プロトコルがプロトコルにスキームするスキーム
要するに引継資料はプロトコールなのかスキームなのかということだが。
プロトコールならそれは関係の中に規定されているということであり、スキームなら専任権のあり方の規定だということになる。戦史研はどちらかと言えば勝手にやればいいというサークルなので、スキームであるのが好ましいのだろうが、OB連との通信等についてはプロトコールを別途定める必要があるというのが妥当な線だろう。
なんにせよ会長はすべての引継資料を超える存在だから別にどうでもいい。もちろん一般会員はすべての枠組みから自由なので、つまり会長とは最も不自由な存在に過ぎない。そして引継資料は周縁であるが、その中心は存在しない。
【通信有理、情報無罪】
通信はコストを下げるものでなくてはならない。情報が切り下げる最大のコストは時間であり、次いで物質の移動である。
然るに昨今の通信の内容を鑑みるや、傍系さんを無理に呼び出したり、あらぬ行動の算段を立てたりする為だけに用いられており、その本義と乖離するものであると言わざるを得ない。
【結論】
ゲーム会と全体集会を分離するか、現状のままか、は会長以下若い人たちで来年度中に決めてください。
プロトコールならそれは関係の中に規定されているということであり、スキームなら専任権のあり方の規定だということになる。戦史研はどちらかと言えば勝手にやればいいというサークルなので、スキームであるのが好ましいのだろうが、OB連との通信等についてはプロトコールを別途定める必要があるというのが妥当な線だろう。
なんにせよ会長はすべての引継資料を超える存在だから別にどうでもいい。もちろん一般会員はすべての枠組みから自由なので、つまり会長とは最も不自由な存在に過ぎない。そして引継資料は周縁であるが、その中心は存在しない。
【通信有理、情報無罪】
通信はコストを下げるものでなくてはならない。情報が切り下げる最大のコストは時間であり、次いで物質の移動である。
然るに昨今の通信の内容を鑑みるや、傍系さんを無理に呼び出したり、あらぬ行動の算段を立てたりする為だけに用いられており、その本義と乖離するものであると言わざるを得ない。
【結論】
ゲーム会と全体集会を分離するか、現状のままか、は会長以下若い人たちで来年度中に決めてください。
H川先生あるいはK高校雑感
【H川先生名言】
高校にH川先生という公民(?)科目の先生がいた。ある日、我がクラスがあまりにもウルサかったので、H川先生は啓蒙主義の話をした上で「君たちは18世紀以前だな」と呟いていた。
という話を今日友人がしていて、私もすっかりその辺りを思い出してあまりの面白さにのたうち回った。
【H川文庫】
友人はすっかり忘れていたようだが、高校の図書館にはH川文庫があった。図書館で一時期本が盗まれるというので、H川先生が「盗まれそうな本」を司書室に避難させていたのだ。
ところがそのH川文庫の内容たるや、まず素人は盗まなそうな本のオン・パレードで、なかでもLWの「色彩について」が入っているのを見た瞬間に驚きと喜 びと困惑の入り交じった複雑な感情に支配されたのを今でも覚えている。今となっては、それらが盗まれる候補にあったのかすら定かではない。
【H川防弾着】
H川先生はいつも防弾チョッキのような上着を着ていたので、K原君が彼のことを「ボーダン」と呼び出した。
そんなK原君も今ではすっかり大阪人の一味である。
【K原君雑感】
K原君は思えばかなり衝動的な人物であったが、彼ともう1人(名誉の為に名は伏せる)が創始した部活「ボウト部」は彼の最高傑作であった。一見「ボート 部」に聞こえるが内容はまったく違い、漢字で書くと「暴徒部」となる。ボウト部において彼の暴力性は遺憾なく発揮され、数々の禍根を残しながらも、その存 在は闇から闇へと葬り去られた。
特に印象的なエピソードは、ボウト部コンピュータールームであるが、多くは語るまい。
【戦跡】
そのボウト部コンピュータールームにほど近い崖の上に、私と「もう1人」は塹壕を掘った。今でも残っているのではないかと思う。目的は運動会の練習からの逃避だったが、逃避だけなら単に帰れば良く、要はやりたかったのだろう。
そして大量の蚊に襲われた我々は、社会の中で生きていくのが嫌なら、蚊の中で生きいくしかないということを学ぶのであった。
【運動会総括】
運動会右翼が主流派であったが、後から考えると運動会左翼も存在した。しかしそれは極少数の「インテリ」層に過ぎず、影響力に乏しかった。ちなみに私は 競技者としては無気力であり、運動会右翼のことしか興味が無かったが、今思えば彼らも興味深い対象であった。とは言え、運動会左翼もまたイデオロギーで自 身に目隠しをしているだけの迷惑な存在に過ぎないのだが。
マーシャルの"cool head, but warm heart"は運動会に対しても名言だなと思う。当時の生徒たちにしても、この名言に適った生徒は1人も居なかった。マシな方でもせいぜい"cool head, but hot heart"だった。
【教訓】
のぼせ上がるでも、何も考えないでもなく。心が死んでいるでも、熱くたぎっているでもなく。しかし対象への興味は失わず。しかもその上に純粋な喜びを得ようとするならば、これがどれほど困難であるか理解するには運動会について考えるだけで事足りる。
子どもたちは相応に純真なのかもしれないが、決してこのような「学問的態度」を身につけているわけではない。長い教育期間が明けてみれば、のぼせ上がった人間か心が死んだ人間がアウトプットされてくる。その過程の一つを、我々は運動会に見ることが出来る。
高校にH川先生という公民(?)科目の先生がいた。ある日、我がクラスがあまりにもウルサかったので、H川先生は啓蒙主義の話をした上で「君たちは18世紀以前だな」と呟いていた。
という話を今日友人がしていて、私もすっかりその辺りを思い出してあまりの面白さにのたうち回った。
【H川文庫】
友人はすっかり忘れていたようだが、高校の図書館にはH川文庫があった。図書館で一時期本が盗まれるというので、H川先生が「盗まれそうな本」を司書室に避難させていたのだ。
ところがそのH川文庫の内容たるや、まず素人は盗まなそうな本のオン・パレードで、なかでもLWの「色彩について」が入っているのを見た瞬間に驚きと喜 びと困惑の入り交じった複雑な感情に支配されたのを今でも覚えている。今となっては、それらが盗まれる候補にあったのかすら定かではない。
【H川防弾着】
H川先生はいつも防弾チョッキのような上着を着ていたので、K原君が彼のことを「ボーダン」と呼び出した。
そんなK原君も今ではすっかり大阪人の一味である。
【K原君雑感】
K原君は思えばかなり衝動的な人物であったが、彼ともう1人(名誉の為に名は伏せる)が創始した部活「ボウト部」は彼の最高傑作であった。一見「ボート 部」に聞こえるが内容はまったく違い、漢字で書くと「暴徒部」となる。ボウト部において彼の暴力性は遺憾なく発揮され、数々の禍根を残しながらも、その存 在は闇から闇へと葬り去られた。
特に印象的なエピソードは、ボウト部コンピュータールームであるが、多くは語るまい。
【戦跡】
そのボウト部コンピュータールームにほど近い崖の上に、私と「もう1人」は塹壕を掘った。今でも残っているのではないかと思う。目的は運動会の練習からの逃避だったが、逃避だけなら単に帰れば良く、要はやりたかったのだろう。
そして大量の蚊に襲われた我々は、社会の中で生きていくのが嫌なら、蚊の中で生きいくしかないということを学ぶのであった。
【運動会総括】
運動会右翼が主流派であったが、後から考えると運動会左翼も存在した。しかしそれは極少数の「インテリ」層に過ぎず、影響力に乏しかった。ちなみに私は 競技者としては無気力であり、運動会右翼のことしか興味が無かったが、今思えば彼らも興味深い対象であった。とは言え、運動会左翼もまたイデオロギーで自 身に目隠しをしているだけの迷惑な存在に過ぎないのだが。
マーシャルの"cool head, but warm heart"は運動会に対しても名言だなと思う。当時の生徒たちにしても、この名言に適った生徒は1人も居なかった。マシな方でもせいぜい"cool head, but hot heart"だった。
【教訓】
のぼせ上がるでも、何も考えないでもなく。心が死んでいるでも、熱くたぎっているでもなく。しかし対象への興味は失わず。しかもその上に純粋な喜びを得ようとするならば、これがどれほど困難であるか理解するには運動会について考えるだけで事足りる。
子どもたちは相応に純真なのかもしれないが、決してこのような「学問的態度」を身につけているわけではない。長い教育期間が明けてみれば、のぼせ上がった人間か心が死んだ人間がアウトプットされてくる。その過程の一つを、我々は運動会に見ることが出来る。
