わんわん物語

わんわん物語

~異界から目薬~

山崎の戦いの回です。

 

本編では天王山が布陣した場所としてしか出てきませんでした。

勝敗の分け目のことを”天王山”っていうのは山崎の戦いで、天王山という高所を先に取れるかどうかが勝敗の決め手になるっていうことからできた故事成語ですが、実は後世の創作でした。

 

実際は麓の山道で戦闘があったけど勝敗の決め手では無かったわけですね。

 

でも行ってみると各所に山崎の戦いにまつわるポイントがあって、登ると戦場が一望できるし、そんなに大変な山じゃないので楽しいです。

 

山崎というのは、山崎口という京から西国街道への出入り口となっているところで、山と川に挟まれた狭い場所です。

ドラマでは「光秀がここを戦場に選んだ」と言っていましたが、京で市街戦をするのでなければここしか戦場は無いです。

 

ドラマでは戦よりも、いかにして信長大好きだった秀吉が織田家乗っ取りに気持ちをシフトするか、っていうところに焦点が当たっていたように思います。

 

信雄、信孝という戦の実績のある信長の子がいるのに、まあ、信雄の方は当時から評価は低かったようだけど、それらを無視して自分が権力を握る方向へ行くのにどんな気持ちの推移があったのか。

元からそういう人物だったのか、信長がいなくて敵討ちできて野心が出ちゃったのか、それとも別の何かがあったのか。

 

その別の何かのために与一郎が死んでもうたああああ

 

ま、このドラマの与一郎は実在の人物の名を借りた架空の人物なのですが。

いつの間にかもう一人生まれてるし。

 

なので信孝暗殺未遂のくだりもフィクションなわけですが。

 

その辺の、戦の前に信孝が偉そうに指揮ってるのも興味深いところで、定説では秀吉よりも上の立場の丹羽長秀と信孝が秀吉に総大将を委ねた(名目の総大将は信孝だけど)ということになってるけど、織田の後継を狙う信孝が簡単に秀吉に手柄を渡すのもどうなんだろと思うので、この流れをどう演出していくのか楽しみです。

 

とりあえず合戦の話に戻ると、光秀は味方集めと京の掌握に完全に失敗してました。

秀吉が大返ししてなくても山崎の合戦の結果を柴田さんは越前で、家康は岡崎で知ったので、あと数日、遅くても10日ほどで柴田徳川軍と激突することになっていたでしょう。

 

その10日で柴田徳川軍倒せる準備ができたかな、と思うと難しいんじゃないかな、と思います。

 

確かに秀吉の驚愕の大返しで明智に付くのをやめた人、秀吉の信長生存説を信じて秀吉に付いた人もいるのでそれよりは有利になったかもしれないけど。

 

中川清秀もその一人です。騙されて秀吉についた人です。

で、最前線に配置されて苦戦する、と。

 

最終的に池田隊が渡河して明智軍を奇襲して勝敗が決しました。

 

実は秀吉戦場にいなかった説、遅参した説、池田恒興が戦を主導した説などあるみたいです。

 

で、秀吉と光秀が対面するのは演出やりすぎだと思うのでちょっと冷めました。

小一郎がこっそり会うくらいにしといてくれればよかったのに。

 

光秀は小栗栖で討ち取られたと言われています。

明智藪は駅から遠いし周りに見どころや休めるところ無いので行くの大変でした。

胴塚も近くにあるけど見つけにくいところで大変でした。

 

伏見区ですが、伏見駅とは全然違う場所なので気をつけてください。

もうちょいで山科、山科から山を越えたら坂本城というところです。

 

山崎から13キロくらい、往復6時間かかるとこまで総大将行けないでしょ。

 

ちなみに光秀の首塚は八坂神社の裏のあたりにあるので行きやすいです。

信憑性はともかく、山崎で負けて小栗栖まで逃げて、首は知恩院まで届けようと思ったという謎ルートです。

 

明智光秀は坂本城に逃げてどうするつもりだったんでしょうか。

 

本能寺の変も謎に包まれているけど、光秀が山崎で負けたあと何を求めて退却したのかも謎ですね。

 

次回は清須会議。

織田家乗っ取りを目指す秀吉はどう描かれるのか、次回もお楽しみに!

秀吉が急ぐ回です。

大返しですね。

 

備中高松城の水攻めに登場する城主の清水宗治、このシーンにしか登場しない謎の人物です。

ここで織田との和議と引き換えに切腹したという実績のみをもって、ゲームでは結構強いパラメータになっています。

 

清水宗治は毛利の譜代の臣ではありませんが、毛利本土への最終防衛拠点といえる備中高松城の城主を任されていました。

備後からは小早川隆景の領地になってくるから、これまでの織田との戦は毛利の植民地が戦場だったけど高松城から先は、毛利本土になるので重要拠点だったのです。

清水宗治はそこの城主だったのです。

 

なんでや。

 

というわけでAIに聞いてみました。

 

清水宗治は備中の大名三村氏が支配する国衆の一人でしたが、毛利と三村が争う中で毛利に臣従したようです。

 

三村氏は宇喜多さんにやられたと言っても過言ではありません。

最初は毛利に従属していたのに、毛利に従って九州に兵を出した隙に宇喜多さんに領地を取られてしまったのです。

宇喜多直家に三村の先代が暗殺されたという恨みもあります。

 

なのに、毛利と宇喜多が手を結んでしまいました。

なので、三村は毛利と断交し織田と手を結んだのです。

 

だけどその時まだ織田の勢力は三村を救援できるところまで達しておらず、毛利に攻められた三村氏は滅ぼされました。

その中で清水宗治は高松城主になったのでした。

 

毛利は織田との和議に清水宗治の切腹が条件になっていることを渋っていたので、大事な家臣だったことが想像できます。

武勇に優れていたのか、毛利の三村征伐で早くから寝返って手柄を立てていたのか、三村領の民から慕われていたのか、などなどの理由が推測できますが、そういう推測からゲームでの能力値が高いのですね。

 

でも詳しい実績はあまりわかりません。

 

ただ、毛利と秀吉の評価によって惜しい人物だったことがわかります。

 

前述したように、毛利からは最前線の重要拠点を任せたこと、切腹を渋ったこと。

秀吉からは破格の調略条件があったり、水攻めっていう前代未聞でめちゃくちゃ金のかかったの戦術を使われたこと。

それでも城内から裏切りは出ずに和議が整うまで持ちこたえたこと。

 

すげえじゃん、ってなるわけです。

 

じゃあ何でそれでも切腹になったかというと、毛利が和議を破らないようにするためです。

 

この条件を無くせばもっと早く和議を結べたかもしれないんだけど、簡単に結んだ和議は簡単に破られます。

割譲の領地は戦って勝てば取り戻せるけど死んだ人は生き返りません。

 

後から本能寺の変を知った毛利が和議を破って秀吉を追撃したら清水宗治の死が無駄になってしまうのです。

なので清水宗治切腹は譲れない条件だったのですね。

 

というか、なかなか熱い大返しの演出でした。

秀吉が主人公のドラマでも大返しと山崎の合戦はセットになってることが多いのですが、大返しだけで1話使うってなかなか無いですね。

 

柴田さんの憤慨して痛哭するシーンとか、家康の伊賀越えフェイク説とか、信澄は冤罪じゃなくてちゃんと謀反してたフィクションとか、スルーされてる滝川さんとかいろいろ挟まれていたりいなかったり。

 

織田の五将、羽柴、明智、柴田、丹羽、滝川ですが、滝川一益だけノータッチという。

ドラマに全然出てないからしょうがないんだけど。

 

滝川さんは武田討伐の報奨で上野(群馬)に領地をもらって厩橋城(前橋)にいたのですが、本能寺の変を知った北条が突然攻撃してきたのです。

というのは、北条は織田に臣従して武田征伐にも協力してたのに、何の褒美ももらえなかったのです。

 

そして、上野はかつて武田、上杉と三つ巴で争った地。

織田に臣従して武田も上杉も退けたなら北条が欲しいところだったのです。

 

なので、信長が死んで織田が混乱してるところで奪ってしまおう、と。

このため滝川さんは清須会議にすら間に合いませんでした。

 

それどころか、滅ぼされたばかりの武田旧領で武田旧臣ががんがん放棄。

武田征伐は信忠が総大将だったため、信忠に付けられていた織田古参の家臣が武田旧領から領地をもらっていたのですが、ばったばったと討たれたり領地を放棄して岐阜に帰ったりしたので甲斐、信濃は空白地帯となって、そこを徳川と北条が狩りまくる天正壬午の乱と呼ばれる事態になります。

 

秀吉がその後の織田家を乗っ取れたのも、ここで織田の古参が力を失ったのが大きいでしょう。

 

で、秀長が京都にいるのはフィクションなのですが、京都から秀吉を呼ぶためにいろいろ手配して、細川藤孝を説得した演出になっていました。

 

細川藤孝、細川総理の先祖ですね。

「麒麟がくる」では明智光秀のマブダチでした。

 

足利義昭の家臣からの織田家臣なので、経緯が明智光秀とかぶります。

流浪時代から行動を共にしてきたので誰よりも長い戦友のような感じだし、明智光秀の娘の玉(ガラシャ)が細川藤孝の息子忠興と結婚してるので縁戚でもあります。

 

まさかここで味方してくれないとは思わないでしょう。

 

ルーデウスがクリフに裏切られるような感じです。

 

ドラマでは藤孝さんは「明智は万全の準備と覚悟で謀反した」みたいなこと言ってますが、実際はかなりお粗末だったので何とも言い難いですね。

 

本能寺の変で信長と信忠を討つまでは万全のタイミング、万全の包囲体制でした。

信忠が脱出を諦めたのも相手が光秀だったから逃げる隙などないと判断したから、という史料もあります。

 

一方で、信長なら逃げ延びているだろうと多くの人が思っていたであろうことも史料に裏付けがあって、信長は金ケ崎の退き口など数々のピンチを切り抜けて負け戦でも逃げ切ってきたので今回も生きているのでは、と秀吉が蒔いた信長生存の噂を信じた人もたくさんいました。

 

本能寺の変の時に近くにいた家臣が次々と駆けつけて討ち死にしていったのも信長なら生きていると思ったからですね。

生きているのに近くにいて駆けつけなかったら自分が死ぬ。

 

また、「名将言行録」に面白い逸話があります。

「蒲生氏郷率いる10万の兵と織田信長5千の兵が戦ったら勝つのは織田信長だ。

なぜなら、織田の兵4千を討ち取っても信長は生きているが蒲生の兵5人討ち取ればその中に蒲生氏郷の首が含まれているから。」

 

こちらは秀吉が蒲生氏郷を評した記述だけども、それくらい信長は逃げるのが上手かったのです。

 

「武功夜話」では、羽柴軍に本能寺の変を伝えたのは細川藤孝だったそうな。

播磨にいる前野長康に使者を送り、そこから秀吉に伝わったそうで。

 

この関係でかはわからないけど後年細川忠興の娘が前野長康の息子と縁組しました。

 

とりあえず、細川藤孝は何もしなくても始めから明智光秀に与する気はなかったようですね。

なんでや。

 

恐らくは、ほんとは準備万端だったと思ってなかったんでしょうね。

 

マンガ「何度、時をくりかえしても本能寺が燃えるんじゃが」くらいの、信長がどうあがいても畿内、地方の勢力をまとめ上げて本能寺に攻めてくるくらいの準備万端じゃないとね。

 

それこそ本能寺の変の翌日には長宗我部の兵が畿内にいるとか。

本能寺の変やる前に毛利、上杉、北条あたりに知らせておくとかあらかじめ光秀本人と友好関係にしておくとか。

 

実際明智光秀は引き返してくる羽柴軍よりも多い兵を集められませんでした。

明智光秀がいずれ引き返してくるであろう羽柴軍、柴田軍を倒せると思われていなかったのではないかと思います。

 

そんなわけで次回が山崎の合戦なのですが、これも1話使ってくれるのかな。

 

乞うご期待!

次回もお楽しみに!

 

本能寺の変です。

 

日本の歴史が変わった大事件ですね。

「クーデターで歴史は変わらない」とは銀河英雄伝説でのヤン・ウェンリーのセリフですが、このクーデターは間違いなく日本の歴史を変えました。

 

信長、秀吉、家康って歴史のくくりでは戦国時代、安土桃山時代だから同じ文化だと思うだろうけど、昭和、平成、令和と同じくらいの差があります。

 

わかりやすいのは城の石垣比べてみることですが、一目瞭然です。

信長の時代は、そもそも土塁です。石垣の城はわずかしかなく、その石垣も多くが小さくて丸みのある石を積み上げた野面積みです。

 

それが秀吉の時代になるとある程度積みやすい形に整えられた石の石垣になり、江戸時代になってからは巨大でちゃんと石垣用に切り揃えられた石が積んであります。

 

本能寺の変が1582年、秀吉が死ぬのが1598年この16年で文明レベルは大きく変わるし、政治方針も変わります。

 

一番大きな変化が、世界との関わり方ですね。

秀吉はバテレン追放令を出し、家康はさらに弾圧を強めて家光の時に鎖国状態となりました。

 

本能寺の変が無ければ、そんな対外政策ではなかったと思うし、少なくとも豊臣の政治体制、江戸幕府の政治体制とは全く違った日本ができていたはずで、早々に外国の植民地になってたかもしれないし、民主制に移行する時にまた戦国時代やったかもしれないし、今も侍の世の中だったかもしれない。

 

いかんせん信忠の政治能力がわからないのでなんとも言えないけど。

 

本能寺の変のシーンは何度見ても泣いちゃうね。

 

さて、解説していきましょう。

 

本能寺の変の年の3月に武田家が滅びました。

織田信忠を総大将として、武田の木曽義昌が織田に寝返ったことで他の武田の武将もがんがん織田に寝返り、信長本人が出陣した時はもう甲府城が落ちてたという快進撃です。

 

でも武田勝頼は信玄の死から9年、長篠の戦いから7年武田家を持ちこたえさせたということで近年再評価されてゲームでの能力値も上がっています。

 

で、信長自ら甲斐に行って、富士山見物して徳川領を通って帰るっていうシーンが、今回はカットだったけど「どうする家康」ではバタバタのシーンで描かれていました。

 

今回の大河では信忠が帰ってきて「これで東国も安泰」みたいなセリフがありましたが、実際これで関東、東北は織田の支配下なったようなものでした。

 

関東一円を支配していた北条は2年前に織田に臣従、武田滅亡後には会津の蘆名氏が織田に臣従、東北の伊達も常陸の佐竹氏らに織田への恭順を呼びかけるなど、上杉以外は敵はいなくなっていました。

 

毛利も、黒田官兵衛と安国寺恵瓊がやってた交渉は、建前は和議だけど実質降伏の条件で毛利に何カ国残すかの交渉だし。

九州も割と織田を尊重していて、領土拡大を続けていた島津は信長からの停戦要請に応じていたし、島津に押されていた大友は信長に従属する感じだったし。

 

だから、本能寺の変直前って、ほんとに信長の天下統一目前だったのよ。

 

で、今回の大河では弟信勝(信行)の息子信澄がずっと信長に恨みを持っていた設定になっていますが、ウィキによると信澄が関わった証拠は無いとのことです。

 

信長は敵の一族を結構取り込んでいて、美濃の斎藤義龍の弟も側近に取り立てています。

まあ、妻の帰蝶の弟でもあるけど。

 

そんな斎藤義龍の弟の一人、斎藤利治という人はゲームにも出てこないキャラなんだけど、めちゃくちゃ有能で大活躍して信忠の側近になっていました。

本能寺の変で信忠と共に討ち死にしました。

 

明智光秀家臣の斎藤利三は別の斎藤氏なんだけど、斎藤道三の娘を妻にしてるので信長とも義兄弟だし、利治とも義兄弟ですが本能寺で二人とも討つわけですね。

 

本能寺の変では、最後の紀行でちょっとやってたけど、信長、蘭丸の他にも多くの信長側近が死にました。

それと共に、京にいた多くの織田家臣が本能寺に駆けつけて信長を救おうとして討たれました。

 

要するに、小一郎京都にいちゃダメ!

 

というかいたなら本能寺に駆けつけて明智軍と交戦しなきゃダメ。

 

あと、本能寺の変の後に駆けつけて、間に合わなかったことを恥じて切腹した家臣が複数いたことも「信長公記」に書かれています。

 

そして「武功夜話」では小一郎は大返しの殿を任されたと書いてあるので、京にいるのはフィクションです。

 

紀行に出てきた阿弥陀寺は毎年6月2日に信長忌をやってまして何度か行ったことがあるんだけど、住職さんが寺に伝わる本能寺の変の講話をしてくれます。

 

6月2日未明に本能寺に火の手が上がり、明智の兵に混ざって本能寺に入って信長の首を持ってきて隠し通したそうな。

その後、本能寺の変で討ち死にした人たちを引き取って供養したそうで、信長の墓の他、側近や小姓たちの墓もあります。

 

本能寺の変は信長が切腹して終わりではなく、その後も信忠が防戦してそちらも側近含めて皆討ち死にしたり、近くにいた武将が駆けつけて討ち死にしたり、間に合わなくて切腹したり、信長の首を奪取してきた僧がいたりと多くのドラマがありました。

 

次回は山崎の戦いまでやるんだろうか。

 

備中大返しの秀吉と、小一郎は何をするんだろうか。。。

 

次回もお楽しみに!

 

信長を笑わせる回です。

 

長宗我部に四国切り取りを許していたのを撤回する不穏なシーンからでした。

”切り取りを許す”っていうのは攻め込んで得た領地を自分のものにして良いっていう意味です。

 

何で長宗我部の領土拡大を信長が許す必要があるのか、戦国時代なんだから攻め取った領地が自分のものになるのは当然じゃないかと思うだろうけど、実はそうではないのです。

 

会社員が自分で営業して得た利益を自分のものにしてはいけないのと同じで、織田の援助とか庇護下にある名目とかでゲットした領地は織田に伺いを立てなければならないっていうイメージかな。

 

そもそも戦国時代だからってやたらめったら戦ができるわけではないのです。

大義名分っていうのが必要で、大名の勢力は国衆の連合体だったりするから国衆に命令するにも兵を動員するにもそれなりの理由が無いといけないわけです。

 

それが、信長が「ゲットした領地はそのままゲットしてOK」って許可をもらうのは大いに大義名分になるわけです。

 

似たような形だと、海賊のマンガとか映画とかで”私掠免許”、”私掠船”とかが出てくるの見たことあると思うんだけど、国家公認の海賊、もしくは国家に海賊行為を許された軍船や商船が史実でもありました。

 

敵対する国の船を襲っても罰しない、得た財宝や利益は所属国と分配だけどゲットできるっていうのが私掠免許で、長宗我部に許された切り取り自由っていうのはそういう感じです。

 

それを撤回するというのは、四国でこれ以上領地広げたら罰するよってことなのです。

 

長宗我部はもともと土佐の小領主だったんだけど、すごく苦労して何度も滅亡の危機を乗り越えながら土佐を統一し、伊予、讃岐、阿波へと侵攻しているところでした。

どのくらい苦労してたかは司馬遼太郎「夏草の賦」で描かれています。

勢い的にはこのまま切り取り自由だったら四国を統一していたでしょう。

というか、本能寺の変後にほぼ四国統一まで漕ぎ着けてます。

 

ところが、ここで三好が出てきます。

三好まだ生きてたの?っていう感じなんだけど、本願寺との戦が終わって畿内が平定されても三好は滅亡していないのです。

 

というのは、実は三好の本拠って四国の阿波なのです。

畿内の拠点を失っても阿波に帰って兵を連れて戻ってくるのです。

 

三好は阿波細川家の被官として応仁の乱以降に台頭してきた家でした。

 

三好長慶が下剋上の末に畿内をほぼ制圧して信長の前の天下人状態でしたが、長慶の死後に三好三人衆と松永久秀が対立して分裂、そこに美濃をゲットして足利義昭を連れた信長がやってきて、いろんなところに湧いて出る勢力となっていました。

足利義昭と松永久秀が信長についたり反したりしてる中でいろんな三好さんがどっちかについて戦ってるのでどっちがどっちかよくわからなくなります。

 

信長包囲網が崩壊した後は阿波に残ってる三好さんと信長に降伏した三好さんがいてどっちも長宗我部と戦ってるので更に分かり辛いんだけど、三好長慶の祖父が父なのかなっていうよくわからない三好一族の三好康長っていう三好さんが織田に降伏後に気に入られて本願寺との交渉や畿内の治安回復に活躍しました。

 

その三好康長を気に入った勢いで本拠だった阿波を与えようと思って長宗我部の四国切り取り自由にストップがかかることになったのです。

 

ま、他にもいろんなパワーバランスの兼ね合いがあったんだろうけども。

天下統一が見えてる状態で、織田への貢献が無い長宗我部が四国丸々持ってるのはさすがにね。

 

あと、三好さんは安宅水軍っていう瀬戸内海で強力な海軍を持っていました。

毛利は村上水軍っていう娘がやばい海軍を持っていました。

なので、毛利を相手に有利に進めるために秀吉が三好の保護を主張したっていう説もあり、そうなると織田の中での親長宗我部派である明智と、親三好派の秀吉っていう派閥対立の結果秀吉の方に軍配が上がったっていうことにもなります。

 

ドラマでも出てきた通り、秀吉は信長の四男か五男の秀勝を養子にしていて、光秀は信長の甥信澄の舅になっています。

当人たちの仲はともかく政治、戦略上では対立することもあったろうし、いろんな要因が絡み合って本能寺へと向かいます。

 

なお、信長を笑わせる話はまるまるフィクションで、信澄に謀反の疑いがかかったのもフィクションです。

信澄はこの話の前か後か時系列わかんないけど、信長が開催した馬揃え(軍事パレード)で連枝衆(織田一族)序列5位に扱われていて、とても大事にされていました。

 

ちなみに上の序列は嫡男(っていうか既に当主)信忠、次男信雄、弟信包(信秀四男)、三男信孝です。

下は弟長益(有楽斎、信秀11男)、弟長利(信秀12男)、甥勘七郎(信弌、のぶかず)、弟信照(信秀10男)、甥信氏、血縁不明の織田周防、同じく不明の孫十郎と続きます。

 

信長親族いっぱいいます。

ドラマでは弟信行(信勝)を殺してしまったことばかり出てくるけど、他にも弟が10人います。

あと兄もいます。

 

ただ、兄信広と馬揃えにいない弟は死んでます。

 

なので、信澄は信包以外の弟と四男以下の子を差し置いての序列5位、甥の中では1位という大事な扱いをされていたわけですね。

 

これが、鳥取から帰ってきた秀吉、って、鳥取攻めナレーションで終わった!

”渇え殺し”って呼ばれる三木城よりも大規模で凄惨な干殺しだったのに。

ゆるキャラ”かつ江さん”が公開中止になるくらい大ブーイングだったのに。

結構他の番組でも今年の大河で注目な感じで鳥取城扱ったりしてたのに。

 

鳥取落城が本能寺の変の前年10月25日なので、1年切りました。

 

次回はいよいよ本能寺の変。

泣いてしまう。

 

どんな本能寺の変になるか、乞うご期待!

 

 

予兆の回です。

重臣が追放されちゃうの。

 

この、長らく仕えた重臣を追放したことで信長は年功序列とか家柄じゃなくて能力重視、実力主義だっていうイメージが固定化されています。

そんなこと無いんだけどねーっていう話をしたくなるよね。

 

例えば森蘭丸。

森家は土岐氏に何代にも亘って仕えた家だけど、斎藤道三に土岐氏が追放された際に織田家に仕え、森可成は信長が家督争いしてる頃からの家臣でした。

 

その森家をめっちゃ大事にしてるのね。

 

信長の小姓には尾張からの家臣の家の者もたくさんいるんだけど、本能寺の変の時には森家は蘭丸、力丸、坊丸の3人がいました。

一人の家臣の子を3人もというのは家柄による贔屓としても良いかと思います。

 

信長の小姓はたくさんいるのですが、尾張時代からの家臣の子の他、勢力拡大していく中で取り込んだ名家の子もたくさんいて有能なのをピックアップしていく感じだけども、やっぱりものすごく取り立てたのは尾張からの家臣でした。

 

もちろん松永久秀や荒木村重など、上洛してから重く用いた武将もいるけど、大名クラスにしたのは尾張、次いで美濃の武将が多いかな。

 

有名な織田の五将も柴田勝家、丹羽長秀、滝川一益、羽柴秀吉、明智光秀で光秀以外は桶狭間前からの家臣だしね。

 

まあ、普通に考えてそれが当然なんだけど。

 

じゃあ何で実力次第で取り立てるみたいな話になってたのかというと、やっぱりそれは尾張統一前、家督相続が安定する前で織田の家臣の半分以上が弟についてしまったからで、父が残した家臣があまり信用できなかったために自分の取り巻きで使えるやつをどんどん取り立てていったわけです。

 

美濃制圧以降は降伏した敵や従属してきた豪族はだいたいそのまま使って有能だったら、っていうか手柄立てたらちゃんと報いる感じ。

身分の低いとこから大抜擢、みたいなのはあんまり無いような。

 

むしろそういうのは秀吉の方がたくさんあって、最初は生駒サロンの仲間たちだった蜂須賀さんや前野一族を家臣にしてたけど、後に三中老になる堀尾吉晴や中村一氏などほんとに低い身分から秀吉の与力になったのを上手く使ったし、長浜城主になった後も石田三成とか増田長盛とか見つけたし、播磨に行ってからも小西行長をスカウトしました。

 

ほんとに身内で重用したのって小一郎と寧々の縁者の浅野長政くらいじゃないかな。

あと後半から加藤清正と福島正則。

 

秀吉は使える人をほんと使えるポジションに置きました。

五大老だって前田利家以外は外様だし。

 

なので、信長の味方が少なかった若い時の”実力ある者を取り立てる”と本能寺前の”長年仕えた者でも無能なら切り捨てる”を一緒にしちゃうのはどうかな、と思うのですよ。

 

実力ある者は身分に関わらず取り立てるのは信長じゃなくても戦国大名は結構いろんな人やってるし。

 

というわけで、佐久間さん。

織田家筆頭だけど、筆頭とは一番最初に名前が書かれるということで序列一位なのです。

一位は柴田さんでも丹羽さんでもないのよ。

 

佐久間さんの追放の理由は結構謎なのです。

「19ヶ条の折檻状」というかなり昔のことから遡って19も追放の理由が突きつけられるっていうのは、どれかが決定的な理由ってわけじゃなくて長年我慢してたけどもうダメだみたいなふうに感じられます。

 

じゃあ徐々に序列下げればいいじゃんか、と思うので、この追放には何か裏があるんじゃないかと思っちゃうわけだよね。

 

ちなみに佐久間さん割とちゃんと仕事してます。

 

畿内の軍団長として各戦線の采配やら武将間の調整やら本願寺との交渉やら、秀吉とか光秀とか柴田さんとかみたいな派手な戦功は無くとも堅実に織田の勢力の中心部をまとめていたのです。

 

で、本願寺と10年に及ぶ戦が終わって本願寺が大坂を退去したところで追放。

敵の本拠地跡から見つかっちゃいけない不正が見つかっちゃったりしたのかな。

配下の一向宗門徒が本願寺とちゃんと戦ってないのを見逃してたりとか。

 

ドラマでは安藤さんが息子の内通を確たる証拠が出ないうちに、確たる証拠が揃っちゃうと死刑にしないといけないからその前に追放ってことだったけど、佐久間さんもその線あるかも。

 

もしくは、この4年ほど前に家康の叔父で桶狭間の立役者でもある水野信元が武田との内通を理由に切腹になってるんだけど、それを讒言したのが佐久間さんなので関連があって、水野信元の切腹自体が武田内通は建前で桶狭間の時の表に出せない謀略を消すためみたいな議論があるから佐久間さんもそういった”過去の精算”みたいな感じで追放された感があったり。

 

佐久間一族は尾張と三河にまたがって分布していて、一部は織田の重臣、一部は対松平、対今川の最前線な感じでした。

信盛とは別系統だけど同じ一族の佐久間全孝って人が家康の父松平広忠暗殺の首謀者という説もあります。

そういった過去の松平との戦の精算、つまり家康への配慮っていう説も考えられます。

 

また、佐久間さんは水野を切腹に追いやって水野旧領をゲットするのですが、19ヶ条の折檻状には水野旧領をゲットしておいてちゃんと軍備に使ってないっていうことも書かれているから、もういろんな方向で考えられて大変なのです。

 

ともかくも、織田家序列1位が追放されちゃいました。

 

そして林秀貞。

こちらも筆頭家老です。

佐久間さんが軍の序列1位なら林さんは政治の序列1位みたいな。

 

林秀貞、あんまりピンと来ないよね。

政治メインの武将はピンと来ないのです。

徳川家に例えると阿部氏ポジションな感じだけどそれもピンと来ないよね。

戦での手柄や武勇伝が無いので。

でも阿部氏は老中を多く排出した家柄で、幕末の阿部正弘は幕府の最高責任者になって日米和親条約を締結、日本を開国させました。

 

政治メインの武将で戦の手柄が無くても組織の中枢にいる家があるわけです。

 

そんな林秀貞。

信長の家老なのに、弟信行を擁立しようとしたけど戦の際は動かず柴田さんと共に許されて家老に復しました。

その後は織田の政治のトップとしてかなり有能に立ち回るし、信長が清州城ゲットしたあとはそれまで信長がいた那古屋城を預かるなど信頼もされてました。

 

信長が勢力拡大をしていく中でもずっと政治のトップで、信忠に家督を譲ると信忠の家老として付けられるくらいずっと信頼されてました。

追放の前年も完成した安土城の天守の中をいち早く見せてもらうくらい優遇されてました。

 

だけど追放。

表向きは弟を擁しようとしたずっと昔の謀反が理由になってるけど、もちろんほんとはそうじゃないよね。

というわけでこちらもたくさんの議論があります。

 

何か、序列1位を変えたかったのかな。

二人とも無能じゃないし。

 

恐らく天下統一が見えたことで、信長のビジョンと違うスタイルの者が家中のトップだったから変えたかったのか、もしくは信長の政策に反対することがあって見せしめとして反対させないようにしていたのか。

 

たとえば朝廷を無くすとか、追放した将軍を殺すとか、大いに反対を受けそうなことを信長がしようとした時に止められるだけの発言力を持った家臣を排除しておきたかったのではないか、とも考えられます。

 

ただそうなると、安藤守就。

あとドラマに出てこなかったけど丹羽氏勝という人も一緒に追放されてます。

 

丹羽氏勝は丹羽長秀と関係無い丹羽氏ですが、尾張の土豪で信長の家督争いの際には敵になってるけどそれ以降は信長に仕えた古参の家臣です。

 

林秀貞、安藤守就、丹羽氏勝の3人は追放の理由について「信長公記」では尾張統一戦の時に信長に敵対したから、と一言だけ書かれています。

 

とても謎だよね。

それならもっとたくさんいるはずだし。

 

もしくはもっとたくさんいるんだけど史書に記録されてるのが佐久間さん含めて4人だけなのかもしれないけど。

 

いずれにせよ、推測しかできない歴史の闇の部分なのです。

 

ちなみに言うと、もうずっとこの設定だから忘れそうだけど安藤さんが慶の父なのはフィクションなので気をつけてくださいませ。

安藤さんは後に徳川幕府にも深く食い込む稲葉家の野望の被害者です。

 

それと、既に滅びかけの武田に内通とか謎すぎるので鵜呑みにしてはいけません。

 

この2年後に本能寺の変っていう結果を知っていると信長が謀反の種を蒔いているような不穏な感じになっていますが、当時の感覚はどうなんでしょうね。

 

長く仕えた家臣をあっけなく追放するというのうは大きな衝撃と共に、同じく長く仕えた家臣たちが大きな危機感を持った、というのは想像に難くないのだけども、走狗煮らるるのは戦国が統一される時には多々あることなので追放された4人は信長に危険認定されてたのかな、とも考えられちゃいます。

 

考えるとキリが無いのでこのあたりにしておきますが、もうすぐ本能寺、次回は信長を笑わせるらしい。

というわけで、次回もお楽しみに!

 

軍師官兵衛の回です。

1週間遅れてもうた。

 

今回は新キャラいないね。

途中で毛利輝元が「織田の先陣は何と言ったか・・・?」みたいなセリフがあるけど、毛利王国の元首が何年も前から攻めてきてる相手の将の名前知らないなんてこと有りえないので、何のマンガの影響でしょうか。

 

別所と荒木の反乱、ようやく制圧されました。

荒木村重は有岡城から脱出した後は尼崎城に籠もっているので、有岡城から逃げてすぐ乱が鎮圧されたわけではないのですが、有岡城に残っていた妻子らは捕らえられて見せしめとして殺されてしまいました。

 

大河に登場した妻のだしは、例によって本名ではないので注意です。

城の出し(出丸)に住んでいたことから”だし”と呼ばれていたとのことで、建物名が呼称になるやつです。

 

で、正妻もない可能性が高いです。

荒木村重は摂津の国人衆だった主君の一族の娘を妻に迎えての下剋上で成り上がった人なので、正妻は池田氏ですね。

ただ、信長公記に書かれている処刑のリストに池田氏はいないので、既に死別しているかそれまでの池田氏の寝返りの中で離別したかしてると推測でき、だしが正妻になってた可能性も無いとは言い切れません。

 

ただ、だしが本願寺方の武将の娘という説が濃厚なので荒木村重が本願寺と通じたという噂を否定するのは難しいですね。

 

本願寺、戦国の物語ではだいたい出てくる不思議勢力です。

不思議というのは、史料が多くてかなりわかってることが多いんだけど、戦国の勢力として理解するのが難しいというね。

 

本願寺というのは一向宗の親玉のお坊さんで、一向宗とは浄土真宗のことで、信長の時代は顕如という人が宗主でした。

鎌倉時代に親鸞によってできた宗派で、応仁の乱後8代目の蓮如の時に組織勢力が拡大し、信長の時代では大坂石山(大阪城のとこ)に巨大な寺内町を作って大名のようになっていました。

 

で、大坂にあるのは本願寺の本拠だけど、一向宗は大流行して全国各地に門徒がいました。

 

戦国時代は仏教寺院も僧兵を抱えていて寺同士で宗教戦争もしていたし、領主に土地を取られそうになって戦ってたりしましたが、一向宗は僧や僧兵だけでなく民も門徒として多く参加して一揆を起こし、”一向一揆”という専用語までできてしまいました。

 

個人的なイメージとしては、一向宗の集会はアイドルのライブな感じです。

「どうする家康」では講にイケメン僧が来て女子がキャーキャー言いながら集まっていくシーンがありましたが、わかりやすい教義と定期的な集会でどんどん門徒を増やし、武士にも多数門徒が増えました。

 

なので、「本願寺と通じている」は否定が不可能です。

家臣や縁戚の誰かしらには一向宗の門徒がいるので、誰かしらは本願寺と通じているのです。

 

荒木村重はそのプレッシャーと、中国方面の司令官を秀吉に取られたとか、いろいろ転戦させられまくったとかいろんな要因があっての謀反だったのだと思います。

 

だしは信長公記にも美人って書いてあって、だし以外にも主な武将の妻子は一緒に処刑されたのですが、皆取り乱すことなく身だしなみを綺麗に整えて堂々と処刑されたそうです。

でも侍女たちは泣き叫び取り乱しながら殺されてったそうで、凄惨なシーンであることに変わりはないのだけども。

 

で、それでも荒木村重は尼崎城で粘り、その後花隈城に移って粘り、最終的に姿をくらまします。

無事逃げ延びちゃったわけです。

花隈城が落城するのは荒木村重が有岡城脱出してから1年弱後なので、あのシーンからもまだまだ戦ってたんだけども。

 

本能寺の変後に出てくるからドラマでもまた登場するかな。

 

 

別所の方もやっと滅んだけど、別所長治、信長の野望では近年能力値が急上昇した武将です。

三木城が落城した時23歳で戦歴もほぼ無いから何で上昇したのかわかんないけど、秀吉の包囲に2年耐えたのが評価されたのか、謀反のタイミングがナイスだったのか、謀反の際に他の播磨国人衆も巻き込んだ手腕が良かったのか。

 

謀反に反対してた重棟さんは後に大名になりました。

 

ちょっと荒木村重が花隈城で粘りすぎて時系列が難しい。

次の回で安土城天守ができるのですが、その段階でまだ荒木村重と別所長治は戦い続けてます。

 

信長公記によると先に安土城に移り住み、荒木村重と別所長治の乱の最中も仏教の宗論やったり東北の大名の使者対応したり宇治橋掛けたり朝廷もてなしたり直訴に対応したり、何か余裕の記述がいっぱい差し込まれてます。

 

前線では激戦が繰り広げられていても畿内は平和になっているという感じですね。

 

天正7年(1579年)の段階でもう織田の国力に対抗できる勢力は無く、毛利も上杉も武田も本願寺も押される一方になっていきます。

 

ここでやっと官兵衛が解放されて秀吉の軍師的な感じになるのですが、半兵衛の時に語ったの同様に戦国時代に軍師という明確なポジションがあったわけではないので、軍師の呼称はイメージです。

 

で、本能寺匂わせでドラマは終わったわけですが、、、

次回は本能寺の変に向けてのドロっとした話になります。

もう見ちゃった。

 

来週までには次回の解説コーナー書けるようにがんばります。

 

次回もお楽しみに!

半兵衛が死んじゃう回です;;

 

えーと、死因は結核と推測されているので、生まれたての子供抱いたらダメじゃね?

って号泣回なのに思っちゃいました。

 

はっきり結核っていう史料は無いし、そもそも竹中半兵衛自身が一次史料での記録が少ないんだけども、いくつかの史料の病状を合わせると結核じゃないかと推測される模様。

 

一応AIに結核なら秀吉の軍内で流行になるんじゃないのかと聞いてみたら、戦場は外だから換気バッチリで大丈夫だそうで。

 

ちなみに濃厚接触で感染するものだそうで、半兵衛とは誰もBLしてなかった証拠にもなりました。

 

さて、別所長治の謀反は制圧するまで2年かかるので時系列を整理しましょう。

 

秀吉が黒田官兵衛に会って播磨の国人衆を次々と従属させていくのが天正5年秋ごろ。

 

別所長治が謀反を起こすのが翌天正6年2月。

上月城が落城して山中鹿介が死ぬのが天正6年7月。

荒木村重謀反が天正6年10月。

竹中半兵衛が死ぬのが天正7年9月。

宇喜多直家が織田に寝返るのが天正7年6月前後(wikiによる)。

 

あれ、いつの間にか1年経ってるし宇喜多直家調略がドラマと時系列ずれてる。

 

宇喜多さんは「宇喜多の捨て嫁」っていう小説があってね、主人公っぽいのは直家の娘なんだけど、暗殺と謀略で勢力を拡大していった宇喜多直家がいずれ殺そうと思ってる家に嫁がされてブルブルしながら直家の悪事を見ていく話なのですよ。

 

その中で宇喜多さんは”尻はす”っていう病気になってお尻から膿や血が出るんだけど、小説の中では体の皮膚が腐っていく感じの症状で包帯ぐるぐるキャラなのでホラー小説としてもミステリー小説としても通用しそうな歴史小説なんだけど、その姿でたくさんの恨みを抱えて謀略で人を殺していくキャラが強烈でした。

 

その小説が無くても、っていうかその小説自体が史実の悪事から膨らませたものなので、松永さんに並ぶ屈指の戦国の悪人です。

 

殺した人数は信長が圧倒的だけど、戦国の悪人とされるのは卑怯な手段で主や敵、味方までも殺した人たちですね。

 

ただ、宇喜多直家は生い立ちから不幸で、祖父と父が同僚の島村貫阿弥という武士に殺されてしばらく放浪し、母や妻の実家等の支援で再興するもその力は島村貫阿弥への復讐へと向いて、力を付けて数十年越しに復讐を果たすという、話し方によっては美談になるけどその手段を詳しく知るととても暗い話になる人生です。

 

宇喜多氏は浦上氏の家臣で、浦上氏は赤松氏の家臣でしたが、浦上氏は下剋上で赤松から独立した大名になっていました。

宇喜多直家が力を付けたのは浦上氏の家臣内での勢力争いに勝ち上がったわけだけども、浦上氏自体が分裂していて播磨、備前、美作あたりの勢力図はぐちゃぐちゃです。

 

その中で宇喜多直家は有力なライバルを暗殺しまくってのし上がり、最終的には主君の浦上氏も追放して大名になります。

 

まあ、どんな感じかは「宇喜多の捨て嫁」読んでみるとダーク歴史小説で面白いよ。

 

会うと暗殺されるってわかってるのにみんな会いに行くんだから、直家と結ぶメリットがあるように見せられる不思議な魅力があったんでしょうね。

子の秀家が豊臣の五大老になってるし。

 

このあたりの勢力関係は描写がとても難しく、もちろんゲームでは再現不能なので播磨は赤松氏、備前は浦上氏、美作は三村氏が大名になって国衆はそれぞれの家臣って形になってるけど、実際は国はまたがってるし国衆はあっちについたりこっちについたり国衆同士で戦ってたりします。

かといって全部独立大名扱いにすると大勢力の毛利にみんな瞬殺で個別撃破されちゃうし、史実でも毛利が攻めてくると反毛利派が結束して抵抗するので難しいのよね。

んで、毛利が帰るとまた国衆同士で争い始める。

 

大河「軍師官兵衛」での播磨の一武将としての視点ならその時の状況でどういう勢力図なのかわかりやすかったような気がするけど、結構なカオスでした。

油断すると同僚が攻めてくるし、主君も攻めてくるし、隣の国の国衆も攻めてくるし、それらを踏み越えて毛利も攻めてくるっていう。

 

歌舞伎町で居酒屋の店長やるとこんな感じなのでしょうか。

 

ドラマの天正7年の時点では宇喜多はほぼ備前一国の大名な感じで、織田への寝返りによって戦況が一変するほどの勢力となっていました。

 

宇喜多は先祖も曖昧で、直家の祖父、父の記録も伝承な感じですが、浦上の重臣から没落して再興し一国の大名となるほどの下剋上を果たした直家はかなりハイレベルな武将だと言えます。

手段はともかく。

 

なお、宇喜多と浮田は同じ家で、嫡流が宇喜多の字を使います。

宇喜多家臣には有能な武将が多いのですが、ゲームでも能力の高い岡とか花房とか戸川とかは子の秀家がやらかして大騒動起こした上に出奔っていう残念なことになり、秀家は関ヶ原で西軍主力となって八丈島に追放されて八丈島で50年生き、現在まで子孫を残すパワフルな未来を辿ります。

 

残った宇喜多旧臣も大坂の陣で大阪城に籠もって大活躍するし、なかなか歴史を騒がせた大名なのです。

 

対して毛利輝元。

こちらも関ヶ原では西軍総大将になって、ドラマでは直家にバカにされていましたが22年後に子の秀家と共闘することになっちゃいました。

 

毛利輝元は毛利元就の孫で、吉川元春と小早川隆景は毛利元就の次男と三男です。

関ヶ原では吉川元春の子が東軍に内通して西軍の進路上でずっと弁当休憩して進軍を止め、小早川隆景の養子が東軍に寝返って勝敗が決すというグダグダなことかまします。

 

吉川も小早川も毛利元就の勢力拡大のために取り込む勢力の養子にして家を乗っ取ったもので、毛利元就の子はだいたい違う苗字です。

別にこれは珍しいことではなく、信長の兄弟や子も違う苗字です。

信雄は北畠だし、信孝は神戸だし。

 

で、元就長男の隆元が元就存命中に死んでしまったので、元就の死後は孫の輝元が毛利家を継ぎました。

”元”が毛利家の通字で”輝”は先代将軍足利義輝から貰った字なので”輝”が先にきて輝元です。

父隆元の”隆”は毛利の旧主大内義隆からもらった”隆”です。

 

小早川隆景の名前は、”隆”は隆元と同じく大内義隆から、景は養父興景から。

”元”残したら隆元と同じになっちゃうからね。

吉川元春は”隆”の字貰えなかったのね。。。

 

毛利は大内と尼子に挟まれて右往左往してる小豪族でしたが、上手いことくぐり抜け、陶晴賢が謀反を起こして大内を滅ぼすと厳島の戦いで陶晴賢を討ち取って大内旧領を継承、尼子との戦いにも競り勝って中国地方の過半を支配して九州にも乗り込む勢力となっていました。

 

九州の方をなんとか停戦に持ち込んで、対織田に集中できるようになって上月城包囲して攻め落とせたのがドラマでの状況です。

 

吉川元春は武、小早川隆景は知というイメージの兄弟ですが、前回のブログで書いたように戦においての智謀は吉川元春もなかなかです。

 

毛利の三人はこの後も出てくると思うので、秀吉との関わりはまた出てきた時に。

 

次回はタイトルが「軍師官兵衛」と大河のタイトルそのまんまなので、また2年進んでしまうのか。

本能寺の変がだんだんと近づいてきます。

 

どんな感じで別所、荒木の謀反がおさまるのか、お楽しみに!

 

播磨が大変なことになる回です。

 

秀吉記憶喪失って。

圓教寺の柱に小一郎の名前が刻んであることからサブストーリーを作った面白いフィクションですね。

 

今回初登場キャラは安国寺恵瓊。

普通に戦国の物語読んでれば秀吉が備中高松城を水攻めしてる途中で本能寺の変があって、毛利と和議を結ぶ時の使者として出てくるので有名なお坊さんです。

 

その後も毛利と秀吉の繋ぎ役になってたびたび登場するのですが、お坊さんなのに大名になっちゃって、戦にも兵を率いて出陣するようになります。

文禄、慶長の役でも朝鮮に出陣しました。

そして、関ヶ原で西軍になって死にました。

 

というわけで、ゲーム上では戦のパラメータはとても低いのですが、内政、謀略キャラとしてはピカイチでトップクラスの能力をもっています。

ゲームの能力だけ見れば何で関ヶ原で一軍率いてるんだよ、この部隊どうすればいいんだよ、となります。

 

戦国時代は僧侶が活躍した時代でもありました。

著名なのは江戸幕府創立期に活躍した南光坊天海や金地院崇伝などがいますが、今川義元の軍師として活躍した大原雪斎とか、ドラマにも僧侶出身の宮部継潤や筒井順慶も出てきてます。

 

武将となるのは元々が武家出身で滅亡からの回避や後継者争い防止のために寺に入れられていたのが武士に復帰したり、僧兵など自前で武力を持っていたのがそのまま大名に召し抱えられたりしたものが多く、官吏は僧侶の知恵や教養を欲した領主に召し抱えられたものですね。

 

それ以外にも僧には需要があって、それが外交の使者としての活躍です。

 

建前上はどこの大名にも属さない僧侶は中立の者として戦をしている勢力同士の仲介を頼まれることがありました。

武士を使者にすると直接戦った恨みつらみもあるし、警戒しなきゃいけないし、警戒されるなら行く方も来られる方もピリピリしちゃいます。

 

僧ならば護衛等の武力を連れずに単身で行けるし、殺される可能性も少ないので”外交僧”って言葉ができるくらい大名同士の交渉役として活躍していました。

 

安国寺恵瓊はこの時既に毛利家臣のポジションでの外交僧になっていました。

ウィキによると、信長は追放した将軍足利義昭を京に戻そうとして秀吉と朝山日乗という僧を使者に出し、対応したのが安国寺恵瓊と書いてあるので、実は秀吉と恵瓊は既に会っているのでした。

 

荒木村重の元を訪れたのはフィクションだと思うけど、恵瓊は以前にも毛利の対大友戦で国衆調略で活躍していたので対織田での調略をやっていた可能性もあります。

 

「信長は一度疑いを持ったら……」みたいなセリフを言ってるけど、信長は謀反は許します。

荒木村重の謀反もこの後「許すから家臣に戻れ」って使者を何度も送ってるし、今までも松永久秀を許そうとしたりしてるし。

むしろ逆に一度家臣になったら裏切っても許そうとします。

味方になる前に約束を破ったやつには容赦ないけど。

たぶん本能寺の変も上手く逃げ延びてたら明智光秀許してます。

 

安国寺恵瓊、適当なこと言いやがって。

 

で、記憶を失った上月城の件ですが、「信長公記」には秀吉が見せしめのために上月城の残党を毛利との国境に向けて磔(はりつけ)にしたって書いてあります。

 

磔とは、貼り付けるだけじゃなくて貼り付けて串刺しにするまでが磔なので、ドラマのはフィクションですね。

秀吉は調略で敵を降してったイメージがあるからあまり殺さないようにしてたイメージもあるけど、武士の仕事はちゃんとやります。

 

で、上月城は尼子再興軍に与えられるんだけど、もちろん主な武将は山中鹿介以外にもいますよ。ドラマに出てないだけで。

 

余談だけど、小学生の時に「山中鹿之介」の伝記を図書室で読んで読書感想文を書いた記憶があります。

”之”は入ったり入らなかったりするけど、正しくは鹿介で”しかのすけ”と読むらしい。

読めないから鹿之介の表記が広まったんだろうけど、そう広まるくらいに有名で、戦国時代当時も武勇の名高く、江戸時代には忠義の士としても有名で、明治以降も小説等で人気のキャラクターでした。

 

有名な鹿介のセリフ、「三日月よ、我に七難八苦を与え給え」っていうドM発言も江戸時代に創作されたものですが、尼子家再興のためならどんな苦労も引き受けるというのが真意なので勘違いしないように。

 

ただ、わんさんが小学生の頃はテレビで出てくるキャラでもないからどんな人か知らず、何か名前聞いたことある人の伝記がある、と思って読んでみたのでした。

 

そう、テレビに出てくるとしたら秀吉が主人公のドラマの中国征伐中のほんの一瞬出てくるだけのキャラなのです。

 

で、読んでみたところ、すげえ強いって評判で尼子再興軍の幹部になったのに、負けまくる。

特に吉川元春には全敗。

吉川元春は毛利元就の次男で猛将キャラだからゲームでの智謀パラメータは低いんだけど(既に小学生から信長の野望やってた)、その吉川元春の策略にハマって負ける。

 

”山中鹿之介”弱くね?っていうのが正直な感想でした。

 

なので、感想文は困って「マイナー武将なのにがんばってるとこが良かった」的なことを書いたら先生から「山中鹿之介は有名ですよ」ってコメントがつきました。

 

補完しておきますと、山中鹿介は幼い頃から猛将と名高い敵を結構討ち取っておりまして、若いうちから武勇の名が高かったのです。

尼子滅亡後は逃れて各地を巡って自身を高めながら再興のためのパトロンを探し、京で尼子の遺児が出家しているのを見つけて再興軍を作りました。

尼子再興軍は一時出雲を奪還する勢いになりましたが、毛利がそれまで戦ってた敵と和睦して本腰を入れて対応を始めると徐々に押されて再び拠点を失います。

 

で、「武功夜話」には以前から秀吉と親交があったと書いてあるのでパトロン探しの際に会ったことあるんだろうね。

秀吉の支援を得て上月城をゲットしたのです。

 

そして、泣く泣く見捨てられて、鹿介は捕らえられるのですが、移送中に殺されます。

これも鹿介の武勇が広まってた証拠の一つなんだろうけど、降伏の条件に鹿介の首を要求すると兵が反対して抵抗が強まるので命は助けると偽り、生かしておくと脅威になるから殺す、といったところでしょうか。

 

吉川元春にはさっぱり勝てなかったけど、山中鹿介はちゃんと強い武将だったのです。

 

まあ、吉川元春の智謀パラメータ上げると小早川隆景が霞むし毛利強くなりすぎるしだからゲームバランス的な話ね。

 

ちなみに上月城の開城が7月1日、尼子勝久切腹が7月3日。

陰暦は月の形と日付が同じなので三日月は毎月3日なんだけども、三日月に七難八苦を祈った結果が主君切腹って。

 

なお、秀吉も指を食わえて上月城が包囲されてるのを見てたわけではなく、備前の宇喜多調略とか色々手は尽くしてます。

 

そしてここで大胆なifが考察できます。

 

もし上月城を救う選択をして防衛に成功した場合、そのまま毛利を圧倒して史実より深く毛利領に食い込んだ羽柴軍は本能寺の変の後の大返しが間に合わなかった可能性があるのと、そもそも備中高松で手こずらずに水攻めもせず、したがって信長を援軍に呼ぶ必要も無かったので本能寺の変が起こらなかった可能性があります。

 

上月城を見捨てるという選択はその後の歴史を大きく変える選択なのでした。

 

あと解説しときたいのは、書写山圓教寺の柱に掘ってあった名前かな。

古村義長と湳景隆。

もちろんどちらもググって出てきません。

 

実際に彫られているのを再現したのか、演出の人が郷土史で見つけた人物名か、何か意図があってその名にしたのか、なんとなく適当なのか、、、

 

古村の方は全国に存在する苗字で、新たに村を開拓して新村ができたらそれまであった村は古村になるので珍しくありません。

なので、秀吉の軍にいる武士に古村っていう名の者がいても特定できないですね。

 

湳の方は、なぜこの字を選んだのかもさっぱり謎です。

ググったところ苗字にこの字を使ったものは無いそうで、実は滴なのかなとも思ったけどやっぱり滴がつく苗字も無いそうで。

 

演出として使う意図がさっぱり不明なので、何かのメッセージなのか、、、

 

”湳”は泥や湿地のある地名に使われる字だそうで、この後の備中高松の水攻めに向けてこのあたりはそういう地名があって洪水しやすい地域だよっていうフラグなのか、、、

 

予言めいたちょっぴり怖い演出ですね。

 

実際にあるのか実物の写真ググってみたけど、さっぱりわからなかった。

小一郎の名は彫られているんだけど、正しくは「羽柴小一良内高井丁助」とあって、小一郎の軍の高井丁助って人が彫ったらしく小一郎本人が彫ったのではないっぽい。

 

というわけで、今回の解説はこんなところで。

 

次回は、半兵衛が死んでしまいます。

悲しいけども、お楽しみに!

 

 

竹田城を落とす回です。

 

いきなり官兵衛が出てきました。

官兵衛については岡田准一主演の大河「軍師官兵衛」で詳しくやっていました。

 

官兵衛は父は黒田氏だったけど黒田氏が仕えていた小寺氏に気に入られて養女と婚姻し、小寺の姓をもらったので、秀吉と出会った頃の名前は小寺官兵衛です。

 

その小寺氏は赤松氏の重臣で、赤松氏が一応播磨の大名ということになっていました。

 

赤松氏は鎌倉時代まで家系が遡れる名家で、室町幕府成立期に勲功があり、一時4カ国を持ったり応仁の乱の主力の一つにもなったりした大大名でしたが、それからの戦国時代でどんどん勢力が弱まっていって家臣らが独立、織田が播磨に侵攻した時は播磨の国衆の一つ、くらいになってました。

 

で、ドラマでやってた通り播磨の国衆は織田派と毛利派に別れていましたが、織田派の勢力をまとめていたのが官兵衛です。

 

荒木村重はここまで波乱万丈でここからも波乱万丈なのですが、元は摂津の国衆の池田氏の家臣だったのが下剋上して上手いことやって信長の家臣となって信頼を得て、摂津の伊丹城を有岡城と改称して治めていたので畿内の戦で転戦していたし、播磨との国境に近いとこを治めてたので対播磨の交渉もしてました。

 

家臣として登場した中川清秀はゲームでは脳筋タイプだけどそこまで強くもないキャラでして、後に秀吉家臣として山崎の戦いで功を上げるも賤ヶ岳で討ち死にします。

なんともパラメータ付けるのに悩みそうなキャラですが、子孫は大名になって幕末まで続きます。

 

高山右近の方はキリシタン大名として有名になります。

ゲームでは昔は中途半端な能力でしたが、近年は再評価されて大幅に能力値が上がっています。

秀吉のバテレン追放令で追放されるからドラマ後半にも出てくるかな。

最終的に家康のキリシタン追放によってルソンに追放されます。

 

賤ヶ岳までは中川清秀と高山右近はセットで動きます。

 

別所氏については今後も出てくるのでまた後日。

なかなか強敵です。

 

上月城の城代になった尼子勝久と山中幸盛は、毛利に滅ぼされた尼子氏の最高を目指す流浪の軍団です。

山中幸盛は山中鹿介と言った方が有名かな。

 

尼子氏は山陰地方の出雲を本拠として、伯耆、石見、隠岐を支配し、美作、備前、備中、備後の合わせて8カ国に勢力を伸ばす大大名でしたが、二十年以上に亘って周防の大内氏や大内氏の内紛を勝ち上がった毛利元就と戦い続けて滅亡しました。

 

それを再興しようと残党を率いて毛利にゲリラ戦してたのが尼子勝久を担いだ山中鹿介らでした。

織田軍と出会って迎え入れられて上月城をゲットしますが、次回大変なことになります。

 

で、本題の竹田城。

 

城主の太田垣氏は山名氏の家臣で、山名氏は応仁の乱の西軍総大将になった家ですが、こちらもかつては全国66カ国のうち11カ国を治めて”六分の一殿”と呼ばれていたのが信長の時代ではかろうじて但馬、因幡の2カ国を保持してる状態でした。

 

かろうじてというのは、内紛があったり尼子、毛利の圧力があったりして、一応2カ国の大名だけどバタバタしてる感じ。

 

太田垣輝延はそんな山名氏から竹田城を任されていましたが、この人はよくわかりません。

家臣の上垣なんとかもさっぱりよくわかりません。

郷土史の史料が必要です。

 

竹田城攻めに関しては「信長公記」ではあっさり攻め落としてるし、「武功夜話」でも簡単に降伏させています。

「武功夜話」では支城に太田垣出雲守、竹田城に太田垣土佐守がいたそうで、これが本当なら輝延は太田垣土佐守と名乗っていたことになります。

支城はあっさり開城、竹田城は3日間攻撃したら降伏、周辺の国衆も合わせて20日ほどで降伏させたり討ち取ったりしたらしい。

 

無血開城の話はフィクションですね。

 

今回はたくさん武将が出てきました。

小一郎がわかりやすく活躍するのはこの山陰攻めのあたりなので、実はドラマで一番盛り上がる数週間かもしれません。

なので、フィクションも多いだろうけどかっつり調べこんだマイナー武将が出てくるかもなので楽しみです。

 

今回はこんな感じですかな。

次回は上月城を巡る攻防です、

 

次回もお楽しみに!

 

 

平蜘蛛爆発の回です。

 

平蜘蛛は爆発しなかったね。。。

伝説では松永さんが信長に平蜘蛛を渡したくなくて、平蜘蛛に火薬詰めてもろとも爆死したというのもあるけども、叩き割った説などもあります。

 

今回解説ポイントはいろいろあるんだけど、まずは茶器について語りましょう。

 

とりあえず、日本に茶が伝わったのは奈良時代、中国からで、烏龍茶的な感じだったので茶色は緑茶色じゃなくて烏龍茶色なのでした。

 

それが国内でも栽培できるようになり、現在の緑茶スタイルになったのは江戸時代半ばですが、茶道の形は戦国時代に千利休らによって確立されます。

 

茶道は”わび茶”、すなわち粗製の道具を使ったスタイルが禅宗の思想とマッチしてオシャレっていうことで成り立っています。

なので、あからさまな中国から輸入した陶磁器とかの高級品じゃなく、ぱっと見その辺に転がってそうなもので気軽に茶を飲むのが流行ったのです。

 

室町時代には庶民にも茶は普及していたけど、貴族や身分の高い武士は高級品で茶を飲んでいたから、戦国時代の茶道確立期は茶器の価値観が大きく変わった時期でもあります。

 

その時期になぜ”一国に替えられる”ほどの価値のある茶器があったのでしょうか?

 

ぶっちゃけ、信長が「この茶器は一国の価値がある」「一城と同じ価値がある」と言ったから、ということで過言ではないと思います。

 

もちろん名のある芸術家が作った、有名な文化人が作った、高貴な人が好んで使っていたということで価値が高まったものもありますが、信長は有名な文化人かつ高貴な人であったので、信長が「これは良いものだ」と言えば良いものになってしまうのでした。

 

松永久秀も有名な文化人かつ高貴な人で、信長に臣従する時に献上した九十九茄子は現在重要文化財になって現存していますが、本能寺で燃え、大坂の陣で割れ、修復されたもので明治になって三菱財閥の二代目岩崎弥之助に渡って静嘉堂文庫に置いてあります。

 

平蜘蛛は松永久秀と共に失われてしまいますが、この爆発エピソードによってプライスレスな価値になりました。

 

松永久秀が400年経って戦国のボンバーマンとあだ名されるエピソードでもありますが、松永久秀が爆弾を駆使したエピソードはありません。

 

松永久秀については以前の大河のブログでも今回のブログでも多々語っていますが、キャラ設定上では戦国で一番悪い人ですね。

将軍を殺し、東大寺を燃やし、主君三好長慶の子らを殺し、主君三好長慶も殺し、主君の子も傀儡にしようとしたというようなことになっていますが、長慶大好きだったと大河ドラマでセリフがあったのは快挙だと思います。

 

まあ、今更松永さんのキャラが変わると色んな物語の設定が崩壊するので一般に浸透するのはなかなか時間がかかると思いますが、実は旧主三好長慶一筋、長慶の子を守るために奔走し、長慶に託された大和を手放さないようにするために信長に謀反を起こした裏切りとは真逆の人だった、と主張していきたいと思います。

 

信貴山城を囲む織田の武将たちの陣では荒木村重や筒井順慶が関西弁だったのが、なんでその設定入れたのが違和感でした。

だったら尾張の織田の武将もっと名古屋弁じゃなきゃダメでしょうに。

信長も信忠も丹羽も柴田も佐々も前田も全員名古屋弁じゃなきゃダメだし、徳川の武将は三河弁じゃないとダメだし、石田三成とか滋賀の方言使わなきゃだし。

 

公家や幕府の人が京都弁なのはそういうキャラ立ちだからまだ良いとして、武将にまで方言にしたらキリが無いのでは。

 

実際は各地で方言コッテコテなので、それでスパイかどうか確かめたくらい。

だから戦国時代に転生する話は方言でスパイ容疑で捕まって即終了なのよ。

だから文語と口語が違うわけで、古い文章が文語で読みにくいのは地方の人が東京弁で書かれた口語文わからないからなのよ。

だから幕末で地方から京や江戸に集まった志士たちが意思疎通できずに斬り合ったのよ。

 

で、”拙者”。

松永久秀と対談してる時に秀吉と小一郎の一人称が”拙者”だったんだけど、これは方言ではありません。

時代劇ではおなじみで、司馬遼太郎の「関ヶ原」の映画版でも家康役の役所広司が”拙者”を一人称にしているシーンがあるけど、AIによると江戸時代に定着した一人称で戦国時代には無かったらしい。

 

拙者の意味はもちろん拙い者ということでへりくだった一人称なわけで、相手が目上の時に使う一人称だから江戸時代でも常時使ってた一人称では無いのですが、拙の後に名詞を付けて自分のものを表現することは古代中国からありました。

拙宅(自分の家)とか拙妻(自分の妻)とか拙僧(僧の一人称)とか。

 

戦国時代に”拙者”はちょっと違和感な感じです。

 

 

話は冒頭に戻りまして、柴田勝家が上杉謙信に手取川で負けました。

 

柴田勝家は負けてばっかりです。

何でこんなに負けてばっかりなのに織田の重臣で色んな戦の大将任されたりしてたのでしょうか。

 

こちらもAIに聞いたところ、織田で一番強かったから一番強い敵に当たらされた結果負けまくった、らしいです。

 

勝家より前の家系はよくわからず、信長の父の代から仕え、信長が元服する頃には既に織田の重鎮となっていて、弟信勝の家老になっていました。

ちゃんと勝ったのはこの後の尾張統一戦での坂井大膳を討ち取ったのと清州城攻めた時くらいなのでは。

 

その後、弟に与して信長に謀反を起こして負け。

対松平の最前線で戦うも福谷攻めて酒井忠次に負け、他もあまり成果上げられず。

墨俣築城は創作っぽいけど失敗、他の対斎藤戦でもあまり手柄無し。

上洛戦や信長包囲網初期の信長と一緒にいる時は手柄を立てた模様。

”瓶割り柴田”のあだ名もこの時ついた。

長島一向一揆1回目では大惨敗だけど、信長も一緒だからノーカンで良いかな。

信長と一緒の時は勝ったり負けたりしてます。

で、どこに特別出世する要素があったのかわからないけど北陸方面軍の司令官になって、手取川で上杉謙信に惨敗。

でも特に降格とかはなく、翌年上杉謙信が病死して巻き返す。

本能寺の後は賤ヶ岳で秀吉に負けて滅亡。

 

強いというキャラ設定が先走りして、史料見ると柴田さんが大将の時はかなり負けてるという。

織田の重臣だからいろんな戦国作品に登場して、よく知ってるようであまり知らない柴田勝家でした。

 

上杉謙信の方は、マジ強い。

ただ、こちらも謙信がいる時は最強なんだけど、家臣が軍を率いてる時の戦績が良くないのと、重臣が謀反起こしまくってあまり身動き取れてない。

武田は信玄がいなくても強いんだけど、上杉軍はゲームでは家臣団のパラメータ高い割にはなかなか勝てないのね。

そして、パラメータ高い家臣が謀反を起こすっていうね。

でも新潟から小田原まで道中の敵を蹴散らしながら攻め込んだ猛者たちです。

そんな猛者を長年食い止めた能登や越中の武将も実はとても強かったんでしょうか。

 

そんな手取川の戦いの前に秀吉が勝手に帰ってきてしまうのだけど、そんなこと有り得るのか、というと、有り得るのです。

織田軍ではとても稀だけど、戦国大名って豪族連合の盟主みたいなもんだから家臣も独自に軍団を持っていて、結構勝手に動きます。

 

裏切りとか命令違反までとはならなくても、出陣拒否や出陣してるけど参戦しないとかいろいろありました。

マンガ「センゴク」で有名になった仙石秀久は九州征伐の軍監だったけど一戦して負けると軍を置いて逃げ帰ったし、小田原攻めでは家康は勝手に陣を抜けて新たにもらう領地の江戸を下見しに言ったし、伊達政宗は命令違反な大遅刻。

関ヶ原エピソードも西軍がほぼ戦ってないとか有名だよね。

 

朝倉滅亡の折の戦いも朝倉景鏡は出陣拒否だったし、細かく調べるといっぱい出てくるのですが、これで主君と揉めて戦の後に出奔とかもあるので納得のいかない戦に参戦しないはある程度セーフだったのかな。

揉めるけど。

松永さんも本願寺攻めから勝手に離脱してからの謀反でした。

 

「武功夜話」では秀吉が勝手に帰ってきた理由は間諜で上杉有利の情報を得たからではなく、柴田さんが身内ばっかり贔屓して羽柴軍に手柄を立てさせないようにしたから、みたいな感じなのと、竹中半兵衛がしきりに「こっちが攻めなきゃ向こうから攻撃してこないから攻めなくて良い」みたいなこと言ってたりしたからと書いてあるんだけども、ちょうど松永さんが謀反で畿内の軍が足りなくなってたとこだったからほんとにラッキーなのでした。

 

そういえば、信長の呼び方が”上様”に変わってました。

足利義昭を追放し実質的に武士の頂点になってるのと、官位も右大臣になって実質的天下人なので、この頃から”上様”なんだろうと推測されます。

「信長公記」がずっと信長のことを”上様”と書いてるからはっきりいつからかはわからないんだけども、信長家臣が書いた史書で上様だから最終的に上様と呼ばれてたんだろうね。

 

徳川実記等では家康のことは権現様だし、家臣が書いた史書は最終的な呼び名になります。

 

そんなところで、今回も長くなったけど、解説はこんなところかな。

この間に、ちょっとドラマで触れてたけど紀州攻めてたり、触れられてないけど伊賀攻めてたり、どんどん天下統一へ向かって行ってます。

 

次回は黒田官兵衛も登場していよいよ中国攻めが始まります。

次回もお楽しみに!