現代アート作家・ヤマオタケシ(TakeshiYamao)ブログ -56ページ目

現代アート作家・ヤマオタケシ(TakeshiYamao)ブログ

「Stand UP!Monster!!人生を変えちゃうアートを!!!愛のバクダン!!!!もっとたくさん!!!!!落っことすゼ!!!!!!」

リクエストいただいたので絵を描いて変わった事があるかどうかを書いてみたいと思う。


結論から言うと、絵を描いていなかったら、今もきっと苦しんでたと思う。うじうじ人見知りの人間嫌いのまま、何もかも人のせいにして、未だに引きこもっていたと思う。




絵を描くことをきっかけに、絵の勉強だけじゃなく、学ぶこと全てが絵に還元されると思い、いろいろ勉強した。

映画も絵画も、イラスト、漫画、本、音楽、ラジオ、楽器を弾いてみたり、ありとあらゆるジャンルを見たし聴いた。

そしてインプットに疲れ果てた。

だけど、そのおかげなのか、今は昔ほど苦しまずある種の開き直りなのか、さほど苦しまず生きてる。


年齢を重ねれば重ねるほど青少年の時期とは違う現実的な問題にもぶち当たり苦しんではいるけど、まぁ、それはそれでなんとか生きてる。


小学生の時から不登校を繰り返してた。

そして14になって完全に引きこもった。

そこで、苦しみや辛さを忘れるために描き始めた。

最初は漫画の模写から。

描きまくった。描いて描いて描きまくった。

「描かなきゃ、描かなきゃ」と精神的に追い詰めるくらい描いた。

自分で1ヶ月でA4のコピー用紙500枚の束描き切ると目標決めて毎日描いてた。


同情して欲しくて書くんじゃなくて事実だから書くけど、14で完全なる引きこもりになった時は、外出るのも怖くて、玄関から一歩足を踏み出す事すら怖くて、だからと言って家にいたらしんどくないと言えば嘘で、家にいるだけでも毎日吐き気と身体の怠さに襲われ、だるい身体を無理やり起こし、もう描けないと、描きたくないと思いながら、少しでも上手くなりたくて、自分の描けるタイミング見計らっては描いたてた。

描きはじめた瞬間から、吐き気も怠さも忘れて集中できるから。

唯一の救いが描くことだった。


描くことで救われたと思いたいし、描いてきたからこそ自分と向き合い、自分を知り、今の自分がある。

優しいと、良い人だと言われると頭に「???」が浮かぶが、こんな風に生きてきたからこそ、今の自分があり、人に対して優しくいられる自分がいるんだと、我思う。


オチを作るわけじゃないし、僕を評価してくれる人に対して反論するわけじゃないけど、僕が優しく見えたり、良い人に見えたりするのは、僕自身が「なるべくムカつかずに生きていたい」と手探りで探した生き方をやっているだけで、全ては自分のため。


それも、絵を描いてきたからこその思考。


全ては己を救うため。


それが、絵を描いて学んで変化したこと。


最初に書いた通り、絵を描くという現実逃避を14の頃にやらなければ、もう1つ加えるならば、17の頃にテレビで奈良美智と村上隆を観ていなければ、アートという世界を知らずに、何もかも人のせいにして、イライラしては未だに苦しんでいただろう。


なんだろ、とりあえずね、この本好きです。

最初は恋愛体質の女性の思考を解きほぐす内容が進んでいくもんだと思っていたけれども(僕も恋愛体質なんで、フラれたら世界が終わったような感覚になったりする自分がいるんで、、、)、いろんな視点で、いろんな物事を語っていて面白いなと。


始まりの恋愛にしがみつかないに対してのお話なんかは、例に出てくる恋愛にしがみいてる女性達がどうも自分と似ていて痛いとこ突かれるな、、、っと他人事とは思えなくて面白く読めた。


いわゆる、「普通の幸せ」とか今の常識なんかを疑う感じの香山リカさんの思考が好き。


くどくど長く書くのも嫌だし、簡潔にまとめてみると、夢や希望を目指して叶えて、それは素敵な事だけど、それがホントに誰にも当てはまる1番素敵な生き方なのか?

無数に生き方があり、おひとり様、夢のない人、やりたい事が見つからない人、夢が叶わなかった人、それがそんなに悪いのか?


世間一般が決めている普通の幸せが無理ならば、幸せになろうとしがみついてしんどく生きるよりも、今の自分を肯定して、本人も、社会側も、そういう生き方もあるんだと認められたら、少しは楽に生きれるにではないか?っというお話。





ここからは僕のクドクドタイム。


親だから、子だから、愛さないといけないとか、いわゆる家族愛についても書いてあるが、家族愛、親子愛に理想を持ってる人にはドライに感じる部分が多く感じると思うが、書いてある事がまさしくそうであって、本の中の引用をさらに引用させていただくが「親は子を愛するけれど、子どもはそうではない」と。


さらに香山氏の言葉を引用させてもらうと、親も子供も「親だから」「子供だから」といった属性を別にして、まずは1人の人間として生きることを目指した方が良いだろう。

社会の側も、「あなたは親ですか?子どもはいますか?」「あなたは誰の子どもですか?」と親であること、子どもであることをあまり問いすぎない方がよいのではないか。


まさしく、その通りで、「家族という病」じゃないが、まずは自分自身が精神的に自立してないと、いずれ総崩れしちゃうなと。

親が子の心配をする心理が働くのは仕方がないとしても、親は子を一人の人間として認め理性的になりあまり口を挟むべきじゃないし、子は子で、親に口を挟まれたくないなら自立するべきで、精神的にも経済的にも自立しているのであれば、親が作ってきた家族ではなく、自分がこれから作っていく家族や仲間と丁寧に接して生きてく方が良いと考える。


お金にしがみつかない、人間同士の関係性にしがみつかない、いわゆる世間の評価の「幸せ」「成功」にしがみつかない。

いろいろな事に対しての「しがみつかない生き方」を優しく提示している本で、今まで僕は自分に言い聞かす意味でもブログでTwitterで「全ては己のせい」にできるかどうか、幸せになれるかどうかはともかく自分なりに納得して生きていけると書いてきたけど、例えば夢や経済的成功にしがみつかない生き方の所を読んでいると、「全ては己のせい」という落とし所はある他者にとっては物凄く辛い決断になっちゃうのかもと思った。


決して、その辛い状況は自分で選んだんでしょ?だから自己責任でしょ。っと「全ては己のせい」というのは、そういう意味ではないのだけれど、そう捉える人がいるのも事実なのかなと。

病気や、貧困、などなど自分じゃどうにもならない問題もいっぱいあって、極端な話そこに自己啓発的な「頑張れば夢が叶う」っとか、「夢は実現する」っとか、二進も三進もいかない状況の人に自分次第的な思考を提示しちゃうと、相手は相当辛い思いをするんだなと。


僕は自己啓発本が嫌いで、読まないことはないけどポジティブ過ぎて、ひねくれ者の僕には臭く感じるだけなんだけど、僕が「全ては己のせい」と提示するのは、あくまでも日常生活でのイライラや嫌な感情に振り回されないための生き方としての考え方で、改めてこの考えを前面に強調するのは危険だなと感じた。


僕自身は自分の考えを前面に押し出したい人だけども、絵の話をすると、僕の描くくろこちゃんには、もっと優しく、自分の考えよりも相手の話を聞く側にまわり、苦しんでる人達の心の闇を少しでも多く吸い取ってくれたらなという想いです。