ふひひ
【前書き】
以下の話については、
http://tambara.ms.u-tokyo.ac.jp/furuta070721.pdf
を見ながらでないとまったく理解できません。
【死亡フラグ】
数学科が高校生向けにやっているセミナーの資料を見て、しばし理解できなくなり、もう死んだ方がいいと思った。でも冷静に見ると、単に多くの要素が一遍に詰っているので、読み飛ばすと激しいgapが生じて混乱するというだけのことだった。どんだけ不勉強だ。
内容は単なる「面積」の話なのだが、わざわざなんで2次元なのかとか、いきなり可算個の正方形を使っていいのかとか、この正方形が閉だと考えるべきことが増えないのか(一応増えない……と思う)とか、中途半端な大きさから族が始まっていることとか、いきなり包含関係が示されていたりとか、なんか一行足りなくないかとか、色々な思いが交錯しながら舞台はクライマックスへ突入した。
しかしこの体験に対して、現代数学の「常識」によってスポイルされていたナイーブな感覚を思い出させてくれる貴重なものだったと言ってみると、不勉強を覆い隠すことが出来るだろう。むしろ一通り勉強していないからこそスポイルされていたに過ぎないのだが。
※定石を覚えて二目弱くなり、というアレ
【積分・長さ・面積】
要するに「実数と有理数の濃度の差」に関する問題だったわけだが、昔の自分を思い出してみても人間の思考のいい加減さをヌルリと感じた。それにしても数学科の教授はその辺も含めて「正しくいい加減に説明」することが出来るのだから凄いなと思う次第だ。
もっと重要なことは、日々のいい加減な会話と別に凄い話があるわけではなく、むしろ日々のいい加減な会話を突き詰めたところに異常な世界が待っているということだ。どちらにせよ、それは日常会話では有り得ないが。
ルベーグ積分を説明するのに良く言われるのが、リーマン積分では面積を測る(有限個の)正方形の大きさを統一した上でそれを徐々に小さくして近似を良くして行くのに対し、ルベーグ積分ではいきなり大小様々の正方形を可算個同時に用意してしまうという話だ。
件のセミナーのレジュメでは、(レジュメだからかもしれないが)それを何の説明もなくサラリと使ってのけている。「良く出来る高校生」ならこの辺りについて違和感を覚えるだろうが、きっと自分が何に対して違和感があるのかは説明できないだろう。
【一応解説】
リーマン積分を勉強した人なら「大きさを統一」と言われた時に、「supだろ?」とか「可積分性は?」とか思うかもしれないが、そこまで知ってるなら自分で考えればいいよ。
件の「有理数だけ正方形(以下、残骸)」については、リーマン積分ではやってはいけなかった「残骸上の有理数全部に対して、それぞれ適当な大きさの正方形をあてがってやる」という無法を働けば良い。これだけでは何が何だか分からないので、そこで適当な大きさの正方形とは何かという話になるのだが、そんな話はともかく実は、
『一点集合は体積確定で値は0』
『有界かつ体積確定ならルベーグ可積』
『ルベーグ測度は可算加法性をもつ』
などの定理たちによって、要するに「もう全部0でいいよ」ということが分かってしまう。ただ、それだけでは賢い人は納得しないだろう、というのも可算和が定義されていないからだ。ということで従来の実数に±∞を付け加えた演算規則を設定してやれば良い。当然ながら残骸の「体積」は0だ。
それでは先程の話は立たないし、もっと大切な「イメージ」みたいなものが形成できなくなってしまう。だから敢えて「それなりに小さい気がする有限の大きさの正方形」を持ち出して有限な値を導いてやり、実は最初の正方形は幾らでも小さく(初項的な意味で)設定できますよね、と言えば高校生にも「ああ、0だなあ」というイメージを与えられると思う。但しこのやり方で0だと言いたいなら、さらにε-δ論法を持ち出す必要がある気がするが、たぶん本題ではないので有限の値に留めておいたのだろう。
【余談】
ちなみに残骸はリーマン積分において体積確定でない。つまり体積がない。
でも体積がないって言うと「体積0」と勘違いする人がいるんだろうなあと思うと、空集合を発明した人の偉大さが偲ばれる。いや、別に特定の誰かが発明したわけではないんだが。
0の発見が印度かバビロニアかは相変わらず決着がついてないという噂も聞くが、それはともかく0の発見は、まるで空集合でも発見したかのようなニュアンスで語られることが多い。
印度かバビロニアかの話も意外にその辺りが本質的で、バビロニアで使われていた記号は空集合のニュアンスが強いらしい。だから彼らが"0"という特殊の表記を用いたかについては何とも言えないというわけだ。
とかく0と空集合は別々に発見される必要があった。ちなみに空集合の記号はΦではなく、0に斜線を引いたようなノルウェー語の文字らしい。つまりヴェイユは0ではないと言いたかったのだ。
自然言語(日本語)で考えれば、0とは「無いことが在る」ことであり、空集合は「無いことすら無い」と区別されるだろう。この辺りを自然言語上で議論するならば混乱必至だが、数学なら0と空集合と言えばいいだけなのだから、数学と自然言語の関係がどうであれ素晴らしいことだ。
たぶんセカイには、まだまだ0と空集合が分離していない人が無数にいるに違いない。
【俯瞰】
とまあ、また誰に対しているのか分からない記事を書いてしまったが、気にせずにもう寝よう。
以下の話については、
http://tambara.ms.u-tokyo.ac.jp/furuta070721.pdf
を見ながらでないとまったく理解できません。
【死亡フラグ】
数学科が高校生向けにやっているセミナーの資料を見て、しばし理解できなくなり、もう死んだ方がいいと思った。でも冷静に見ると、単に多くの要素が一遍に詰っているので、読み飛ばすと激しいgapが生じて混乱するというだけのことだった。どんだけ不勉強だ。
内容は単なる「面積」の話なのだが、わざわざなんで2次元なのかとか、いきなり可算個の正方形を使っていいのかとか、この正方形が閉だと考えるべきことが増えないのか(一応増えない……と思う)とか、中途半端な大きさから族が始まっていることとか、いきなり包含関係が示されていたりとか、なんか一行足りなくないかとか、色々な思いが交錯しながら舞台はクライマックスへ突入した。
しかしこの体験に対して、現代数学の「常識」によってスポイルされていたナイーブな感覚を思い出させてくれる貴重なものだったと言ってみると、不勉強を覆い隠すことが出来るだろう。むしろ一通り勉強していないからこそスポイルされていたに過ぎないのだが。
※定石を覚えて二目弱くなり、というアレ
【積分・長さ・面積】
要するに「実数と有理数の濃度の差」に関する問題だったわけだが、昔の自分を思い出してみても人間の思考のいい加減さをヌルリと感じた。それにしても数学科の教授はその辺も含めて「正しくいい加減に説明」することが出来るのだから凄いなと思う次第だ。
もっと重要なことは、日々のいい加減な会話と別に凄い話があるわけではなく、むしろ日々のいい加減な会話を突き詰めたところに異常な世界が待っているということだ。どちらにせよ、それは日常会話では有り得ないが。
ルベーグ積分を説明するのに良く言われるのが、リーマン積分では面積を測る(有限個の)正方形の大きさを統一した上でそれを徐々に小さくして近似を良くして行くのに対し、ルベーグ積分ではいきなり大小様々の正方形を可算個同時に用意してしまうという話だ。
件のセミナーのレジュメでは、(レジュメだからかもしれないが)それを何の説明もなくサラリと使ってのけている。「良く出来る高校生」ならこの辺りについて違和感を覚えるだろうが、きっと自分が何に対して違和感があるのかは説明できないだろう。
【一応解説】
リーマン積分を勉強した人なら「大きさを統一」と言われた時に、「supだろ?」とか「可積分性は?」とか思うかもしれないが、そこまで知ってるなら自分で考えればいいよ。
件の「有理数だけ正方形(以下、残骸)」については、リーマン積分ではやってはいけなかった「残骸上の有理数全部に対して、それぞれ適当な大きさの正方形をあてがってやる」という無法を働けば良い。これだけでは何が何だか分からないので、そこで適当な大きさの正方形とは何かという話になるのだが、そんな話はともかく実は、
『一点集合は体積確定で値は0』
『有界かつ体積確定ならルベーグ可積』
『ルベーグ測度は可算加法性をもつ』
などの定理たちによって、要するに「もう全部0でいいよ」ということが分かってしまう。ただ、それだけでは賢い人は納得しないだろう、というのも可算和が定義されていないからだ。ということで従来の実数に±∞を付け加えた演算規則を設定してやれば良い。当然ながら残骸の「体積」は0だ。
それでは先程の話は立たないし、もっと大切な「イメージ」みたいなものが形成できなくなってしまう。だから敢えて「それなりに小さい気がする有限の大きさの正方形」を持ち出して有限な値を導いてやり、実は最初の正方形は幾らでも小さく(初項的な意味で)設定できますよね、と言えば高校生にも「ああ、0だなあ」というイメージを与えられると思う。但しこのやり方で0だと言いたいなら、さらにε-δ論法を持ち出す必要がある気がするが、たぶん本題ではないので有限の値に留めておいたのだろう。
【余談】
ちなみに残骸はリーマン積分において体積確定でない。つまり体積がない。
でも体積がないって言うと「体積0」と勘違いする人がいるんだろうなあと思うと、空集合を発明した人の偉大さが偲ばれる。いや、別に特定の誰かが発明したわけではないんだが。
0の発見が印度かバビロニアかは相変わらず決着がついてないという噂も聞くが、それはともかく0の発見は、まるで空集合でも発見したかのようなニュアンスで語られることが多い。
印度かバビロニアかの話も意外にその辺りが本質的で、バビロニアで使われていた記号は空集合のニュアンスが強いらしい。だから彼らが"0"という特殊の表記を用いたかについては何とも言えないというわけだ。
とかく0と空集合は別々に発見される必要があった。ちなみに空集合の記号はΦではなく、0に斜線を引いたようなノルウェー語の文字らしい。つまりヴェイユは0ではないと言いたかったのだ。
自然言語(日本語)で考えれば、0とは「無いことが在る」ことであり、空集合は「無いことすら無い」と区別されるだろう。この辺りを自然言語上で議論するならば混乱必至だが、数学なら0と空集合と言えばいいだけなのだから、数学と自然言語の関係がどうであれ素晴らしいことだ。
たぶんセカイには、まだまだ0と空集合が分離していない人が無数にいるに違いない。
【俯瞰】
とまあ、また誰に対しているのか分からない記事を書いてしまったが、気にせずにもう寝よう。
始まったな
いま理解し難い夢を見たのだが、どうしても気になるのが、数学科の某先生が「ビューティフル」と言いながらガロアを激写していたことだ。
もっと気になるのは、いま夢を見ていた気がしたのだが、どうも寝ていないような気もしていて、結局のところ夢を見たのか白昼夢を見たのか判然としないことだ。
【まきぐちデイドリーム】
夢の内容は大幅に割愛するとして、一点思い出すならば、某先生に対して-π/4くらいのarg(2πの整数倍の差については不明)の虚空に向って、低次の対称群の特殊性は実は社会科学に関するモデリングについて教訓的ではないかと知覚したことだ。
【解読】
簡単なモデルによってより大きなモデルを推定するようなやり方は、奇妙に複雑な対象に対してはうまく行かず、「5次方程式の一般解を探す」ような誤りを犯しかねないのではないかと思ったのだろう。
【・・・】
なんだこの妄想は・・・。たまげたなあ。
【まとめ】
空間に対するイメージは透明な白。
2πの整数倍の差については不明というのは、この夢についてかなり本質的。
例によってアーベルもいた。
こんな歳まで無為に生きながらえて、俺は何をやってるんだ。
本当の妄想は格が違った。
【数学少年達江】
正17角形が作図可能だという話をする奴(先生含む)には、ああ"2"の場合ね、と小馬鹿にしたように返そう。
※正2^(2^k)+1角形は作図可能
もっと気になるのは、いま夢を見ていた気がしたのだが、どうも寝ていないような気もしていて、結局のところ夢を見たのか白昼夢を見たのか判然としないことだ。
【まきぐちデイドリーム】
夢の内容は大幅に割愛するとして、一点思い出すならば、某先生に対して-π/4くらいのarg(2πの整数倍の差については不明)の虚空に向って、低次の対称群の特殊性は実は社会科学に関するモデリングについて教訓的ではないかと知覚したことだ。
【解読】
簡単なモデルによってより大きなモデルを推定するようなやり方は、奇妙に複雑な対象に対してはうまく行かず、「5次方程式の一般解を探す」ような誤りを犯しかねないのではないかと思ったのだろう。
【・・・】
なんだこの妄想は・・・。たまげたなあ。
【まとめ】
空間に対するイメージは透明な白。
2πの整数倍の差については不明というのは、この夢についてかなり本質的。
例によってアーベルもいた。
こんな歳まで無為に生きながらえて、俺は何をやってるんだ。
本当の妄想は格が違った。
【数学少年達江】
正17角形が作図可能だという話をする奴(先生含む)には、ああ"2"の場合ね、と小馬鹿にしたように返そう。
※正2^(2^k)+1角形は作図可能
作者急病のため
スギ花粉への階級的憎悪がバーンアウトしたので休載します。
【御提案】
慈恵医大のサイトで拾った花粉数ランク別の日数と総飛散数について。
100、200、300個以上の日数については、ロヂスティック方程式の方が良い近似が出るのではないでしょうか。花粉のことは全く知らないので、根拠となるモデルへの言及は特に無いです。
【言付け】
反セム主義は教養。
【御提案】
慈恵医大のサイトで拾った花粉数ランク別の日数と総飛散数について。
100、200、300個以上の日数については、ロヂスティック方程式の方が良い近似が出るのではないでしょうか。花粉のことは全く知らないので、根拠となるモデルへの言及は特に無いです。
【言付け】
反セム主義は教養。