Study Hard -92ページ目

業務連絡

 悪の啓示に従ってサイトとブログを新歓用に更新しておきましたが、元の啓示が日程だけでは何とも書きようが。
 あと平日ゲーム会は、15日(火)と23日(水)の5限終了後に部室でやることにしました。これは土曜日集まれない人が軽く顔を出せればという程度のもの。

【バカチョン】
 7日(月):サークルオリ
 8日(火):サークルオリ
 12日(土):新歓ゲーム会
 15日(火):ゲーム会
 19日(土):新歓コンパ
 23日(水):ゲーム会
 26日(土):新歓遠足

【バカチャン】
 まるで進歩してない。
 大学に入って特に訓練されることの一つは、主張を分かり易く他人に伝えることだ。しかも教授やTAは一応レポートを読んでくれるが、一般に他人は分かり辛い長文に根気よく目を通してはくれない。今日もまた悪い見本を見てしまった。
 以下に転載するが、名誉の為に名前は伏せ、仮にKm(悪)とする。

『ようやく決まりました信管関係の諸日程を告知致します。遅くなりOBの方々に申し訳ありませんでした。4月7・8のサークルオリ飲み会は8日に渋谷で行います。1700にサオリ終わり次第の時刻です。来たいという殊勝な侵入生も余りいないので、内輪のみの会になります。
12日にゲーム会、19日に新歓コンパを予定し、26日に旅行をします。行き先は恒例の横須賀三笠か、朝霞駐屯地に併設された陸上自衛隊広報センターを考えています。後者の場合は、スプルアンス級のように余裕がありますので、コンパをこの後に延期することも可能です。』

 以下講評。

・「ようやく決まりました」
 冒頭には不要。まず要件を述べ、然る後に付け加えれば良い。

・「4月7・8のサークルオリ飲み会は8日に渋谷で行います」
 落ち着け。好意的に見ても、サークルオリについてまず述べられていないのは問題。

・「サオリ」
 造語は控える。隠語だとしても疑問。

・「1700にサオリ終わり次第の時刻」
 それは1700時のことなのか、そうでないのか。

・「来たいという殊勝な侵入生も余りいない」
 いつ新入生に都合を聞いたのか。仮定で話を進めるのは危険。

・「信管」「侵入生」
 意図的な誤字は高々1つまでにすべき。

・「内輪のみ」
 これはやや戦史研の特殊事情だが、内輪とは誰のことを指すのかが判然としない。また新入生を含まないのだとしたら、サークルオリが新歓イベントであることを理解しているのか甚だ疑問を感じる。

・「行き先」
 何の行き先なのかはっきりしない。大方、旅行のことだとは推察できるが、するとなぜ旅行だけやや詳細に語られているのか疑問なしとしない。

・「後者の場合」
 どれを後者と指しているのかは局地的に理解できるのだが、文章が全般に飛躍しているために、後者の場合が何を意味しているのかが即座に分かり辛い。

・「スプルアンス級のように余裕があります」
 ということは予定通りに事が進めば、特に余裕に溢れた船体ではなくなるということだが、それなら何故予定外の大装備を積めることになるのだろうか。

・「コンパをこの後に延期することも可能です」
 それはお前が決めることであって、誰に伺いを立てているのかが理解できない。

・文章全体およびその根本について
 今頃日程だけ決定かよ。

純粋戦争の非存在証明(未達)

【私以外の人へ】
 これはタイトルも含めた備忘録です。

【非例外的例外的頻度事象】
 ネットは顔が見えないから表現や主張が先鋭化する、なんてことは言えないだろう。そう言えば「活動家」たちもうわ言のように『お互いの顔が見えれば』と言っていたものだ。
 人から借りた物だから大事にする、とは限らない。他人の物だから大切にする人もいるし、いい加減に扱う人もいる。「活動家」ならそれに善悪を付与して喚けばいいが、全体にとってはせいぜい割合の問題に過ぎない。
 ネットにある(ないしここで問題になっている)のは「表層的」な付き合いであり、「表層的」だから丁寧になる人もいるだろうし、粗野になる人もいるだろう。問題は割合である。

【非例外事象】
 我々はほぼ全員「顔が見える人」の代表格を知っている。親兄弟である。しかし同時に我々が知り得る中で骨肉の争いが最も醜い。そして骨肉の争いは、「顔が見える」「相互理解」「平和的な話し合い」などの麗しい言説を悉く腐してくれる。
 骨肉の争いを例外事象だと断定できる人は少ないだろう。これは有史以来、場所を問わず、人種を問わず、文明を問わず、性別を問わず、年齢を問わず行われて来た人間の営みそのものであり、その長さ、激しさ、見苦しさ、迷惑さ、下らなさは他の追随を許さない。証拠もふんだんにある。
 私のような極少数の例外を除き、ほとんどの人は戦争を「あらそい」や「勝敗を決するもの」だと見なしている。だとすれば、クラウゼヴィッツ的表現で言う「純粋戦争」を世間的に最も良く体現しているのは骨肉の争いだろう。

※クラウゼヴィッツが言った「純粋戦争」とは、喩えるなら「理想気体」のような概念であり、「戦争のための戦争」という概念を想起し突き詰め、戦争から「その他」の要素をすべて取り払った「戦争の戦争たる純粋な部分」のことである。但し、その部分の存在証明はなされていない。

 顔が見えるからこそ、相手を知っているからこそ、話し合いが物別れに終わったからこそ、終わらない紛争に突入していく蓋然性が高まる。我々は知人と争い、隣人と争い、親兄弟と争う。ただ、ネットの発達は「隣人」たる関係やその距離(※※)に大きな影響をもたらした。しかし我々が「近い」からこそ衝突するのに変わりはない。
 ネット関係で最も下らなく「事件性」が高いのはオフ会であることがその証左である。

※※物理的な距離とは異なる位相の入った距離空間
※※むしろ紛争における距離とは決して物理的距離だけのことではない

【例外事象】
 紛争には争点があり、その解決を望むなら目的に対して相応に釣り合った手段の選択を求められる。そしてほとんどの人は戦争を手段ないし誤った手段と混同している。

 私がリデル・ハートを評価するのは、彼が戦車マニアだからでもニートっぽいからでもなく、「より大きな視点」の存在を示唆したからである。と言っても私は戦争と大戦略を同一視しているのではなく、「『紛争とその解決手段およびその過程』より大きな部分」の存在に示唆的だと言いたいのである。
 また私がクラウゼヴィッツを評価するのは、偏に「純粋戦争」という概念を提唱したからだが、私は別に純粋戦争なる部分が存在するとは毛頭思っていない。なぜ評価するのかは面倒なので略。
 しかし私がリデル・ハートやクラウゼヴィッツを評価するのは、あくまで私の視点を前提とするものであり、彼らは所詮は「戦車好きのジャーナリスト」と「ナポレオン時代の軍略家」に過ぎない。

 私は戦争も軍事システムも「相対的に安い何か」としか思っていない。要するに、手段として「エアフォースがダムボムをバラまく」方が「安い」やり方だということであり、またそのようなシステムを構築することが「結果として面倒が少ない」やり方であり、戦争した方が「何かと都合がいい」というわけだ。
 戦争は軍事的些事に留まらない社会事象のことであり、また戦争を戦略の上位に位置付けるのは馬鹿げている。昔の戦争は今で言えば1つの作戦くらいの代物だが、組織や規模が巨大化するにつれてより上位のマネジメントが必要になっただけで、その本質を構成しない。企業に喩えるなら、戦争はむしろ事業やその事業を必要とする社会の有り様のことであり、経営(経営は戦略ではないが(苦笑))や労働(労働は戦闘ではないと言えば誰でもわかる)のことではない。また企業の存在理由を取引コストの切り下げに求めるなら、戦争もまた「社会的コスト」の切り下げを存在理由とすると考えるのはナイーブな発想である。まあ事業と戦争はまったく異なる層だが。
 なんにせよ我々は戦争という「純粋に軍事的でなど有り得ない」部分のより本質的な事象について発見しなくてはならない。手段の話など二の次だ。

【アレ】
 徒然草が合法ドラッグの隠語に。
 阿部定が生きた証。

 と書いていたら何故か上の長文ができ上がった不思議。

【自分へ】
 何か考えてたはずだけど忘れた。後でこの文章を読み直して思い出しといて。

 ナスララ師だ