでしょうか。
〝暴帝〟と呼ばれるには、あまりにナイーブな男性だったのかもしれません。
世のお母様方、息子をあまり自分の思い通りにしようとすると・・・。