わんわん物語

わんわん物語

~異界から目薬~

源氏が失脚(?)して京を離れている話の部分の感想文です。

とりあえず、この感想文にはネタバレを含んでおります。

 

失脚(?)なのは、ただの自爆っていう、何なのこれ。

 

源氏物語の中では、源氏はイケメンで芸術に優れているだけでなく、政治家としての能力も天才で王の器みたいなことを書かれていますが、具体的にどんな政治をしたとかは書かれていません。

 

たぶんこれは書かなかったんじゃなくて書けなかったんだと思うんだけども、紫式部自身が政治について詳しくなかったか、女性が政治について文学作品の中であってもアレコレ言うことが好ましくなかったのか、ともかくも源氏がどんな感じで政治家的に優秀だったのかはわかりません。

 

ただ、現代の政治家と同様に女性関係で身を崩してしまうわけです。

 

なので、読んだ感じだと具体的な政治面での活躍の描写が無いからひたすらに女遊びを続けて、手を出しちゃいけない子に手を出してバレて、周囲を巻き込まないようにするために京を離れた、という呆れた感じになってしまうのだけども、この部分を悲壮感漂うように読むには妄想を膨らませないといけないわけですね。

 

何をやらせてもイケメンで完璧な源氏だけども、その才能とは裏腹に正妻を亡くし、想い人も出家してしまい、傷心の末に帝の妃候補と新たな恋を見つけていたところそれが露見し、更に自分を傷つけるように京を去る、と。

 

一生懸命悲しさ増し増しで読みます。

 

で、須磨ってどこだ、とググってみると、兵庫!

 

近っ

 

ただ、当時の感覚で言うとものすごく遠いのでしょうか。

 

源氏物語における須磨の感覚を調べてみたところ、畿内で最も京から離れた地ということで、近年「天下」は畿内のみを指すっていう説も強くなっていることから、現代の感覚だと、、、わからん。

 

須磨についての源氏や周りの人たちの反応はというと、めちゃめちゃ田舎で、何も無く不便で、貴族が行くような地ではなく、とてもかわいそう、みたいな反応なんだけども、直接は書いてない雰囲気だと更に加えてもう都での栄達は望めない、帰って来られるかわからないから一生その不便な地で暮らさねばならない、ちょっとした病ですぐ死ぬ時代だからもう二度と会えないかもしれない、といったことが感じられます。

 

このあたりは京の貴族の感覚としては興味深いところで、どこまでがセーフなラインなのかが面白い。

 

須磨は摂津国なので京がある山城の隣国なんだけど、同じ隣国でも奈良がある大和や琵琶湖がある近江は旅行で遠出するところだからセーフ、丹後も日常品の生産地や隠居した貴族が住んでたりするからなんとなくセーフ、でも摂津はアウトっていう感覚ね。

 

横浜や箱根がある神奈川はセーフ、ディズニーや幕張がある千葉はセーフ、埼玉もまあなんとなくセーフ、山梨って東京の隣なの?みたいなところでしょうか。

 

でも山梨だと関東じゃないので、ギリ関東のとこだと、八王子?

 

こんなこと言ってるとそこに住んでる人に失礼でしょ、となると思うんだけども、源氏物語を読んでも須磨や明石、周辺キャラが赴任する地方とか結構失礼な書き方になってるんだよね。

 

京だけが人の住む地で他は野蛮な地、京の貴族はそういう感覚だったって知ると他の時代の歴史の味方も変わってくるのね。

 

鎌倉時代も戦国時代も貴族たちにとっては野蛮人同士の国盗りで自分たちにはあまり関係無いな、と見ている人が多数で武士たちにいくら武力があっても官位欲しさに金をよこす存在だったっていう感覚を前提に置くと、考察の幅が広がるのです。

 

そんで江戸幕府ができて禁中並公家諸法度が定められた時の衝撃の度合いとかね。

 

話を源氏物語に戻します。

 

須磨に行くにあたって、ファンサ的に登場人物オールスターに挨拶シーンがあります。

 

最近読んでる転生するラノベでも次の街へ旅立つ時には今いる街でお世話になったキャラと挨拶するシーンがあって、主人公がいかにすごかったか褒められたり次の街で役立つアイテムもらったり旅の助言をもらったりして、そういうシーンでサブキャラにも愛着が増したりするわけですが、源氏物語でもそういう感じかな。

 

遠くに行ってしばらく会えない、悲しい、寂しい、そういう会話をいろんな人としていくわけです。

 

自爆失脚しての隠棲の割にはずいぶんのんびりした出発だと思うんだけど、貴族の時間の感覚はこういうものなのかね。

 

従者を整理して、隠棲先の住居を整えて、持ってくものを選んで、残すものを整理して、みんなに挨拶。

 

そんでひたすら悲しい悲しい言いながら旅立って、須磨に着いたあともずっと悲しい悲しい言ってる。

 

自爆して自分で須磨に隠棲って決めて旅立ったのに、女々しいわ。

あと挨拶無かった末摘花うける。

 

でもやっぱり隠棲先で無双する源氏。

ひたすらイケメンパワーを発揮して、悲しい悲しい言いながら評判を高めていくわけですね。

 

で、嵐が来て怖いから明石に行こうってなるわけですが、途中でファンタジーになって龍を撃退(?)みたいなことするんだけど、このシーンは何でしょう。

 

須磨で悲しみながら芸事してる→海見ながらやってみよう→突然嵐が来るけど不思議な力で乗り越える→嵐怖いから明石に引っ越す→明石で新たな女ゲット→帝が夢で源氏を京に戻せと言われて復帰

 

源氏遊んでただけで京に帰れたよ。

 

この間2年なわけですが、隠棲先で源氏が手柄を立てたり伝説的な活躍したりしたわけでもなく、かと言って朝廷に働きかけたり陰謀の手を回したりして復権の策略をしたわけでもなく、帝が夢を見て京に帰ることになったのでした。

 

これが最近の小説ならば、隠棲先で盗賊団を壊滅させたり悪徳領主の不正を暴いてやっつけたりして評判となり、都でなぜこんなすごいやつを追い出したんだ、今すぐ呼び戻そうってなるんだけども、そういうことも無く。

 

なのでファンタジーなシーンを作って源氏を呼び戻す流れを作ったわけですね。

 

で、ここで出てくる煮えきらない女、明石。

 

源氏が好きなのか好きじゃないのか、嫁ぎたいのか嫁ぎたくないのか。

でも子供生んで紫の上にライバル認定されてしまう。

 

京に戻れることになったけど更なる火種を抱えてしまうのでした。

 

女性問題で失敗して隠棲したのに新たな女性問題抱えて帰ってくるという、源氏すげえよ。

 

この先は、復権した源氏に逆らえる者は無く再びの栄華となります。

源氏物語にラノベ風タイトルをつけるならば、

 

「自虐的なイケメンチートが鬱々と女遊びをしながら栄華を極める」

 

かな。

 

というわけで、次回もお楽しみに!

うおおお 3月全然ブログ書いてないー

というわけで久しぶりの読書感想文です。

早く書かないと読んだとこ忘れそう。

 

とりあえず、このブログにはネタバレを含んでおります。

 

今回は若紫と出会ってから須磨に隠棲するまでの間の部分の感想文です。

ここでようやく設定でありつつも具体例の少なかった源氏のプレイボーイっぷりが描かれていきます。

 

末摘花については前回までの感想文でも触れてるけど、個人的にはこのキャラかなり好きですよ。

いや、別にブスキャラが好きなわけではないんだけど、末摘花と絡む時は完璧イケメンな源氏の調子が狂わされてるシーンが多くて人間味が出る感じが好きなのです。

 

源氏のイケメンパワーも高レベルの美女向けなので、クオリティの高い歌に対する返事がどうしようもないものだったり、めちゃめちゃ雰囲気良くしてイケメンなセリフを言っても返事がごにょごにょしたものだったり、センスの良いおしゃれな格好して会いに行ったら「お前いつの時代の人やねん」っていう服装で待っていたりして、想像の斜め上なのか下なのかをいく末摘花にさっぱり上手く対応できなくなるのです。

 

それでもそもそも末摘花に手を出した理由が、「落ちぶれて貧乏なとこにすむ令嬢がグッとくる」っていう話を例の雨夜の品定めで男子トークの中で聞いて、そういうの見つけた!ってことだったんだけど、しっちゃかめっちゃかになるのが笑えます。

 

そして、それでも美人かもしれない、と思って明るい時に顔見てみたら赤鼻のブサイクだったー、じゃあ赤鼻と紅花をかけて名前は紅花の別名の末摘花だ、ってなんじゃそりゃ、って話なわけですよ。

マジうける。

 

この話を書いた時の紫式部の気分はどうだったんでしょうね。

源氏の笑えるうっかりエピソードとして書いたんだと思うんだけど、それでも源氏は手を出した以上は責任持って面倒見る誠実な人ってところに落ちつけて次の話にいきます。

 

で、次の話が源氏のイケメン部分を最も際立たせた話、ってのもウケる。

 

紅葉賀という巻ですが、場面は朱雀院って人の50歳の誕生日式典で、源氏は青海波という舞を従兄弟で親友でもある第二のイケメンキャラ頭中将と共に舞い、ものすごくかっこよく描かれます。

前話であんなんだったのに。

おそらくここが源氏物語全話の中で最も源氏がイケメンに描かれてる部分かと。

最後までまだ読んでないからわかんないけど、今読んでるとこだと源氏30代になっちゃってるので。

前話であんなんだったのに。(大事なことなので2回言う)

 

大河でも五節の舞をきらびやかに演出してたけど、ほんとに当代の粋を集めた一流の芸術イベントだったのでしょうね。

 

で、この舞を見て感動した源氏の本命で父の後妻である藤壺がようやく源氏の手紙に良い返事をして、翌年源氏によく似た男子が産まれる、と。

 

更にこの紅葉賀の後半では源典侍(げんのないしのすけ)という人が出てきて、次の話で尚侍(ないしのかみ)という人が出てくるのでまことにややこしいんだけど、源典侍、男好きの年増という設定で源氏とも関係を持っています。

 

源典侍は年増、若作りの年増ってたくさん書かれるのですが、年増って言っても当時の年増だから20代後半から30代くらいだろうって思ってたんだけど、後の方で50代って出てきてびっくらこいたわ。

この時の源氏18~19歳です。

相手が30歳年上でも他の女子と平等に扱える源氏すげえってリスペクトだよ。

 

で、次の花宴ではさきほどの尚侍と出会います。この人は名前がころころ変わるのでこの人のことを指してるって気づかずにしばらく読んでました。

花宴では右大臣の六の君(6番目の娘)という呼び名で登場します。

現在のところの一般的な呼び名は朧月夜ですが、作中で呼ばれてたかな・・・?

始めは誰とも知らずに飲み会で出会ってヤって別れるのですが、後日右大臣家の宴会で再開して、右大臣の六の君だとわかる流れです。

ところがその右大臣の六の君は時期帝への入内が決まっていて、禁断の恋になってしまいます。

 

と匂わせておいて、次の巻で全く別のところで大波乱。

源氏の本妻と元本カノがばったり会ってガチ喧嘩してしまうという。

 

タイトルは葵という、初期から出てる源氏の本妻なのにやっとここで名前がタイトルになったっていう巻です。

 

賀茂祭での禊に源氏も供奉するところに多数の見物人が集まったっていうシーンなので、祭りでのパレードをイメージしてますが、その見物の中に源氏の本妻の葵の上と本カノ六条御息所の牛車がいて、六条御息所の方は葵の上の牛車がいることはわかっていたのだけども葵の上の方はそうとは知らず、場所争いとなってしまうのです。

で、葵の上の家来が六条御息所の牛車を蹴散らしてしまい、六条御息所は相手がこちらが誰だかわかってなかったと知っていながらも恨みを抱いてしまうのです。

 

一方そのころ源氏は仕事を終えて紫の上を祭りデートをしていたのだけども、混雑してて場所取りが上手くできないところを譲ってくれた親切な人がいて、お礼を言おうと牛車を覗いたら源典侍だったという、何このエピソード。

 

知らないうちに本妻と本カノが喧嘩してて、新本カノとデートしてたら浮気相手と会ったって。

しかも源典侍は無害なのでデート中に会っちゃったからといって何も起こりません。

いるのかこの部分。

 

なお、この時点での源氏の女性関係は、

本妻:左大臣娘の葵の上 妊娠中

元本カノ:六条御息所 娘が斎宮に

本命:藤壺 父の本妻で源氏の子産んだ

新本カノ:紫の上 引き取ったけどがんばって口説き中

 

浮気相手

1 夕顔 死んだ

2 空蝉 人妻、旦那の出張で遠くに行った

3 末摘花 忘れそう

4 源典侍 無害な年増

5 右大臣六の君 本妻家のライバルの家なんだけども、新天皇の妻

 

まだ物語序盤だけども、源氏と関係を持つ女子は半分以上登場しています。

空蝉と間違えてヤっちゃった軒端荻も含めると10人ですね。

若紫以降でラッシュですね。

 

紫の上とデート中に源典侍に会っちゃった方は何事もなかったけども、葵の上と六条御息所の方は悲劇になってしまいます。

葵の上の妊娠して体調が悪いところに六条御息所の生霊が現れて更に体調を悪化させてしまい、葵の上は出産こそ無事にするものの体調が回復せずに死んでしまうのです。

 

しかも、六条御息所の方も葵の上が使った魔除けの芥子の匂いが自分についたことで、葵の上を殺した生霊が自分だったと知り、意識してないのにそんな怨念出しちゃう自分を嫌悪。

でもその後も生霊キャラになるので、1000年の読者から最初の夕顔殺害容疑もかけられることになってしまいます。

 

で、興味深いのは通い婚だった当時のならわしで、葵の上が死んでしまったら左大臣家との関係がすごく薄くなっちゃうのね。

 

それまで源氏は自分の家っていうのは左大臣の家っぽかったんだけど、生まれた子供の養育を左大臣家に任せると出ていってしまって紫の上に与えてた家が自宅となります。

 

それでもあまり帰らずにいろんな女子のとこに行くんだけど、本妻から解き放たれた源氏は紫の上を本妻格(形式上は本妻ではない)として口説き落として無事にゲットできました。

 

が、次の話は紫の上とラブラブな話ではなく、他の女子との話なのですが、それまで源氏は保護者で恋人目線じゃなかった紫の上がちょいちょい嫉妬のセリフを言うようになってかわいくなります。

 

六条御息所の娘が斎宮としていよいよ伊勢に行くことになり、御息所もそれについていくことになって元本カノとの別れを惜しむのと、父が死んでフリーの未亡人(?)になった本命の藤壺を口説くのと、新たにゲットした浮気相手の内侍(朧月夜)とイチャイチャする話ですね。

 

斎宮というのは、今も伊勢神宮の近くに斎宮という駅と斎宮跡がありますが、初代は天照大神を祀る地を、諸国を巡って、調査して、ふさわしい地を決めて、伊勢神宮を作った人で、その後は伊勢神宮で天照大神に奉仕する役割を担う役職です。

 

六条御息所は生霊の件もあって都を離れたいと思って伊勢についていったんでしょうね。

 

なので本妻に続いて元本カノもいなくなってしまったのですが、ここで父が死んで本命がフリーになるという、源氏が暴走する案件となります。

 

が、それも藤壺が拒み出家するというこちらも暴走状態。

 

出家って、戦国時代になると結構気軽にやって頭丸めるだけでそのまま大名や武将としての地位を維持してることが多いんだけども、それは領内の寺社勢力を味方につけるためだったりとか、早めに家督を子に譲ってお家騒動を防ぎつつも勢力が弱くならないように後見するためだったりの便宜的な目的だったからで、当時の出家はほんとに俗世を切り離されるものだったようですね。

 

こちらも大河では花山天皇を騙して出家させて、頭丸めたらもう俗世に帰れないっていう、そういう大変なことに描いてました。

 

源氏物語でも藤壺の出家で大騒ぎだし、出家についていった家人ももう出世は諦めたみたいな、実際の距離は遠くなくても精神的な距離はすごく離れてしまった感じに描いています。

 

で、源氏は最新の浮気相手の尚侍との関係にはまっていくわけですね。

 

そんで「バレたらやばいよー」とか言いながらいちゃついてるところをバレてしまい、源氏を失脚させたい人たちがこれをネタに攻撃してくるのをかわすために、源氏は須磨へと隠棲することで逃れる、という話の流れになります。

 

なのに須磨に行く前の、バレちゃったどうしようの段階で別の女子が登場します。

設定的には物語には今まで出てこなかったけど結構昔からの彼女だそうで、名前は花散里。

 

タイトルも花散里なのでこの人メインの話なんだけど、伏線を張る回ですね。

だからこの時点でかなり後半までの構想はできてたんだと思うんだけど、現段階ではあんまり関係無いちょっとした浮気相手に会いにいく話です。

 

だけども途中で中川の女という人の家の前を通り、「あ、ヤったことある女の家だ」と気づいてスルーするのもどうかなって手紙を送るんだけど、瞬殺で拒否られてしまいます。

もう何やってんのかわかりません。

 

中川の女でググるとその人は空蝉っていうのも出てくるんだけど、謎の人みたいね。

 

で、諦めて花散里のとこに行っていちゃついてきます。

 

何やってんのほんとに。

 

次から尚侍の件で大変なことになって須磨に行くことになるわけですが、ここまででいろんな女子と遊びまくってその中でいろいろ事件があって、ついに大事件起こして都を追われるっていうところで一区切りなので、今回はここまでです。

 

葵までは源氏のイケメンぶりが颯爽と描かれているのに、そのイケメンぶりを伏線として賢木からダメ人間になりますね。

イケメンぶりもたくさんの女子を優雅に落としていくのも、元が母を失った孤独と届かない恋の相手である母に似た藤壺を想う屈折した感情からなので、良い方に作用している時はかっこいい源氏だけど悪い方に作用するとダメ人間になるっていう二面性を描きたかったのかな、と思います。

 

次回はピンチの源氏からです。

次回もお楽しみに!

 

まあ、ケガや体調不良で上手くライブができないのは恥なんだけど、上手くライブできたら武勇伝だからね。

たいていのピンチは乗り越えたら武勇伝だ。

 

というわけで自分で言うわけだけども、昨日は結構やばかったのよ。

 

朝から大騒ぎしてメンバーには迷惑かけてしまったんだけども、肩の筋肉を酷使しすぎて右腕が激痛だったのです。

 

トラブルがいろいろあったりそもそもハードな負けられない戦いがあったりその間でシンデレラキャッスルの配信ライブしたりして腕痛いなーくらいだったのが、ライブの前日には力を入れるとかなり痛くなるようになって、例えば運転するのにハンドルの上に手を置いてれば問題無く運転できるけどウインカーまで動かすのとウインカーからハンドルに手を戻すのがめっちゃ痛いってなってたの。

 

他にもPCで作業するのにマウスは大丈夫だけどそこからキーボードに手を動かすのがめっちゃ痛いとか。

 

でも筋肉が固まってるわけではないので左手で右腕を持ち上げて運べば大丈夫、みたいな。

あと指や手首を動かすのは全然問題無い。

 

だからライブも右手の位置は固定なので大丈夫、と前日の夜まで思っていました。

 

が、朝6時半ごろに右肩が痛くて起きて、起き上がるのもめっちゃ痛かったけど気合いで起き上がって、これは救急車呼ぶやつか、と思ったけど耐えられない痛さじゃないからとりあえず二度寝しようと思ったら横になるのも痛くてなれなくて、しばらく日曜日やってそうな整形外科調べてからの気合いで二度寝で。

 

たいていの病院は9時からだったから8時に起きて、いろいろビビる事態になってることに気付く。

 

着替えられない。腕が痛くてシャツが脱げないしもちろん着れない。ズボンと靴下も大変だったけど片手でなんとか。

 

財布をいつも入れてるズボンの右後ポッケに入れられない。財布開けられないし開けても保険証出せないからテーブルに置いてあらかじめ必要なもの出してバッグに入れておく。

 

歯磨きも左手で。食事は元から左で大丈夫なので問題無い。トイレは大変。

 

前日夜は大丈夫だったPCの操作ももう右腕ダメだったので左手のみでやって病院の連絡先出して問い合わせ。

日曜やってる病院や救急も近場で行けそうなとこは整形外科はやってないとのことで、自転車やバイクはもちろん無理だし車もダメそうだから父に車運転してもらって整形外科やってるところへ行くことに。

 

そのあたりで入りに間に合わなさそうだからメンバーに連絡。

 

ライブができないってことは絶対に無いけど、ライブハウスまで辿り着くのが大変、着いても着替えやメイク、楽器のセッティングが大変、だけど右手が使えるかわからないから最悪左手だけで弾く、と。

 

わんさん左手だけでも結構な音量出せるからズクズク刻むのはできないけど重低音支えるのとブイブイうねらすのは大丈夫なの。

右肩がダメなのは今回が初だけど右手がダメな時はちょいちょいあるからそれでごまかしてたこともあるし。

 

で、病院行ってみたらネットには書いてなかったけど日曜は整形外科休みって言われて痛み止めだけもらって帰宅。

 

こうなったら、もうライブハウス行こう、と。

 

いつもの荷物は持てないから機材も楽器本体とチューナーだけにして、衣装は着替えるの大変だから家から着てコートを羽織る。

後はメイク道具だけ持てば良いんだけど、楽器ケースを背負えないので父に駅まで車で送ってもらう。

 

駅からは楽器ケースは左手で抱えて、メイク道具が入ったバッグを首にかけて移動。

周りの人にはすげえ効率悪い持ち方してんな、と思われたことでしょう。

 

あれね、肩が痛いのは見た目でわからないから大変ね。

三角巾で腕吊ってたり包帯巻いてたりすれば周りの人も気を遣ってよけてくれるんだろうけど。

松葉杖で楽器背負ってた時の方が楽だったわ。

 

そんなわけで病院ダメだったからリハも間に合い、楽器は床に置いてストラップをくぐれば大丈夫なことを確認。

あと、右手で弾くのも問題無かった。

スラップは痛いけどギリできた。

腕上げるパフォーマンスは無理なので左で代用できるとこも確認。

 

リハ終わって楽屋に移動するところで、よりによってこの日に靴のかかとが剥がれる。

なんで今日やねん、って思ったけど衣装用の靴で変な荷物の持ち方で変な歩き方したからね。

 

コンビニでアロンアルファ買って楽屋へ。

 

本番まで6時間くらいあったけど、メイクに時間かかりそうだからさっさと塗る。

 

右腕は動かないけど左手でメイクは危険なので、右手を固定して顔の方を動かして塗りました。

目とかを描くのは団長がやるので白塗りできればOKなんだけど、眉毛剃れなかったから昨日の写真には眉毛がうっすら見えてます。

 

カラコンは両手使わないといけないから諦め、髪を結ぶのも諦め。

 

で、なんとか早めに準備できたんだけど、準備が早く終わると欲が出てくるわけですよ。

 

腕上げられないけど上げた方がかっこいいよな、と。

死ぬわけじゃないし痛いだけだからライブ1回分ならできるっしょ、と思って上げられそうな角度を探す。

 

最初はステージングはできなくてもとにかく気合いで弾く、とだけ思ってたんだけど痛み止めも効いてきたのもあって普通に全開でいこう、痛いくらいで日和ってたらかっこ悪いと思ってきたわけです。

 

ここまで既にさんざん騒いでメンバーに気遣ってもらってたんだけども。

 

かっこいいライブができれば後のことはどうでもいいし。

 

そう思ってライブした映像のスクショがこちらです。

 

 

腕が上がらない分は体を反る。

 

たぶん普段と遜色無いかっこいいライブができたんじゃないかな、と思います。

 

ってかちゃんとできて良かった!

自分が納得できないライブとか後悔するライブにならなくて良かった。

 

そのためにがんばって練習してるんだし、負傷してるとはいえ全力出さなかったら何年経っても後悔するからね。

この腕の高さがおれのプライドの高さだ。

 

もちろんライブ終わったらビールも飲む!

 

で、来る時はそんなに動けないから汗あんまかかないと思って衣装で来たのに、汗でびしょびしょの衣装で帰る羽目に。

 

帰りの駅から自宅はタクシー乗ろうかと思ったんだけど、ストラップをくぐる要領でやったら楽器ケース背負えたので、タクシー乗るのにまた降ろすのめんどいと思って徒歩で帰りました。

普段10分ちょいだけど動きがスローで30分くらいかかった。

 

と、長々書きましたが、おれ痛い中がんばったかっこいいというのを言いたかったんじゃなくて、まさかの、今日起きてたら治ってたんだよねー

 

帰りに楽器ケース背負えたのも、例のライブやったら治ったっていうやつだった気がする。

 

たいていのライブ前の体調不良はライブ終わったら治ってるっていう、バンドマンあるあるです。

 

そもそもライブに万全な体調で挑めるってことは滅多になく、普段の仕事や普段の活動、ライブの準備などなどでヘロヘロな状態でライブの日を迎え、本番までにコンディションとテンションを整えるんだけど、それでもどうしても体調が良くない(風邪とかじゃなく)時があって、でもライブ終わると治ってるという。

 

たぶんライブ中に無意識に自分にベホマ使ってるんだと思う。

 

というわけで、もうあんま痛くないなと思いながら病院行ったんだけど、先生に「昨日すげえ痛かったんです、ここが痛かったんです、マジでこのお財布ポッケに入れられなかったんです」と大したケガじゃないのに騒いでる人になってしまったので、その思いをぶつけようと思ってこのブログを書いた次第です。

 

一応検査して、肩腱板炎症ってことで針がとても長い注射してもらって、痛み止めと湿布もらって来週また行くことにはなったんだけど、1週間くらい前から痛くなって昨日は激痛だったのにライブやったら治ってるってどういうことよ。

 

まあ、まだ右手だけで楽器持ったりはできないくらいは痛いので救いはあるんだけど、日常生活に全く問題無くなってもうた。

 

せっかくあんだけ痛かったんだから三角巾で腕吊ったりして何日か怪我人してたかったのに。

 

腑に落ちないケガの日記でした。

 

次回のライブ、3月15日はもう平気になってるから心配しないでOKよ。

 

あと、心配かけて気遣ってくれたメンバーとスタッフとファンの皆様、なんかすみません。

いろいろ考察が膨らむ巻なので若紫だけ

 

※このブログにはネタバレを含んでおります

 

 

若紫と出会う巻で、ふらふらといろんな女性と遊び回って勝手にトラブルに会う源氏物語に方向性ができる巻ですね。

 

だが、その出会い方!

 

例の「雀の子を犬君が逃しつる」って若紫がパタパタと走ってくるのを遠くから目撃するのが源氏が若紫を初めて見るシーンで、教科書的には子供らしく無邪気な感じで登場する若紫のかわいさを良く表現しているとか解説があるわけですが、源氏は死んでしまった夕顔を弔うために悲しみに沈みながらも寺に行って供養してきた帰りなわけです。

 

それまで体調も壊すほど悲しんで落ち込んでいたところに、無邪気な幼女を見て急に萌えはじめるっていうこの展開。

 

結局そんなもんか!と思うし、源氏がめちゃめちゃ落ち込んでるのも目の前で死なれたのがショッキングだっただけで別に夕顔本人にそこまで思い入れがあったわけではないのではないかと感じてしまいます。

 

この出会い方、というか一方的に源氏が若紫を見つけるだけで出会ったわけではないのですが便宜的に出会いということにして、この出会い方自体は少女漫画的でとても良いのですが、その時の源氏がその場所にいた理由がね、不謹慎すぎると思うのです。

 

このあたり断片的な知識では知り得なかったことなので、ちゃんと読んでみてショッキングな出会い方でした。

 

ま、でもストーリー的にはこういうのがないと源氏が立ち直るきっかけができないからしょうがないのかなあ。

 

そして、幼女を自分好みに育てて妻としようという発想はどうなんでしょう。

 

今までなかなか思うようにいかなかったけど、そうだ!幼女から育てたら自分の理想の女性になるはずだ!

 

って、どんな精神状態よ。

 

とか言いつつわんさんは自分が作ったバンドでは理想のメンバーに出会えなかったから初心者から育てようとしまして、ものの見事に失敗してるのだけども。

 

話を戻して若紫、幼女という設定で源氏が若紫の祖母の尼に若紫を引き取りたいと伝えても幼いからダメ、と言われておりますがそこまで幼女ではない模様。

 

てっきり5歳くらいなのかと思っていたけど、10歳くらいらしい。

途中で物語の中の記述に矛盾が出て年齢がはっきりしなくなるんだけど、出会った時は10歳くらいの設定で、当時の結婚ならもう5年ほどで十分結婚適齢期、早い人なら数年だし、婚約ならば幼すぎるってことでもないでしょう。

 

源氏の年齢も18歳なので離れ過ぎなわけでもないし。

 

現代の感覚ならアラサーとJKくらいな感じでしょうか。

 

なので、祖母の尼が渋ったりするのも現代でアラサーとJKが結婚を前提に付き合い出すのに反対するくらいの感覚なんじゃないかと思います。

 

ただしアラサーの方はアイドルを経て政界に出馬して閣僚入りした大富豪なわけだけども。

男子高校生が女子小学生拐おうとしてるのとは違うのです。

 

この巻はちゃんと読んで背景もwikiを参照にするくらい調べるとそれまでのイメージと違ったことがわかって良いですね。

 

イメージと違うと言えば、イヌキよ。

 

かわいい女子が大切にしてた雀を逃がしてしまうのだから、好きな子をいじめる感じのやんちゃな男の子かと思いきや、女子みたいね。

 

確かに漢字で犬君ならば、「君」は女童につけられる呼称なのでそう言われれば女性だよな、と。

 

ただ、主人公の源氏からして”光る君”と呼ばれていることからして「キミ」と読む場合は男性の場合が多いけども、もともと「君」は君主のことだから女主ならば淀君のように女性でも有りうる可能性もあるし、平安時代後期の「虫愛づる姫君」のように主でなくとも女性に「君」を付けたりもします。

 

ところで犬君を「イヌキ」と読むのは何か根拠があるのでしょうか。

 

源氏物語では他にも「あてき」という女性が出てきますが、こちらは平仮名です。

犬君もどこかに平仮名で書いてあるものが無いと読みは確定できません。

 

結構人物名は読み方論争があって、織田信長ですら名字は「おだ」じゃなくて「おた」っていう論争があります。

 

こういうのはどこかに平仮名で書いてある書状等があって読みが確定するわけで、論争になるのはその史料の信憑性や書状を書いた人が読みを間違えていた可能性等があるからで、本人の署名なら間違いありません。

 

ただ、犬君の場合は架空の人物なので、紫式部が直接カナを振っていなくても近い時代の人物ならば人名の慣例で犬君の読みをわかってる可能性が高いので、そういった人物が書いたフリガナがあれば良いのだけども、まあ、長年イヌキと読まれてきたのだろうからイヌキなのでしょう。

 

で、犬君が何者か、というのもググればいろいろ出てくるわけですが、直接登場はしていなくて紫の上のセリフの中で「犬君が雀の子を逃がしちゃったの」「厄払いだと言って犬君が雛遊びの道具を壊してしまったの」と2回だけなのでそこから推測するしかありません。

 

雀の子を逃がしてしまったことに対して乳母の少納言が「例の心無いヤツがまたそんなことをして叱られて、ほんと困ったヤツね」(わんたろう訳)と答え、雛遊びの道具を壊してしまったことに対しては源氏が「ほんとにひどい、人の仕業だね」(わんたろう訳)と答えています。

 

さて、源氏は人と言っていますが、乳母は人とは言ってません。

 

犬君が犬という説はいかがでしょうか?

 

源氏は犬君を見たことが無いので人だと思ったのかもしれないし、セリフの方も読点の位置から”ほんとにひどい人の仕業”ではなくて”ほんとにひどい、人の(ような)仕業だね”かもしれない。

 

雛遊びの道具を壊した時に「厄払いだ」と言ったというのも、おままごとなのでわんわん吠えながら壊したのを紫の上の想像上のセリフで補ったのかもしれない。

人形でおままごとしてたら犬が来て「厄払いだー」って壊しちゃったの、と、おままごとの最中に犬が乱入してきたらいきなり現実に戻らないで設定を維持することもあるでしょう。

 

根拠は、その家の姫である紫の上に対する行為が女官見習いにしてはひどすぎる、ということです。

 

祖母の尼は犬君がひどいことをしたのに対して紫の上が子供っぽいことを指摘してもっと大人になりなさい、と諭します。

 

乳母が犬君を心無いヤツ、粗野なヤツと言っているのに対して祖母は孫がひどいことされてもお咎め無し、ということは犬君は身分を超越してるんじゃないか、ペットの犬じゃね?と思うわけです。

 

つまり、犬君を現代風に読むと”わんちゃん”だ。

 

ちなみに、人であった場合の考察をすると、おそらく本名ではありません。

源氏物語では人名に本名がほぼ出てこないので、セリフの中に2回出てくるだけの名前が本名である可能性は低いのと、やっぱり犬君の”君”の部分が気になるので。

 

犬にゆかりのある、見た目か性格か、住んでる地名か建物か出身地か、そういったことを由来に女童によくある”君”をつけて犬君と読んでいたのだと思います。

 

犬という名前ならば織田信長の妹にお犬の方という人がいるので有り得ないことは無いけども、源氏物語の登場人物の名付け方からすると、通称なような気がします。

 

これが女童(女官見習い)ならば、主の孫であり将来の主である紫の上に対する行為はめちゃめちゃ怒られるわけで、ただの女童だとは思いづらいところです。

 

犬でないならば、最初に書いた実は男で、近所に住む身分が同じくらいの遊び友達でなんかいつもいじめてくるっていう関係っていうのも有りかな、と思います。

 

また、女子ならばやっぱり近所に住む身分が同じくらいの遊び友達なんだけど、無意味に乱暴じゃね?と思います。

やっぱり女童で乳兄弟という説もありましたが、それなら源氏と結ばれたあともついてきていないとおかしいので、そんないろいろぶっ壊すキャラの強さならもっと登場しないといけません。

 

だから、やっぱり犬かな。

 

というわけで、インパクト強すぎ犬君の考察でした。

 

ここから後は源氏が紫の上をゲットしようとしながらも他の女子に手を出す話が続きます。

似たような話が続いていくのでペースアップできるかな。

 

次回もお楽しみに!

 

ゆっくり進めていきましょう。

読書感想文です。

 

※このブログにはネタバレを含んでおります。

 

前巻帚木の”雨世の品定め”でどんな女性が良いか議論した源氏は評判が良かったタイプの女性にロックオンしていきます。

 

で、まずは人妻、と。

 

めちゃめちゃ突っ込みたいのですが、源氏物語に萌えてきた1000年間の女性読者の方々はこれが良かったのでしょうか。。。

理解しようと努めるならば、平安、鎌倉、室町南北朝戦国、江戸時代とそれぞれの女性の境遇を調べないといけないのですが、空蝉は夫が地方官(伊予介、愛媛県の次官)で夫が伊予に行っていて手持ち無沙汰っていうのはどういう状況なのでしょう。

 

同居の前妻の子の軒端荻は空蝉と同年代なので夫の伊予介は親と同じくらいの年齢で地方に赴任してる時はもちろん構ってもらえない。

 

これは不幸なのか、それとも浮気し放題ラッキー、なのか。

 

読者に受け入れられてきたってことは、イケナイ恋のチャンス!ってとこなのかな。

 

で、その噂を聞いた源氏がアタックするわけですが、上手くかわして、衣一枚残して逃げたことから空蝉(セミの抜け殻)と呼ばれるようになるのですが、そんな名前で良かったのだろうか。

 

本人に向かって空蝉と呼んでるシーンは無かったと思うので、源氏が友人たちの間で「あのセミの抜け殻の人」って言う分にはオッケーだったのかな。

 

そんで空蝉も源氏に惹かれながらも1回だけの関係でそれ以後は浮気はダメってかわしてるうちに、源氏が人違いして部屋にいた軒端荻とやっちゃうっていう、あらすじだけ書くとひどいよ。。。

 

ギャグ漫画ばりの展開をしてくれるわけですが、次の夕顔でいきなりホラーになります。

 

空蝉とは同時進行なんだけど、例の貧乏そうな家に美人が住んでるっていうので夕顔って呼ばれる人を見つけてしまったのです。

 

こちらの呼び名は家の垣に夕顔が咲いてたからなんだけど、その家はなんと乳母の家の隣。

乳母はパンピなので市井に住んでるわけで、そこまでボロ屋じゃないんだけど市井の家に貴女が住んでるぞ、と。

 

ニュアンス的には夏休みに田舎の親戚の家行ったら隣に可愛い子が住んでた、みたいなノリなんだけど、手を出すかね。

親戚にバレバレじゃないか。

 

で、こちらは歌のやり取りをして上手くゲットして、たまには市井じゃなくて静かなとこでデートしようって人気の無い別荘に連れ込んだら怪奇現象的に灯りが消えて眠くなって起きたら夕顔が死んでたっていう驚きの展開です。

 

途中で女の霊に嫉妬っぽい恨み言を言われるシーンもあったりで、何なのこれ。

 

女の霊は本命彼女の六条御息所で、夕顔は御息所の嫉妬からの生霊に呪い殺されてしまったというのが有力な説なんだけど真実は本文には無く、当の御息所も自分が無意識にやってしまったかもと思いつつも自覚が無いのでなぜ夕顔が急死したのか、そもそもホラー展開の最初の灯りが消えたり眠気に襲われたりはなんだったのかの真相は不明のままです。

 

ただ、真相はともかく、なぜこんなシーンが必要だったのかは考察できそうです。

 

夕顔は4巻目で、源氏の設定はイケメンで天才で女遊びをしまくっているってことなんだけども、ここまで具体的に源氏が女遊びをしているシーンが出てきません。

 

たくさんの女と遊んでいるよ、と書かれているだけで、どんな人とどんなナンパの仕方をしてどんな風に付き合ってかというは書かれていないのです。

 

なので空蝉と夕顔がその例としての物語になるわけですが、どちらも上手くいかないのですね。

 

空蝉は一度だけの逢瀬でその後はかわしまくって夫と共に伊予に行ってしまうし、夕顔は死んでしまう。

 

で、夕顔の死に方は超常現象付き。

 

この2つのエピソードで源氏物語の世界観を読者に伝えようとしているのではないかと思います。

 

おそらく平安時代においても、現代やその後の時代よりはずっと怪異についての信憑性が高かったとは思うけどリアルにいるかと問われれば半々だったんじゃなかと思うのです。

 

既に平安時代よりも更に1000年前に論語で「怪力乱神を語らず」という言葉があって、個人はともかく為政者はそんなものを政治の判断材料にしてはいけないとされているのです。

 

だから、現代でいう宇宙人と同じで、いるかもしれないし信じてる人もいっぱいいるけど確定してないから物語で宇宙人が出てきたらそういう設定の話ね、っていう。

 

ほんとにいるって信じられてたんならゴーストバスターズや結界師みたいな仕事の人たちがいないといけないし。

 

だから、夕顔では超常現象がある世界ですよーっていうのを説明したかったんだと思う。

 

空蝉の方は、源氏がイケメンで天才でなおかつ身分も高いチート設定だけど、無双できるわけじゃないよ、と言いたかったんだと思う。

 

異世界に転生するファンタジーでも、主人公が無節操にチートスキルで無双してたら簡単に世界征服してしまうので、権力欲が無かったり、静かに暮らすのを願望としてたり、人殺しは絶対ヤダっていうような設定をしています。

 

いざ戦えば圧倒的なスキルで敵を瞬殺させて味方や民衆にすげえって言わせて、だけどもいろいろ制限をつけてある程度は苦労するようにするっていうバランス調整が必要なわけですね。

 

そう読み解いてみると源氏物語での描写を平安貴族の生活の史料にしようと思うのは危険な気がしてきたけど、結構細かく書いてくれるところや男女の歌や手紙のやり取りからの心境など興味深いところはたくさんあるので面白く読んでいます。

 

そして、この2つのエピソードを経てついに、というか早くも若紫と出会うわけですが、ここまでで結構書いたから続きは次回かな。

 

2回連続で失敗して、2回目に至っては相手が死んでしまうというショッキングな事件にものすごく落ち込むところからの若紫です。

 

というか物語全体を通して源氏はだいたい落ち込んでる。

 

感想文が止まらない物語ですが、次回は若紫からです。

お楽しみに!

 

 

前置きが長くなったけど3回目にしてやっと本編の感想文に入れます。

 

源氏物語の父である帝と母桐壺が源氏を生むところから始まるのですが、主人公って源氏って名前で呼んでいいのかどうなのか。

 

源氏は後継者争いに巻き込まれぬよう臣籍降下されて源という姓をもらって源氏となるわけですが、その他にもその美貌と才能から”光る君”と呼ばれたりもしています。

 

むしろ源氏と呼ばれているシーンは少ないような。

 

前の感想文にも書いたけど、源氏物語では登場人物の本名はほぼ出ず、主人公さえ本名不明で、見た目や環境、その人の印象や出会いのエピソードからいつの間にか呼び名ができていきます。

 

臣籍降下というのも現代では馴染みがない制度ですが、天皇とその子たち(親王)には姓も名字もありません。

現代では便宜的に〇〇宮という宮の名前が名字になっていますが、そうなる前は天皇と親王は名字がなく、後継者とならなかった親王は姓をもらって公家になったり武士になったりするわけで、源氏平氏などもそういった成り立ちをしているわけです。

 

だから、鎌倉時代の武士たちが戦う際に名乗り合うのは、自分がどの天皇の血を引いているのか、自分が殺す相手がどの天皇の血を引いているのかを確認するためでもあるのです。

 

で、母の桐壺は部屋の名前なのですが、部屋や建物や住んでる地名を女性の呼び名にする慣習は江戸時代まで続きますね。

 

昨年の大河に登場した女性、築山殿、淀君、早川殿、濃姫、春日局など皆そうです。

局(つぼね)自体が部屋のことなので〇〇局という名前の人はだいたい部屋の名前からの呼び名です。

殿という言葉のもともとは建物のことを指します。清涼殿とか寝殿造りとか。

 

で、宮も建物のことなので、その宮に住んでる人のことを指すわけで最初の話に戻ります。

 

母は嫉妬されて病んで死ぬことになり、源氏は不幸な生い立ちを背負うわけですが、すげえイケメンで天才の転生してないのにチート主人公に育ち、幼い頃に母を亡くした反動でたくさんの女性に手を出していくわけですね。

 

2巻目「帚木」でいきなり”雨世の品定め”という爆弾が落とされるのですが、wikiによると間に何巻かあったのではないかとされています。

 

確かに話がぶっ飛びすぎで、2巻目にして既に源氏はたくさんの女遊びを経験してきた感じになっています。

 

で、男子会でどんな女性が好みかを言い合うのですが、これ、作者が女性じゃなかったら大問題なんじゃないかと思う内容です。

 

インパクトあるものとしては「学や才がある女はそれを鼻にかけて男に媚びないから可愛げがない」というようなことと「貧乏そうな家に美人が住んでるとグッとくる」っていうことですね。

 

学や才とは具体的にどんなことを指すのか、美人とは具体的にどんな容姿なのかということは触れられてないので、こういうところが時代ごとの美人の定義を超えて1000年以上読まれた作品になった秘訣だと思うのですが、逆に容姿じゃなくて性格や財産や身分で好みを言ってしまうところがえげつないと思ったり。

 

現代ではどんな女性が好みかという話を男同士ですれば容姿やスタイルがメインであと大雑把に性格の好みを語り合うわけですが。

 

雨夜の品定めで登場人物たちが語ってる内容が当時一般的なことなのか目から鱗な画期的な意見なのかは判別に困るんだけど、紫式部の実体験なんじゃないかと思ったりもします。

 

作者自身に学があるからそれで男が寄り付かなかったり、実家が貧乏だったけどそんなとこに美人で学のある自分がいましたよ、みたいな。

 

でも容姿に関しては、先日NHKの歴史探偵で御簾ごしの男女のやりとりを再現してたんだけど、昼間は御簾の外にいる男性から御簾の中にいる女性は全く見えないけど女性から男性はよく見え、夜になると部屋の明かりで外にいる男性から中にいる女性のシルエットや部屋の様子や来ている服などは見えるけど顔は良く見えない感じでした。

 

だから、顔は一緒に寝て朝になるまでわからないわけで、顔で選ぶということが不可能だった思われます。

 

先の話だけど末摘花では「貧乏そうな家に~」を律儀に実践した源氏が苦労して貧乏そうな家にいる女子をゲットするんだけど、朝に明るくなって顔見たらブサイクだった、というひどい話になっています。

 

鼻が赤いから紅花とかけて、紅花の別称の末摘花と名付けるとか、ひどいにもほどがある。

レッドノーズとか、アメリカのチンピラか!

 

ま、面白いから好きな話ではあるんだけども。

 

そんな風に”雨夜の品定め”での内容を律儀に実践していくのですが、この時点で源氏には正妻と本命彼女がいます。

 

正妻は左大臣の娘で、左大臣の家がたぶん自宅が無い源氏の自宅になってます。

さらっと出てくるけど、左大臣は官職でいうとナンバー2かな。

摂政関白は帝に問題がある時の臨時職で、ナンバー1は太政大臣だけど、空位の時もあるからその時は左大臣がナンバー1です。

 

そんな家の娘を妻にしてるんだけど、本命彼女は六条の貴女(後に六条の御息所)と呼ばれる人です。

この人は父が誰かは書いてないけど前東宮(即位できずに無くなった皇太子)の妃だったのでそれなりに高い身分だったと思いますが、前東宮は源氏の父の弟なので、要するに叔父の元嫁に手を出したわけですね。

 

六条の貴女は年上で学もあるけど奢ること無く気の利いたもてなしをしてくれる全厨ニが理想とする女性ですね。

 

ただし、ほんとの本命は父の新たな愛人の藤壺っていう、デフォで3股してる状態からの新たな恋人作りの話がしばらく続きます。

藤壺は母に瓜二つで、幼い頃に母を亡くして母性に飢えている源氏が無条件に惹かれるというスキルを持っています。

 

こんな話なのになぜ1000年も女子がときめいてるのか謎だ。

 

うーむ、2巻目の帚木と飛んで末摘花の3巻分の感想まででこんなに文量とってしまうとは。

 

感想文の方も長期戦になりそうです。

 

大河ドラマの2話目で夕顔というフレーズが出てきたから4巻目の夕顔に繋がるエピソードがくるのかと思いきや、全然関係無かった。

 

次回は若紫くらいまで書きたい。

 

次回もお楽しみに!

見ました!

解説もいけそうな気がしてきたけどすぐネタ切れ起こしそうなので感想コーナーということで。

 

今年は毎週はやらないので思ったことがあった時だけ。

 

今年の大河は普段の大河とか歴史モノにそんなに興味が無い層からも注目されてる雰囲気がありまして、ネット上だけでなくわんさんの周囲の友人知人たち(主に女子)からも「ちょっと楽しみ」という見るのか見ないのかわからんコメントがちらほら聞こえております。

 

やっぱり源氏物語は少女漫画にもなってたりしてストーリーを知っている人が多いからだと思うんだけど、男子からは「ふーん」というコメントが多いですね。

 

うちの母も、いつもの大河なら録画したのを見てても途中で用事したりしながら飛び飛びだったのが、さっき見てる途中で出かける時間になったら「帰ったら続き見るから消さないでね」って言って出かけていきました。

 

命を賭けて戦うドラマとは違うテイストのドラマなので楽しみですね。

 

と思ったら初回から殺された!

 

内容やテイストの想像が外されたぞ。

違う意味で楽しみです。

 

さて、思ったことを書いていきますと、まず最初の母が「大丈夫、大丈夫」と言っているシーン、この時代の大丈夫はたぶん違う意味だと思う。

 

平安時代だと戦国や江戸よりもさらに言葉が古いので、仏教が由来の言葉などは今の意味合いではなく本来の意味じゃないとおかしい上に、ググったところによると”大丈夫”という語はもともと仏もしくは菩薩の異名で、さらには”ますらお”偉人や強い人を表す意味の他、曹洞宗の祖の道元が「正法眼蔵」という書の中で師に対する尊称として使っているのが使用例とされ、道元は鎌倉時代の人だから平安時代にはまだ「正法眼蔵」は無く、日本では”大丈夫”という言葉自体が浸透していなかった可能性があります。

 

対してドラマでもやっていた”馬鹿”という言葉は史記に記されている宦官趙高のエピソードが元ネタなので貴族ならばこちらの方が馴染みのある言葉だと思います。

 

秦の始皇帝の側近だった趙高が始皇帝の死後に実権を握り、権力を見せびらかすパフォーマンスとして二世皇帝の胡亥に対して鹿を馬と言って献上し、胡亥はこれは馬じゃなくて鹿じゃないかと言ったのに対して他の重臣たちに馬だと言わせて鹿を馬として押し通した故事ですね。

 

横山光輝のマンガ「項羽と劉邦」にも描かれているシーンなので知ってる人も多いかと。

 

父がまひろに読み聞かせていた部分がこれですが、最初に読んでたのは三国志かな?臥竜孔明って言ってるような気がした。

多くの人が知るストーリーの「三国志演義」はまだ無いので歴史書としての三国志の方ね。

 

今現在予習で源氏物語を読んでるんだけど、源氏物語にあるシーンもちらほらドラマに見え隠れしていました。

 

上述の書物もそうだけど、父が漢詩の学者ということで源氏物語の中にたくさんの書物からの引用があるのもそうだし、今でいうロマンチックという語を「昔の小説みたい」と表現しているところからももたくさんの書物を紫式部は読んでいたんだと思わせられます。

 

親戚の藤原宣孝が父為時に対して「なまじ学があると誇りが高くていかん」というのは源氏物語の”雨夜の品定め”というシーンで話されてる内容にありました。

 

宿直(とのい、宮中の夜勤)してる男子が集まって、好みの女子のタイプについてあれこれ言い合うシーンの中にあったコメントの一つですね。

学がある、才がある女子は可愛げが無いっていう話ですが、他にも”貧乏そうな家にこんな美人が!?”っていうのに萌えるみたいな話をしていて、こういうのを素直に聞いた源氏が学はあるけどちゃんと清楚な女子を探したり、貧乏な建物だけど美人が住んでるって噂の家を訪ねたりするわけですが、貧乏なシーンがリアルなのは紫式部の実家を貧乏に描くことによって辻褄を合わせるのですね。

 

そして、道長との出会いは、源氏物語でも教科書に出てくる有名なシーンになぞらえたのですね。

 

「若紫」の”すずめの子を犬君が逃しつる”って言って幼い若紫が出てくるシーンで、源氏と若紫の出会い(直接出会うのはもっと後だけど)の印象的なシーンです。

 

籠の雀が出てきた時点で逃げるんだろうな、とは思ってたけど、これを道長との出会いに使うのはお約束的な演出なので美味しいですね。

 

「伏籠のうちに籠めたちつるものを」がどういう状態かわかって良かった。

 

大納言の藤原道隆家と無職の藤原為時家を描くことで平安の上位貴族と貧乏貴族を同時に出して平安時代全体の殺伐とした雰囲気とのんびりした雰囲気を演出していましたが、突然のバイオレンスで展開がさっぱり読めません。

 

ただ、道兼のバイオレンスの方がどちらかというと当たり前の気がします。

源氏物語にも”卑しき身分の人たち”というのが出てきて、貴族とは違う人種のように描かれています。

 

源氏物語の中では源氏はそんな人達にも優しく、またそんな人達をも感動させる美しさを持っているのですが、小説ではない部分ではどう描かれていくのか、、、

 

次回どうなるのか、お楽しみに!

 

同時進行で源氏物語の読書感想文も書いてくのでそちらもよろしくです。

 

 

前回のブログでは本編ストーリーに入れませんでしたが、今回も入れるかどうか、、、

現在は澪標まで読みました。

早く本編に入りたい。

 

一応これは書いておいた方が良いのかな?

このブログは源氏物語のネタバレを含んでおります。

 

ググればネタバレだらけだしwikiには各巻ごとのあらすじもあるけどね。

 

源氏物語を読んでみて、これ史書だと思って読むとなかなかに面白い。

 

もちろんストーリー自体はフィクションなんだけど、書かれた当時の貴族の生活や考え方、民俗、風習などがよくわかるのです。

興味深いのは1000年前に描かれたフィクションに「現代」とか「近代的」っていう表現が出てくることかな。

 

与謝野晶子訳なので原文では何という単語をそう訳したのかわからないけど、平安時代中期における、当時既に時代遅れと思われていた文化や風習と、新しいと思われていたそれがあるわけで、たとえば和歌の言葉遣いだったり衣服だったり建物、家具だったりと色々なものに「現代」「近代的」という表現が使われていて、そういったものを取り入れるセンスを持った源氏は頭が良くてイケメンなだけでなく、時代の最先端を行く人でもあったわけですね。

 

源氏物語の中で源氏、光る君などと呼ばれる主人公、現在では光源氏と呼ばれていたりもしますが、源氏物語ではほとんどの登場人物に固有の名前がありません。

 

諱(いみな)は避ける風習があったというのは知識では知っていても、なんだかんだで戦国時代には結構呼ばれていたり他人にバレバレだったりして実感が無いのだけども、源氏物語の中では諱はほぼ出て来ず、登場人物同士でも知らないまま恋人関係を続けていたりします。

 

呼び名は官名か、あだ名的な名付け方をしています。

が、セリフとして相手の名前を呼ぶシーンが無いので、実際に呼ぶ時はどうしてたんだろう、と思います。

 

例えば最初の恋人の六条の貴女(後に六条の御息所と呼ばれるようになる)は、本人がいないところでの他の誰かと会話の中では六条の貴女と呼ばれますが、本人を呼ぶ時に六条の貴女とは呼ばないのです。

 

そういったところもなかなかに興味深い慣習だよね。

まあ、登場人物のだいたいの名字が藤原さんだったりするからかもしれないけど。

 

源氏物語を読むにあたって、平安貴族の常識を理解していかないとなかなか面白さがわからないと思います。

 

どういったことが悲しくて、どういったことがロマンチックで、どういったことを楽しみに生きているのか。

 

食事にしても「豪勢」とか「貧しい」とかいう表現は出てきても具体的に何を食べていたのかはあまり書かれていません。

 

基本は米だと思うけど、野菜はどんなものがあったのか、汁物にどんな具があって出汁はどうしてたのか、肉はたぶん無いかあっても鴨とかの鶏肉だと思うけどそれは豪勢なうちに入るのか、魚は鯖街道とか当時にはもうあったんだっけとか、調味料は、、、味噌はあったはずだけど現在とはだいぶ違うものだと思うし、醤油は無いので魚醤なわけで、酢はあった。

砂糖は超絶希少品な上に薬扱いだったので調味料としては使われていません。

 

なので調味料の”さしすせそ”のうち塩と酢しか無いんだけど、”そ”は蘇というチーズがありました。調味料扱いかわからないけど。

奈良に行けば復元したものが居酒屋にあったりお土産屋で売ってたりします。結構美味しいけど高い。

 

夢枕獏の「陰陽師」を読むと安倍晴明と源博雅はやたら鮎ときのこを食べながら酒を飲んでるのですが、晴明は従四位下、博雅は従三位なので光源氏よりはだいぶ下ですが、鮎ときのこってどうなんでしょうね。

 

きのこの種類も、酒がどんな酒かも書いてませんが。

 

大河では食事シーンも出ると思うので、どんなの食べてるか注目してみるのも面白いと思います。

 

食事の他にも興味深い習慣として、病気になると当たり前のように僧を呼んで祈祷します。

医者や薬師ではなく僧で、僧を呼ぶのが何よりの手当で、僧を呼んでもらった病人やその親族もそれをありがたがります。

 

それが戦国時代には医者が活躍するようになるし、家康が薬作りが趣味だったように薬の効能も認知されていくので

 

そして、割とぽんぽん死にます。

 

だから少しの遠出でもいつ死んでしまうかわからないからすごく別れを惜しむし、ちょっと会えないだけども悲しがります。

 

それに加えて、男性が女性の家に通う形の恋愛関係で、男性は複数の女性と恋人関係を持っている(女性も複数の男性と恋人関係を持っているけど)ので、男性が来るのをひたすら待たなければならないので次いつ会えるのかもわからないわけです。

 

源氏はたくさんの女性を恋人にしますが、会いにいけなくてもマメに手紙を送ったり生活の支援をしたりしているので、節操なく手を出しているのに「誠実な人」という表現がよくされています。

 

それ誠実なんだ、っていう目から鱗。

 

持論だけど、古来の慣習はその時代では合理的であったという前提で考えると、それが無用の形式だったり悪習だったりする偏見が抜けて、当時の人々がどのように暮らしていたか見えてくるように思っています。

 

通い婚システムも、その家の当主が死ぬと嫡男に全財産と全権が継承されてしまって当主の兄弟、嫡男の兄弟には何も残らないという相続制の上で、譲られる財産が無い多くの女性が生活できるように保護されるシステムだったのではないかと考察できたりします。

 

それが武士の時代になると男性の家に入るようになり、現代ではそんなの関係無くなったのは時代の変化や文化、技術の向上によって古いシステムを続ける必要が無くなって、というか古いシステムが非合理的になって新たに合理的な方法が採られるようになったからではないかと思うわけです。

 

夫婦別姓の議論も合理上の話からだと思うけど合理を目指すならマイナンバー管理にしてもはや名字は不要だと思うわけですが、合理的なだけでは情緒も何もなくなってしまうわけで、その辺のバランスがね、その時々のシステムの便利なところと便利じゃないところの狭間にロマンスが生まれるのです。

 

通い婚だから財産を持つ男性が多くの女性を支えられる一方、他の女性に一辺倒になったり別れたい時は通わなければいいということで恨みを持ったり嫉妬心が強くなったりで丑の刻参りをするように、は陰陽師か。

 

生霊になって無意識に呪っちゃったりする話が夕顔の部分で、このシステムの中で幸せになる人ならない人がいて、源氏は精一杯マメに恋人に気をかけているのに思い悩むことになってしまう物語ができるわけですね。

 

ちなみに貴族性も合理的な制度で、儀式や祭礼をメインに政(まつりごと、祭事)としていた当時では、各家ごとの役割があるのと過去の儀式の様子を記した日記を保持していることが重要なことでした。

 

病気の時に僧を呼ぶというのと同様に神に祈りを捧げることが国の大事であって、儀式の流れの他に服や装飾品の色、食事の内容、酒を注ぐ順番など細かいところまで上手くいった例と同じにしなければ、災害があった時に儀式が悪かったからだと朝廷の信用が落ちてしまうのです。

 

おとといの地震でもSNSで自民党のせいといって叩かれた人がいましたけど、当時はリアルにそうなることになったので、それぞれの役割の細かな記録を持っている家は代々その記録を絶やしてはならなかった、という点で日本の貴族性は合理的だったと言えるわけです。

 

で、低い位の貴族は儀式や宴会の雑用係なので、もっと良い役割を得られるようにがんばらなければならないし、雑用係だと代わりがいるから貴族の地位を失わないためにもがんばらなければならない。

 

上の方は上の方でそういった低い位の貴族を抱えた派閥を維持しなければならないので権力争いをしていて負けたら自分の派閥の人たちが困ってしまうからがんばらなければならない。

 

ただ、源氏物語の中では何をがんばってるか具体的には書かれておらず、源氏も仕事してるのかどうかよくわからず女性と遊んで、遊んでるのに悩んでる、みたいなよくわからない話なんだけど、わかるためには上述のような貴族の常識を踏まえていかないといけないわけです。

 

読んでるうちにだんだん把握してきたので面白くなってきたのですが、わかってくると感動できる部分が増える反面、どうなのそれっていう酷い話があったりで感想が迷走していきます。

 

次回からは本編の感想に入れると思うので、次回もお楽しみに!

 

今年の大河も始まるから大河の感想も混ざるかも。

というわけで、1年全体を通してのまとめと感想を書いておきたいと思います。

 

今年の最初の、第1話目を見た後の解説コーナーではけちょんけちょんに言ってしまいましたが、なんだかんだで面白く、ちゃんと感動できる素晴らしいドラマだったと思います。

 

主役が松潤だからね、最初は松潤ファン狙いで戦国時代に詳しくない人でもわかりやすく楽しめるようにいろいろ作っちゃった感があったり、キングダムか!って思うような馬に乗って走る合成CGや、謎の清州城とかだいぶファンタジーなのかと思ったけど、だんだんと演出が巧みになっていった気がします。

 

でも信長が今川義元の首を槍先に引っ掛けて馬乗ってそのまま投げるとか、さすがにそれは無い。

 

それに加えて感動させるのを狙って作ったような展開があったりして、わざわざ感動狙って創作のネタ入れなくても戦国時代には感動できる実話のエピソードがいっぱいあるのにって思ったりしたけど、文句言いながらも見るっていうのも途中から狙ってやられてるんじゃないかと思うようになりました。

 

史実じゃなかったり諸説あるような逸話も家臣からの誤報や村人の噂とかにしてちょろっと出す小ネタも満載で、この辺は詳しい人の満足心もくすぐってくれるところでした。

 

家康と徳川家臣団の関係は、さすがにドラマの様な家族的でフレンドリーなところまではなかったと思いますが、徳川家は他の戦国大名に比べて特殊なところがあります。

 

まず、多くの戦国大名は豪族連合の盟主の様なところが多かれ少なかれあって、大名本人の権力強化強くないところがありましたが、徳川は安祥松平という、ある程度他の松平家はまとめていたものの一豪族からのスタートなので、三河統一の過程で盟主ではなく主君となり、徳川と改姓することによって自勢力の基盤がしっかりしていた点があります。

 

また、家康は先代広忠の唯一の跡取りで後継者争いがなく、安祥松平の中で家康を追い落とそうとする勢力が無かったことも家康の権力基盤に繋がります。

 

そしてそれこそが、徳川家臣団が家康を盛り立てていこうと和気藹々としたところの根拠なのですね。

 

この主君を失うわけにいかない、この主君に立派になってもらわなければならない、そうしないと再び主が不在となって他の家の支配下に入ることになってしまい、今川支配下の時のような貧困生活になってしまう。

 

だから家康を守ることと家康を育てることに必死で、命に代えても守るし命に代えても諫める家臣団ができあがるのです。

 

裏切りも武田が攻めた来た際の領地の境界にいた豪族以外にほとんど無く、裏切っても奥平ら山家三方衆たちが信玄が死んだ隙に帰順するなど、家康が信頼できる主君だった感じもあります。

 

そういったところをコミカルに、または感動的に演出してくれたところは良かったと思います。

 

その分カットになったところや登場してない主力武将もたくさんいましたが。

 

個人的にはもっと三河統一の過程を盛り込んで欲しいところではありました。

 

始めの方のブログにも書いたのですが、史料が信頼できて豊富になってくるのが武田と戦うあたりからなので、それ以前の戦い、つまりはかつての主である今川家との戦いがいまいちわかりにくいので最新研究でどうなってるのかな、と。

 

それでも上之郷城の戦い、人質交換で瀬名を取り戻すシーン、お田鶴が守る浜松城の攻防などを描いてくれましたが、「おんな城主直虎」でやっていたような、今川支配下で搾取されてきた松平がいつの間にか優勢になって今川を飲み込もうと攻めてくるっていう不気味さ、対抗できない今川領の領主たち、どちらにつくか悩んで葛藤するところなどを、あったんだけどもっとあって欲しかったな、と思いました。

 

一向一揆で話数を使ったからしょうがないしそれは評価すべきところなんだけどもね。

 

家康視点だから家康が参戦してない戦はカットだし、家康ががんばって今川と戦う視点がメインになるんだけど、視点が変われば印象ががらりと変わるっていうのも家康という人物の特徴なので。

 

こういう人物もあまりいないかも。

 

他の武将は味方目線でも敵目線でもそんなに印象変わらないんだけど、家康は敵目線だとめちゃくちゃ悪いやつになるからね。

 

ただ、味方目線でも敵目線でも変わらないのが、妻子を死なせるシーンです。

 

上述の、家臣団が和気藹々していて家康も信頼されているというのが変わってくるのが、勢力が大きくなって信康が成長してきたところからで、つまりは家康以外にも徳川の主になれる人物ができたところで派閥ができて、徳川家の雰囲気がぎくしゃくしてしまうのですね。

 

ここは史実や真実はともかく、家康の物語の中で最も悲しいシーンなのでね、演出の上では過剰なんだろうけどグッときました。

 

だから最終話で出てきてくれて、良かったああああってなるよね。

 

「どうする家康」では一貫して家康を悪者にしない描き方をしていたので、悪い意味ではなく斬新な解釈もあって勉強にもなりました。

考証の平山先生のツイートからも最前線で活躍する専門家の言葉を見ることができてとても面白かったです。

 

そんで史料読み返したりググって調べたりして、いろいろイメージが改まった感じです。

 

こういう積み重ねが、そのうち曲になります。

 

あーだこーだ言いながら見た大河、非常に楽しい1年でした。

 

最後に、今年台風が多かったのは大河の主役が嵐だからじゃね、っていうのは言わない約束だったんだでしょうか。

 

来年のは全く解説できないのでたまに感想書くくらいできればいいなと思っていますが、今のところ源氏物語は明石に行ったところまでしか読めてないので、予習がんばらねば。

 

長々書いてみた解説、読んでくれた方々ありがとうございました。

 

また戦国時代の大河になった時にやるので、次回もお楽しみに!

神の君へとなる回です。

解説コーナーは最終回ですが、もう1回分1年を通しての感想を書く予定です。

 

というか天海!

天海が登場するけどキャストがシークレットってことでネットでざわついてまして、ここはもしかして「麒麟がくる」で光秀だった長谷川博己だったら激熱だと誰もが思っていたのですが、昨年大河で北条義時だった小栗旬に「源頼朝だってどんな人物かわかりゃしねえ」ってセリフを言わせる面白演出をしてくれました。

 

去年はあれだけ頼朝に振り回されてそれでも尊敬して鎌倉幕府存続のためにがんばったのに。

 

でも長谷川さんだったら号泣してたと思う。

 

この演出のために方広寺の鐘銘事件にも関わっていたのに金地院崇伝と林羅山だけ出して天海は隠しておいたのね。

 

南光坊天海、比叡山の高位の僧でいつの間にか徳川家にいて関ケ原前後くらいから家康のブレーンの一人となっていた人です。

 

家康のブレーンになった時は既に高齢で、前半生があまりわかっておらず、謎の人物な雰囲気と不自然な状況証拠から明智光秀と同一人物説があるのです。

 

歴史学者からの支持は少ないけど、最終回後半に出てきた三代将軍家光の乳母の春日局は明智光秀の重臣斎藤利三の娘だし、大坂の陣で豊臣方で参戦した光秀の孫は助命されてるしで、なんか怪しい。

 

詳しくはwikiで「天海=明智光秀説」っていうのを見てもらえれば書いてあるけど、他にも稲葉氏が老中になったり遠山氏が江戸で奉行やってたりの光秀と同じ美濃出身の譜代でも大勢力でもなく徳川に大きな功績があったわけでもないところが幕府の要職にいるのも変な感じ。

 

本能寺の変の時に50代だった光秀がその後から高位の僧になれるわけないだろ、しかも焼き討ちした比叡山の僧なんて、と思うかもしれないけど、家康が快く光秀を迎えたなら経歴なんて偽の作り上げたものだし、むしろ幹部の生き残りがほぼいなくて光秀を知らない比叡山の僧がちょうど良かったりするかもしれない。

 

天海が光秀であれば本能寺の変は家康と光秀の共犯で、秀吉の中国大返しが予想外で天下を獲られてしまったけど光秀逃げ延びて天海となって家康を支えてたっていう熱いストーリーが想像できるのに。

 

まあ、少し年齢が合わなさそうなのと、光秀だったら誰か気付くだろってことなのと、はっきり証拠があるわけじゃないので歴史のロマンの部分ですね。

 

天海は崇伝と家康の神号について権現にするか明神にするかで争って、自分の流派の権現を勝ち取り、家康は東照大権現となったのです。

 

なので、江戸時代の史書に権現とか東照宮とか出てきたら家康のことです。

「徳川実紀」という史書も、家康の部分のタイトルは「東照宮御実紀」なので探す時は気をつけましょう。

 

「麒麟がくる」のラストがね、本能寺の変の後は光秀が死ぬシーンが無く、どこかで生きてるかも知れないのを匂わす終わり方だったから長谷川さん期待したんだけども。

 

「鎌倉殿の13人」ではラストに松潤演じる家康が出てきて、ドラマの部分の鎌倉時代の史書「吾妻鑑」を読んで「おもしれー」というところで終わっていたので、今回のラストでまた吾妻鏡が出てきて、来年大河の源氏物語も出てくる、という、こういう演出は粋で良いですね。

 

ただ、なぜ源氏物語が夕顔の巻だったのか、、、

 

1巻目ならば桐壷だし、物語全体のイメージなら若紫だと思うんだけども、夕顔。。。

 

生霊とか呪いとかの話になるんだろうか。。。

だったら安倍のサンタマリア大活躍じゃんか。

 

ま、来年の話はいいとして、最終回は大阪夏の陣で真田幸村が突撃してくるところからでした。

 

勝利するための唯一の手段は家康の首を獲ること、と言っていましたが、家康が出陣して来なかったらどうするつもりだったんでしょうね。

 

夏の陣はもはや集まった牢人たちが華々しく死ぬための自棄っぱちの戦だったと思うのですが、これはドラマや小説の影響なのかなあ。

 

冬の陣が不完全燃焼すぎたので、負けるならちゃんと討ち死にしたい、という牢人たちの希望ですね。

 

このまま召し放たれたら再び貧困の牢人生活に戻るだけ、しかも今までは再び戦を起こす希望があったけど今度は全く希望の無い牢人生活。

 

ならば名を残すような戦い方をすれば、それでもし生き残れたらどこかの大名が召し抱えてくれるかもしれない、死んでも自分の武勇が伝われば親族が召し抱えられるかもしれない、そんな戦だったイメージです。

 

徳川方の武士たちにとっては、前のブログでも書きましたがこれが初陣という者が多く、しかも最後の戦かもしれないということで、この戦で手柄を立てなければ自身の武勇伝を得る機会がなくなってしまうという意識があったと思います。

 

祖父や父が戦乱の中で幾多もの武勇伝を持っているけど自分には無いために、手柄を欲している。

 

しかも勝ち戦なのは確定だから、勝ち戦では死にたくないわけですよ。

 

負け戦ならば華々しく壮絶な討ち死には後世の語り草になる覚悟もできるけど、勝ち戦じゃね、勝って栄誉を手にしたいわけですよ。

 

そういうところで真田隊の一点集中で捨て身の猛攻の前に本陣が崩れるということになったと思うんだけど、家康を守らず逃げた者たちは戦後に厳しく詮議されることになりました。

 

ドラマではその辺は触れられずに、家康の覚悟のみが描かれたんだけども、その覚悟の部分でなぜ圧倒的に優勢な徳川軍の本陣が崩れることになったのかというところを説明したんじゃないかと。

 

あってはならない事態が起こったわけで、真田幸村が凄すぎて家康の首まであと一歩だったみたいな感じになってるけどよく考えたらというかよく考えなくても不思議な戦だよね。

 

大阪方は隊を分けて行軍して合流という作戦すら上手くできずに各個撃破されてるような連携の悪さなのに。

 

次々と有名武将が討ち取られて、秀頼、淀殿ら主だった者たち最後の30名ほどで山里曲輪というところに追い詰められます。

 

ここで最終的には全員自害したり火薬に引火して爆発したような記述があったり、いろんな人の日記で誤報も交えたたくさんの記録があるのですが、追い詰められてから自害するまでにどんな会話があったのか等は全員死んでしまったのでドラマで描かれているのは創作です。

 

「こんなはずじゃなかった」と後悔して死んだのか、徳川に恨みを残して死んだのか、それとも例え死すとも豊臣の誇りを貫いたと清々しく死んだのか、脚本家演出家の腕の見せどころですね。

 

千姫だけは脱出するのですが、脱出の際にドラマではカットだったエピソードがあります。

 

家康は千姫を救出しようとしていて、ほんとかどうか定かではないけど千姫を救出した者を次の千姫の夫とするというような触れがあって、坂崎直盛(旧名宇喜多詮家、宇喜多秀家の従兄弟)が脱出してくる千姫に遭遇して救出することになるんだけども、坂崎直盛に千姫を与えられることはなく、怒った直盛は千姫を強奪しようとして失敗、直盛は討たれるか切腹かして死んで坂崎家が断絶という、千姫事件です。

 

詳しくは千姫事件か坂崎直盛でググればwikiが出てきます。

 

そして、千姫による秀頼の助命嘆願を断って秀頼を死なせたのは秀忠と伝わっていて、千姫の救出に喜ぶわけでもなく冷酷に処断したと伝わっているけども、ドラマでは熱い展開の演出でした。

 

こうして豊臣は滅んで元号も元和に変わって”元和偃武”と呼ばれる平和が訪れるわけだけども、家康が死ぬのは1年後。

 

死の間際の家康については天ぷらにあたった逸話とかありますが、ドラマでは鯉のエピソードで家康が回想シーンに潜り込んでメインキャラ全員登場の大団円の演出でした。

 

視聴者としてはやっぱ最終回の時にはメインキャラがほとんど死んでしまっている中での再登場は嬉しいわけですが、鯉の話はモデルがあります。

 

時期は回想シーンと同じくらいの時期ですが、鈴木久三郎という家臣が家康が大事にしていた鯉を食べて、家康が激怒し手討ちにしようとしました。

鈴木久三郎は「鯉や鳥獣の命と人の命どちらが大事か」と言い、家康は自分の鷹狩場で鳥獣を狩ったものを処罰する命令を出したのを諌められていると気付き、久三郎に礼を言ったという逸話です。

 

鈴木久三郎は、三方原の時のブログにも書いたかな?

家康の影武者となった家臣の一人で、この人は生還しています。

 

そんな逸話を、メインキャラに置き換えた演出ですね。

 

なお、家康は死後に神となったと思うんだけど、生きてるうちから神だったのかな。

神号は存命のうちに決まっていたかもしれないけど、生きてるうちの呼び名は権現様じゃないと思う。

 

最後は大御所ではなく、大阪の陣の後に太政大臣に任じられてからは唐名呼びの”相国様”と呼ばれていたようで、三河物語でも相国様と書かれています。

 

江戸時代に書かれたものだと、”東照宮”とかあきらかに家康を指す場合は”宮”だけとか、”権現”、”大権現”と書かれているものが多いですね。

 

ともあれ、後半かなりファンタジーで鯉の話の部分は何を見せられているんだろうと思いましたが、素晴らしい最終回だったと思います。

 

大河の最終回って主人公が死ぬ回なので悲しいんだけど、家康は幸せだったのかっていう疑問の答えを描いてくれて温かみのある最終回だったと思います。

 

ちなみに、最終回の話で他の作品の紹介するのもアレなんだけど、いつも引用する隆慶一郎の「影武者徳川家康」でも物語のラストは影武者徳川家康での最愛の側室お梶の方が「幸せでした」と言って終わります。

 

苦しい戦いの中でも信頼できる仲間たちと幸せに生き抜いてきたというのは、見ている側も救われますね。

 

最後に、このブログを書くにあたって参考にした文献です。

 

もっとあるけど。

今見えるとこにある分だけ。

 

名将言行録とか武功夜話の秀吉編とかどこ行ったんだろ。。

 

次回は1年分まとめた感想コーナーです。

 

もう1回分お付き合いくださいませ。