Study Hard -213ページ目

 雑感というほども感じていないようなことを書き付けるのは如何なものか。

 もし全体主義という単語に何らかの意味があるとすれば、その対語は還元主義になるんじゃないかとふと思った。語感として。
 さらに関係ないけど、還元主義って数学的に言えば局所化のことか。そうだとすると、全体を取り戻すには開被覆が必要(※)で、しかもコンパクト(=任意の開被覆に対して有限部分被覆が存在)でないと作業が終わらないわけだな。

※考えてみると、幾つかの論を接合する際に、それらが「開集合」であるかをきちんと検証する人はほとんどいない気がするなあ。開集合の定義は周知のものとする。

【試験直前は脳が活性化する】
 Sさんのブログを読んで試験直前に書いたが、メンテナンスで投稿出来なかった記事を再利用。

 エコロジーは生態学のことでもあるのに世間では環境保護の意味でしか使われないのは、もしかしたらちょうど宇宙船地球号という単語と同じような構図かもしれないなあと思った。
 宇宙船地球号という話をボールディングがしたときは、地球を(太陽のみを生産者とする)閉鎖系として見ることが出来るし、人間は取りあえずはこの閉鎖系の中でやっていくしかないよね、という意味合いに過ぎなかったはず。それがいつの間にか、この地球号に対してわざわざ「美しい」とか「守るべき」とかいうイメージが付け加わって流布されている。
 評価付けや善悪論争は、対象を純粋に扱うことの出来ない者たちの最後の拠り所であるなあ、と。

 某OB氏と久しぶりにメッセでgdgdした。大半は適当に思いつくままに述べたけれども、一つだけ普段から本当に思っていることも言った。
 ソ連がどうの共産主義がどうのなどと言っているうちは、夜空の輝く星々を線で結んで星座を命名しているのと何ら変わらない。何を見るべきかが根本的にずれている。そろそろ社会科学も占星術と天文学に分離する時期が来てるのではないだろうか。ということだ。
 もちろんこれは何とか主義云々などという話に留まらぬ問題である。眩しく輝く星ばかりに目をとられるのは、教会に行って美しいステンドグラスだけ見て帰って来るようなものだ。言ってしまえば、まだ現在の社会科学は物見遊山の観光客の視点さえほとんど脱していないようである。

でも最高はやっぱり傍系P

 世の中には2種類いる。ニコでアイマスMADしか見ない人間と、それ以外だ。

 T下さんとアイマスMADの話をしたら、明らかに周りが何も理解できない顔をしていた。そこでは有名Pの名前が普通に通じる特殊な空間が構成されていた。orgonePはまあいいとしても、えこPくらいは知っとけって話だ。とかちと言われて普通にトカチPのことかと思ったし。下田麻美の方か。
 でもT下さんがゆるしーの舞台を見に行ったと知ったときにはかなり落ち込んだ。俺どんだけゆるしー嫌いなんだよ。

 なんか無性に生うめるさんに会いたくなった。どこの吉野家に行けば会えるんだろう。

Forcesの何とか麺

 日共について言うの忘れてた。政見放送で初っ端に「あなたが悪いのではありません」と言い出したときは、先祖供養の「合理的」解釈と同じ何かを感じた。それはあくまでも外部の人間が先祖供養を理解するための解釈であって、先祖供養をする本人の理屈でないということは注意しておく。

 ところで一般人の「宗教観」が如何に適当かを感じるには、この先祖供養が最も適した例になるだろう。
 特段の考えもなく「宗教っぽい」という形容詞を使う人はほぼ間違いなく先祖供養に対しても宗教っぽさを感じるようだ。しかし残念ながら、単なる先祖供養団体が宗教法人化するのはほとんど無理である。逆に宗教法人化してから先祖供養をするのは簡単だ。
 まあ勝手な解釈ではあるが、何が宗教を判断しようとはしない宗務課でさえ、さすがに先祖供養団体に宗教法人格を与える必要はねえだろうと考えてるというお話だ。

 しかし逆に言えば、一般人の宗教観をそういった言質を通して知ることが出来るとも言える。だから、彼らにそんなものは宗教ではないと言うのではなく、「君たちって先祖供養なんかを宗教と思う人なんだね、めーずらしー」などと鼻で笑いながら馬鹿にしたようなジェスチャーを交えるのが最も健全だと言えよう。
 宗教は少しも気持ち悪くないが、宗教観が聞くに堪えないほど気持ち悪い人は世の中に大量にいる。これもまた哀しむべき人間の様相であり、ただ慈悲を以て接する他ない。