不信感
おかしいな、何で俺は一日に6時間も数学やってるんだろう。しかも合間合間に読んでるのは数学書か歴史書か統計だし。なにこのインテリゲンツィヤ。
そんな中でもρ(中略)クレイでなかった頃のお話。
散歩しながら考えていたことを書き留める。
「確率論とその応用」という有名な確率論の著作があるのだが、その中にある便から次の便への間隔が正規分布するバスの話があったのを思い出した。この場合、任意にバス停についたときにその人が待たされる期待時間は正規分布の平均値そのままだという結論になる。ちなみに日本の公共交通機関のように正確な間隔で来る場合、期待値はある便から次の便への期待される間隔の1/2になることはすぐにわかると思う。
ところでそれは序論に過ぎず、実際に考えていたのは「駅から徒歩◯◯分」という概念についてだ。具体的には、ある駅から徒歩5分に住んでいて、その線は10分に1本しか来ないとすると、時刻表通りに来るとした上で、実質10分の距離(徒歩5分+列車待ち期待時間10/2分)にあるということになるのではないかという内容だった。そうだとすると実は「徒歩10分、列車間隔10分」の場所に住んでいる人と「徒歩5分、列車間隔20分」の場所に住んでいる人の「駅までの距離の感覚」は15分相当の距離ということで概ね同じなのではないかということを考えていた。
もちろんこの話は、正確に列車が来るならそれに合わせて家を出るという住人の熟練度を考慮していないので現実適合性は無いだろうが、原理的にはどうだろうか。さらに言えば10分相当の距離の住人の駅までの労力と20分相当の距離の住人の労力は決して2倍では無いはずだ。期待爽快値と個人的経験を参考にすれば2乗に近似できまいかと思う。こうすれば不便な鉄道には急激に人が乗らなくなって行く過程を再現できたりとか。
結論としては正確に来る日本の鉄道すげえ、である。仮に正規分布しちゃってたら、田園都市線なら3分ほど余分に利用者に距離感覚を与えることになるのだ。
まったく適当な話だな。
リーマン積分が縦に切るなら、ルベーグ積分は横に切る。という話を某所でしきりに流れているらきすたのopを見ながら実感した。連中を縦に切るのは難しそうだが、横にスライスするのは簡単そうだ。問題はそれらが零集合だとしか思えないということだが。そもそもボレル集合ですら無さそう。
結論としては、まだ人類はらきすたという抽象空間を解析する測度を発見していないということだ。
そんな中でもρ(中略)クレイでなかった頃のお話。
散歩しながら考えていたことを書き留める。
「確率論とその応用」という有名な確率論の著作があるのだが、その中にある便から次の便への間隔が正規分布するバスの話があったのを思い出した。この場合、任意にバス停についたときにその人が待たされる期待時間は正規分布の平均値そのままだという結論になる。ちなみに日本の公共交通機関のように正確な間隔で来る場合、期待値はある便から次の便への期待される間隔の1/2になることはすぐにわかると思う。
ところでそれは序論に過ぎず、実際に考えていたのは「駅から徒歩◯◯分」という概念についてだ。具体的には、ある駅から徒歩5分に住んでいて、その線は10分に1本しか来ないとすると、時刻表通りに来るとした上で、実質10分の距離(徒歩5分+列車待ち期待時間10/2分)にあるということになるのではないかという内容だった。そうだとすると実は「徒歩10分、列車間隔10分」の場所に住んでいる人と「徒歩5分、列車間隔20分」の場所に住んでいる人の「駅までの距離の感覚」は15分相当の距離ということで概ね同じなのではないかということを考えていた。
もちろんこの話は、正確に列車が来るならそれに合わせて家を出るという住人の熟練度を考慮していないので現実適合性は無いだろうが、原理的にはどうだろうか。さらに言えば10分相当の距離の住人の駅までの労力と20分相当の距離の住人の労力は決して2倍では無いはずだ。期待爽快値と個人的経験を参考にすれば2乗に近似できまいかと思う。こうすれば不便な鉄道には急激に人が乗らなくなって行く過程を再現できたりとか。
結論としては正確に来る日本の鉄道すげえ、である。仮に正規分布しちゃってたら、田園都市線なら3分ほど余分に利用者に距離感覚を与えることになるのだ。
まったく適当な話だな。
リーマン積分が縦に切るなら、ルベーグ積分は横に切る。という話を某所でしきりに流れているらきすたのopを見ながら実感した。連中を縦に切るのは難しそうだが、横にスライスするのは簡単そうだ。問題はそれらが零集合だとしか思えないということだが。そもそもボレル集合ですら無さそう。
結論としては、まだ人類はらきすたという抽象空間を解析する測度を発見していないということだ。
∀メモ1∈メモ, ∃メモ2∈メモ, メモ1・メモ2=メモ2・メモ1=メモ1
経済制裁で困ったのは水産業者と新日鉄とレインボー通商と俺。{i君, レインボー通商}。以上メモ。
相変わらず世間では学問や学問することが実際と乖離しているなあと思うた。まあ世間様はどうでもいいのだが、数学科でも、優等生ごっこをしてどこにあるのかもわからない"研究"なる理想概念を夢想している人を見ると切ない気持ちになる。でも本当に数学まみれの人はもっと具体的な対象を観ているので別にどうでもいいや。
それより自分はまだまともに「認定」を受けたことがないことに寂しさを感じる。俺も「左翼」認定とかされたいなあ。これも一種の自己顕示欲か。なぜ認定されないんだろうか。そもそも露出してないからか。
ここを見ているようなファンキーガイに今更言う必要も無いが、左翼と「左翼」とサヨクと「サヨク」は全部違う概念。「サヨク」という表現はまず肯定文には使わないけどね。たまに「左翼」とサヨクを同じ文脈で使う人もいる。
例:左翼が日本にはいなくなった。元々いなかったという人もいる。
例:彼は「左翼」だ。
例:彼はサヨクだ。
例:私が「サヨク」だとは到底考えられぬ。
戦史研員は全般に見て通常よりも釣り耐性が高めなのではないか。ふと思った。
相変わらず世間では学問や学問することが実際と乖離しているなあと思うた。まあ世間様はどうでもいいのだが、数学科でも、優等生ごっこをしてどこにあるのかもわからない"研究"なる理想概念を夢想している人を見ると切ない気持ちになる。でも本当に数学まみれの人はもっと具体的な対象を観ているので別にどうでもいいや。
それより自分はまだまともに「認定」を受けたことがないことに寂しさを感じる。俺も「左翼」認定とかされたいなあ。これも一種の自己顕示欲か。なぜ認定されないんだろうか。そもそも露出してないからか。
ここを見ているようなファンキーガイに今更言う必要も無いが、左翼と「左翼」とサヨクと「サヨク」は全部違う概念。「サヨク」という表現はまず肯定文には使わないけどね。たまに「左翼」とサヨクを同じ文脈で使う人もいる。
例:左翼が日本にはいなくなった。元々いなかったという人もいる。
例:彼は「左翼」だ。
例:彼はサヨクだ。
例:私が「サヨク」だとは到底考えられぬ。
戦史研員は全般に見て通常よりも釣り耐性が高めなのではないか。ふと思った。
柔らかな統制--関西経済の統治と交換
関西は統制経済まっただ中だということがわかった。
高いと思えばいらないと言えるのが自由な交換であり、値切るのは統制の一種だという系で考えればそうなる。
日本人にはちょっと分かり辛いかもしれないが、創価学会で考えればすぐにわかる。創価学会が嫌なら何も言わずに(手続き云々はともかく)やめられるのが自由であるのに対して、嫌だけどやめないかわりに改善案を提示するのが統制。どう考えてもそうでしょ。
統制という単語にこびり付いた奇妙な政治的イメージにどうしても引き摺られるならば、controlとでも言いかえてみればよろしい。
改めて関東は交換の自由が社会的に認められている場所であるということが認識された。道理で関西は経済的にぱっとしないわけだ。せめて官僚が優秀ならなんとかなったのかもしれんが。いや別に官吏のせいでもないな。
してみると関西の方が日本的なのかもしれない。現在の日本で戦時統制だと思われていることのほとんどが「自粛」であるという事実と、Sさん曰く「お上より隣近所の目が怖い」社会であるという話を勘案すればそうもなろうて。
高いと思えばいらないと言えるのが自由な交換であり、値切るのは統制の一種だという系で考えればそうなる。
日本人にはちょっと分かり辛いかもしれないが、創価学会で考えればすぐにわかる。創価学会が嫌なら何も言わずに(手続き云々はともかく)やめられるのが自由であるのに対して、嫌だけどやめないかわりに改善案を提示するのが統制。どう考えてもそうでしょ。
統制という単語にこびり付いた奇妙な政治的イメージにどうしても引き摺られるならば、controlとでも言いかえてみればよろしい。
改めて関東は交換の自由が社会的に認められている場所であるということが認識された。道理で関西は経済的にぱっとしないわけだ。せめて官僚が優秀ならなんとかなったのかもしれんが。いや別に官吏のせいでもないな。
してみると関西の方が日本的なのかもしれない。現在の日本で戦時統制だと思われていることのほとんどが「自粛」であるという事実と、Sさん曰く「お上より隣近所の目が怖い」社会であるという話を勘案すればそうもなろうて。