わんわん物語

わんわん物語

~異界から目薬~

なんとか準備できたのでやっとブログ書ける!

 

いろいろあって新体制始動ライブの詳細が遅くなってみんなに心配と迷惑をかけてしまったことにまずお詫びしたい。

ワンマンやるのにお詫びから入らなければならないことになってそれも申し訳ないんだけど、いろいろあった部分の説明もできてなくてその部分も反省してます。

 

久しぶりに会える人たち(配信の画面越しの方がも含めて)には楽しく会いたいので、ライブの前に自分の気持ちをちゃんと伝えたい、と思って今日のブログを書きますね。

 

なでしこのみんなにはおれの発信不足で、何も言わなかったせいで悪い解釈や誤解があって気分悪くさせてしまった部分も多くあると思うので、素直な気持ちを書きます。

 

まず、新体制始動で一番に優先したのは、早くライブを再開する、ってところでした。

早くみんなに会いたい、早く楽しいライブをしたいっていう一念でめっちゃがんばって準備しました。

 

キート君が5曲覚えた時点で衣装もアー写も音源も無しのままクオリティも無視してライブやっちゃおうか、とも考えたんだけど、メンバーで話し合って準備はしっかりした上で一刻も早くライブをやる、ということになって、ギリギリにならない程度に余裕があって一番早くできるところで、6月にキート君の誕生日があるのでそこにしよう、ということにしました。

 

もっと時間をかけるならば新曲でのPVと音源を引っ提げて発表したかったけど、それだと曲を作って演奏で合わせられるようになるのに1か月、そこから曲に合わせた衣装を作ってレコーディングとPV撮影の手配をすると更に2か月、早く見積もっても3か月は遅くなってしまうのです。

 

シンデレラキャッスルは作詞作曲編曲と事務作業全般は基本わんさん一人でやっているので、新曲を作り始めると作ってる間の全ての準備がストップしてしまうということもあって、新曲はもうちょいお待ちください。

オープニングSEとMC中のBGMは新しく作りました。

 

あと新しくなった部分は、以前からリニューアルしたいと思っていたロゴとバサッシーです。

ロゴは、別に以前のはもう使わないというわけではないのですが、デザイナーの浅沼先生が描き直したいと言っていたので、新しくするならこのタイミングが良いかな、ということで新しくなりました。

 

バサッシーも、既製品にちょこっと飾りをつけただけの馬だったので、オリジナル感を出したいと思って衣装さん衣装と一緒にに頼んだら、世紀末になって帰ってきました。

 

それと変わるのは、ボーカルが新メンバーになったことに伴う部分です。

 

の前に、デリケートな部分なのであまり触れてこなかったけどロキ君の脱退についても改めて。

脱退発表の文にある以上のことは本当に何もなく、本人のモチベーションが維持できなくなった、話し合いの時に言ってたそのままの言葉だと「どうしてもやる気が出なくなった」ということなので、一昨年の年末から去年の9月までなんとか引き止めてましたが、シンデレラキャッスルがもっとお客さんを増やし、次の音源をリリースし、もっとメディアに出演する機会を増やしていく活動をしていくに当たってボーカルのやる気が出ないのではそれは不可能だしお客さんにも協力してくれる関係者にも失礼、と判断し、ロキ君の意思で、話し合いの上で脱退となりました。

 

「燃えろ俺の本能寺」1曲だけの状態から手探りでシンデレラキャッスルのスタイルを作り上げて、動員も0から始まったのが徐々にライブに来てくれる人も増え、他のバンドのお客さんも楽しんでくれるライブができるようになって、あとは歌をプロレベルにまで上げられれば、具体的には仮にテレビに出られればテレビで歌っても大丈夫な歌が歌えれば、というところでした。

 

あのままがんばってくれていれば、今日、フルアルバムがリリースされてロキバースデーワンマンになっているはずでした。

 

活動開始時はロキ君と二人で毎週レコーディングして毎週死に物狂いで編集して無料音源リニューアルしたし、ボイトレ代もおれが出したし、歌の成長は時間がかかってもライブは楽しくできるようあらゆることを工夫して作ってきて、やっとたくさんの人が「シンデレラキャッスルは楽しい」って言ってくれるようになったところでの脱退なので、ロキ君の脱退は悔しいし悲しいし怒りもあるし、この気持ちはどう言っても誤解を生むので言うに言えないし、ということで触れられませんでした。

 

そしてボーカルを探し、キート君が加入してくれたんだけども、キート君はバンド経験あまり無いんだけどふとしたきっかけでビジュアル系のライブを見て、自分もビジュアル系をやりたいと思って関西に住んでたのになぜか上京してきたっていうやばいヤツです。

 

だけども、これからビジュアル系をやりたいっていう、ビジュアル系の宝なので大事にしたいと思います。

 

振り付けも今までほぼわんさんが作ってたのを自分のイメージで新しくしてくれたのもあるし、デザインも積極的にやってくれるし、シンデレラキャッスルの核の部分は変わらないんだけど、ボーカルが変わればある程度は変わる部分もあります。

 

そのあたりもいろいろ考えて、もう全く何も変えずにロキ君と同じようにしてもらうのか、もっといろいろ変えて曲は同じでももっと違うスタンスにするのか、いろんな選択肢がある中でシンデレラキャッスルのスタイルとキート君のイメージを上手く融合させていく方向を選びました。

 

そもそもキート君が加入する前は、女子目線の曲が多いからいっそのことボーカルを女子にしてしまおうとか、ビジュアル系じゃなくてもいいんじゃないか、とかかなり幅広いところまで視野に入れて考えました。

それでメンバーと話合って引き続きビジュアル系でいこうと決め、キート君が入ってからはキート君がやりたいイメージも織り交ぜてたくさん話して決めました。

 

なので、これからみんなに見せていくシンデレラキャッスルは、メンバーみんながやりたいと思ったスタイルです。

 

とは言っても、いかんせんまだちゃんとライブをやっていないので、やる前からこう言うのもなんだけど、ライブのクオリティはやってみないとわかりません。

楽しくできた去年の9月までのところに追いつけるよう精一杯がんばってきたけど、まあ、ここまで赤裸々に書いててここだけ言葉濁してもしょうがないので言うけど、マジ最高のライブやってきたからあそこまでいくのは時間かかるわ。

 

2月にお客さん無しで撮影だけやったライブ(物販購入特典DVDの撮影)、5月にシークレットでやったライブはそれぞれギクシャクギクシャクでした。

 

この2本は、わんさんがチキンだったので始動前にライブをやって練習したかったからやったのね。

2月にやったのは、PVとアー写撮影前に衣装着てメイクした状態を確認したかったから。

この日初めて新衣装でキート君のメイクした状態確認したので、撮影してから髪型とかメイクとかイマイチとかなったらあわあわしてしまうのでね。

 

5月のは、お客さんいる状態でライブやってみてどうか、というところで。

みんなには少しでも良い状態のライブを見せたいので。

 

それが6月16日にどこまで上がってるか、ご期待くださいませ。

 

ちなみに、振り付け動画は振り付けが変わったから作ったってのもあるけど、6月16日やるからその前に曲を知っておいてもらいたかったから作りました。

これでワンマンにならなければ6月16日にやる曲全部事前にyou tubeにアップできてたんだけどなあ。

 

それと、ロキ君の動画をオフィシャルサイトからなくしたのはキート君がボーカルになって新たにシンデレラキャッスルを知った人たちが混乱しないようにするためです。

 

ロキ君の動画はこちらに残してあるのでブックマークしておいてください。

http://www.cincas.net/movie~20214.html

 

あとライブの前に伝えておきたいのは、、、重ねて言うけど急にワンマンになってほんと申し訳ない。

始動の準備に専念したくてイベントの制作(会場の押え、対バンのブッキング、広告等)をイベンターに任せたんだけど、対バンのブッキングの部分だけ、緊急事態宣言の兼ね合いなのかどのバンドも6月半ばは既にスケジュールが埋まっていて揃わない、ということでギリギリまで粘ったけどワンマンになりました。

 

スタジオでノンストップ全曲リハとか筋トレみたいなことしておいて良かった。

 

とにもかくにも、早くみんなに会いたいんじゃ!

やれることは精一杯やった。

上手くできなくても楽しくできる。

 

よろしくだ!

 

 

まあ、来年のもできんけど。

 

渋沢栄一、教科書的な知識しかありません。

でもね、詳しい人がたくさんいる戦国時代やメインの部分の幕末の話とは違って詳しい人がほとんどいない分、いろんなテレビ番組で渋沢栄一について触れてる番組があって、そういうの見てると、渋沢栄一がいかに身近なことに関わってきた人か、普段の生活で便利なシステムを作り上げた人かがわかってどんどん大河が面白くなってくるわけですよ。

 

銀行を作った人っていうのは知ってた、っていうか高校で歴史の勉強をちゃんとやってた人でも知ってるのはそれだけ、って感じなんだけど、先日ちこちゃんに叱られるでやってて「預金」と「貯金」って言葉を作った人でもあるとのこと。

 

ちこちゃんに叱られるでは「預金と貯金の違いは?」って話で答えは郵便貯金と銀行預金なんだけど、その中で、貯金はsaving(saveの名詞形)に漢字を当てたもの、預金はdeposit(デポジット、預ける)に漢字を当てたものだそうで。

 

ちなみに、もとは郵便貯金は個人が利用するもの、預金は企業が利息を得ることを目的に預けるものだったのが、現在では給料が銀行振り込みになったためにほぼ区別がなくなったって言ってました。

 

他にもブラタモリでは渋沢の地元の埼玉県深谷を特集していて、東京駅にも使われている深谷レンガも渋沢栄一が作った会社で、良質の素材である深谷レンガを運ぶために鉄道も整備したりとか、いろいろやってるのですよ。

 

渋沢栄一が起業した会社の多くは銀行やライフライン関係のガスや電力、交通や運送関係の鉄道や海運、などで、今や無くてはならない企業がたくさんあるのです。

 

で、ドラマはドラマで、よく知ってる幕末の舞台裏の話な感じでそれも面白いのですよ。

維新志士や新選組、薩摩や長州や徳川慶喜が精力的に活動していく中の、庶民の話。

 

渋沢栄一は染料の藍を作る百姓の家の生まれで、藍を育てて、染料に加工して、販売する生活をしていました。

そういう生活って狙って調べないと知ることができない部分の歴史なので、ちゃんと考証が入って演出されているのは勉強にもなるわけですよ。

 

わんさん大学は歴史学科卒なんだけど、大学では一年生の一番最初に「歴史とは何か」(岩波新書)という本を全員読まされました。

 

さっぱり面白くない本なので歴史学科の学生じゃなければ読まなくていい本なんだけど、要するに、「歴史」っていうワードの概念の話なのです。

 

民衆個人の生涯やそれを記録した日記は「歴史」ではないけども、偉大な業績を残した人のそれは「歴史」となる。

それは社会や多くの人に影響を与えた事績、今に繋がる何かを行った人物の生涯を紐解くことは古代から現在までの繋がりの中で重要なパーツとなるから。

 

同じく民衆個人の生涯やそれを記録した日記は「歴史」ではないけども、たくさんの民衆の日記を集めて整理して編纂すれば歴史となる。

それは歴史の流れの中で形成されてきた社会であり、その変遷を辿って現在に繋がっているから。

 

学校で習う「歴史」とは主に政治史と文化史、ちょろっと民俗史なわけだけど、それぞれ交わってるはずなのになかなか交わらない、というか交えてしまうと学問的に話があっちこっち飛んでわけわかんなくなってしまうので、歴史とは何か、って部分で民俗的なこと、庶民の生活の部分は省かれてしまうのですね。

 

で、重要だから載せておかないといけない庶民の生活の部分は、メインが政治史だから政治の影響を受けてどうなっていたか、っていう記述になってしまう。

 

だから、現在のコロナ禍もいずれ歴史の教科書に載るんだろうけど、

「感染拡大を防ぐ様々な政策が採られたが、民衆は不満を持ってあまり従わず、感染が拡大した」

というような記述になるんじゃないかと思います。

 

けど、リアルタイムで現在を生きている我々は、いろんな立場の人がいて、感染拡大を防ぎたい政府の人や研究者、現場で奮闘してる医療関係者、感染予防の政策によって仕事を失ってる飲食店やエンターテイメント業の人たちやその関連業種の人、命に関わる疾患を持ってる人や高齢者やそういう人と同居してる人、我慢が限界になってる子供をどうにか遊びに連れていきたい親、学園祭や修学旅行もなくなってしまった学生など、ただ「不満を持ってあまり従わず」で片付けられないということを知っているはずです。

 

そういうところを研究して掘り起こし、人類の知識や経験として未来に残すのが歴史という学問であって、壮大な話になっちゃったけど今年の大河では幕末のそういうところの一部分が見えるのかな、って思っています。

 

埼玉の百姓が世の中の不条理に立ち向かっていく話、なかなか面白いですよ。

 

藍農家として家を継ぐべく父の仕事を学んで成長したが、農民という身分や政治体制で不当に扱われ、一方で外国に開国を迫られ、攘夷思想が流行してその思想は農民にも浸透し、世のためになる働きをしたいと決意して家を出た、というところまで話が進んでいます。

 

いよいよ慶喜と出会うのだろうか、というところで次週なので、次回もお楽しみに!

 

 

 

 

ありがとおおおおお

 

急ピッチの準備、すげえ大変だったけど、みんながたまにシンデレラキャッスルの話をツイートしてくれるの見てがんばれました。

それでも半年かかっちゃったけどね、キート君含めてメンバーでいっぱい話し合って衣装だったりレコーディングの選曲だったり決めました。

 

今までのシンデレラキャッスルもすごく面白いことやってきたから大事にしたいし、でもシンデレラキャッスルでボーカルやりたいって言ってくれたキート君のスタイルも活かしていきたいので、押し付けにならないように上手くお互いのやりたいことを融合させて更に面白いことができるようになりたいな、って思ってるのですよ。

 

というわけで、改めまして、告知どーん

 

MVはこちら

 

 

昨日の新ボーカル加入会見の配信でもいろいろ紹介したけど、キート君もすげえがんばって曲を覚えて練習して、歌い方の注文にもすぐ応じてくれて、まだボーカル経験が少ないんだけども急ピッチで成長しています。

 

既にこのMV録った時より3倍くらい上手くなってるのよ。

 

もともと初めて歌聴いた時から音感はすごく良かったので歌い方のニュアンスを注文していくだけで良いんだけど、最近はこちらの注文の感じにも慣れてきて対応がすごく早いのね。

 

それで曲調や歌い方を理解してもらってさらに自分なりの歌い方を見つけてくれたらもう最強のボーカルになると思うのよ。

粗い部分もまだまだいっぱいあるけど褒め始めたらキリがないくらいなとっても素敵なボーカルなのですよ。

 

だからこれからがすっごい楽しみなのね。

なでしこのみんなにも、キート君のファンにも楽しんでもらえるライブにできるよう、6月のライブの準備もがんばる。

 

何より今一番楽しみなのは、またみんなに会えることだけどね。

どんだけ笑わせられるか、腕が鳴るぜ。

 

新体制シンデレラキャッスル、略して新デレラキャッスル、ご期待くださいまし。

 

というブログをキート君のキャス聞きながら書きました。

 

 

 

前回の麒麟が来るの解説最終回、結局本能寺の変の理由は「なんでしょうね」で済ませてしまいましたが、それは「わからない」ってことではなく、知られることの無い理由、現在見つかっている史料からは断定できない理由があるっていう結論なので、大河は終わってもまだまだ研究と考察は続けますよ。

 

光秀が信長を殺した理由を公言していないのは、多くの人が賛同して味方を集める理由ではなかったから。

秀吉に滅ぼされたのに共謀者がいた証拠が出なかったのは共謀者がいなかったから。

秀吉に滅ぼされてしまったのは、信長を殺した後、他の織田勢力を倒す算段、味方を集める計画ができてなかったから。

 

ならば、松永や荒木のように反信長勢力と組んで籠城してしまえば、丹波は攻略するのに4年もかかった地なので織田政権の天下統一を阻むのであればその方が成功率は高かったかもしれず、また、信長の嫡子信忠も討てたのはほんとラッキーだったので、目的は織田政権を破壊することではなく、信長個人の命だったと推測しています。

 

だから、緊急に信長を殺さねばならない理由があったんだと思っているので、合理的な理由、大儀のある理由では無い可能性が高く、そうなると史料ではわからないから結局推測するしかない、ってことになるんじゃないかな、と。

 

例えば、桶狭間の戦いで実は今川義元は信長が討ったのではなく、出陣中に病死していて、そこに信長が攻め込んで、たまたま死んでいたのを討ち取ったことにした、という説があります。

 

本能寺に同じ状況を当てはめるのはかなり荒唐無稽ですが、本能寺を脱出した人の手記でも出てこない限り完全に可能性を否定できない話です。

 

という、光秀が京都付近を通ったらたまたま信長が死んで、状況的に最近ずっと信長と揉めてた光秀が殺したんじゃね?みたいなことになってやむなく謀反になった濡れ衣説。

 

他にも信長がすっげえボケちゃってもう危なすぎて殺すしかなかった、とか。

 

逆に光秀を殺す謀略があって本能寺に呼び寄せたところで殺されてしまった、とか。

 

だから、状況だけじゃなくて、心理の描写が大事だと思っていたところ、大河ではそういう作りになっていてとても面白かったのですよ。

 

今日から始まる新しい大河はほぼ予備知識がないので、どんな話なのかとても楽しみです。

 

あと1時間半、お楽しみに!

 

 

 

 

 

見ました。

良いラストでした。

 

とりあえず、ネタばれを含んだブログになるのでまだ見てない人は最終回見てからこのブログを読んでね。

 

実は光秀は生きていて家康の側近として江戸幕府を支配した天海という僧になったっていう嘘かほんとかわからない説がありますが、その辺を上手くぼかした”生きてるかも”っていう終わり方は希望があって良いですね。

 

大河での光秀の謀反の動機、将軍殺害命令はいろんな状況を踏まえて、わんさんもかなり可能性が高いものだと考えていました。

 

多くの黒幕説、陰謀説がありますが、わんさんは黒幕はいないと思っています。

 

そもそも黒幕説や陰謀説は、本能寺の変の後、光秀があっけなく破れてしまうことから光秀本人には信長を殺した後の展望がなく、誰かが光秀を操って信長を殺させ、その後に自分が天下を支配しようとしたんじゃないか、というところが根拠になっています。

 

が、以前ブログでも書きましたが、本能寺の変の成功率、ましてや後継者の信忠も同時に殺せる確率は非常に低く、信長が脱出に成功していれば、もしくは信忠が後を継いで織田家臣全力での仇討ち戦となれば、光秀もろとも松永さんや荒木さんのように一族皆殺しになってしまうわけです。

 

そうならなかったのは、光秀単独での謀反、なおかつ、同じ謀反でも松永や荒木のように挙兵して反信長勢力と組んで籠城という手段ではなく、信長を殺すという手段に至ったのは、信長に代わって天下を獲るのではなく、信長を殺すことだけが目的だったと考えるのが妥当だと思うのです。

 

ならば、なぜ信長を殺さなければならなかったのか、と考えると、大好きな将軍義昭の殺害命令、ドラマでもそういう設定になっていましたが、秀吉への援軍に向かう途上に将軍がいるのだから、途中で殺せ、という命令はあり得るわけで、光秀がそれを阻止するためだけに信長を殺したというのが最もあり得る可能性が高い動機になると思うのです。

 

ただ、この考察にも穴があって、将軍殺害を阻止するために信長を殺したのであれば、本能寺の変の後に光秀が味方を集めるにあたって最も宣伝効果のある事実なわけだから、そういう風に宣伝すれば良かったのです。

 

というか、たとえこの説がハズレで別の理由があったとしても、「信長が将軍を殺そうとしたからそれを阻止するために信長を殺した、これからは自分が将軍を支えて天下を治める」と嘘でもそう言えばかなりの勢力が味方になったはずなのです。

そして、本能寺の変の後にはまず何よりも強引に拉致でも将軍を京都に戻すのが絶対にやらなればならないことなはず。

 

そうしなかったのは、それを思いつかなかったか、嘘でもその理由をつけたくなかったか。

 

また、いくら信長でも、将軍との関係を知っている光秀に将軍を殺させる命令は出さないだろうし、敵対勢力に対して優勢な状況で今まで生かしておいた将軍を殺す理由も無いっていうかデメリットの方が多いし、どうしても将軍をおとなしくさせたいのであれば捕らえて幽閉で十分なので、大河の説は一旦は考えたけど矛盾があると思います。

 

 

あと、近年で有力説の家康殺害命令が出てたという説の根拠が、1万を超える軍勢が京都に来たら本能寺囲まれる前にわかるだろ、っていうのがあります。

 

いくら手薄にしてたと言っても見張りがいなかったわけではないだろうし、甲冑を着た軍勢の行軍はかなりの音量になるという再現もテレビでやってました。

 

だから、明智軍が京都に来ていても不審に思われない理由が必要になります。

 

以上の、

・黒幕や共謀者がいたら、失敗したらバレるし成功したら光秀が自分で宣伝するので絶対証拠が出てくるので単独での謀反

・本能寺の変は信長を殺すことのみを目的としていた

・京都に明智軍1万3千が来たら本能寺が囲まれる前にわかる

というところから、

・信長、織田政権のやろうとしていることを阻止したかった

・まだ表立っておらず、確証のないところで謀反の理由となる宣伝文句に使えない

・軍勢を京都に入れても不審に思われない

そういう理由を考察すると、

 

 

何でしょうね。

 

 

合理的な理屈や理由で考えるとわからないのです。

黒幕が将軍説、朝廷説、秀吉説などどれを取っても、本能寺の変の後にそう言えば良いし、仮に嘘でもそんな感じのこと言えば良かったのですが、言わなかったのは違うからでもあり、嘘でもそういうことは言いたくなかったからです。

 

秀吉が猛スピードで引き返してきた時に、実は秀吉と組んで大儀のために信長を討ったのに秀吉に騙された、って言えば秀吉の天下なんて無かったのに。

 

京都に軍勢を入れても不審に思われなかったのは、閲兵のためとか信長が丹波衆を目通りさせるためとかいろんな理由がつけられるからどうとでも想像できるので、ともかくも光秀が軍勢を率いて京都に来てもそのまま謀反すると想定してなかった理由があるわけですね。

 

となると、極めて個人的な理由になるわけで、「燃えろ俺の本能寺」の歌詞にしてる嫉妬っていうのは否定できる根拠が少ないわけです。

実はあの曲、ここまで考察して作詞してます。

 

もしくは、身内を殺されそうになってたとか。

例えば、確かな史料はないけど親しかったであろう帰蝶や、史料には出てこない名もなき人だけど信長の身辺に仕えていた親しい人。

 

光秀の人柄を考察すると怨恨説っていうのは取りたくないのですが、怨恨ではなく、大切なものを守るために信長を殺したのではないかと思うわけですよ。

 

小学生の時、社会の時間のちょっとしたアンケートで「好きな武将とその理由を書いてください」ってのあって、「明智光秀、いきなり裏切るところ」って書いたのを覚えてるんだけども、人から見たらいきなりでも裏切った人にはとても大事な理由があったんですね。

 

光秀は将軍大好きだし、信長も大好きだし、朝廷の人たちもみんな好きなんです。

すごく顔が広くて、みんなを大事にしてきました。

 

だからこそ、大切な人を守るために、信長一人を殺すことを選んだんじゃないかと思います。

 

と言っても、殺したのは信長一人ではなく、親族の帰蝶の子にもなっていた信忠もいるし、旧主斎藤道三の末子で織田軍の主力武将にもなっていた斎藤利治もいます。

 

それらを殺してでも守りたかったものは、証拠が出てこないからには証拠が出ないところにある、と考察していくべきだと思うのですよ。

 

そして、大河のラストの光秀生きてるかもの匂わせ、素敵でした。

 

普通に考えて、もう一度言うけど普通に考えて、国主クラスの大将が落ち武者狩りの農民に殺されるってある?って話ですよ。

 

まあ、普通に考えたら本能寺の変で天下の主が側近や大臣クラスの内閣と後継者もろとも一網打尽に全員討ち死にってあるかって言ったら無いんんだけども、山崎の戦いに負けた明智光秀が坂本に逃げ帰って何するって考えると、既に信長を殺すっていう目的は達したのだから自身が天下を治める野望はないけど秀吉が天下を治めるのは嫌だってところで、親交があってなおかつ秀吉に負けない勢力に身を寄せるのが妥当なところだよね。

 

ならば、天海になった説も有りだよね、って思うわけです。

 

いろいろあった大河だったけど、描き方や着眼点、プッシュする部分など面白くて名作だと思います。

 

次回の大河は解説できるかわからないけど、言いたいことがあったら書いてこうかな。

 

わんさんの主張は「歴史はロマン」なので、いろんなことを想像することに醍醐味がある!

 

明智光秀、本能寺の変、ロマンたっぷりの素晴らしいお話です。

 

次回もお楽しみに!

 

 

 

もうね、仕事が壊滅的になっております。

今どきのミュージシャンの仕事は多岐にわたっておりまして、自分の担当パートを弾くだけではもちろんダメなのです。

 

自分のパートのアレンジはもちろん、レコーディングも自分でできなきゃダメだし、レコーディングしたら編集もしなきゃいけないし。

わんさんは加えて作詞、作曲等もあるし、シンデレラキャッスルは総合的にプロデュースしてるので、いろんなことができなきゃいけないわけですよ。

 

本格的なレコーディング用に全パートのデータをエンジニアさんに提出できる形にしたり、CDプレス用のデータにしたり。

いろんなことに対応できるようにいろんなソフトウェアを使うので、10にして使えないソフトが出てくるとかなり大変なことになるのです。

 

ついでに言えば、音楽以外にもデザイン関連で画像編集、ウェブ編集もやるし、専門でやってるプロの人とデータをやり取りできる程度はいろいろできなきゃいけないし、映像も作ったり編集したりするし、てんやわんやですよ。

 

じゃあなんで10にアップグレードしたかというと、新たに導入したソフトウェアが7で動かなかったからだ!

 

6万円出して買ったソフトが動かないとか、かなり泣けるので意を決してアップグレードしたわけです。

 

が、使えなくなったソフトウェアが続出で、そっちも最新バージョンのを買わなきゃいけなかったり、全く別のを探さなきゃいけなかったりで更なる労力とお金がかかるハメになってるのでした。

 

adebeは全滅だし。

最新のは月額制になってるから、毎月6千円払わねばならなくなるのか。。。

 

イラレ、フォトショはもちろんなんだけど、映像編集はプレミア使ってるし、音源のパート個別の波形編集にはオーディションが便利だったし、いろんなファイル形式でくるのをかなり対応して変換できるメディアエンコーダーもすげえ便利なんだけども、毎月6000円出すか、、、

 

使えないとしょうがないからね。

 

かろうじて使えたのが、XPの頃から使ってるcakewalk プロフェッショナル8。

これがね、すごくシンプルなmidiの作曲ソフトで、単純に楽譜に音符置いていくだけで良いの。

ギターをスライドさせたりチョーキングさせたりする設定はめんどいから別のでやるんだけど、とにかく一番最初の作曲の時点では楽譜書くのと同じ感じでできるから、まあ、midiだからファミコンみたいな音なんだけど、音の設定とか余計な手間なく音が出るから使いやすいのよ。

 

あと、cakewalkの後継のsonar x1。

cakewalkで作ったデータをこちらで開くと、ファミコンの音からスーパーファミコンになったくらいmidiの音質が向上します。

が、プラグインシンセが優秀で元々入ってるシンセで幅広くいろんな音が出せるわけですね。

 

これで原型の音を決めて、adobeのオーディションでそれぞれのパートを加工して、そのデータをまたsonarに戻してミックス、ミックスしたデータをオーディションに入ってるマスタリング用のプラグインで整える、っていう流れで同期を作ってたのです。

 

で、現在オーディションが使えないから作業が止まってる。

 

どうしたものか。。。

 

そんなわけで、シンセを勉強しながら使用機材をアップグレードしていく有意義なステイホームのおうち時間を過ごしてるわけですが、すっげえ費用がかさんでおります。

 

ま、お城巡りの旅行行ったと思えばそのくらいなんだけど、ソフトウェア一つに5万とかだとなかなか勇気がいる買い物ですな。

定額給付金も有意義に使用しております。

 

くそー

がんばって仕事して取り戻そう!

 

シンデレラキャッスルの方でも使うので、どのくらい作るもののクオリティが向上するか楽しみにしててくださいまし。

 

 

 

 

 

やはり光秀の丹波攻略はナレーションで済まされてしまったのね。

武田の滅亡と本願寺の大阪退去もナレーション。

 

戦っておらぬー><

 

というわけでそのあたりを解説したいと思います。

 

信長が京に進出して以降、織田軍はずっと敵対勢力の連合に包囲網を作られて苦戦してきました。

将軍を伴っている時は京都周辺の残存勢力や浅井、朝倉、三好、比叡山、そして本願寺の一向宗。

将軍と不仲になってからは将軍を中心として武田、上杉、毛利、本願寺、さらにそれらと織田どっちにつくか悩む播磨(兵庫)や丹波の豪族たち。

 

織田軍はそれらと全方位で戦い、苦戦しながらも徐々に戦況を好転させ、前回の大河は本能寺の変の1か月前で終わりましたが、その頃には武田は滅んで信濃(長野)、甲斐(山梨)、上野(こうずけと読む、群馬)まで直接支配する版図を広げ、東海はまるまる岡崎から駿府(静岡)まで徳川氏の領地、北陸は越中(富山)まで攻め込んで上杉も風前の灯、毛利も最終防衛ラインの備中高松城が秀吉に包囲されて陥落寸前、本願寺は大阪から退去して畿内から敵対勢力が消え、四国征伐軍を編成中という、ほんとに天下統一目前だったのです。

 

まだ九州や関東、東北が手つかずじゃないか、と思うかもしれませんが、天下統一とは実際に日本全国を武力制圧しなくて良いのです。

秀吉が天下統一した時も隅から隅まで敵対大名を滅ぼしていったわけではなく、惣無事令(そうぶじれい)という、大名同士の戦を禁止してそれを破れば天下人が成敗するという命令に全大名が服すれば良いのです。

 

ゆえに、あとは上杉、毛利、四国の長曾我部が降伏すれば、既に九州の大名は信長の停戦命令にしたがっていて関東の北条も従っていたからこの年の暮れくらいまでには天下統一されていたはずなんですね。

 

で、ここに来るまでの光秀の丹波攻略はとても大変なものでした。

 

秀吉の中国侵攻はたくさんドラマでやってるから、これも大変な苦労があったのは知ってる人が多いと思いますが、どんどん敵を倒して進軍していくと一旦降伏したり服従した勢力が後方で裏切るわけです。

 

それに加えて織田の上級武将の松永久秀や荒木村重も謀反を起こしたりしてその征伐のために呼び戻されて、その間に前線の拠点を敵に奪われたりして大変なんですね。

 

だから、秀吉が本能寺の変のあとに神業的なスピードで引き返してきたのを、本能寺の変が起こるのを知っていたからあらかじめ引き返す準備をしていたとする説があるけども、しょっちゅう後方で乱が起こるから常に後方の情報に注意し、何かあったら挟み撃ちにならないためにも安全に引き返せる準備をしていたと考える方が自然というか当たり前だと思います。

 

特に秀吉の軍のすぐ後方の岡山には戦国で悪い奴トップ3に入る宇喜多直家がいるので後方の警戒レベルはマックスにしておかないといけなかったわけです。

 

で、丹波、ゲームだと波多野氏が大名でそれぞれの豪族は波多野氏の家臣になっているのですが、実際は全部別々の独立した勢力で、強いのは黒井城を本拠とする赤井氏でした。

なぜ城と名前の色を合わせなかったのでしょう。

 

とにかく、ゲームでも強いのでわかると思いますが、赤井直正っていう丹波の赤鬼っていうあだ名がついた人が明智軍を撃退してしまうくらい強かったのですね。

近衛前久が身を寄せていたのも赤井直正の黒井城です。

 

波多野氏の方は、冒頭で出てきて信長の元に送られていきなり殺されるキャラですが、こちらも細川晴元や三好氏が京都で勢力をふるっていたころは有力大名でしたが、織田氏が侵攻してくる頃には松永氏に侵攻されて勢力は衰えていて、丹波侵攻が始まると一旦は織田に降伏しました。

 

が、黒井城包囲中に突如裏切って明智軍を攻撃、明智軍は総退却するほどの打撃を受けました。

一旦丹波攻略が頓挫したので、天正3年(1575年)10月くらいから天正4年(1576年)の1月のここまでを第一次丹波攻め、第一次黒井城の戦いと呼ばれています。

 

第二次は翌年の天正5年(1577年)10月なので、再出兵まで2年近くかかってますが、その間に光秀は天王寺の戦いとか紀州攻めとか謀反した松永久秀攻めとか大忙しで戦い、病気になって倒れたり奥さん亡くなったりしつつ、丹波亀山城を築いて攻略の拠点も整えて、満を持しての第二次丹波攻めとなりました。

 

この写真は亀山城の堀の脇にある南郷公園で撮ったものですよ。

 

 

丹波の豪族たちを服属させるために威容ある城を築いたとのことで、明智光秀は他の織田の武将とは一風変わった雰囲気があるイメージですが、このあたりはばっちり織田流なわけですね。

 

亀山城跡は私有地のためなんとなく入りにくい感じがしますが、実際行ったら快く見学させてくれました。

 

そして、第二次丹波攻めで何がラッキーだったかって、赤井直正が病死したんですよ。

準備万端で、この頃には織田の包囲網に対してかなり戦況も好転していたからそのまま戦っても十分に勝つ流れだったと思うんだけど、赤井直正の病死で一気に丹波の豪族が織田方について、波多野氏を降伏させ、黒井城も落としました。

 

そこからの流れで、光秀は波多野氏の命を助ける約束をしたのに信長は「裏切り者の波多野」って言って殺してしまうのですね。

 

で、丹波の支配の拠点として、亀山とは反対側の丹波の北の方に福知山城を作って、亀山と福知山でもって丹波を統治するわけです。

 

とても綺麗で観光もしやすい城でしたが、京都から電車で2時間かかります。

ずっと山を抜けて、平地に駅と街並みがあってを繰り返しての電車でしたが、電車でも2時間かかる距離の駅の一つ一つを別々の豪族が支配しててそれぞれ倒していかねばならず、更には山の中にも敵の勢力があるし、平地の豪族もしっかり倒さないと山の中に逃げてずっとゲリラ戦してくるという、気の遠くなる攻略戦ですね。

 

丹波攻略に4年かかりました。

 

と言ってもね、信長の最初の岐阜攻略戦は桶狭間の戦いから8年かかってるからね。

 

大河ではすっとばされてしまいましたが、そんな大変な話があったわけです。

 

あとすっとばされた武田攻め、ちょいちょい武田に内通してる人が出てきてますが、武田は完全に劣勢で内通する理由が無いのでやっぱり信康と築山殿の内通は濡れ衣なんじゃないかと思います。

 

滅ぶまでは信玄が死んでから7年、長篠の戦いから5年かかってますが、徳川からも織田からも徐々に攻められて、信長の嫡男信忠が総大将となって一気に攻勢をかけて滅ぼします。

 

本願寺の方も、天王寺の戦いから続く木津川口の戦いで織田軍が負けて戦線が膠着しますが、その後第二次木津川口の戦いで鉄甲船でもって村上水軍を壊滅させて海上を封鎖し、ついに本願寺を大阪から退去させる和睦を結びました。

 

やっと本願寺を倒せたのにその総大将だった佐久間信盛を追放するっていう衝撃がありますが、その件についてはまたいずれ。

 

でもそういった流れでの、家康接待で饗応役の光秀をぶん殴るっていうのが、大きな手柄を立てた優秀な武将にそんな仕打ちをするのには何か裏の理由があるんじゃないか、と疑いたくなる展開ですね。

 

ちなみに、だいぶ長くなってるけどもついでだから一言解説を加えると、信長が家康を安土に招待して殺そうとしていた説にも疑問があります。

 

なぜならば、家康について一緒に安土に行った家臣、30名ほどのわずかな人数ながらほぼ徳川軍の主力武将だからです。

家康が信長に殺されることを警戒していたならば、その30名が全員殺されてしまったらもうアウトなんです。

 

だから、家康は信長に殺される危惧は持っていなかったと考えられます。

 

逆に、明智光秀と組んで信長を殺すつもりだから安全だと思っていたとしても、それならば家康が伊賀越えしえ岡崎に戻るのを待たずに即座に光秀への援軍を送るべきなので、この説はどうなのでしょう。

 

ただ、織田方では信長は家康を殺すかも、という雰囲気はあったようで、光秀が本能寺へ兵を向ける時に家康を殺すためと家臣たちを欺いた可能性はあるかもしれません。

 

そのあたりの考察も含め、次回最終回、いよいよ本能寺が燃えます。

 

どんなラストになるか、お楽しみに!

 

 

 

2月7日で最終回なのであと2回になりましたが、本能寺への雰囲気が出てきた・・・かな?

 

ドラマは将軍と光秀の関係を多く描いていて、前回、前々回の話は全ての戦が将軍と繋がっている、という話でした。

この間、やっぱり光秀の大活躍はすっ飛ばされているので解説しましょう。

 

まず、丹波攻略を大きな任務と言っておきながら、実際大きな任務なのですが、さっぱり丹波攻略の大激戦を描いていないというね。

秀吉のドラマでは秀吉の播磨攻略と毛利戦はたくさん描くわけですが、光秀の丹波攻略戦も、その前の畿内制圧戦、そこから繋がる四国との交渉も全部すっ飛ばされてしまう悲しさ。

 

ずっと戦ってきた三好氏の本拠は四国の讃岐、阿波なので、畿内から三好勢力を一掃しても四国には残党がいて畿内奪還を狙い、光秀はその後方の土佐の長宗我部氏(ちょうそかべ)との外交を担当し、先日やっと登場した斎藤利三の縁者の娘を嫁がせて親密な交流を持っていました。

 

後年、信長の対四国政策が一転して、それまで長宗我部氏には自力で攻め取った四国の支配を認めていたのを翻して土佐と阿波の一部のみの支配しか認めず、更に臣従を迫ったことにより長宗我部と対立、織田軍の四国侵攻軍を編成しているところで本能寺の変が起きました。

 

これも本能寺の変の際に京都が手薄になった理由の一つで、織田軍の五大将の一人の丹羽長秀が信長の三男信孝と共に大阪に兵を集めていたのです。

 

更に言えば、光秀が自分が担当してきた縁戚でもある外交相手を信長が攻めるという、前回のドラマで娘が嫁いだ荒木氏を攻めたのと同じ苦しい立場にもう一度立たされたことが本能寺の変の原因の一つになったという説もあります。

 

荒木村重、いきなり出てきて誰やねん、なんだけど、息子の村次が光秀の長女岸の婿です。

黒田官兵衛の大河の時にはいっぱい出てきて、官兵衛の親友として描かれ、謀反を起こした際には説得に行った官兵衛を捕らえて1年も地下牢に入れ、それが原因で官兵衛は足が不自由になりました。

 

織田軍の畿内侵攻戦の時に家臣となり、瞬く間に多くの手柄を立てて摂津の国主となった優秀な人物です。

ナレーションで「1年以上の攻防があった」って言ってる間、ずっと官兵衛は地下牢です。

 

光秀とはどういう関係で縁戚となったのかはよく調べないとわからないのですが、荒木村重も畿内平定戦で光秀と戦場を共にすることが多かったのと、新参の村重を出世させるための立場を作るという信長の配慮もあったのではないかと思います。

 

ともあれ、明智光秀と荒木村重は親交があり、村重の謀反は光秀を苦しい立場にしたことは想像できます。

松永久秀を攻めるのも悲しかったのにね。

 

なんだかんだでそんな大戦な謀反をしながら、荒木村重は逃げて生き延びます。

が、城に取り残された一族は皆殺しとなりました。

 

光秀の長女も、離縁されていなければ一緒に殺されていたことになります。

 

なんと残忍な、と思うでしょうが、この時も松永久秀の時と同様に、信長は何度も説得の使者を送って村重を許そうとしています。

再三の説得に従わず、の結果だから一族皆殺しという結果だけを見て信長のを残忍だと思うのは誤解が生じるかな。

 

ちなみにこの2年前に、最初に登場して解説コーナーでも解説した水野信元が信長に謀反の疑いをかけられて、家康の手によって殺されてます。

水野信元は家康の伯父(母の兄)なので、徳川家中はこの事件のせいでだいぶ揺れましたが、水野信元の謀反の嫌疑が武田家との内通疑惑で、荒木村重も一旦本願寺との内通疑惑の噂が立てられたので、水野信元の殺害は荒木村重が自分の命の危機を感じて謀反を起こす原因となってしまったのです。

 

この水野信元、ドラマでの登場の仕方が意味不明だったので伏線になるのかと思いきや、それっきりでした。

わんさんの考察では、水野信元の殺害から将軍うんぬんとは別の角度から織田家の身内に歪みが生じていきます。

 

そもそも水野信元は領地が尾張と三河の境界で、父の代は今川方、信元が後を継いでからは織田方として、織田とも今川の支配下にあった松平(徳川)とも戦っており、信元が織田方に寝返ったから家康の母は離縁されて家康と離ればなれになりました。

 

桶狭間で今川家が衰退して家康が独立勢力となると、家康と信長を仲介して織田、松平、水野で同盟を結び、その後の水野氏は半独立だったのか織田の家臣だったのか、はたまた家康の保護者的なポジションで徳川氏に助力したのか、いまいちはっきりしないところにいました。

 

信長の意向なのか家康の意向なのか、なぜ水野信元を殺す必要があったのか定かではありませんが、信長の命令で家康が伯父を殺すという事件は、家康本人はともかく信元の妹である母は猛反発し、徳川家中はかなり揺れたと思われます。

 

それが徳川への不信となり、同じように武田と内通した疑いで家康の嫡男と正室も信長の命によって殺すことになります。

この事件は徳川からの更なる反発を招き、信長の方では更に不信を募らせることになってしまいます。

 

そして、前述のように同じようなパターンの嫌疑をかけられた荒木村重は謀反。

 

更に、水野信元の領地を継承した織田の宿老佐久間信盛も、水野の旧領の経営に不備があるのを一因として追放されてしまいます。

 

信長が尾張を統一する前からの味方だった佐久間信盛の追放は織田家中に大きな衝撃を与えるわけですね。

 

と言っても、ドラマで描かれているような、多くの織田家臣が信長の変貌に不信を持っていたわけではないと思います。

 

佐久間信盛の追放は本能寺の変の2年前なのでドラマよりは先ですが、そのあたりでは謀反は起きなくなっています。

 

ドラマでは光秀はどんどん不信を持っていってますが、この後光秀の娘と信長の弟の子である織田信澄が結婚するので、この時点では信長と光秀の関係はまだ良好だったはず。

 

信澄は信長から非常に信頼されていて、一門衆の序列でも信長の嫡男信忠、次男信雄、弟信包、三男信孝の次、5番目に列しています。

 

秀吉には4男を養子に与えているので、信長の信用度としては秀吉と同じレベルだと思われます。

ちなみに、信長の娘で家臣と縁組したのは前田利家の嫡男利長と、信長の生前かはわからないけど丹羽長秀の嫡男長重がいます。

 

ま、当時五大将という呼び名があったわけでもなく、五大将が織田家臣団のトップ5かと言えばそういうわけでもなくて、他にも有力武将はいたし、遠征軍の司令官とは別に織田政権中央部での政治機構もあったので序列がどうだったかはよくわかりません。

 

が、安土城の左右に居城(坂本城、長浜城)を与えられて更に一国を与えられた秀吉と光秀はかなり上位だったのは確実です。

 

二人の活躍があまり描かれないし他の武将の活躍も描かれないのでわかりにくいのですが。

 

さしあたってドラマの中では徳川と、信長が京に進出してから家臣になった武将たちからの不信感は増えていく時期だけども、光秀はまだ不信を持っていないんじゃないかな、と。

 

あと、丹波攻略戦についても解説したいんだけど、長くなったからまた次回で。

 

来週の大河までに書けるといいな。

 

 

 

松永久秀が死にました。

 

ぐおおおお

初回から登場させてすごくたくさん伏線貼ったように見せて、なんて説明不足な死に方させるんだあああああ

 

演出としましては、フィクションであっても平蜘蛛茶釜を使った光秀と信長を離間させる罠、素晴らしいのですが、そうじゃないんだよ、もっと本能寺の変の動機に繋がる何かが欲しかったんだよ。

 

というわけで、わんさんの考察を交えて松永久秀について語ろうと思います。

何回か解説コーナーでも松永久秀については語ったんだけども、もうネタバレの心配も無いので心置きなく語りましょう。

 

まず、織田信長は身分や家柄にとらわれず能力のある者を取り立てたという評価がありますが、それ以前に三好長慶がそうやって身分や家柄にとらわれず能力のある者を取り立てる新進気鋭の大名でした。

 

松永久秀自身がそうで、出自もよくわかっておらず、三好三人衆の一人、岩成友通も出自不明の者であった。

ちなみに三好三人衆のあとの二人、三好長逸は三好一族の長老格だけどももう一人の三好政康(政勝)は敵対する方の三好一族を降して重用した者でした。

 

ドラマでの久秀の「信長は実は家柄や血筋の良い者を重用している」というセリフは、「三好長慶に比べれば」というのが上に隠れているセリフなんですね。

 

で、松永久秀、戦国時代でもトップの大悪人とされていて、いろんな悪行をした疑惑もありますが、この人、実は主君の三好長慶大好きです。

 

三好長慶は元々は細川晴元の家臣で、父の代から細川晴元の勢力拡大に活躍した武将でした。

その三好長慶に見出された松永久秀は、長慶が晴元と争うようになった際に大活躍して大和の国の支配を任されます。

その辺りの話は大河ドラマ前半でも描かれていました。

 

大和の支配を任されたと言っても大和は敵対勢力がたくさんいたので、要するに攻略と統治と両方任されたってことですが、

久秀がずっと大和国主にこだわったのは長慶の遺命だからなんですね。

 

ちなみに松永久秀の悪行疑惑の中に、長慶の晩年に長慶が信頼する有能な兄弟たちを次々と暗殺し、それが原因で長慶が心身共に病んで思慮を失って、久秀の讒言によって残った弟も長慶自ら斬ってしまい、長慶自身も病死したのも久秀が暗殺したのかもしれない、など主君に対して不誠実なことが言われてますが、真相は闇の中です。

 

ただ、久秀の行動を追うと、長慶死後は三好三人衆と権力争いになり、後継者の三好義継が三好三人衆の手に渡ったために義継とも戦うことになりますが、義継が三人衆の勢力から脱出して久秀についた後は義継と争ってはいません。

 

また、久秀は三好氏の勢力を統一するために三好三人衆と戦うのと、長慶の遺命の大和の攻略の戦、それと信長に従った後の信長の戦に参加はしますが、自身の野望のための戦はしてないんじゃないかと思われます。

 

三好三人衆と戦ったのは、元々久秀は低い身分からのスピード出世で他の三好家臣から妬まれていたりして三人衆側から敵対してきたというのもありますが、三好氏の正統である義継を守るためというのが大きな理由ではないかと思います。

 

義継は、長慶の嗣子が早逝してしまったために長慶の弟の子を養子として後を継がせたので、その流れからだと別の一族を立てて三好氏の後継とすることもできたので、しっかりした後見人が必要でした。

 

なので、信長に従ったのも三好三人衆と対抗するため、そして大和攻略を続けるためだから、その利害が合わなくなれば離反するわけです。

 

一度目の離反で三好義継は死んでしまいますが、松永久秀は降伏して生きながらえます。

義継が死んだため、一度目の離反の理由が無くなってしまったための降伏だと思われますが、義継に殉じなかったのはもう一つの宿願の大和攻略は成し遂げたかったからではないかと思います。

 

そして、大和国主がずっと敵対していた筒井順慶に決まると二度目の謀反となります。

 

ドラマでもセリフがありましたが、意地、という理由はいろいろ調べた結果からも一番しっくりくるところです。

 

で、この二度目の謀反で1話使うというのもあまり無いことだとは思うのですが、描ききれてない部分がたくさんあります。

この二度目の謀反の結果、松永久秀の二人の幼い子供は処刑されてしまいます。

 

このエピソードはこちらをご覧ください。

 

 

 

これはこれで悲しい話ですが、この覚悟もあった上での謀反です。

 

で、信長は二度も反旗を翻した久秀に説得の使者を出しています。

ここでもイメージ逆転で、裏切り者はけして許さない信長が、許そうとしているのです。

 

まあ、実際の信長は結構裏切り者を許してますが、それだけ久秀は惜しい人物だったってことでしょうね。

なので、大和に固執しなければいずれどこか他の一国を任されていたはずです。

ドラマでも信長にそういうセリフあったし。

 

そして平蜘蛛茶釜。

最後の最後にも、信長は平蜘蛛茶釜を渡せば許す、とまで言っています。

 

信長がさんざん茶器を集めて茶器の価値を高めてきたのはこういう理由もあると思うのですが、敵対行為をチャラにできる物を作ることで有能な人物の命を救うことができる、と。

 

その思惑はここでは通じず、久秀は茶器を叩き割って自害します。

たくさんの人が知っているエピソードでは、平蜘蛛茶釜に火薬をつめて自爆するということになっていますが、史実ではない模様。

 

でもこのエピソードで戦国のボンバーマンと異名がついて呼ばれる危ないやつになっています。

 

やっぱりいろんな意地なわけですよね。

 

で、この松永久秀のいろいろあったけど一貫した主張のある生き方、明智光秀の本能寺の変に通じるところはないか、と考察しているわけです。

 

主君三好長慶大好きで、その後継者を守ろうとしてきた生き方。

同じく足利義輝大好きでその後継者足利義昭に仕えて盛り立ててきた明智光秀。

 

共通する部分があると思うのです。

 

ただ、松永久秀は信長を急襲して殺すという手段は取らず、挙兵して籠城するという方法を選んだ。

反信長方についたのか、単独の籠城だったのか、信長は各地に派遣している軍勢を呼び戻して大軍で包囲しなければならなくなり、天下統一への道のりは大きく遅れてしまうことになったけども、久秀の目的がよくわかりません。

 

勝てると思ったわけではないと思う。

 

あくまで意地の戦いだったと推測するけども、じゃあ明智光秀が少数の兵しかいない本能寺へ急襲して信長を殺した理由は・・・?

 

そこを考えると本能寺の謎が見えてくるような気がするのです。

 

あと1ヶ月、物語上ではあと5年で本能寺の変となるわけですが、あと4回で終わるのか?

 

次回もお楽しみに!

 

この前の逃げ恥新春スペシャルを見て思ったんだけどもね、コロナのせいで印象が薄くなってるけど議論中のやつだよね。

 

で、選択的夫婦別姓の議論でよくニュース等では”明治以前は夫婦別姓だった”って言われてるじゃん?

そうか?って思ってたわけですよ。

 

なお、今日のブログはあくまで自分の知ってる歴史知識で語るので専門的な学者が言うのと違って根拠(文献等のソース)がはっきりしているわけではないのと、賛否を巡る意見をしようというわけではなく、”明治以前は夫婦別姓だった”の部分に疑問があるのと、じゃあ明治以前の女性の苗字ってどうなってたんよ、っていうのを考察する話です。

 

とりあえず夫と別の姓の人物で、教科書にも出てくる有名な女性で検証すると、源頼朝の妻の北条政子、室町幕府8代将軍足利義政の妻で応仁の乱の引き金にもなった日野富子って人がいます。

 

なんだ、ちゃんと歴史上の人物に別姓の人いるじゃん、って思うのは早とちりで、とりあえずググったところ自分で北条政子、日野富子って名乗った記録(書状の署名等の自分で自分の名前を書いた記録)はなく、誰かからそう呼ばれた記録(書状の宛名等でそう書かれた記録)は出てきませんでした。

 

つまり、この二人は便宜上で後世にそう呼ばれるようになったわけで、別姓であった確証はありません。

 

ゲームで出てくる女性キャラはもうバラバラで、今大河ドラマでいっぱい出てくる光秀の娘は明智玉だったり細川ガラシャだったりするし、秀吉の奥さんは羽柴ねねって名前で出てくることが多いですが父親の苗字の浅野ねねとはなかなか言われないし、誾千代は婿養子を夫にしてるので立花誾千代で良いような気もするけど立花誾千代って署名してるものがあるかと言えば見つからないし、真田丸で出てきた小松姫は本多小松で通ってるけど真田小松とは書かれない。

 

挙げるとキリがないんだけども、そもそも名がわかる女性が少ないし、苗字をつける場合はなんとなく通りが良い方っていう、ゲームでの戦国時代の女性キャラの苗字は確証があるものではありません。

 

また、名がわからなくても、それなりの身分の女性は出身地や住んでる地名や建物名、官名で呼ばれていました。

 

信長の妻は美濃から来たお姫様なので濃姫、お濃の方と呼ばれ、家康の正室は地名から築山殿とか出身地の駿河御前、秀吉の妻のねねは身分の高い人の正室を意味する北政所(きたのまんどころ)と呼ばれ、秀吉の没後は剃髪して高台院と名乗りましたが、これらいずれも苗字はありません。

 

などなど考察していくと、別姓の前に、そもそも女性に苗字はあったのか、という疑問が浮かびます。

 

もちろん男性だって身分の低い者には苗字はなく、○○村の○○とか、○○の下人○○となるわけだけども、史料に出てくる女性はだいたい○○女(○○のむすめ)です。

 

武将の家系図等を見れば、たいてい妻の名は○○女と書かれています。

ウィキペディアでは現在研究が進んでいるので、妻の名は出家後の法名や戒名で書かれています。

 

信長が秀吉の妻ねねに宛てた書状というのが有名ですが、宛名は「藤吉郎 女ども」となっています。

 

あと、ねねの方の署名も、史料では確認してませんがネットで調べたところによると「寧」とか「祢」、「おね」というのがあるとのことだけども、

苗字とセットにはなってないようです。

 

そもそも、まあ、そもそもっていう話が多くなるけど、女性が書状を書く場合、身分の高い人が書くならば苗字がなくてもどこの誰かわかってるので苗字は無く、庶民が書く場合は夫や子に宛てるものなのでこれまた苗字不要なので、苗字があったかなかったなんてわかるもんじゃないと思います。

 

一つ見つけたのは、坂本龍馬が姉の乙女に宛てた手紙で、初恋の相手の平井加尾のことを「平井」と書いているものがあったのですが、この場合は文脈的に平井収次郎の妹のことを指すのに「平井」と書いただけで日常的に平井とか苗字と名前をセットにして平井加尾と呼んでいた証拠にするには弱いものです。

 

というわけで、明治以前の女性には苗字は無かったんじゃないかと思うのですが、どうでしょう。

 

そうなると、議論の内容の、明治以前は夫婦別姓だったのに明治以後は夫の姓に変わるようになって女性差別だ、という論理は逆で、

それまで○○の娘、○○の妻という形で苗字を持たなかった女性に、独立した個人として苗字をつけるようになったのは女性の地位向上だったってことになるんじゃないかな、と。

 

だから、この議論に関してはよくわからない歴史的なことじゃなくて、実際のメリット、デメリットで考えればいいんじゃないかと思っております。

現代においてメリットデメリットがあるから議論になってるわけなので。

 

で、姓が選択できることのメリットは報道されてる通り行政上の手続きや仕事上での不利をなくすことなんだけど、デメリットとして、歴史を研究する人目線からすると、家系がよくわかんなくなるっていう点は指摘したい。

 

まあ、それ以外に特にデメリットが思い浮かばないけど、行政システムやお墓システムも変わらなきゃいけないからもろもろ大変なんだとは思う。

 

とりあえずここで語りたいのは、明治以前は夫婦別姓だったってことに疑問を投げかけることなので、勉強不足な部分はいっぱいあるけど言いたいことは以上でした。