Study Hard -84ページ目

ネット夜伽話

 誤解であったとしても、書記長に本田某と同列に扱われたのはどうにも心外である。本田某の著作を一切読んでいないので真意は分からないが、なんにせよ自分と同じく列せられる人物が同世代に存在すると見なされるだけで不快である。
 その不快感の源泉は、本田某は私の肩代わりをしてくれるのかという疑念である。この「(日本の)人文社会科学者の罪を一身に背負って数学で苦しんでいる」私の肩代わりを。その本田某は、せいぜい良くて私によって妄言を赦される一人に過ぎないのではないのか。
 断片的な妄言を吐き散らすだけなら「特殊部落はてな村」にだって出来る。もし本田某が「彼女概念の延長」に成功したなら、その体系を教えてほしい。すぐに検証に入らなくてはならない。

【誤謬】
 当ブログを1年以上見ている危篤な方は理解されるだろうが、「エロゲ概念の延長」すら膨大な労力と失敗の上になお入口で留まっている。それどころかフッサールに「このエロゲは見果てた」と言われた妄想に駆られ、すべて白紙に戻ったと妄想しているくらいだ。

※フッサールが最初どの分野だったか思い出してみよう。

 あるとき私はSSA(東大アニ研)のある親しくない人に「延長されたエロゲ概念」を話し、そのナイーブな誤解に驚いたことがある。その人はあろうことか、

「ああ、確かにキミキスとかエロゲですよね」

 などと言い出したのだ。私はキミキスについてはρ(戦史研の悪疫)からあらぬことしか聞かされていないので分からないが、例えば「アイマスはエロゲ」という言説も大半は同等の意味合いで発されているものだろう。
 しかし私の「hentai理論体系」において「アイマスというエロゲ」とは「ある定義域において、アイマス本体を含み、ある"エロゲ的"(同値)関係に よって関係付けられ、関係において閉じている中で最小のもの」を意味している。つまりアイマス(hentai)は一般に一意ですらない。
 つまり先程の人には、「どのような範囲においてキミキスはエロゲなのですか」と聞かねばならないのだが、それを求めるのは酷というものだ。しかし「(一 意に決定される)キミキス(集合)は(大域的に)エロゲ(関係を満たす)」という感覚は、無条件に言うにはあまりに飛躍しているとは理解して頂けると思 う。

【具体例】
 このように「○○はエロゲ」という表現は、実のところ極めて多くの前提を必要とすることが理解されたと思う。例えば「炒飯氏はエロゲ」と言った場合は、 (他の誰でもない)炒飯氏(とそれに付随する如何わしい論理等)は(大都会上において)エロゲ(関係=こいつは狂ってる、と皆から思われている)」などという風に解釈する必要が ある。
 エロゲとは極めて性質の良い概念である。

【注意事項】
 「エロゲ」が"hentai game"であるのか"hentaigame"であるのかという点については、"hentaigame"であるという形で決着している。ここにおいてエロゲは、henatigame性という新しい性質を獲得したのであり、"hentai"であることからも"game"であることからも解き放たれた。
 もちろんhentaiとgameという複数の要素によってhentaigameを記述することは出来るだろうが、これは実数と複素数の関係のようなものだろう。金言を引用してこの項目を終わることにする。

「2実変数の複素関数として表す方がより適当である関数と対立して, 解析関数こそが真に1複素変数の関数なのだ」
L. V. アールフォルス著『複素解析』笠原乾吉訳、現代数学社、1982年、28頁。

【彼女/彼氏概念の延長について】
 あまりにも彼女/彼氏概念が曖昧であるので、まず要素を分離して考えなければならない。まず書記長の言う彼女が"steady"のことなのかすらはっきりしないし、別に彼女/彼氏一般がsteadyである必要はない。また異性がどのような意味をもつのかとか、あるいは性別を最初から無視して良いのかとか、考えることは幾つもある。
 この辺りは書記長の言行を観察した上でないと何とも言えない。なにせ私は書記長の言う彼女概念にしか興味がないのだから。

【世間の評判】
 そういえば、綿ソフトが「二次元彼女はsteadyでなければならない」と言っていたとρが言っていたが、随分と難しい話だ。「アンシャン・レジーム=かつてエロゲの名をほしいままにしたもの」の言うことはようわからん。

※もし時代が進みエロゲ概念が幾重にも発展した場合、アンシャン・レジームは「していたもの」になる。つまり「エロゲの名をほしいままにしたことがあるもの全体」であり、また、かつてエロゲを冠されたことのあるもの全体ではないことにも注意すべきだ。

【提案】
 書記長は反革命にも「日式クリスマス」や「日式バレンタイン」を堪能したいようなので、案を考えてみた。以下は「クリスマス蜂起案」だ。

 相手は私を含む複数である。
 書記長とともに街中に繰り出し、我々の「思想的相思相愛」を世間に見せつけ、あるいは断罪し、あるいは蜂起し、あるいは分裂しながら騒優を巻き起こす。具体的には、クリスマス商戦の店において平穏に暮らすよう説いたり、ケーキ屋に闖入してクリスマス・プディングの話を延々としたり、そうしていると思ったらキリスト教をユダヤ人の民族宗教であると断罪したり、その脇で現代キリスト教神学が勃興したりする。
 それに飽きたら、もみの木の前で号泣したり、帰らない戦友を懐かしんだりしながら食事に向かう。ドン・ペリニヨンを「将軍様の瞳」に乾杯しつつ、「モエ・エ・シャンドンなんて炭酸砂糖水だな」などと馬鹿にしながら(※)高級店で蠢く。ここで最低1人はドレスコードで退場する(後でまた登場)。
 食事後に皆でキセイを上げながらホテルに集結し、1918などの不毛で終わらない(のが素晴らしい)ウォーゲームに興じたりしつつ、先程の退場者を中心に世界最終戦争を厳かに執り行う。

※ここでモエ・エ・シャンドンと言っているのは要するにドン・ペリニヨンのことである。ちなみに我が家ではコークと同じ炭酸ソフトドリンク扱いである。

 他にも幾らでも案は思いつく。どうだろうか。

【アレ】
 是非ともこの記事を書記長にご覧頂きたいものだ。

書記長に当事者能力なし

 でもなかった。
 俺が一番問題に思ったのは、書記長登場によって日蓮上人の話を疎外されたことだ。

【反書記長宣伝】
 書記長が非難されるべきは、「それっぽい」概念を使ったことではなく、「それっぽい概念を全く上手く使えてない」ことである。こんなことでは書記長を「その他大勢レベル」と認定せざるを得なくなるが、そうはさせないで頂きたいものだ。
 ネット上ではそういう指摘が見られなかったように思うが、世の中はどうなってしまっているのだろうか。

【Zero Divide】
 あとこれは強く言っておきたいのだが、「数学手稿」を読んでない奴がカール・マルクスを語ろうなんておこがましい。数学手稿を読んだかどうかは"0/0"で笑えるかどうかで分かるだろう。

Program Marx
Write(*,*) 'Marx=' ,0/0
End

【非モテ概念の主観性】
 恐らくそうだろうとは思っていたが、書記長は主観非モテ説を採用しているようだ。ここで大変難しいのだが、「階級」概念と主観性というのは相性が悪いのだ。幾らユダヤ人でも「俺が気分悪いのは全部社会のせいだ」とは言わないのであり、かの有名な「疎外」という概念にしても、あれは「どこに行ってもユダヤ人かと不快がられ遠ざけられる」という事実(※)ないし事象から発したものである。

※ユダヤ人であることを憎み、ユダヤ的ないしユダヤ人であることを放棄しようとしたユダヤ人は複数いる。そして彼らは、例えば自分はユダヤ人でなくドイツ人であるとか主張するのだが、それにも関わらず社会は彼をユダヤ人と見なし「疎外」する。こういうのがユダヤ人の言う疎外であり、それは改宗、回心、その他如何なる言行や実績によっても覆せないものである。

 つまりは「どこに行っても私はモテないんです」という点から出発した方がまだしも「階級」的なのであって、見えない社会的圧力によって不断に「主観的非モテ」を強要されたなどと言われても、階級闘争理論の方が困ってしまうのではなかろうか。ついでに言えば、矛盾してるわけでもないし、「モテ度」が窮乏化するわけでもない(0は0より下がらないので)。
 書記長がなぜ「階級理論」を使いたがっているのか知らないが、趣味者としても低水準であると言わざるを得ない。

【書記長の当事者性(笑)】
 革命家というのは、革命「されるべき」「階級」の出身者が多く、要するに暇な金持ちや大学(院)生といった風情である。そして私からすれば、書記長は大変残念なことに「モテ階級」であると見なさざるを得ず、すると逆説的に彼は「非モテ解放」のための「素質」を持ち合わせていることになる。

【書記長をかわいがる会】
 まあ一応数学担当っぽいことを言うべきかなと思った。

・定義域が不明
・むしろネットワークにベトクルを与えたものが組織
・ゲリラは確率的存在だが正規軍はそうでもない

 辺りがそれっぽかったかもしれない。それ以前に何が言いたい論文なのかが判然としなかったのだが。
 あとはお馴染みの話題といえばこんな感じだったろうか。その他色々。

・攻撃主義と防御主義
・歩兵の割合
・「プラットフォーム」論
・兵力密度

 火力を抽象化、ブラックボックス化し、プラットフォームについては考えないという前提は良かったと思う。その他の話は他の人に聞いて欲しい。
 それより書記長は誰と戦っていたのだろうか。私には書記長の論文が、どちらかと言えば戦場でなくネット上の話のように聞こえたのだが……

【結論】
 やっぱりヨーロッパ人は正しかったな。軍人は全員数学教育を受けるべきである。

非一様収束ごっこ

 他人の言う事を真摯に聞き、すべて無視する。極意。

【感想】
 まあA井さんも頑張ったのだと思うし、それは評価したい。如何せん一つだけ疑問が拭いきれないのが、「戦史研では」談義である。戦史研では云々と頻りに言うのだが、言う前に実行してから改めて説明すれば良いのであり、能書きばかり垂れる必要はない。あるいは自らは戦史研精神を体現する者ではないと殊勝にも考えているのであれば、それはそれで高く評価したい。

【一応】
 水雷長とヴェリキエ・ルキをやった、一応。しかしあのゲームはきちんと予習しておかないと、取りあえずヴェリキエ・ルキに攻撃をかけて(ゲーム的に)終わってしまうものなのだなあ。
 このゲームは余程の好都合に見舞われない限りは、最初に(※)都市守備隊群に攻撃をかけてはいけない。攻撃すれば補給と兵力を徒に消耗し、南端鉄道線の遮断によるVP獲得はおろか、渡河点の確保すら出来なくなるからだ。また北方に残存する独軍部隊も出来るだけ無視した方がよく、わざわざ殲滅に足を運ぶのは補給と時間の浪費になりかねない。

※最初どころか、全ゲームを通じて正面攻撃をすべきではない。補給切れによる損耗で間に合うならそうすべきだ。もしすべて正面攻撃で除去すると、兵力の損耗や独軍の反撃等を一切無視した上で、補給だけでも全リソースのうち1/3~1/2を必要とする。これは事実上、ヴェリキエ・ルキの占領以上のことが何も出来ないというのを意味している。

 A井さんとRC2をやったが、こちらは面白展開になった(なるようにした)ので、それはそれで面白かった。特に同志スターリン単体のスタックが独装甲に捕まりサレンダーした時など皆が賞賛を惜しまなかった。ちなみに次のターンではSTAVKAもサレンダーした。しかしモスクワは無事であった。