おはようございます。
Kikiです。
もうすぐ5月も終わり。
肌寒い日が続きましたが、午後になると夏を感じる日差しになってきました。
来月15日からは、2回目のワクチン接種から2週間過ぎた人たちはマスク着用義務から外れます。
街もぐっと活気が戻ってきました。
2年ぶりにLAの夏が戻ってきそうです。
1年間のロックダウン、本当に長かった。
このひと月、書いてみたいなという出来事はけっこうあったのですが、書きかけてやめてしまうことばかり。
何のために書きたいのか。
なにを伝えたいのか。
もっとも大事なことがまったく鮮明にみえてこなかったからです。
告知するようなこともなければ、誰かのお役に立ちそうなヒントもない。
目立ちたいわけでもないし、忘れ去られてしまわないだろうかという感情も湧いてこない。
けれど、書いてみたいという気持ちはなぜか湧いてくる。
気持ちや思考は、手のひらにのせて眺められないものです。
書き出すという行為で見えるカタチになります。
それを見るという行為で、自分の脳ミソというやつに見せつけて自覚させるために、人は書きたくなるのかもしれないなと思います。
以前よく書いていたのですが、書くということは恥部をさらすような部分を孕んでいます。
単なる私的な気持ち・感想、思想や信念、夢だったりしますし、もしかすると恨みや嫉妬心という恐ろしい感情が書かせるものかもしれません。
私にとって、人の目に触れるところに自分の言葉をカタチにするのは、まずは心が決まらないとできないことのようです。
考えて書いている部分が多いということなのかなと思います。
自動書記のようなレベルにはまだまだだな。
昨今は、満月や新月などに、書くということをする方がとてもポピュラーです。
私ももう長いこと”大事もんノート”に書くということをやってきました。
楽しいことばかり思いつくならいいのですが、失望や怒りや不安というものも日々にはあります。
そんなものさっさと捨てさって切り離して楽になりなさい、といったって、ぼんやりとした形のない感情というものを、エイっと投げ捨てられないから苦しみます。
つらつらと自分語りで恨みつらみを書くという行為。
その感情にリンクした人生の一大事が盛り込まれた、壮大な自分史になるかもしれないです。
夢や目標を言葉にするのも照れくさく感じることがありますが、ネガティブな気持ちを書く、自分のこれまでの生き方をリビューするというのは、人に見せるものでなくてもしんどくて痛みもあるものだろうと思います。
けれどそうすることで、どうにもならない感情という目に見えない魔物が、活字という見えるカタチになって目の前に現れます。
これが私を苦しめているにっくき野郎か!と初めて対峙することになります。
紙に書かれたモノならば、そいつを握りつぶしたり思いっきり破ることができます。
思考や感情は見えないだけに、縛られていることに気づきにくいし、ほどきにくい。
あたらしいところへいこうとする時、なにか書きたくなったりするのは、これまでの自分や今の自分のありようを知るために「自分を形にして確認」したいから。
そんなことを考えていました。
捨てようにも捨てられないのは、形として認識できていないから。
日本では今日、2021年5月28日は数秘術で2の日。
なにかと対峙する2。
見えないものと対峙すると、私達は無意識に恐怖や不安にどんどん栄養を与えて太らせていきます。
お隣の”3”は、”書け”のサイン。
見えないやつの正体をじっくり睨みつけて、スケッチしてやりましょう!
ヤツはどんな野郎ですか?
もしかすると、案外小さくてどうってことないかもしれないです。
今日は、自分を解き放してくれないそいつを、そのきれいな二つのまなこで、よーく見てみる日。
たくさんの情報の中から、自分がいいと思うものを自分で選び取って、
安全で元気で過ごせる、佳き一日となりますように。
Kiki
ジャカランダが咲き始めました。
5月という感じ。
まもなく初夏。
大家さんが庭の桑の実をくれました。
甘くておいしい!
昨夜は、満月の後の日光を集めて灯りを灯しました。
蓋の部分がソーラーシステムになっています。
久々にカードを引きました。
Emergingは、芽吹きの3、って感じですね。
かわいい化け猫。
猫またのようなFig 笑




