大河ドラマの感想コーナー① #光る君へ | わんわん物語

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~異界から目薬~

見ました!

解説もいけそうな気がしてきたけどすぐネタ切れ起こしそうなので感想コーナーということで。

 

今年は毎週はやらないので思ったことがあった時だけ。

 

今年の大河は普段の大河とか歴史モノにそんなに興味が無い層からも注目されてる雰囲気がありまして、ネット上だけでなくわんさんの周囲の友人知人たち(主に女子)からも「ちょっと楽しみ」という見るのか見ないのかわからんコメントがちらほら聞こえております。

 

やっぱり源氏物語は少女漫画にもなってたりしてストーリーを知っている人が多いからだと思うんだけど、男子からは「ふーん」というコメントが多いですね。

 

うちの母も、いつもの大河なら録画したのを見てても途中で用事したりしながら飛び飛びだったのが、さっき見てる途中で出かける時間になったら「帰ったら続き見るから消さないでね」って言って出かけていきました。

 

命を賭けて戦うドラマとは違うテイストのドラマなので楽しみですね。

 

と思ったら初回から殺された!

 

内容やテイストの想像が外されたぞ。

違う意味で楽しみです。

 

さて、思ったことを書いていきますと、まず最初の母が「大丈夫、大丈夫」と言っているシーン、この時代の大丈夫はたぶん違う意味だと思う。

 

平安時代だと戦国や江戸よりもさらに言葉が古いので、仏教が由来の言葉などは今の意味合いではなく本来の意味じゃないとおかしい上に、ググったところによると”大丈夫”という語はもともと仏もしくは菩薩の異名で、さらには”ますらお”偉人や強い人を表す意味の他、曹洞宗の祖の道元が「正法眼蔵」という書の中で師に対する尊称として使っているのが使用例とされ、道元は鎌倉時代の人だから平安時代にはまだ「正法眼蔵」は無く、日本では”大丈夫”という言葉自体が浸透していなかった可能性があります。

 

対してドラマでもやっていた”馬鹿”という言葉は史記に記されている宦官趙高のエピソードが元ネタなので貴族ならばこちらの方が馴染みのある言葉だと思います。

 

秦の始皇帝の側近だった趙高が始皇帝の死後に実権を握り、権力を見せびらかすパフォーマンスとして二世皇帝の胡亥に対して鹿を馬と言って献上し、胡亥はこれは馬じゃなくて鹿じゃないかと言ったのに対して他の重臣たちに馬だと言わせて鹿を馬として押し通した故事ですね。

 

横山光輝のマンガ「項羽と劉邦」にも描かれているシーンなので知ってる人も多いかと。

 

父がまひろに読み聞かせていた部分がこれですが、最初に読んでたのは三国志かな?臥竜孔明って言ってるような気がした。

多くの人が知るストーリーの「三国志演義」はまだ無いので歴史書としての三国志の方ね。

 

今現在予習で源氏物語を読んでるんだけど、源氏物語にあるシーンもちらほらドラマに見え隠れしていました。

 

上述の書物もそうだけど、父が漢詩の学者ということで源氏物語の中にたくさんの書物からの引用があるのもそうだし、今でいうロマンチックという語を「昔の小説みたい」と表現しているところからももたくさんの書物を紫式部は読んでいたんだと思わせられます。

 

親戚の藤原宣孝が父為時に対して「なまじ学があると誇りが高くていかん」というのは源氏物語の”雨夜の品定め”というシーンで話されてる内容にありました。

 

宿直(とのい、宮中の夜勤)してる男子が集まって、好みの女子のタイプについてあれこれ言い合うシーンの中にあったコメントの一つですね。

学がある、才がある女子は可愛げが無いっていう話ですが、他にも”貧乏そうな家にこんな美人が!?”っていうのに萌えるみたいな話をしていて、こういうのを素直に聞いた源氏が学はあるけどちゃんと清楚な女子を探したり、貧乏な建物だけど美人が住んでるって噂の家を訪ねたりするわけですが、貧乏なシーンがリアルなのは紫式部の実家を貧乏に描くことによって辻褄を合わせるのですね。

 

そして、道長との出会いは、源氏物語でも教科書に出てくる有名なシーンになぞらえたのですね。

 

「若紫」の”すずめの子を犬君が逃しつる”って言って幼い若紫が出てくるシーンで、源氏と若紫の出会い(直接出会うのはもっと後だけど)の印象的なシーンです。

 

籠の雀が出てきた時点で逃げるんだろうな、とは思ってたけど、これを道長との出会いに使うのはお約束的な演出なので美味しいですね。

 

「伏籠のうちに籠めたちつるものを」がどういう状態かわかって良かった。

 

大納言の藤原道隆家と無職の藤原為時家を描くことで平安の上位貴族と貧乏貴族を同時に出して平安時代全体の殺伐とした雰囲気とのんびりした雰囲気を演出していましたが、突然のバイオレンスで展開がさっぱり読めません。

 

ただ、道兼のバイオレンスの方がどちらかというと当たり前の気がします。

源氏物語にも”卑しき身分の人たち”というのが出てきて、貴族とは違う人種のように描かれています。

 

源氏物語の中では源氏はそんな人達にも優しく、またそんな人達をも感動させる美しさを持っているのですが、小説ではない部分ではどう描かれていくのか、、、

 

次回どうなるのか、お楽しみに!

 

同時進行で源氏物語の読書感想文も書いてくのでそちらもよろしくです。