雑 | Study Hard

 雑感というほども感じていないようなことを書き付けるのは如何なものか。

 もし全体主義という単語に何らかの意味があるとすれば、その対語は還元主義になるんじゃないかとふと思った。語感として。
 さらに関係ないけど、還元主義って数学的に言えば局所化のことか。そうだとすると、全体を取り戻すには開被覆が必要(※)で、しかもコンパクト(=任意の開被覆に対して有限部分被覆が存在)でないと作業が終わらないわけだな。

※考えてみると、幾つかの論を接合する際に、それらが「開集合」であるかをきちんと検証する人はほとんどいない気がするなあ。開集合の定義は周知のものとする。

【試験直前は脳が活性化する】
 Sさんのブログを読んで試験直前に書いたが、メンテナンスで投稿出来なかった記事を再利用。

 エコロジーは生態学のことでもあるのに世間では環境保護の意味でしか使われないのは、もしかしたらちょうど宇宙船地球号という単語と同じような構図かもしれないなあと思った。
 宇宙船地球号という話をボールディングがしたときは、地球を(太陽のみを生産者とする)閉鎖系として見ることが出来るし、人間は取りあえずはこの閉鎖系の中でやっていくしかないよね、という意味合いに過ぎなかったはず。それがいつの間にか、この地球号に対してわざわざ「美しい」とか「守るべき」とかいうイメージが付け加わって流布されている。
 評価付けや善悪論争は、対象を純粋に扱うことの出来ない者たちの最後の拠り所であるなあ、と。

 某OB氏と久しぶりにメッセでgdgdした。大半は適当に思いつくままに述べたけれども、一つだけ普段から本当に思っていることも言った。
 ソ連がどうの共産主義がどうのなどと言っているうちは、夜空の輝く星々を線で結んで星座を命名しているのと何ら変わらない。何を見るべきかが根本的にずれている。そろそろ社会科学も占星術と天文学に分離する時期が来てるのではないだろうか。ということだ。
 もちろんこれは何とか主義云々などという話に留まらぬ問題である。眩しく輝く星ばかりに目をとられるのは、教会に行って美しいステンドグラスだけ見て帰って来るようなものだ。言ってしまえば、まだ現在の社会科学は物見遊山の観光客の視点さえほとんど脱していないようである。