平蜘蛛爆発の回です。
平蜘蛛は爆発しなかったね。。。
伝説では松永さんが信長に平蜘蛛を渡したくなくて、平蜘蛛に火薬詰めてもろとも爆死したというのもあるけども、叩き割った説などもあります。
今回解説ポイントはいろいろあるんだけど、まずは茶器について語りましょう。
とりあえず、日本に茶が伝わったのは奈良時代、中国からで、烏龍茶的な感じだったので茶色は緑茶色じゃなくて烏龍茶色なのでした。
それが国内でも栽培できるようになり、現在の緑茶スタイルになったのは江戸時代半ばですが、茶道の形は戦国時代に千利休らによって確立されます。
茶道は”わび茶”、すなわち粗製の道具を使ったスタイルが禅宗の思想とマッチしてオシャレっていうことで成り立っています。
なので、あからさまな中国から輸入した陶磁器とかの高級品じゃなく、ぱっと見その辺に転がってそうなもので気軽に茶を飲むのが流行ったのです。
室町時代には庶民にも茶は普及していたけど、貴族や身分の高い武士は高級品で茶を飲んでいたから、戦国時代の茶道確立期は茶器の価値観が大きく変わった時期でもあります。
その時期になぜ”一国に替えられる”ほどの価値のある茶器があったのでしょうか?
ぶっちゃけ、信長が「この茶器は一国の価値がある」「一城と同じ価値がある」と言ったから、ということで過言ではないと思います。
もちろん名のある芸術家が作った、有名な文化人が作った、高貴な人が好んで使っていたということで価値が高まったものもありますが、信長は有名な文化人かつ高貴な人であったので、信長が「これは良いものだ」と言えば良いものになってしまうのでした。
松永久秀も有名な文化人かつ高貴な人で、信長に臣従する時に献上した九十九茄子は現在重要文化財になって現存していますが、本能寺で燃え、大坂の陣で割れ、修復されたもので明治になって三菱財閥の二代目岩崎弥之助に渡って静嘉堂文庫に置いてあります。
平蜘蛛は松永久秀と共に失われてしまいますが、この爆発エピソードによってプライスレスな価値になりました。
松永久秀が400年経って戦国のボンバーマンとあだ名されるエピソードでもありますが、松永久秀が爆弾を駆使したエピソードはありません。
松永久秀については以前の大河のブログでも今回のブログでも多々語っていますが、キャラ設定上では戦国で一番悪い人ですね。
将軍を殺し、東大寺を燃やし、主君三好長慶の子らを殺し、主君三好長慶も殺し、主君の子も傀儡にしようとしたというようなことになっていますが、長慶大好きだったと大河ドラマでセリフがあったのは快挙だと思います。
まあ、今更松永さんのキャラが変わると色んな物語の設定が崩壊するので一般に浸透するのはなかなか時間がかかると思いますが、実は旧主三好長慶一筋、長慶の子を守るために奔走し、長慶に託された大和を手放さないようにするために信長に謀反を起こした裏切りとは真逆の人だった、と主張していきたいと思います。
信貴山城を囲む織田の武将たちの陣では荒木村重や筒井順慶が関西弁だったのが、なんでその設定入れたのが違和感でした。
だったら尾張の織田の武将もっと名古屋弁じゃなきゃダメでしょうに。
信長も信忠も丹羽も柴田も佐々も前田も全員名古屋弁じゃなきゃダメだし、徳川の武将は三河弁じゃないとダメだし、石田三成とか滋賀の方言使わなきゃだし。
公家や幕府の人が京都弁なのはそういうキャラ立ちだからまだ良いとして、武将にまで方言にしたらキリが無いのでは。
実際は各地で方言コッテコテなので、それでスパイかどうか確かめたくらい。
だから戦国時代に転生する話は方言でスパイ容疑で捕まって即終了なのよ。
だから文語と口語が違うわけで、古い文章が文語で読みにくいのは地方の人が東京弁で書かれた口語文わからないからなのよ。
だから幕末で地方から京や江戸に集まった志士たちが意思疎通できずに斬り合ったのよ。
で、”拙者”。
松永久秀と対談してる時に秀吉と小一郎の一人称が”拙者”だったんだけど、これは方言ではありません。
時代劇ではおなじみで、司馬遼太郎の「関ヶ原」の映画版でも家康役の役所広司が”拙者”を一人称にしているシーンがあるけど、AIによると江戸時代に定着した一人称で戦国時代には無かったらしい。
拙者の意味はもちろん拙い者ということでへりくだった一人称なわけで、相手が目上の時に使う一人称だから江戸時代でも常時使ってた一人称では無いのですが、拙の後に名詞を付けて自分のものを表現することは古代中国からありました。
拙宅(自分の家)とか拙妻(自分の妻)とか拙僧(僧の一人称)とか。
戦国時代に”拙者”はちょっと違和感な感じです。
話は冒頭に戻りまして、柴田勝家が上杉謙信に手取川で負けました。
柴田勝家は負けてばっかりです。
何でこんなに負けてばっかりなのに織田の重臣で色んな戦の大将任されたりしてたのでしょうか。
こちらもAIに聞いたところ、織田で一番強かったから一番強い敵に当たらされた結果負けまくった、らしいです。
勝家より前の家系はよくわからず、信長の父の代から仕え、信長が元服する頃には既に織田の重鎮となっていて、弟信勝の家老になっていました。
ちゃんと勝ったのはこの後の尾張統一戦での坂井大膳を討ち取ったのと清州城攻めた時くらいなのでは。
その後、弟に与して信長に謀反を起こして負け。
対松平の最前線で戦うも福谷攻めて酒井忠次に負け、他もあまり成果上げられず。
墨俣築城は創作っぽいけど失敗、他の対斎藤戦でもあまり手柄無し。
上洛戦や信長包囲網初期の信長と一緒にいる時は手柄を立てた模様。
”瓶割り柴田”のあだ名もこの時ついた。
長島一向一揆1回目では大惨敗だけど、信長も一緒だからノーカンで良いかな。
信長と一緒の時は勝ったり負けたりしてます。
で、どこに特別出世する要素があったのかわからないけど北陸方面軍の司令官になって、手取川で上杉謙信に惨敗。
でも特に降格とかはなく、翌年上杉謙信が病死して巻き返す。
本能寺の後は賤ヶ岳で秀吉に負けて滅亡。
強いというキャラ設定が先走りして、史料見ると柴田さんが大将の時はかなり負けてるという。
織田の重臣だからいろんな戦国作品に登場して、よく知ってるようであまり知らない柴田勝家でした。
上杉謙信の方は、マジ強い。
ただ、こちらも謙信がいる時は最強なんだけど、家臣が軍を率いてる時の戦績が良くないのと、重臣が謀反起こしまくってあまり身動き取れてない。
武田は信玄がいなくても強いんだけど、上杉軍はゲームでは家臣団のパラメータ高い割にはなかなか勝てないのね。
そして、パラメータ高い家臣が謀反を起こすっていうね。
でも新潟から小田原まで道中の敵を蹴散らしながら攻め込んだ猛者たちです。
そんな猛者を長年食い止めた能登や越中の武将も実はとても強かったんでしょうか。
そんな手取川の戦いの前に秀吉が勝手に帰ってきてしまうのだけど、そんなこと有り得るのか、というと、有り得るのです。
織田軍ではとても稀だけど、戦国大名って豪族連合の盟主みたいなもんだから家臣も独自に軍団を持っていて、結構勝手に動きます。
裏切りとか命令違反までとはならなくても、出陣拒否や出陣してるけど参戦しないとかいろいろありました。
マンガ「センゴク」で有名になった仙石秀久は九州征伐の軍監だったけど一戦して負けると軍を置いて逃げ帰ったし、小田原攻めでは家康は勝手に陣を抜けて新たにもらう領地の江戸を下見しに言ったし、伊達政宗は命令違反な大遅刻。
関ヶ原エピソードも西軍がほぼ戦ってないとか有名だよね。
朝倉滅亡の折の戦いも朝倉景鏡は出陣拒否だったし、細かく調べるといっぱい出てくるのですが、これで主君と揉めて戦の後に出奔とかもあるので納得のいかない戦に参戦しないはある程度セーフだったのかな。
揉めるけど。
松永さんも本願寺攻めから勝手に離脱してからの謀反でした。
「武功夜話」では秀吉が勝手に帰ってきた理由は間諜で上杉有利の情報を得たからではなく、柴田さんが身内ばっかり贔屓して羽柴軍に手柄を立てさせないようにしたから、みたいな感じなのと、竹中半兵衛がしきりに「こっちが攻めなきゃ向こうから攻撃してこないから攻めなくて良い」みたいなこと言ってたりしたからと書いてあるんだけども、ちょうど松永さんが謀反で畿内の軍が足りなくなってたとこだったからほんとにラッキーなのでした。
そういえば、信長の呼び方が”上様”に変わってました。
足利義昭を追放し実質的に武士の頂点になってるのと、官位も右大臣になって実質的天下人なので、この頃から”上様”なんだろうと推測されます。
「信長公記」がずっと信長のことを”上様”と書いてるからはっきりいつからかはわからないんだけども、信長家臣が書いた史書で上様だから最終的に上様と呼ばれてたんだろうね。
徳川実記等では家康のことは権現様だし、家臣が書いた史書は最終的な呼び名になります。
そんなところで、今回も長くなったけど、解説はこんなところかな。
この間に、ちょっとドラマで触れてたけど紀州攻めてたり、触れられてないけど伊賀攻めてたり、どんどん天下統一へ向かって行ってます。
次回は黒田官兵衛も登場していよいよ中国攻めが始まります。
次回もお楽しみに!