天 命 | ナベちゃんの徒然草

ナベちゃんの徒然草

還暦を過ぎ、新たな人生を模索中・・・。

五十而知天命・・・五十にして天命を知る


『論語』 に著されている孔子の有名な言葉の一節ですネ。


今日はこの言葉の模範ともいうべき、素晴らしき第二の人生を歩んだ方をご紹介致します。


「史上初めて日本の実測地図を作った人は?」 と聞かれたら多くの方がその名をあげるであろう、そして今日4月13日が命日にあたる人物・・・それは、


 伊能 忠敬 


延享2(1745)年、現在の千葉県山武郡に生まれた彼は、6歳の時に母を亡くしたこともあり、所在がいくつか変わった末に18歳で伊能家の婿養子となりました。


その伊能家は、酒・醤油の醸造や貸金業を営む商家であり、忠敬は商才を発揮してかなりの財産を築いたのだそうです。


寛政6(1794)年、50歳の時に家督を長男に譲り、本人は隠居の身となって江戸に出て高橋至時という幕府天文方に師事し、測量・天文学を学びます。


地球の大きさを天文観測から算出しようとした際、師匠から 「江戸と蝦夷地くらいの距離を元にすれば推測できるだろう」 と手法の不備を指摘されて一念発起、私財を投じて測量の旅に出る決意をしたのですが・・・。


驚くべきは、その出発が忠敬56歳の時だったことです。驚き顔


            ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草-伊能忠敬


江戸幕府からの援助も受け、以来忠敬は16年に渡り10回にも及ぶ測量の旅に出かけます。


歩行距離・約35,000Km、延べ測量日数・約3,700日、そして累計歩数はナント約4,000万歩!


しかもその測量数値は大変正確なもので、彼自身の測量から導き出した地球の外周距離は、現在の測定値と0.1%程の誤差しかないそうです。驚き顔 スゴイ!


文化15年4月13日(1818年5月17日)、忠敬は74歳でこの世を去りますが、その時点では全国地図は未完成でした。 弟子の間宮林蔵らの手によって 『大日本沿海興地全図』 (大・中・小図 全225枚) が完成したのは、彼の死から3年後のことだったのです。


            ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草-伊能図・中図 

               <大日本沿海興地全図・中図>


この地図はそのあまりの正確さ故に、シーボルトが写しを国外に持ち出そうとした(※シーボルト事件)こともあり、国防上の理由から正本は江戸城に、そして副本は東京帝大の図書館に厳重に保管されました。 


しかし後に正本は皇居の大火災で、そして副本は関東大震災で焼失してしまいます。


ところが21世紀に入って、アメリカ合衆国議会図書館やその他の場所から写しが発見され、それらを元に2006年に(財)日本地図センターから 『伊能大図総覧 が刊行されたとのこと。


伊能忠敬の偉業がこの世に復元されたことは、喜ばしい限りですネ。


50歳過ぎからの「第二の人生」で日本に貢献した伊能氏の気概・・・見習わなければ!


ところで、もし彼が現在のカーナビを見たら・・・果たして自らの偉業が寄与したことに胸を張るのか、それとも目を丸くして驚くのか?


ちょっと見てみたい気もしますネ。笑2


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