わんわん物語

わんわん物語

~異界から目薬~

たいしたことは無いんだけどね、せっかくなので記録しておこうかと。

 

ここ数年2月ごろに体調不良で謎の病になることが多いんだけども、今回のは病っていう病ではありません。

まあ、なんで2月に体調不良になるかっていうと、シンデレラキャッスルの活動ペースが6月にボーカル生誕イベントで音源出して、12月にガジーさんバースデーで音源出して、っていうスパンで、年末年始はその後片付け的な事務処理と音源リリースに手いっぱいでさっぱりできなかった仕事に追われて2月に力尽きる、と。

 

今回は10月にPV撮影終わったあたりで一瞬空白ができたので、そこでもろもろの体調不良を治しておこうと思って病院行ったのね。

 

行ったのは歯医者と皮膚科で、虫歯は現在も治療中だけども。

 

あ、虫歯も別に歯磨きちゃんとできてなかったやつではないのよ。

以前治療したところの隙間と、親知らずです。

今月親知らず抜きます。

 

で、皮膚科の方、ずっと前から首に何かできものがあって、別に悪いものではなさそうなんだけど、肩こり治すのにマッサージや整体に行ったときに邪魔なのと、肩こりが頭痛に繋がりやすいのがこれのせいなのか、と思って病院に行ったわけです。

 

脂肪腫とか粉瘤とかだと思うので、すぐ取ってくれるだろ、と思ったらなかなか大変で、最初は近所の個人病院に行ったんだけど「大きな病院で見てもらって」と言われて紹介状もらって、大きな病院行ったら日を改めて検査と言われて、検査して検査結果聞くまでで2か月ですよ。

 

で、血液検査とエコー検査して、たぶん脂肪腫か粉瘤なのでそのままでも大丈夫だと思うけどどうする?って言われたけど、まあここまで結構通院したし病院代かかってるし、取ってよ、ってことで。

 

そしたら「じゃあ、1泊入院で」ということになりまして。

 

これ取るのに入院必要だったのね。

 

というわけで前置きが長くなりましたが、初入院でした。

 

今まで謎の病になったり頭痛が激しくて救急車で運ばれたりバイクで事故ったりしましたが、入院は初めてだったのです。

 

手術も、かなり昔に金属片が目に刺さったり、ガラスの細かい破片が手に刺さったのを摘出するのを手術っていうくくりでやっただけで、麻酔してメス入れるような手術は初めてでした。

 

だが、タイミングよく最近歯医者で麻酔しまくってるのでさっぱり痛くないことはわかっています。

ナイスタイミング虫歯。

 

全然怖くはないんだけど、初めての入院がドキドキです。

 

まず、PCRから。

9時半に入院受付行ってPCR受けてきてと言われたんだけど、場所が一般のPCR行ってと言われたり皮膚科の外来行ってと言われたりで、コロナの対応がしょちゅう変わるのかなかなかの混乱ぶりでした。

もちろん陰性でした。

 

なんだかんだで入院の手続き終わって病室に行けたのが11時ごろ、着いてまずお昼ご飯でした。

うどんです。

ご飯はあまり期待してなかったけど、給食くらいの感じの味でした。

デザートにメロンがついてた。

あと、メロンのお皿の下に唐辛子が隠されてた。

 

で、手術までのんびりしようかと思ってたんだけど、入れ替わり立ち代わり入院の説明の人が来て結構バタバタでした。

入院初めてだからわからないけど、1泊入院ってあまり無いのかなあ。

看護師さんたちはあわただしくいろいろ説明したり書類持ってきたりで、ほんとはもっとゆっくりやるんだろうな、と思いつつ、何人もの説明を聞いてました。

 

で、手術は14時半くらいから、とのことなので、ご飯食べて一通り書類確認してまだ13時だったから、病院にあるコンビニへ。

 

手術のための入院なだけで別に体調悪いわけでもケガしてるわけでもないので元気です。

 

だけどコロナの影響で面会禁止なので、病棟の入り口が、出るのは良いんだけど入るのにインターホン押さないと開けてもらえないようになってたので、何度も出たり入ったりは申し訳ないから一気に買い出し。

 

ひたすら甘いものを食べようと思ってスイーツいっぱい買ってきました。

 

が、手術して首から出てきたら困るので食べるのは手術終わってからに。

 

暇つぶし用に本もたくさん持ってきたからベッドの上でのんびりしてました。

 

で、手術。

 

首の裏側なので、ベッドにうつぶせになって、マッサージ屋さん行った時の、枕がマッサージ屋さんのタイプじゃないやつ。

そのままでは息ができないのと鼻がつぶれるので、タオルで高さ作ってもらって腕で支える姿勢での手術でした。

 

それが、1時間弱って言ってたのに1時間半かかりました。

 

局所麻酔なので意識はあるし会話もできるのですが、とにかく姿勢の維持がつらい。

痛みは感じなくなるけどそれ以外の触ったり引っ張ったりしてる感覚は残る麻酔とのことで、何とも言えない感覚です。

あと、途中で「15時から予約の患者さん来てるんですけどー」ってなったりして、14時半から1時間弱の予定の手術して15時に予約入ってるって何でやねん。

15時半くらいに「15時に予約のおじいちゃんもう疲れちゃってるんですけどー」ってなって、こっちも疲れてるんじゃー

だけど、まだ首をバチバチ切ってる音が聞こえてて、なかなか大変だった模様です。

 

なんだかんだで深さ7ミリくらいのところに、14ミリ×14ミリ×3ミリくらいの大きさの何かがあって、筋肉のところまで行ってたらしい。

取ったもの見たら、端から端までは2センチくらいあったかな。

それが首の中で盛り上がってたから、取る前に首を触った感じだと盛り上がり自体は3~4センチあった感じなんだけど、無事に摘出できました。

 

取った後は、縫うのは早くて、ガーゼ張って終了。

 

お疲れさまでしたーって病室へ帰って、甘いものをひたすら食う。

 

夜ご飯は18時前に来て、肉でした。

デザートはヨーグルト。

 

なんか、もう帰っていいんじゃないか、って感じなんだけど、一晩経過しての傷口の具合をチェックするそうで。

 

夜、麻酔が切れたらジンジンしてきたのと、それ以上に手術の時の姿勢のせいで肩が痛かったので痛み止めカロナールをもらった以外は特に何もなく、オリンピック見ながら本読んだり漫画読んだりスマホゲームやったりしながらのんびりしてたら猛烈に眠くなって、たぶん22時くらいに寝た。

 

なので朝は6時くらいに起きちゃって、なんかもろもろちょうど良い感じ。

 

部屋は大部屋で、4人部屋にもう1人いただけで皮膚科の病棟だからとても静かだったんだけど、朝急患が来て、こちらは扁桃炎で1週間入院とのことでだいぶやばそうでした。

PCR検査しないと病棟に来られないからコロナは安心なんだけど、めっちゃ咳込んでグホォってなってて、病院って大変なんだなあ、って思った。

 

朝ごはんはパンで、特に何もなくお昼ご飯のチンジャオロースも食べて、午後傷口確認して、問題無かったので14時半ごろ無事に退院しました。

 

湯舟に入っちゃダメな以外はシャワーもOK、運動制限も特に無しです。

頭振るとは思ってないだろうけど。

 

湯船に入ると血行良くなって出血するらしい。

 

帰りはケーキ屋さんが開いてたので買えてなかったお父さんのバースデーケーキ買って帰りました。

 

 

というわけで、入院日記はそんな感じです。

傷口はグロいので載せませんが、ご希望の方はチェキに、、、しないよ!

 

来週抜糸して、念のため取ったもの調べて悪性じゃなければ終了です。

 

が、来週うっかりその後歯医者も予約してたので、抜糸して抜歯かも。

その翌日バレンタインライブです。

 

まあ、なんとかなるでしょ。

 

一通り病院が終わったら6月に向けての準備も本格スタートなので、またがんばらねばー

 

 

 

というわけで先週書けなかったかんだけど、ちょっと調べものをしておりました。

 

何を調べてたかというと、鎌倉時代前後の軍制についてです。

 

まず強調したいのは、軍制に限らず世の中の仕組み自体が鎌倉幕府成立前、成立後で全く違うのと、戦国時代とも全く違うということです。

今回の大河では冒頭から伊東祐親が兵を率いてきたりしてましたが、率いてきた兵って何なの?っていう疑問からの調べものなのですが、戦国時代の兵は領民で武士は領主です。

領主だから領民を動員できたわけですね。

 

それに対して鎌倉時代の武士はどうやって兵を動員できたか、という話なのですが、鎌倉時代の武士はちょっと違うのです。

 

ということで、武士ってそもそも何?ってところから荘園制を調べるにあたって大宝律令まで遡ることになって時間がかかってしまいました。

 

なので、まずはその辺に関わる日本史のおさらいです。

 

西暦645年の大化の改新で天皇中心の政権となり、701年大宝律令を制定して日本はようやく「国家」の仕組みができあがるのですが、それ以前の仕組みはあまり調べがつきません。

 

縄文、弥生、古墳までは各地で勢力が相争い、その兵の担い手はそれぞれの集団の住民だったと想像できます。

つまり敵が攻めてきたら自分の集団を守るために戦い、自分たちの集団が貧困になったら他の集団から富を奪いに攻め込むという、守るのも攻めるのもその集団の利益となるからリーダーにしたがって集団の構成員が兵となっていたんじゃないかと。

 

それが淘汰され、強力な支配者たちがまとまって大王(おおきみ)を中心としたヤマト政権ができあがります。

 

ヤマト政権での兵は、おそらくそれぞれの豪族の私兵ですが、専任の兵なのか、普段は農耕をしていている者たちだったのかわかりません。

が、蘇我氏を中心とした豪族の連合体であったので江戸幕府に近いイメージだったんじゃないか、と考察しています。

蘇我氏が徳川氏のように政権を担い、それぞれの豪族が大名のように従っていたならばそんな感じなんじゃないかな、と。

 

それが、大化の改新、つまるところ明治維新と同じ勢いで蘇我氏を滅ぼして天皇中心の政権となりました。

ここから大宝律令の制定まで50年ありますが、その間に明治維新と同じようなことを定めます。

 

それは、公地公民制というもので、いわば廃藩置県です。

全ての土地と人民は天皇が所有するもの、となったわけです。

 

誤解の無いよう一応書いておくと、これは天皇の奴隷になったとか自由がなくなったとかいうことではなく、土地と人民の私有を禁止したということですね。

 

で、班田収授法というのを定め、人民に口分田という名で田畑を平等に分配し、租庸調という税法を定めました。

 

順調に改革が進んでるように見えますが、663年に大事件が起こります。

 

古代より中国、朝鮮では戦乱が続き、戦乱を逃れた渡来人がたくさん日本に来ていましたが、この頃は百済と高句麗と新羅が朝鮮で争っていて、新羅が唐と連合して百済を攻め、百済は滅亡して遺民が大量に日本に逃れてきました。

 

そして663年、百済復興を目的として日本、百済連合軍と、新羅、唐の連合軍が白村江で戦い、日本は大敗。

日本と百済の連合軍47000人のうち10000人が死ぬというめちゃくちゃな大敗です。

なお、この兵の内訳には農民兵もいた模様で、公地公民制はまだ実現していなかったようです。

 

が、この戦いを機に公地公民制が一気に進みました。

むしろ公地公民制を進めるために敢えて負け戦をしたという陰謀論もあるくらいで。

 

これで朝鮮からの脅威にびびりまくった日本は大規模な軍制を整えることになります。

 

租庸調に加え、衛士(宮中警備)、防人(九州警備)の軍団を作ります。

 

これらは班田収受法や租庸調制を実現するために戸籍を整えたため、人民から徴兵できるようになったため可能になった制度ですね。

 

成人男子3人に1人は軍役というすさまじい徴兵制でした。

つまり、この時できた軍団の構成員はほぼ農民です。

 

で、話を大宝律令に戻すと、地方行政は全国に「国」を置いて朝廷から交代制の国司を派遣して統治しましたが、国はいくつかの群に分割してそれぞれ郡司を置きました。

 

この郡司は律令制以前からいる地方豪族で、国司は交代するのに対して郡司は世襲制でした。

 

この制度はずっと構成まで争いの種になるやつなのですが、国司は任期の間に徴税の成果を上げて京に戻った後の出世に繋げたかったり国司の間に私服を肥やしたかったりするのに対し、郡司はずっと在地にいるわけなので自分が協力しないと上手くいかないから協力への見返りを求めたり、気に食わない国司が来ると対立したりします。

 

そして、郡司は在地の世襲制、ずっと地方豪族のままなので、公地公民制が崩壊してもそのまま地方豪族としての性質を残し続けました。

 

公地公民制は、人民に与えられた口分田をがんばって耕作しても税率は同じだからがんばった成果を自分の物にできないというもので、がんばる意欲を削いでしまいました。

 

なので、三世一身の法(新たに開墾した田畑は三世代耕作者の物になる)を定め、それでもやる気出さないので墾田永年私財法(ずっと私有してOK)っていう、覚えるのが大変な教科書用語の制定となって公地公民制は崩壊します。

 

軍制の方も、新羅にびびってものすごい徴兵したものの、一向に攻めてこないのでこちらも廃止。

残す軍は地方豪族の一族が武芸に専念してエリート兵とするのみとなりました。

 

これが武士の起源であり、エリート兵っていうところがポイントになります。

そもそもが農民より高い地位の者であり、なおかつ鍛錬をして一般領民より強いことの他、戦い方は騎射で、馬を保有する財力とそれに乗って弓を射るという高い技術が必要なため、武士と武士でない者の武力の差は隔絶したものがありました。

 

ゆえに、源平合戦までは一騎打ちという戦い方がメインになります。

 

よく元寇で日本軍の一騎打ちは元軍の集団戦術の前に為す術無く敗退したって言われるけども、それは軍団の構成員が全く違っていたからなのです。

 

元軍は侵略された中国や朝鮮の人民を大量に徴兵して構成された大軍、日本軍はそれぞれが一騎当千の鍛錬された武士。

一人一人が最強ならば戦術も何もいらないわけですが、元軍はそれに勝る大軍と個の武芸に頼らない戦術で攻めてきたわけですね。

 

話を公地公民の崩壊に戻すと、ここから荘園制が始まってきます。

荘園とは墾田永年私財法によってできた私有の田ですが、そもそも新たに開墾できるのは貴族や地方豪族といった初めから裕福な層でした。

 

そして、税金対策として荘園を有力者に寄進するのがトレンドになっていきます。

わかりやすく言うと、身分の高い人は減税や免税にできる権限を持ってるので、その人に荘園をあげて自分はその管理者になって税は払わずに手数料をもらうシステムです。

 

っていうのが、身分の低い人から高い人へ何段階も進んで、一つの荘園に何重もの持ち主や管理者ができたりします。

寄進を受けた人を領家っていうわけですが、埼玉に入ったあたりで領家って地名があるよね。

領家からさらに寄進を受けた最上位の荘園の持ち主を本家と言います。

 

そうしていくと、京の貴族が地方に多くの土地を持つことができ、その貴族の荘園管理者としての武士の役割も増えるわけです。

 

で、一つの地方に国司と郡司と荘園の持ち主と荘園の管理者っていうのが混在するとトラブルが多発するわけで、平将門の乱や藤原純友の乱などが起こり、それを武士が鎮圧してますます武士の役割が大きくなっていく。

 

ただし、先ほどから述べているように軍の構成員は全員が武士、つまり地方豪族の一族なので数は少ないのです。

 

だから、「北条の動員は9人」という、戦国時代の感覚からすればなんじゃそりゃっていう人数になってしまうわけです。

 

やっと大河の話に戻れた。

 

要するに、小隊長しかいない小隊9つだと思えばいいわけです。

 

戦国時代ならば一人の武士に対して槍持ち、旗持ち、首獲り係など10名前後が付くので、北条の動員9人は戦国時代に換算すると100人くらいの兵力をイメージすると良いでしょう。

 

なお、戦国時代の兵数は単位が「人」の場合と「騎」の場合があり、資料によって兵数がばらばらなのはこのためです。

1騎に何人ついてるかバラバラなのと、「人」は領地の広さから軍役で割り出して数えてる場合もあり、資料の兵数はあまりあてになりません。

 

というわけで、今回の大河に出てくる戦闘員は全員武士身分、それぞれの家の当主の一族や従者なのでした。

 

なので、名乗り合いの一騎打ちが必要なのですね。

全員が高い身分、特に源氏や平氏は天皇の血を引いているため、戦うに当たって自分が誰を殺すのか、ということは確認しないといけないことであり、それこそが武士が武士であることの基盤となる思想なのでした。

 

ま、サッカーのワールドカップとかもそうだよね。

試合してる人、敵も味方も全員億万長者だしね。

そりゃ戦う前に相手誰か確認するよね。

 

次回、いよいよ挙兵第一弾、お楽しみに!

 

 

 

というわけで、今年は感想をいっぱい述べてみます。

 

2話目は主人公北条義時が源頼朝に振り回されながら信頼されていくような話でした。

 

源頼朝、一般的なイメージってどうなんだろう?

個人的にはあまり好きではないんだけど、歴史的には偉大な人物、ということになっていますね。

 

それまで前例の無かった幕府というものを作る、日本史を変えた偉業です。

 

幕府って何なのかっていう話はとても長くなるので後日またドラマの流れに合わせて語ろうと思いますが、一点だけ注意したいのは、鎌倉幕府は室町や江戸の幕府とは違って、大名同士の戦いで勝って天下統一したからできたわけではない、ということです。

 

戦以外の様々なパワーゲームですり抜けすり抜け、源氏の棟梁をポジションを東国の荘園管理権を持つ者、つまり政治、警察、徴税等を行って統治する者にし、それを全国に広げて朝廷に代わって日本を治める政府となったわけです。

 

なので、現在でも鎌倉幕府の成立年については、鎌倉幕府って何ぞや、ってところで狭義や広義での捉え方、鎌倉幕府が持っていた力の状態で様々な議論があるわけですが、ともあれ、以後明治維新まで武士が領地を治め、その最大の機構として幕府というものがあるという図式を作った頼朝は日本史の中でもトップクラスの偉人であることは間違いありません。

 

が、頼朝を好きではない理由の一つは、頼朝がほんとに自分でやった部分があるのか、ってところなのです。

例えば徳川家康なら家臣にブレーンとなった有能な文官がたくさんいたけど自分の指揮、自分の戦略で勝ち上がり、幕府の仕組みも自分の構想で作り上げた部分が多くあるけど、頼朝はお神輿感が強いのです。

 

政治力はあって、自分の魅力が何なのかを理解してフル活用し源氏の武士をまとめ上げ、平家を倒して幕府を作りました。

が、「平家を倒して」の部分でほぼほぼ活躍していないんじゃないか、と。

 

この辺はあまり詳しくないし平家物語も吾妻鏡もちゃんと読んでないのでなんとも言えないんだけども。

 

イメージ的には伊豆で流刑になっていたところに反平氏の武士たちが集まって大将に祭り上げられ、挙兵したら木曾義仲も挙兵して大活躍したから自分より優位に立たれないように征伐し、平氏打倒に大活躍の弟義経も征伐っていう悪いイメージと、それを自ら出陣してではなく、とても高いところから配下に命じているっていうところで、得体の知れない不気味なところがあります。

 

大河ドラマでは義時が頼朝に魅かれていくところなので、しばらく頼朝の魅力がどんなものであったかっていうシーンが出てくると思います。

ドラマや小説でも良く描かれることは少ないキャラだと思うので、そのあたりは注目したいところです。

 

今のところ流刑されてきたのに偉そうにしている感じですが、たぶんだけど実際関東の武士に比べるとかなり偉かったんじゃないかと。

 

この頃の世の中はまだ朝廷が唯一の政府であり、関東の武士はほとんど無位無官だったけど父義朝は河内源治の棟梁で保元の乱でも活躍し左馬頭という官位を得、頼朝自身も義朝の子として朝廷に出仕し、天皇の蔵人となるとともに右近衛将監という官位を持つ貴公子でした。

 

京の戦で活躍し、朝廷にも出仕していたというのは、流刑とはいえ、表面的にはおとなしくしていても意識の中では自分は高貴であるっていうところは無くせないのだと思います。

 

更に、そこに自分を反平氏の大将にしようとする人たちが集まり始めたらなおさらです。

 

高貴ではあっても自身は無力なのもわかっていて、そこからあらゆるものを利用して自分の権威を確立していくパワーゲーム。

見ながらいろいろ勉強できます。

 

次回もお楽しみに!

 

そのうち書くと言っておいてすっかり忘れてた。

戦国時代のお城としてはマイナーなんだけども、城主の一族の話は面白いので例によって長くなりますが語っておきますね。

 

撮影場所は埼玉県朝霞市の城山公園、「城山公園」という名の公園は全国に無数にありますが、名前の通りたいてい城跡です。

近くの地名に「大手」「○○門」「馬場」「鍛冶」等あれば間違いなく城跡です。

更に近くに市役所、学校等あれば明治まで残ってた城で、城の敷地が市役所や学校に使われています。

 

が、先日行った善光寺の近くの城山公園は違う模様。

 

で、朝霞市の岡城、岡城と言えば大分県の岡城が有名なので朝霞市のはググると武蔵岡城となって出てきます。

大分の岡城は島津軍3万7千を1500の兵で撃退した不落の城です。

 

それに比べると武蔵岡城はマイナーなのですが、その城主の太田氏は戦国をしたたかに生き延びた一族で、その波乱万丈は大河ドラマにできそうなくらい分厚い物語です。

 

岡城の城主は太田資康(すけやす)という人物で、影武者徳川家康を読んだ人ならお梶の父と言えば分かりやすいと思います。

お梶(お勝、英勝院)は家康が晩年に寵愛した側室で、影武者徳川家康では主要キャラの一人になっています。

 

なので、資康という名前を見て最初は家康の康をもらったのかと思ったけど、北条氏康からもらった康だそうで。

 

太田氏は太田道灌の末裔で、埼玉県の岩槻や松山あたりを拠点とし、北関東に群立する小大名や豪族、北から上杉、南から北条、東に佐竹と四方八方敵味方入れ替わりながら戦い抜きました。

 

太田道灌、以前もどこかのブログで書いたけど、戦国時代初期の名将で、関東管領職であった上杉氏の家宰として大活躍するも主君に疑われて殺されました。

築城術も天才で、江戸城など多くの城を作っていますが、岡城も太田道灌が築城したと言われてます。

 

ま、こういうのは天才が一人いるとなんでもかんでもその人がやったことになってしまうので、ほんとかどうかは証拠が出てこないとわからないけど。

山梨長野の有名な城はほとんど山本勘助が作ったことになってるし。

 

ただ、岡城、ロケハンのために近所もぐるぐるしましたが、公園のすぐ横に流れている川を掘だとすると、結構広大なところまで坂が続いているのでかなり大きな縄張りを持っていたんじゃないかと想像できます。

 

電車で東部線や西武線に乗るとわかるのですが、埼玉ってめっちゃ平坦なのよ。

起伏が無く、ちょっと高いところに登ればかなり遠くまで見渡せる。

 

なので戦の際は真正面からのぶつかり合いになり、ガチで戦うと血みどろの消耗戦になるからそれは避けたいし、そうなると当然数が多い方が勝つので戦う前から優勢な方に寝返り続出するしで、なんだかんだで緩い戦争状態が長く続いてました。

 

小豪族が戦う前から優勢な方に寝返るから小豪族も滅ぼされずにたくさんいました。

 

それを一気に打ち破ったのが北条氏です。

川越城を囲む上杉の大軍を夜戦で壊滅させたのです。

 

で、上杉氏は越後に逃げて、上杉の苗字と関東管領職を長尾景虎に譲って、最終的に上杉謙信と改名した長尾景虎が関東に攻めてくるようになって、上述のカオスな関東が出来上がります。

 

その中で勢力を保っていた太田氏、同族ってだけで血縁関係が不明なのが多いのですが、有力なのは太田資正という人でした。

信長の野望の中でも近年の研究でどんどん能力が上がっています。

 

太田氏の一族は結構バラバラにいろんな勢力についたり離れたりしていますが、岡城の資康は資正の右腕的な感じで連携していたようです。

 

資正、資康それぞれウィキペディアがあるので詳しくはそちらを参照なんだけど、資正のはかなり長いよ。

 

岡城で資康が戦かった記録は手元の資料では見つからないのでこの城がどう機能したかはわからないんだけど、平坦な地形が続く埼玉ではかなり高地だと思います。

 

付近には起伏も多く、起伏が続くところまでが縄張りならば、今は住宅地になっているけどかなり広大な城で、ウィキペディアによると所領は2000貫だから兵力に比べると城が大きすぎる感じはするかな。

 

太田道灌を中心に、太田氏の勢力が大きかったころに作られた感じはします。

 

二の丸や本丸への山は高くはないけど結構急で、力攻めで落城させるのは大変そう。

 

ここに定期的に上杉謙信が攻めて来るのです。

 

上杉謙信は関東管領職となったからにはマジメに関東を制圧しに来るのですが、雪が降ると越後に帰れなくなるので冬前に帰ります。

 

なので、このあたりの豪族は上杉謙信が来たら上杉に降伏して、帰ると北条氏が攻めてくるので北条氏に降伏します。

北条氏が許してくれなかったりすると房総の里見氏を頼ったり茨城の佐竹氏を頼ります。

 

そうやって生き延びてるうちに秀吉が小田原征伐にやってきて、資正は秀吉について見事戦国を生き延びることに成功するのですが、資康の方は途中で消息が途絶えてしまうので生き延びたかわかりません。

 

そんな城で撮影しました。

 

建物は残ってないけど城跡感はとてもあるのでなかなか面白いですよ。

 

太田氏を主人公にした小説とか無いものか。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回も詳しくはないけど感想は言える!

 

というわけで鎌倉殿の13人、始まりました。

 

鎌倉時代ということでね、戦国時代に詳しければ鎌倉時代も似たようなもんだろ、と思うのは大間違いです。

織田信長や徳川家康が活躍する時代は1550年ごろ~1615年ごろ、鎌倉時代とは400年くらい違うのです。

 

400年と言うと戦国時代と現代の差も400年だからね。

 

中国の歴史で言えば宋がモンゴル帝国に滅ぼされて、明王朝が再び漢民族の王朝を開いて、もう1回異民族の清に滅ぼされるまでがだいたい400年です。

 

ヨーロッパでは十字軍やったりフランスやイギリス等の王朝同士が戦争しながらマルコポーロが中国まで行って東方見聞録書いたりコロンブスがアメリカ大陸発見したりして大航海時代が始まって日本までやってくるのが日本の鎌倉~戦国時代にあたる期間です。

 

日本の場合は和服から和服だから見た目の差は分かりづらいけど技術や文化や思想は全く違うのです。

 

例えば、倉で米俵が積んであるシーンがありましたが、あの米俵1俵の量は戦国時代の1俵と量が違います。

一応、なんとなく度量衡はまとまってた感じだとは思うけど、ちゃんと統一されたのは秀吉が天下統一してからなのと、1俵=1石の石(こく)という単位もそれまで貫という重さの単位を米の量や領地の広さの基準にしてたのを秀吉が太閤検地で石という単位にしてからなので、今日大河ドラマで出てた米1俵はどのくらいの量なんだろう。

 

太閤検地以後は1石=1俵=10斗=100升=1000合で、1石は兵士1人が1年間に食べる量の目安で、領地には非戦闘員もいるのでだいたい1万石で200人くらいの兵力がある感じです。

 

現在はまた重さに戻って1俵=60キロです。

 

で、1合や1升をマスで計るわけですが、そのマスの大きさも領地によってバラバラなので、つまるところ1俵の量もバラバラなのです。

そうなると商売なんてできないので商業はさっぱり発達していません。

貨幣も日宋貿易で得た宋銭がメインでしたが、農村では基本物々交換です。

 

と、まあ、あの米俵どのくらいの量なんだろうって思いながら見てた大河ですが、北条政子は闇のある人が好きっていう、絶対史実でそんなこと言わないでしょ、っていうようなセリフが飛び交う三谷幸喜ワールド。

 

なんとなくあらすじ見てもどんな話なのかよくわからない時代設定なんだけど、そもそも主人公北条義時なの?北条義時って誰?みたいなところですよ。

 

鎌倉幕府は源氏の将軍は3代で絶えて、その後は皇室から飾りの将軍を迎えて実権は北条氏が握り、執権という役職について代々北条氏が鎌倉幕府を支配するんだけども、北条氏が実権を握るまでの鎌倉幕府内部の権力闘争がメインになる話なんじゃないかと思います。

 

ぶっちゃけ鎌倉時代の話が面白いのは源平合戦から義経が死ぬところまでなので、普通の話ならばさっぱり面白くなさそうなドロドロの物語なんだけど、三谷幸喜が描くならめちゃめちゃ面白いことするんじゃないかとすごく楽しみなのですよ。

 

既に第1話からだいぶ面白かったし、なおかつかなりかっこよかった。

 

第1話は源頼朝が伊豆に追放されて北条氏と出会うところからなんだけど、この部分は源平合戦の話でもさほど面白い部分ではありません。

追放先で無為に過ごす頼朝よりも、その間に義経が鞍馬山で天狗と修行したり五条大橋で弁慶と戦ってる話の方がずっと面白い。

 

が、面白くない話の方が面白くできるっていうね。

 

なお、タイトルの鎌倉殿の13人の殿は「どの」と読みます。

「でん」と読んでしまうと建物のイメージですが、「との」と読むと人を指す感じになります。

 

建物であっても人を指すことは多々あって、お館(屋形)様で主君を指したり、秀吉の側室で淀城に住んでたから淀君とかありますが、官僚を霞が関と呼ぶようなニュアンスなら「との」の方が合う感じかな。

 

1話目からかっ飛ばしてるので、来週もお楽しみに!

 

 

 

 

無事に新年を迎えることができました!

皆様明けましておめでとうございます。

 

虎は中国から向かってる途中でまだ到着してないんだけど、せっかくなので戦国時代的に虎の話をしましょう。

 

戦国時代の虎と言えば、実はいっぱいいるんだけどもまずは甲斐の虎、武田信玄が思い浮かぶかな。

甲斐の虎の武田信玄と越後の龍の上杉謙信の激突は戦国時代を華々しく彩る戦いだけども、名前的には実は上杉謙信の方が虎さんです。

 

上杉謙信、幼名は虎千代、元々の苗字は長尾氏で元服して長尾景虎という名前になりました。

ついで、関東管領だった上杉憲政が関東で敗れて越後へ逃れ、長尾景虎に関東管領職と共に上杉の姓と名前の政を与えて上杉政虎、そして将軍足利義輝から輝の字をもらって上杉輝虎となりました。

 

基本ずっと名前に虎の字が入ってるのね。

謙信と名乗るのは41歳になった時で、没年が49歳だから名前が上杉謙信だった期間は8年間です。

 

武田信玄の方は、本人の名前に虎は入らないけど家臣は虎さんだらけです。

というのも、お父さんの名前が信虎で、家臣に虎の字を与えまくってたからなのですね。

 

それと、信玄は法号で出家してからの名前ですが、元の名前は晴信で、晴の字は元服した時の将軍足利義晴にもらった字だから家臣に与えられず、信の字も武田氏の通字(代々受け継がれる名前の字)だからよっぽど大手柄を立てた家臣にしか与えられなかったので自分の名前を家臣に与えられなかったため、信玄時代の家臣にも父の虎の字を与えてたわけです。

 

主な家臣の中に春日虎綱(高坂昌信)、飯富虎昌、甘利虎泰、原虎胤、小幡虎盛、秋山虎繁などがいます。

秋山虎繁は武田軍の別動隊司令官で、飯田線の飯田城に居を構えて対美濃、対三河の武田信玄が北の上杉と戦ってる間の西と南を担当した武将で、名前は虎繁なのにあだ名は甲斐の猛牛っていう、なんだかわからない名前の人です。

 

丑年のうちに語っておけば良かった。

 

ちなみに、牛がつく有名な戦国の人は、信長公記を書いた信長の親衛隊員の太田牛一って人がいます。

この人もたくさん語れる。

 

で、話を戻すと、信玄のお父さんの信虎は追放されて信玄が家督を継ぐので虎の字よりも曾祖父信昌の昌の字をもらう家臣が増えてきます。

上述の武田四名臣の一人春日虎綱も高坂昌信に改名するし、武田四名臣のもう二人も山形昌景、内藤昌豊です。

 

まあ、武田の家臣団はやたら虎でやたら昌ってことですが、ライバルの上杉謙信も虎だった、ってことで。

 

他にも戦国の虎と言えば、虎之助と言えば加藤清正。

幼名が虎之助ですが、朝鮮に侵攻した時には虎退治をしたとのことで、自分も虎だけど虎を倒したという、ややこしい。

 

あと虎松。

何年か前の大河に出てた井伊直政ですね。

 

そして井伊直虎。

女子だけど直虎。

おんな城主っていうことで大河になって放送直前に実は女子じゃなかった疑惑の資料が出てきた井伊直虎。

 

上杉謙信も女性説があるけど、女子感を払拭して強そうに思わせるために名前に虎の字をつけるのでしょうか。

 

ま、わんさんも世田谷の虎なのでがんばりますわー

 

ぱっと思いつくのはそんな感じだけど、なんか思いついたらまた書くかも。

 

本年も虎虎でよろしくお願いします。

やっちゃったっていう干支せ虎。

 

 

最終回見ました!

トータルでの感想は、渋沢栄一がこんなに面白い話だったなんて知らなかった!ってことに尽きます。

 

イメージとしては明治維新後に活躍した人で維新後の経済の基盤を作った人だから、どうやったら上手く商売できるのかとか政府や商売敵との争いがメインになるんじゃないかと思っていたんだけど、全然そんなんじゃなくて、幕末からも一人の志士として、また武士として、明治維新の激動の中をドラマティックに生き抜いた話でした。

 

物語が始まった頃のブログに書いたけど、第一話の感じから今までの幕末の物語とは別の視点から描かれる部分がとても楽しみな大河になると思っていたのよ。

 

その部分もたくさんあって、幕末の歴史の表舞台ではなく、農民からの視点で始まり、幕末の庶民の暮らしが描かれ、庶民の立場からの尊王攘夷、江戸へ遊学しての志士活動とそこからの考え方の変化、そして水戸藩士、幕臣の、身分の高い人や高名な人ではなくて一官吏として徳川慶喜を支える立場の視点での描き方はかなり斬新だったんじゃないかと思います。

 

先日の感想コーナーでも坂本竜馬について触れたけども、この視点、実は坂本竜馬も同じなんだよね。

 

竜馬も身分は低く、表立った活動ではなく常に高名な人の陰で動いていました。

今でこそ薩長同盟も大政奉還も竜馬の働きが大きかったことはドラマや小説で有名ですが、西郷隆盛や桂小五郎が藩を代表して動いていたのに対し、竜馬はそのお互いの知人として表立っては竜馬の名前は出ずに薩長同盟が結ばれ、大政奉還は竜馬が土佐藩の参政の後藤象二郎に献策して後藤象二郎の名で出されたものでした。

 

まあ、こういうのは多々あることで、戦国時代でも、例えば桶狭間の戦いでは簗田正綱が今川本陣を察知し、服部小平太と毛利新介が今川義元の首を獲ったけども、世間的にも歴史的にも織田信長が奇襲で今川義元を打ち取った、となる。

 

現代でももちろんいっぱいあって、会社の営業成績が上がれば会社的には実際に営業で成果を出した平社員ではなく営業部の部長の功績となるし、店舗の売り上げが伸びれば店舗スタッフよりも店長が評価されるわけで。

 

歴史物語の場合は資料が無ければこういう視点はなかなかできないから、だからこそ国内を飛び回って躍動感のある活躍をした坂本竜馬の物語が面白いのです。

 

でも、竜馬は教科書に載らず、渋沢栄一は教科書に載る。

でも人気は竜馬の方が圧倒的に高く、渋沢栄一はあまり知らない。

 

それを、渋沢栄一を坂本竜馬と同じくらい面白い物語に描いたっていう点で「青天を衝け」はとても高い評価のできるドラマだと思います。

 

また、描写のシーンも、幕末、明治、大正時代の外国を再現したのは現在のCG技術を駆使してできることなので、以前はできなかった映像を見ることができた、というのも評価ポイントだと思います。

 

戦国、幕末、その他が交互に取り上げられている大河で幕末も長州だったり薩摩だったり会津だったり新選組だったりとしてるけど、今回のはかなり画期的でした。

 

この1年は他の番組でも渋沢栄一が取り上げられることが多くかなり勉強にもなったんだけど、大河ドラマでは渋沢の大きな功績となった明治以降の部分は早いペースですっ飛ばして、栄一の人間性をメインに、後世に託された想いが伝わるように描かれたラストで感動でした。

 

歴史を勉強して、歴史のことを語って、一番回答に頭を悩ませる質問は「歴史なんて知らなくても何も困らないのに何で勉強しなきゃいけないの?」っていうことなんだけど、このドラマでちょっとその答えが見えたような気もしました。

 

詰まるところ、歴史は現代がゴールではなく今も続いていてこれからも続く、ということを認識するために学ばなくてはならないのかもしれない。

 

徳川幕府は260年続いたけど無くなった。

当時の人々は幕府があって将軍が国を治めているのが当たり前だと思っていたし、それが変わるとも思っていないし、別に変わらなくて良かった。

 

それが、外国の脅威に気づいた一部の人たちが危機感を持って政治の変革を求め、脅威が現実となるといろんな議論があり、議論で収まらなくなると武力を行使し、ついには幕府も倒して新たな政権となって外国に対抗した。

 

司馬遼太郎の「竜馬がゆく」「翔ぶが如く」「坂の上の雲」がそれぞれ幕末明治維新、西南戦争、日清日露戦争と続いて終始外国の脅威が描かれているんだけども、幕末は明治維新でゴールではなく、明治維新で新たに作った政府で外国に対抗し、もちろん日露戦争で勝ったところがゴールでもなく、第二次世界大戦へと続く。

 

今現在の感覚だと明治維新の終わりは第二次世界大戦が終わって天皇主権から国民主権になったところだと思うんだけど、もっと未来になったら今も明治維新の続きに分類されるかもしれない。

 

徳川幕府は260年続いたけど、今はまだ明治維新から150年、第二次世界大戦が終わってから75年、徳川幕府の安定に比べれば全然短いのです。

次の維新が起こって全く違う政治体制にだっていずれはなるんだと思うし。

 

現在の政治体制が完璧なものではないし、人類が長い歴史をかけてたどり着いた議会制度、民主主義が最良の形では無い可能性もあるし、近い将来か遠い未来かわからないけどいつか大きな変革が起こる時は来るんだと思うし、現在も徐々に変革は起きてるんだと思う。

 

だからと言って個人レベルで何ができるわけでもないけども、歴史を学んでいるとより多くのものが見える、何も見えないよりもできることが増えるってところで歴史を学ぶ意義があるんじゃないかな、と。

 

ちょっと大それた感想になったけども、現代に続く大きな功績を残した人のドラマを見て、そう感じたのでした。

 

来年は「鎌倉殿の13人」という鎌倉時代のお話です。

こちらもさっぱり詳しくはないんだけど、脚本が三谷幸喜なのでとても期待しています。

 

来年の大河もお楽しみに!

 

 

うっしー!

松坂だうっしー!

 

初コメントだけどもう今年も終わりなんだうっしー

 

2021年が始まった頃はボーカルはいなくて、僕も写真だけの登場でみんなに会えないかもしれないと思ったけど、キート殿が加入して、一緒にステージに立って、PVにも出演して、とっても楽しかったうっしー!

 

たくさんライブができて、たくさんの人に出会えて嬉しかったうっしー

 

来年はどんな虎が来るかわからないけども、虎にも楽しんでもらえるライブになるように願ってるうっしー

 

そして、12年後にまたみんなと再会できるのを楽しみにしてるうっしー

 

ありがとうございましたうっしー!

 

もう来週で最終回なんだけども、トータルの感想は最終回の後に書くとして、ちょっと書いておきたいことがあります。

 

岩崎弥太郎について。

 

たいていの歴史小説に登場する人物って、誰を主人公とするかで良い人だったり悪い人だったりするんだけど、岩崎弥太郎に関しては悪い人っていうイメージしか無いっていうね、特異な人物です。

 

何で悪い人なイメージしか無いかというと、岩崎弥太郎が主人公の話を知らないからなんだけど、岩崎弥太郎が良きパートナーになってるような人の話も知らないから良い人になる元ネタも知らない上に、弥太郎が敵でも味方でもないような物語でもやっぱり悪い人になってしまうという、まあ、豪傑なんだろうけども。

 

戦国時代トップクラスの悪人の松永久秀でさえ麒麟が来るでは良い人だったのに、どういうことか、っていう考察を書いてみたい。

 

まず、岩崎弥太郎って誰やねん、って人のためにざっくり解説しますと、三菱を作った人です。

三菱を作るちょっと前に遡ると、坂本竜馬が作った海援隊を引き継いで海運会社を作って、明治政府と結びついて莫大な利益を出して維新後の政府の財政を支えた人です。

 

詳しくはウィキペディアなんだけど、ウィキペディアが一番良い人物っぽく書いてある。

 

なので、岩崎弥太郎が成し遂げた業績はとても偉大で、日本にとってもめちゃめちゃ重要な人物なんだけど、なんか悪い人になっちゃってる。

それは、司馬遼太郎のせいだ、と言いたいところだけど、やっぱり悪い人になるイメージがところどころあるのかなあ。

 

司馬遼太郎の坂本竜馬を主人公にした小説「竜馬がゆく」は、執筆当時は竜馬についての書物が「汗血千里の駒」という小説くらいしか無かったと司馬遼太郎本人が文中で書いていて、その「汗血千里の駒」は岩崎弥太郎に竜馬のことを取材して書かれた小説とのことで、「汗血千里の駒」「竜馬がゆく」は共に岩崎弥太郎が語った坂本竜馬がベースになっています。

 

「汗血千里の駒」を元に、司馬遼太郎が文献を集めたり、竜馬や維新志士を直接知る人(維新の時に子供だった人)に聞きに行ったりしてして「竜馬がゆく」を書きました。

 

なので、「竜馬がゆく」にも岩崎弥太郎は登場するし、大河ドラマ「龍馬伝」は「汗血千里の駒」と同じく記者が岩崎弥太郎に取材して岩崎弥太郎がナレーションをしつつ弥太郎の回想というような描かれ方でドラマが進行していきます。

 

その中で、まあ岩崎弥太郎がずるいことずるいこと。

 

岩崎弥太郎の生まれはものすごく貧乏で、貧乏なのに親も博打で損してばかりで、生きるためにはずるいことや汚いこともやらざるを得ない感じでもうこの時点で良い印象になるキャラになりそうもないんだけど、それは秀吉も同じだったわけで、描かれ方に悪意があるわけです。

描く人が良い印象に描く気が無いっていう。

 

んで、身分は低いけど結構裕福な家の坂本竜馬とは子供のころから付き合いがあるものの、自分の貧乏と比べて勝手に逆恨みしたりしてます。

小説の中の話なのでほんとかわからんけど。

 

ある時父親が酒席で喧嘩して投獄され、弥太郎は悪いのは相手だから父は無罪だと奉行所に訴えたが聞き入れられず、壁に墨で「官は賄賂をもってなり、獄は愛憎によって決す」と書いたため自身も投獄されてしまうんだけど、獄中で出会った学者に商法を学んで出所後は土佐藩の下級官吏として徐々に、ほんとに徐々に頭角を表していきます。

 

その中で、脱藩して維新志士になった竜馬の邪魔をする悪役になるわけです。

しかも、強敵ってわけじゃなく、ほんとに土佐藩の下っ端で、京都にいる竜馬の居場所をちくったりするくらいの、ほんとに邪魔な役でちょいちょい登場します。

 

竜馬の話の中での登場はそんな感じなんだけど、ほんと嫌なキャラなんだよ。

龍馬伝での香川照之の演技もそれを更に強調してすっげえ汚いキャラになってました。

 

今回の青天を衝けでは維新後の渋沢栄一のライバルとして、栄一の合本主義に対して三菱で独占しようとして商売で争うキャラで登場しました。

が、やっぱり悪役にっていうか、悪どく描かれてました。

 

いかにも悪い奴、しかも竜馬の話の時とは逆に圧倒的に強い力を持った悪い奴です。

政府と結びつき、西南戦争では輸送を一手に引き受けて巨万の富を得たレベルマックスの悪役です。

 

竜王の如く「わしと手を組んだら世界の半分をやろう」ばりの言い方をして栄一を味方にしようとするも断られ、その後はことごとく対立、海運業では熾烈な消耗戦で値下げ合戦をして、その途中で弥太郎が死に、このままでは両方とも潰れるというところで合併っていう痛み分けとなりました。

 

この辺の話はあまり詳しくないので、もし三菱が栄一に勝っていたら、弥太郎が死なずに海運業での勝負が続いていたら、っていう考察はできないんだけど、もしかしたら今の生活が変わっていたかもしれないし、例えば携帯三社が三菱一社になってたり、ガソリンスタンドに三菱があったり、いくつかある銀行のほとんどが三菱UFJだったりすると競争が無くなってもっと高いのにサービス悪い、とか、逆に電気とか電話とかガスとか独占だったからしっかりしたインフラができたわけなので、三菱主導でもっと強力な経済ができて世界恐慌を乗り越えて第二次世界大戦が起こらなかったり、、、まあ、詳しくないことを語るのはやめましょう。

 

上野公園の隣に旧岩崎邸庭園があるんだけど、とても綺麗に整備されてて、当時の富豪がどんな家に住んでいたのか見ることができます。

この家は弥太郎の長男が建てたものなので弥太郎存命中はここにいなかったと思いますが、こういう家で三菱の勢力を拡大させるためにいろんな策を練っていたのかと思うと、なかなかアンバランスな気もします。

 

ともかくも、当時の状況はイメージするしかなく、庶民としてはどんどん大きくなる三菱がたくさんの人の雇用を生み出し、新商品、新サービスで生活を豊かにしていったのを喜んだのか、はたまた独占業種では高い価格で頼まざるを得ず独占を憎んだのかわかりません。

 

ライバル企業からも憎まれていたのか、たくさんの下請けが儲かってありがたがってもらっていたのかもわかりません。

 

政府内では三菱の独占に対して賛否分かれていたようで、賛否あったってことは三菱の力によって国が潤った部分がたくさんあるってことだし、企業が大きくなったってことはそれだけ三菱で買い物をする人がたくさんいたってことだから、一概に悪い人ってわけではないんだろうけど、ドラマや小説ではひたすら悪い人になってしまうのね。

 

あんなに悪い役でも、お客さんにとってはとっても良い会社だったんだと思います。

 

ま、政府内で賛否あったっていう歴史的事実と、司馬遼太郎の小説のせいでああなってしまったってことだとは思うんだけど、本人に取材した小説が元で80年後にこんな悪役になるなんて思ってもみなかったことでしょう。

 

あ、「竜馬がゆく」は岩崎弥太郎の死後80年後くらいの1960年代に書かれてます。

 

あと、文面的に三菱を悪く書いてる風になっちゃってるけど、あくまで岩崎弥太郎が悪く描かれるの何で、って話からなので悪意はありません。

わんさんと侍メルヘンレコードのメインバンクは三菱UFJです。

車はトヨタだけど。

 

これだけ下剋上した人もそういないのでもうちょい英雄な感じに描ければいいのに、と思うのでした。

 

バタバタしてて書きたいのに書けなかったよー

毎年恒例の、わんさんが今年覚えた文化を発表するコーナーです。

 

毎年何覚えたか発表してるので気になる方はブログを遡って11月3日あたりをご覧ください。

 

今年は機材がいろいろリニューアルしました。

楽器ではなくて、PCの方ね。

 

今年の頭の方はボーカル不在でシンデレラキャッスルの表立った活動は止まってたので、その間にいろいろ覚えようと思ってソフトウェアを増やしてました。

 

そしたらば、それまで使ってたウィンドウズ7では動かないのがあって、せっかく何万も出して買ったソフトが使えないんじゃしょうがないし、どうせいずれアップデートしないといけないのでウィンドウズ10にしました。

 

そしたらば、それまで使ってたAdobe製品が全滅したので、Adobeはクリエイティブクラウドになって全製品月額6000円くらいで使い放題。

うがー

 

というわけで、

・ボカロ

・STUDIO ONE

・メロダイン

・WaveLab

などなどが増えて、Adobeもせっかくなら映像をプレミアじゃなくてアフターエフェクトでやってみたり、やってたら字幕が入れにくかったのでワンダーシェアのデモクリエーター買ってみたり、いろんな文化を覚えました。

 

ちなみに、わんさん作曲はcake walkでやって、レコはソナーでやって、加工はオーディションでやって、ミックスはまたソナーでやって、マスタリングはWaveLabでやってます。

 

それぞれ専用プラグインの良さがあるので使い分けるととても便利。

オーディションは古いの使ってた時は全部英語だったのが、クリエイティブクラウドにしたら中途半端に日本語になって逆にわかりづらい。

モジュレーションを変調とか書かれてもね。

 

あとは、ひたすらマンガ読んでたので、今年読んだマンガでも書いておこうかな。

 

ハイキュー

約束のネバーランド

フェアリーテイル

七つの大罪

鬼滅の刃

からくりサーカス

カラダ探し

五等分の花嫁

ニセコイ

花より男子

彼氏彼女の事情

プリンシパル

寄宿学校のジュリエット

風夏(途中)

 

なんか忘れてるような、読んだの去年だったようなが混ざってるけども。

今読んでる風夏、その展開やめてよ的な話です。

続きはとても気になるけど悲しい。

 

ついでに今年行ったお城と寺社

 

彦根城

佐和山城

安土城

善光寺

松代城

川中島古戦場

 

2回しかお出かけできなかったからこんだけ。

今年本能寺行ってねええええ

 

あ、初詣が「この夜の終わり」のPVの小道具買いに浅草行ったから浅草寺。

と、「切腹フレンド」の撮影場所が朝霞の岡城で、ロケハンの時に近隣のお寺や神社に行った。

 

岡城についてはまた改めて解説します。

 

あと文化的なことは、、、車の室内灯がLEDになりました。

次回のライブ後動画は明るいよ。

 

来年までにまたいろんな文化覚える!