日々の健康
健康のためには毎日グラス一杯程度の陰口が効果的です。
日経の夕刊の生活欄だか何かに連載されている曜日替わりのコラムが割合に面白く、特に「モードの方程式」と「食あれば楽あり」は楽しみにしている。しかしそんなコラムにも大外れはあり、具体的に筆者名を言うと結局は宣伝になるので言わないが、いつも絶賛スルー中のコラムが1つある。これはそれに関しての話だ。
本来は日記だってそうあるべきだが、コラムには一定の方向性が必要である。しかしそのコラムは、少なくとも私には、テーマがまったく見えない。敢えて言うなら「中学生みたいな放言をして他人を不愉快にする」くらいなものか。
一方で、本当にいつ読んでも白痴みたいなことしか書いていないので、必ず外れる記事を読みたければある意味大当たりの連載ではある。恐いもの見たさ専用とでも言うか。
とは言ったものの、私の個人的な心証としてそう思うのであって、実際には「その辺の馬鹿」というのが居るとすればああいうものだという程度の代物に過ぎない。
今日は気分が良かったので、うっかりその馬鹿コラムを読んでしまった。そこで今日知ったのは「その辺の馬鹿はCO2会計の意味なんてこれっぽっちも理解できないんだなあ」ということである。ここから延々とその馬鹿コラムの飛躍と陰謀論的主張と奢り高ぶった表現を馬鹿にしながら長々と書くのもアレなので、CO2会計について簡単に説明して終わりにしたい。
一般に会計と言えばお金やその流れを取り扱うものだが、CO2会計においてはCO2がお金に相当する役割を果たす。つまりCO2会計が本質的に考えたいことの範囲において、CO2はそれらを統一的に考えるための指標を与えてくれるわけだ。
例えば「リビングコスト」について計測し、それを切り下げたいと考えたとする。その際にいわゆる生活費と呼ばれる(円などのお金を基準に計測された)ものを割り出し、それを全体として切り下げるための方法を考えるのが一般的だろう。そして普通は余分だと思う支出から削減したり、より支出の少ない方策に置き換えたりする。ここで必ずしも「リビングコスト」を計測するためにお金を持ち出す必要はなく、実際、コストの本質は一般にはお金ではないので、それぞれが最も適当だと思う基準を設けてそれに従って計測すれば良い。
また貨幣などが実際にやり取りされていなくとも会計は成立するし、むしろそうでなければおかしい。例としては西側の経済学者たちが東側の「物価」を測定した話がある。そこでは「シャドウプライス」という概念が用いられ、それは簡単に言えば物の交換比率などから暫定的な「価格」を算出したものだ。
ここまで言えば何となくお分かり頂けたと思うが、CO2排出量を基準とした「価格」が存在するわけだ。そしてここで測っているのは家計への負担ではなく(間接的には将来家計への負担にも反映されるなどと言ってる人もいるが)て、いわゆる環境負荷と一般に呼ばれるものになる。ちなみにCO2会計と言ったが、実際にはさらに多くの「温暖化原因物質」が俎上にあがっており、温暖化係数というものでそれぞれの排出量と関連付けられている。
余談だが、真の温室効果ガスは水蒸気で地球の平均気温を15℃以上あげてるらしい。むしろそれがないと(ない状況も考えられないが)地球は相当寒くなるとか。だからCO2会計が計測しているのは本当は「温暖化の速度」であり、排出量削減の目的は「加速度の低減」なのであるのだが、その辺を理解していない人も存外に多い。
会計というのは「何を測りたいのか」そして「何で測ると有意か」ということであるのだから、馬鹿コラムのようにCO2だけじゃないんだよみたいなことを喚いたところで何も意味がない。むしろ逆に、あなたはCO2でなければ何を基準にすべきだと思いますか、それ以前にあなたは何を考えてそんなことを言ってるんですか、と聞かれて答えに窮するのがオチだ。
もちろん「ρがエロゲをやっている時間」のような意味のないものを測ることだって幾らでも出来る。だからと言ってそれを測るべきだとかその総量を削減すべきだとか主張する人はほとんどいない。しかしCO2排出量を削減すべきだと思っている人は世界中に非常に多いというだけの話だ。
ちなみにチーム・マイナス99%は文明破壊が目的であって、地球が温暖化しようが寒冷化しようがどうでもいい。
日経の夕刊の生活欄だか何かに連載されている曜日替わりのコラムが割合に面白く、特に「モードの方程式」と「食あれば楽あり」は楽しみにしている。しかしそんなコラムにも大外れはあり、具体的に筆者名を言うと結局は宣伝になるので言わないが、いつも絶賛スルー中のコラムが1つある。これはそれに関しての話だ。
本来は日記だってそうあるべきだが、コラムには一定の方向性が必要である。しかしそのコラムは、少なくとも私には、テーマがまったく見えない。敢えて言うなら「中学生みたいな放言をして他人を不愉快にする」くらいなものか。
一方で、本当にいつ読んでも白痴みたいなことしか書いていないので、必ず外れる記事を読みたければある意味大当たりの連載ではある。恐いもの見たさ専用とでも言うか。
とは言ったものの、私の個人的な心証としてそう思うのであって、実際には「その辺の馬鹿」というのが居るとすればああいうものだという程度の代物に過ぎない。
今日は気分が良かったので、うっかりその馬鹿コラムを読んでしまった。そこで今日知ったのは「その辺の馬鹿はCO2会計の意味なんてこれっぽっちも理解できないんだなあ」ということである。ここから延々とその馬鹿コラムの飛躍と陰謀論的主張と奢り高ぶった表現を馬鹿にしながら長々と書くのもアレなので、CO2会計について簡単に説明して終わりにしたい。
一般に会計と言えばお金やその流れを取り扱うものだが、CO2会計においてはCO2がお金に相当する役割を果たす。つまりCO2会計が本質的に考えたいことの範囲において、CO2はそれらを統一的に考えるための指標を与えてくれるわけだ。
例えば「リビングコスト」について計測し、それを切り下げたいと考えたとする。その際にいわゆる生活費と呼ばれる(円などのお金を基準に計測された)ものを割り出し、それを全体として切り下げるための方法を考えるのが一般的だろう。そして普通は余分だと思う支出から削減したり、より支出の少ない方策に置き換えたりする。ここで必ずしも「リビングコスト」を計測するためにお金を持ち出す必要はなく、実際、コストの本質は一般にはお金ではないので、それぞれが最も適当だと思う基準を設けてそれに従って計測すれば良い。
また貨幣などが実際にやり取りされていなくとも会計は成立するし、むしろそうでなければおかしい。例としては西側の経済学者たちが東側の「物価」を測定した話がある。そこでは「シャドウプライス」という概念が用いられ、それは簡単に言えば物の交換比率などから暫定的な「価格」を算出したものだ。
ここまで言えば何となくお分かり頂けたと思うが、CO2排出量を基準とした「価格」が存在するわけだ。そしてここで測っているのは家計への負担ではなく(間接的には将来家計への負担にも反映されるなどと言ってる人もいるが)て、いわゆる環境負荷と一般に呼ばれるものになる。ちなみにCO2会計と言ったが、実際にはさらに多くの「温暖化原因物質」が俎上にあがっており、温暖化係数というものでそれぞれの排出量と関連付けられている。
余談だが、真の温室効果ガスは水蒸気で地球の平均気温を15℃以上あげてるらしい。むしろそれがないと(ない状況も考えられないが)地球は相当寒くなるとか。だからCO2会計が計測しているのは本当は「温暖化の速度」であり、排出量削減の目的は「加速度の低減」なのであるのだが、その辺を理解していない人も存外に多い。
会計というのは「何を測りたいのか」そして「何で測ると有意か」ということであるのだから、馬鹿コラムのようにCO2だけじゃないんだよみたいなことを喚いたところで何も意味がない。むしろ逆に、あなたはCO2でなければ何を基準にすべきだと思いますか、それ以前にあなたは何を考えてそんなことを言ってるんですか、と聞かれて答えに窮するのがオチだ。
もちろん「ρがエロゲをやっている時間」のような意味のないものを測ることだって幾らでも出来る。だからと言ってそれを測るべきだとかその総量を削減すべきだとか主張する人はほとんどいない。しかしCO2排出量を削減すべきだと思っている人は世界中に非常に多いというだけの話だ。
ちなみにチーム・マイナス99%は文明破壊が目的であって、地球が温暖化しようが寒冷化しようがどうでもいい。
驚破霓裳羽衣曲(驚破す宮崎羽衣の曲)
T中さんが宮崎羽衣の曲を聞いていたのをふと思い出して長恨歌の一節を連想した。この「霓裳羽衣曲」というのは西方から伝わった音楽だという説があるが、仮に皇帝が宮崎羽衣の曲を聞いてそれをアレンジしたものを宮中で聞いていたとしたらと空想してあまりの酷さに失笑した。
玄宗皇帝が宮崎羽衣の出演作ばかり見て政を顧みなくなったので安禄山が声ヲタを都から放逐すべく立ち上がったというストーリーを考えて楽しくなった。最期は応援する声優の違いから実子に殺害されることになるのである。楊貴妃も声優で「その声は芳しさを実際に感じさせるほどであったという」。
考えてみれば尊属殺人も強ちおかしい発想ではないかもしれない。安史の乱のごとく首謀格が悉く実子に殺されるようでは叛乱の成功もおぼつかないからである。叛乱でも何でも良いから、やるならしっかりやれよということだ。
玄宗皇帝が宮崎羽衣の出演作ばかり見て政を顧みなくなったので安禄山が声ヲタを都から放逐すべく立ち上がったというストーリーを考えて楽しくなった。最期は応援する声優の違いから実子に殺害されることになるのである。楊貴妃も声優で「その声は芳しさを実際に感じさせるほどであったという」。
考えてみれば尊属殺人も強ちおかしい発想ではないかもしれない。安史の乱のごとく首謀格が悉く実子に殺されるようでは叛乱の成功もおぼつかないからである。叛乱でも何でも良いから、やるならしっかりやれよということだ。
腐れ文系の真髄見せたる
腐れ文系という単語が人口に膾炙(3人くらい)したので、改めて定義を整理したいと思う。
・歴史的用法
エロゲのシナリオライターのうち、自然科学ないし数学に関する用語を著しく誤って使った者のこと。タンジェントカーブ先生など。
・拡大期
「文系の腐ったような」という語感から、特に一部理系に対する侮蔑的用語として一般に拡張された。俺など。
・意味の希薄化
単に文系を指す用例が出現する。「腐れ」が接頭語として強めの意味のみをもつ用法である。Sさんなど。
現在は歴史的用法よりも、pgρが俺を呼ぶ際の固有名詞として使う方がむしろ多くなっている。またSさんがしばしば自称として用いるが、腐っていないので誰も同意している気配はない。
自然科学用語および諸概念の援用が社会科学の主流であったことを考えれば、腐れ文系はむしろ経済学者などに対して用いるべき用法であると原理的には考え得るが、実際には理系(※)に対する用法になっている。しかしこれは経済学者が数学や物理学の分野を修めた者たちの流入によって発展してきた経緯と良く合致するものであるとも言える。
※無定義に文系理系という単語を使用してきたが、厳密な区分はない。これは得体の知れない何かであり、誤解のないように指摘すれば、理系も文系もscienceという意味においては(叔母風呂的)異母兄弟である。
・予言
新しい時代の腐れ文系は、文系ではなく、むしろ文系の諸問題に精通した理系からこそ生まれるでしょう。
腐るためには瑞々しさを必要とします。多くの者が干涸びて行くなか、腐ることができるのは対象に対する不純極まりない興味という瑞々しさゆえのことなのです。
・新しきシナリオ
延長された腐れ文系は、再びその誕生地であるシナリオへと回帰するでしょう。そしてそのことがもたらすのは、小汚い電気街の裏通りで薄汚れたパッケージに包まれたPC-88時代のエロゲを発見したときと同じ純粋な喜びにも似た何かなのです。
・歴史的用法
エロゲのシナリオライターのうち、自然科学ないし数学に関する用語を著しく誤って使った者のこと。タンジェントカーブ先生など。
・拡大期
「文系の腐ったような」という語感から、特に一部理系に対する侮蔑的用語として一般に拡張された。俺など。
・意味の希薄化
単に文系を指す用例が出現する。「腐れ」が接頭語として強めの意味のみをもつ用法である。Sさんなど。
現在は歴史的用法よりも、pgρが俺を呼ぶ際の固有名詞として使う方がむしろ多くなっている。またSさんがしばしば自称として用いるが、腐っていないので誰も同意している気配はない。
自然科学用語および諸概念の援用が社会科学の主流であったことを考えれば、腐れ文系はむしろ経済学者などに対して用いるべき用法であると原理的には考え得るが、実際には理系(※)に対する用法になっている。しかしこれは経済学者が数学や物理学の分野を修めた者たちの流入によって発展してきた経緯と良く合致するものであるとも言える。
※無定義に文系理系という単語を使用してきたが、厳密な区分はない。これは得体の知れない何かであり、誤解のないように指摘すれば、理系も文系もscienceという意味においては(叔母風呂的)異母兄弟である。
・予言
新しい時代の腐れ文系は、文系ではなく、むしろ文系の諸問題に精通した理系からこそ生まれるでしょう。
腐るためには瑞々しさを必要とします。多くの者が干涸びて行くなか、腐ることができるのは対象に対する不純極まりない興味という瑞々しさゆえのことなのです。
・新しきシナリオ
延長された腐れ文系は、再びその誕生地であるシナリオへと回帰するでしょう。そしてそのことがもたらすのは、小汚い電気街の裏通りで薄汚れたパッケージに包まれたPC-88時代のエロゲを発見したときと同じ純粋な喜びにも似た何かなのです。