読書感想文 源氏物語 与謝野晶子訳② | わんわん物語

わんわん物語

~異界から目薬~

前回のブログでは本編ストーリーに入れませんでしたが、今回も入れるかどうか、、、

現在は澪標まで読みました。

早く本編に入りたい。

 

一応これは書いておいた方が良いのかな?

このブログは源氏物語のネタバレを含んでおります。

 

ググればネタバレだらけだしwikiには各巻ごとのあらすじもあるけどね。

 

源氏物語を読んでみて、これ史書だと思って読むとなかなかに面白い。

 

もちろんストーリー自体はフィクションなんだけど、書かれた当時の貴族の生活や考え方、民俗、風習などがよくわかるのです。

興味深いのは1000年前に描かれたフィクションに「現代」とか「近代的」っていう表現が出てくることかな。

 

与謝野晶子訳なので原文では何という単語をそう訳したのかわからないけど、平安時代中期における、当時既に時代遅れと思われていた文化や風習と、新しいと思われていたそれがあるわけで、たとえば和歌の言葉遣いだったり衣服だったり建物、家具だったりと色々なものに「現代」「近代的」という表現が使われていて、そういったものを取り入れるセンスを持った源氏は頭が良くてイケメンなだけでなく、時代の最先端を行く人でもあったわけですね。

 

源氏物語の中で源氏、光る君などと呼ばれる主人公、現在では光源氏と呼ばれていたりもしますが、源氏物語ではほとんどの登場人物に固有の名前がありません。

 

諱(いみな)は避ける風習があったというのは知識では知っていても、なんだかんだで戦国時代には結構呼ばれていたり他人にバレバレだったりして実感が無いのだけども、源氏物語の中では諱はほぼ出て来ず、登場人物同士でも知らないまま恋人関係を続けていたりします。

 

呼び名は官名か、あだ名的な名付け方をしています。

が、セリフとして相手の名前を呼ぶシーンが無いので、実際に呼ぶ時はどうしてたんだろう、と思います。

 

例えば最初の恋人の六条の貴女(後に六条の御息所と呼ばれるようになる)は、本人がいないところでの他の誰かと会話の中では六条の貴女と呼ばれますが、本人を呼ぶ時に六条の貴女とは呼ばないのです。

 

そういったところもなかなかに興味深い慣習だよね。

まあ、登場人物のだいたいの名字が藤原さんだったりするからかもしれないけど。

 

源氏物語を読むにあたって、平安貴族の常識を理解していかないとなかなか面白さがわからないと思います。

 

どういったことが悲しくて、どういったことがロマンチックで、どういったことを楽しみに生きているのか。

 

食事にしても「豪勢」とか「貧しい」とかいう表現は出てきても具体的に何を食べていたのかはあまり書かれていません。

 

基本は米だと思うけど、野菜はどんなものがあったのか、汁物にどんな具があって出汁はどうしてたのか、肉はたぶん無いかあっても鴨とかの鶏肉だと思うけどそれは豪勢なうちに入るのか、魚は鯖街道とか当時にはもうあったんだっけとか、調味料は、、、味噌はあったはずだけど現在とはだいぶ違うものだと思うし、醤油は無いので魚醤なわけで、酢はあった。

砂糖は超絶希少品な上に薬扱いだったので調味料としては使われていません。

 

なので調味料の”さしすせそ”のうち塩と酢しか無いんだけど、”そ”は蘇というチーズがありました。調味料扱いかわからないけど。

奈良に行けば復元したものが居酒屋にあったりお土産屋で売ってたりします。結構美味しいけど高い。

 

夢枕獏の「陰陽師」を読むと安倍晴明と源博雅はやたら鮎ときのこを食べながら酒を飲んでるのですが、晴明は従四位下、博雅は従三位なので光源氏よりはだいぶ下ですが、鮎ときのこってどうなんでしょうね。

 

きのこの種類も、酒がどんな酒かも書いてませんが。

 

大河では食事シーンも出ると思うので、どんなの食べてるか注目してみるのも面白いと思います。

 

食事の他にも興味深い習慣として、病気になると当たり前のように僧を呼んで祈祷します。

医者や薬師ではなく僧で、僧を呼ぶのが何よりの手当で、僧を呼んでもらった病人やその親族もそれをありがたがります。

 

それが戦国時代には医者が活躍するようになるし、家康が薬作りが趣味だったように薬の効能も認知されていくので

 

そして、割とぽんぽん死にます。

 

だから少しの遠出でもいつ死んでしまうかわからないからすごく別れを惜しむし、ちょっと会えないだけども悲しがります。

 

それに加えて、男性が女性の家に通う形の恋愛関係で、男性は複数の女性と恋人関係を持っている(女性も複数の男性と恋人関係を持っているけど)ので、男性が来るのをひたすら待たなければならないので次いつ会えるのかもわからないわけです。

 

源氏はたくさんの女性を恋人にしますが、会いにいけなくてもマメに手紙を送ったり生活の支援をしたりしているので、節操なく手を出しているのに「誠実な人」という表現がよくされています。

 

それ誠実なんだ、っていう目から鱗。

 

持論だけど、古来の慣習はその時代では合理的であったという前提で考えると、それが無用の形式だったり悪習だったりする偏見が抜けて、当時の人々がどのように暮らしていたか見えてくるように思っています。

 

通い婚システムも、その家の当主が死ぬと嫡男に全財産と全権が継承されてしまって当主の兄弟、嫡男の兄弟には何も残らないという相続制の上で、譲られる財産が無い多くの女性が生活できるように保護されるシステムだったのではないかと考察できたりします。

 

それが武士の時代になると男性の家に入るようになり、現代ではそんなの関係無くなったのは時代の変化や文化、技術の向上によって古いシステムを続ける必要が無くなって、というか古いシステムが非合理的になって新たに合理的な方法が採られるようになったからではないかと思うわけです。

 

夫婦別姓の議論も合理上の話からだと思うけど合理を目指すならマイナンバー管理にしてもはや名字は不要だと思うわけですが、合理的なだけでは情緒も何もなくなってしまうわけで、その辺のバランスがね、その時々のシステムの便利なところと便利じゃないところの狭間にロマンスが生まれるのです。

 

通い婚だから財産を持つ男性が多くの女性を支えられる一方、他の女性に一辺倒になったり別れたい時は通わなければいいということで恨みを持ったり嫉妬心が強くなったりで丑の刻参りをするように、は陰陽師か。

 

生霊になって無意識に呪っちゃったりする話が夕顔の部分で、このシステムの中で幸せになる人ならない人がいて、源氏は精一杯マメに恋人に気をかけているのに思い悩むことになってしまう物語ができるわけですね。

 

ちなみに貴族性も合理的な制度で、儀式や祭礼をメインに政(まつりごと、祭事)としていた当時では、各家ごとの役割があるのと過去の儀式の様子を記した日記を保持していることが重要なことでした。

 

病気の時に僧を呼ぶというのと同様に神に祈りを捧げることが国の大事であって、儀式の流れの他に服や装飾品の色、食事の内容、酒を注ぐ順番など細かいところまで上手くいった例と同じにしなければ、災害があった時に儀式が悪かったからだと朝廷の信用が落ちてしまうのです。

 

おとといの地震でもSNSで自民党のせいといって叩かれた人がいましたけど、当時はリアルにそうなることになったので、それぞれの役割の細かな記録を持っている家は代々その記録を絶やしてはならなかった、という点で日本の貴族性は合理的だったと言えるわけです。

 

で、低い位の貴族は儀式や宴会の雑用係なので、もっと良い役割を得られるようにがんばらなければならないし、雑用係だと代わりがいるから貴族の地位を失わないためにもがんばらなければならない。

 

上の方は上の方でそういった低い位の貴族を抱えた派閥を維持しなければならないので権力争いをしていて負けたら自分の派閥の人たちが困ってしまうからがんばらなければならない。

 

ただ、源氏物語の中では何をがんばってるか具体的には書かれておらず、源氏も仕事してるのかどうかよくわからず女性と遊んで、遊んでるのに悩んでる、みたいなよくわからない話なんだけど、わかるためには上述のような貴族の常識を踏まえていかないといけないわけです。

 

読んでるうちにだんだん把握してきたので面白くなってきたのですが、わかってくると感動できる部分が増える反面、どうなのそれっていう酷い話があったりで感想が迷走していきます。

 

次回からは本編の感想に入れると思うので、次回もお楽しみに!

 

今年の大河も始まるから大河の感想も混ざるかも。