


僕は、案外と自分の人生ってやつを楽しんでいるのかもしれない。
辛い辛い辛いと叫いて、悩んで、苦しんで、でも、その時々力になってくれる人がいて、元気になっては、また悩み出す。そんなのの繰り返し。
辛い、苦しい、という感情で生きてる実感を感じて、いつもギリギリを楽しんでるのかもな。
常にdead or aliveで力になってくれる人が現れなくなったら死。
人生博打。
皆様に生かされてます。
ありがとうございます。
これが、生きてる実感ってやつを感じるために「辛い」「苦しい」とマイナスの感情じゃなくて、「楽しい」とか「幸せ」とか、そんなものにシフトチェンジ出来たら苦しまずに生きていけるんだろうな。
目的論。
生きてる実感が欲しいから苦しむ。
この目的をすり替えられれば僕の苦しみは無くなるんだろな。
でも、楽しんでるのかもっとは書いたけれども、目的論っとは言ってみたものの、これが楽しいとは思っていないし、苦しいし辛いから、この苦しみから抜け出したいと思いつつも、なぜ自分が7歳の時から今までのずっと苦しんで生きているのかと考えた時に、もしかしたら「苦しむ事で生きていると思える」のではないだろうかという推測。
もしくは、僕はかまってちゃんで苦しむ事で誰かの気を引こうとしているのかもね。
今はマイナスの感情をぶつける事で生きているけれども、幸せに満たされて動けなくなるのが怖いのか、今までの苦しんできた自分を否定してしまうのが怖いから、だから僕はギリギリで生きているのだろうか。
根元的にに、人生に意味なんて無いし、生きる目的なんてないし、人間も地球上の生物の1つで、ただただ産まれては死ぬの繰り返し。
ある1つの生物が爆発的に増えないように、かといって減りもしないように、食って食われて、死んだら土に還り花を咲かす。
人生の目的とか意味とかは、生きてく上で自分自身が勝手に設定して「自分は生きてるんだ」と安心するための材料。
だから、僕は苦しむために生まれ、悩み考えるために生きてる。
それを、楽しんで生きてると思いたい。
自信の無いことに自信を持つ。
ついこの間、とある方に言われた言葉。
それを、楽しんで生きてると思いたい。
僕は何かあればすぐ「死にてぇ」とつぶやく。思う。
思春期の時に引きこもってた1番辛い時には本気で自殺も、方法も考えたもんだが、日常で呟く「死にたい」とは、本気の時とは少し違う。
ネットを検索してみると、要約すると「死にたい=辛い現実から抜けたい」。
まぁ、今の状況を良くしたいって事だよね。
本気で死にたいわけじゃない。
誰にも助けてと言えないから、でも誰かに助けて欲しいから「死にたい」「消えたい」っという言葉の表現になる。
でも「死にたい」なんて言った日には、どっかの狂信的な正義を信じ切ってる人達には「簡単に死ぬとか言うな」っとか「生きたくても生きれない人がいるんだ」「世界には、、、」っとか云々かんぬんだんだんマトの外れた言葉を発してくる。
そんなのみんな分かってんのよ。
じゃあ「今の自分がどれだけ幸せな立場にあるか?」って考えるけど、そりゃ、飯食えて、布団で寝れて、風呂は入れて、それはとても幸せなことだけどさ。。。
そーじゃないんだ。
そーじゃないの。
なんだろうか、たぶん、生真面目ゆえに世の中の常識とかモラル、ルールから逸脱したらダメだと苦しんじゃうんじゃなかろうか?
そこで「消えてしまいたい」「死にたい」って言葉がふと出てくるんじゃないだろうか?
決して誰もが死にたいわけじゃない。
決して誰も誰かを死なせたいわけじゃない。
だけど、世の中の常識に苦しめられる人々がいるのも事実で、その常識を押し付けてくる人達がいるのも事実。
でも、みんながみんなそうじゃなくって、多様性を知ってる人もいるし、ただただ相手を認めて側にいてくれる人もいる。
今いる場所に1人も認めてくれる人がいなければ、勇気を出して他の世界を見に行けばいい。
勇気というか、自分自身の「こうしなきゃいけない」っという思い込みに逆らって、一回抜け出せばいい。
簡単じゃないよ。
苦しいと思うよ。
でも、その先に今までと違う世界が見えるはずだから。
「死にたい」という声が少なくなる、絶滅する素敵な世界が来いよ!
くろこちゃんが愛のバクダンを落っことしにいくぜ!
偉そうなこと書いてるけど、かくいうワタクシも、違う世界に目が向けられない1人。
こんなこと書いてるからには知識としては「今この場所が辛いなら、他所の世界もあるよ」っと知ってはいるんだけど、他所の世界を見に行く方法も知らないし、この今いる場所から、今まで生きてきたルールとか常識とか、そんな物から離れる勇気もないんだよな。
今いる自分が、自分じゃなくなるんじゃないかという恐怖から動けなくなって、結局、今の居場所でうずくまってブツブツ言ってるんだろうね。
だから、ホントは僕なんかが、今苦しんでる人に「別の世界もあるよ」「今あるルールも常識も実は曖昧な物なんだよ」っと簡単に言えるもんでもないんだよな。実際のところ。
絵でそれを表現してるけど、たぶん、きっと、誰かをじゃなくて、まだ自分自身が救われたくて、そんな事を絵にしてるんだろうな。
ちなみに、これはコラムなのかしら?
カテゴリをコラムにしてるけどエッセイなんかな?
コラムって何か分からん。。。

簡潔に言うと、この先、普通の日常に一喜一憂しながらそれを幸せと思い感じて生きたいなら読まない方がいい本だと思う。
僕自身も一回読んだだけでは頭の中は混乱して、いまいち上手く落とし込めない内容。
いや、子育て問題に関してだけ上手く落とし込めない。それ以外は「なるほど、確かに、、、」っと思い返せば、世の中を見てれば納得できるんだけどね。
子育て問題、美醜の問題、犯罪問題、努力と遺伝の関係のお話などなど、いろいろ面白い。
タブーとされていることを研究結果を元に書いてあるので面白い本でもある。
面白すぎて最後の方は読むの止まらなかった。
子育て問題の話も、この話、親は否定したくなる部分も多いだろうし、痛いとこ突かれる部分もあるだろうけど、研究結果として数字が出てる以上、受け止め難い事実なんだよな。今のところ。
ここに親が子を思う気持ちや数字にゃ出ない部分を言いたくなるとこだけど、「子供はなかなか親の言うこと聞かなでしょ?親なら経験あるんじゃない?」で、あぁ、なるほど、、、っと思ってしまった。
救いとしては、親は子にあった環境を選べるっということだろうか。
むしろ、子の才能を引き出し、長所を引き出し、適切な環境で育っていくには「環境(学校や地域など)」こそ大事で、子供にあったこの「環境」を適切に選べるか。親にできるのはそれだけと言うことか。
(どれだけ親が良いと思う環境を子供に提供したとこで、大人には見えない子供のコミュニティがあるから難しくはあるが。。。)
男女平等、男尊女卑、そんな社会のあり方に対して、性差ってのがあって、男は男の役割、女は女の役割が遺伝子レベルで組み込まれていて、女性を軽視するのは良くないし、働きたい女性のために働きやすい環境を作って行くのは大事だけども、「女は家庭」ってのは決して男尊女卑ではないなと。
ただ、多くの人が働きたい女性に「女は家庭」を押し付けると、それは男尊女卑になるのかなと。
逆に言うと、これはこの本の話じゃないけど、世の中の常識として「男は働かなきゃいけない」「金稼がなきゃいけない」ってとこで苦しんでいる男もいて、男尊女卑で苦しんでる女性もいれば、男らしさで苦しんでる男性もいる。
遺伝子レベルで組み込まれてる事でも、中にはイレギュラーもいて、そこに優しくなれる世の中がくればなと。
これに関しては、僕自身の自己中心的な想い。
女性が楽だとは微塵も思わないけど、男だって辛いのよ泣き叫びたい。
女性だろうが、男性だろうが、もしくはその中心だろうが、人それぞれ性別で苦しさや辛さを感じてる人たちがいて、でも、世の中はまだまだ「男だから」「女だから」と2つに分けられ、そこにコミットできない人たちはその陰で苦しんでる。
このコミットできない人たちを遺伝子レベルで研究した時にどんな結果が出るんだろうね。
いや、遺伝子だけじゃなく育ってきた「環境」も調べる必要があるのか。