小谷落城の回です。
大変ドラマッチックでした。
将軍足利義昭が信玄を訪ねるところから始まり、三方原の戦いがあって信玄が死に、義昭が追放されて、朝倉滅亡、浅井滅亡。
とても濃いシーンをそれぞれ強烈なインパクトで演出してくれまして、史実かどうかなんてどうでもいい勢いで楽しめました。
やはり歴史を使ってエンターテイメント作るならこのくらいしてくれなければ。
うん、ほぼフィクションです。
順を追っていきましょう。
まず、足利義昭は武田信玄と会ったことがありません。
というか会えません。
足利義昭が武田信玄に会うには、信玄は京に行ってないので足利義昭が甲斐躑躅ヶ崎館まで行かねばならないのですが、京から甲斐までは約10日、往復20日。
既に征夷大将軍になっている足利義昭が隠密で行ける距離ではないので、行くとしたら幕府高官と護衛を伴った大所帯、各地で有力武将にもてなされつつの移動になるので更に日数がかかります。
そして、記録に残ります。
義昭が信玄に直接会った可能性は極めて少ないです。
ここで信玄は「お屋形様」と呼ばれています。
なんとなく戦国時代は家臣が主君を呼ぶ時に「殿」と呼ぶか「お屋形様」と呼ぶもんだと思ってる人は多いかと思いますが、「お屋形様」は幕府より屋形号を与えられた家柄の当主だけなので、屋形号を持っていない、例えば徳川家康がお屋形様と呼ばれていたら間違いということになります。
「麒麟がくる」では斎藤道三は屋形号持ってなかったけど、かつての主君の土岐頼芸は屋形号を持っていたので道三は「殿」と呼ばれ頼芸は「お屋形様」と呼ばれていました。
武田信玄は屋形号を持っていたので「お屋形様」と呼ばれてオッケーです。
信長に関しては微妙なところで、もちろん京制圧前は屋形号持ってなかったんだけど、その後は屋形号もらってるはずなんだけど、信長が「お屋形様」と呼ばれてる史料がありません。
屋形号持ってたけど本人が好まなかったのかも。
なお、意味的には「お館様」でも同じだし、なんなら「殿」も同じでどちらも建物を指して住んでる人の敬称としたものだけど、史料上は「お館様」は無いので、見るとしたら小説とかゲームでだけですね。
ググったところ、「お館様」と書くと鬼殺隊を統べる家の当主を指すらしい。
続きまして、フィクションだけど足利義昭と武田信玄の会話内容。
ドラマでは武田信玄と織田信長が盟約を結んでいるという初見びっくり情報が出ましたが、史実です。
信長は叔母が嫁いでる東美濃の遠山氏を通じて武田信玄と交渉を持ち、子の婚姻の約束もありました。
ただ、織田と武田の盟約がいつからかははっきりしません。
婚姻の約束は1565年(桶狭間の5年後、美濃制圧の2年前)あたりですが、もっと前から遠山氏を通じての交流があり、じゃあ織田と遠山の交流はと遡ると桶狭間前になります。
なお、遠山氏は織田と武田の両属状態です。
織田と遠山の交流はいつからかはっきりしないけど、武田と遠山は武田の信濃攻略後の1550年代には交流してる手紙が残ってます。
桶狭間の前は、解説ブログでもちょいちょい触れてるけど、信長は今川領に反乱工作を仕掛けまくって今川領では織田派と今川派で争っていて、織田方の反乱が奥三河とか武節とか武田領を掠めるあたりでも起こっています。
で、当時は武田と今川は同盟関係なので、武田領の付近というか武田領を通過しないといけないような兵の動きは阻止するのが普通だと思うんだけど、武田は黙殺しています。
この頃から織田と武田が結んでいたとするならば、徳川と同盟するよりもずっと長い盟友ということになります。
ドラマでは義昭と会見して信玄が織田と戦うことを決意して徳川を攻めていますが、実際はこの6年ほど前から武田と徳川は戦っています。
今川が滅んだのが信長の美濃制圧の翌年の1568年、その直後から徳川と武田の戦が始まってます。
このあたりは「どうする家康」で詳しくやってたけど、武田は今川を完全に滅ぼすつもりだったのに家康は講和という形で今川氏真を逃がしたため戦が始まった、となっていました。
他にも今川領の分配で揉めたとか、武田はすぐに駿河を平定したのに遠江攻略に手こずる徳川の隙をついて徳川領になるはずの遠江領を奪ってしまおうとしたとか色々原因はあります。
とにかく武田と徳川はとっくに戦になっていたのです。
っていうかドラマでも姉川の戦いの時に家康が「武田への対応が大変」みたいなセリフ言ってたじゃんか。
でも織田が徳川を助けなかったのは武田と同盟を結んでいたからなのです。
で、「信長はいつ裏切るかわからない」みたいなこと言われてたけど、これまで信長の方から裏切ったことってあったっけか?
あったわ!
ドラマではカットだけど息子を養子にして乗っ取った北畠氏を皆殺しにしてました。
でも武田の西上作戦は織田に対しては武田側が同盟を破棄した形になります。
将軍からの命令だったけども、武田が織田との同盟を破って将軍の命令に応じた形です。
なので三方原でやっと織田は徳川に援軍を出すのですが、三方原は徳川軍の惨敗でした。
家康は「このことはすぐ忘れる」と言ってて、忘れないようにと描いてもらったと言われる敗戦直後の絵があるのだけど、これは史実か確認できないとのこと。
織田の援軍は佐久間さんが行ったけど、他の援軍武将が討ち死にしてる中でほぼ無傷で引き上げてくるという神業をやっています。
まともに戦わなかった説もあるけど、まともに戦ってなかったとしてもほぼ無傷は凄くね?って思う。
そして、なろう小説だったら絶対”ご都合展開”と批判を浴びるであろう武田信玄死亡。
創作物語で主人公がやられる寸前のピンチで敵のボスがいきなり死ぬって、鬼滅で言ったら最終バトル直前で無惨事故死みたいな展開よ。
そんなのクソマンガじゃんか!
武田信玄の死因は病死説が有力で、他にも狙撃とかの暗殺説があります。
餅を喉に詰まらせるのは斬新でした。
そもそも信玄の西上作戦自体が、死期を悟った信玄が死ぬ前に天下獲ったろうとした、みたいな説もあります。
信玄の死は秘されて端から見れば全く謎の武田軍撤退でした。
リアルタイムでは信玄が死んだという噂というか推測はあったようだけど確信が持てず、確定情報をもたらしたのは武田軍に攻められて降伏していた奥平さんでした。
武田軍に従軍したけど武田軍内ですら信玄の死は隠されていたのに、情報を掴んだ上にドンパチやって脱出してきたのです。
そのせいで人質になっていた長男の婚約者が殺されます。
これにて信長包囲網は崩壊、調子こいて挙兵した足利義昭は信長に滅ぼされて追放されてしまうのでした。
一般的にはここで室町幕府滅亡とされていますが、当時の人たちはそう思っていなかった可能性があります。
足利義昭は追放になったのに征夷大将軍のままでした。
征夷大将軍を返還するのは1588年、本能寺で信長が死んで秀吉が天下統一する直前の頃です。
また、幕府の役人が何十人も義昭についていって、追放先の鞆の浦で幕府の政務をしていたからです。
再び信長包囲網作ろうとしたり、例によって戦してる勢力和睦させたり、幕府の役職を武将に与えたり、五山の住職任命したり。
信長も困って京に呼び戻そうとしたりしました。
義昭も戻らないで毛利と仲良くしてた方が信長困ることがわかって戻りませんでした。
ただ、結局上手くいかなかったので、後になって実質的に1573年の追放で幕府終わったな、ってことになったわけで、リアルタイムではここで室町幕府滅んだ、とはなってなかったようです。
つまるところ、ドラマで秀吉たちに言った「わしの家臣になれ」は本気だった、と。
ずっと引っ掛かってるんだけど、将軍の一人称が「わし」で良いのか・・・
書物上では「余」なんだけども、まあ、プライベートな時は何でも良いのか。
で、ここからが本番。
浅井朝倉が滅亡するところです。
三方原の戦いで既に比叡山焼き討ちから年が変わって(旧暦では同じ年の12月だけど)1573年になっています。
で、上述のようなことがあって、1573年8月、小谷城が再び包囲されました。
早々に裏切ったアツジさんとは阿閉(あつじ)貞征のことで、信長公記にも結構名前が出てくる人です。
だけど、ゲーム上の能力がめちゃめちゃ低い。
なのに信長公記では色んな戦に出陣してるし信長に褒められたりしてる。
不思議キャラです。
ただ、名前が出てる割にエピソードは少なく、ただ出陣武将として名前が挙がってる他は、主に寄り親になった秀吉と領地で揉めてるのと、本能寺の変後の山崎の戦いで明智方について死んだくらい。
だけど、山本山城っていう要衝を領地にしてたことから対浅井戦ではキーマンになっていて、阿閉さんが織田に付いたからサクッと朝倉も浅井も滅んだようなものです。
なので、この人も後世の評価で雑魚キャラになってるけど、リアルタイムでは結構なVIPでした。
で、阿閉さんが裏切って小谷城を包囲したのに援軍に来た朝倉が先に滅ぶという不思議な戦。
阿閉さんの裏切りと織田の奇襲で砦2つが落とされたことに朝倉さんがビビって撤退を決め、刀根坂の戦いという撤退戦で壊滅的な打撃を受けたのでした。
姉川の敗北よりは刀根坂の方がダメージが遥かに大きく、朝倉氏はここで首脳陣な家臣を多数失ってしまいました。
斎藤龍興もここで討ち死にしたとされてますが、これだけ粘って登場させておいて死ぬシーンも、てか死んだナレーションすら無いんかい。
一応生存説もあるので終盤でひょっこり出てきたりするのかな。
なおこの時に追撃する織田軍の動きが悪くて信長が怒ったのに対し、佐久間さんが「そう怒られてもうちらほど優秀な家臣は他にいないよ」的なこと言って更に怒られるっていう謎シーンがあります。
信長公記に書いてあるんだから著者の太田牛一がその場にいたのでしょうね。
三方原の合戦でまじめに戦わなかった件とここでの一言が後年佐久間さんが追放される一因となっています。
ま、戦術的にも織田の勝利なんだけど、信長包囲網が崩れたのと、浅井朝倉軍の士気が低いのとで戦略的にも織田が勝つ環境ができてたわけですね。
むしろ長期にわたる継戦能力が織田が強すぎる。
恐らく浅井朝倉は経済的にもうダメだったんじゃないかな。
苦しい経済状況で武田軍参戦で勝利は目前、となったところで武田軍引き上げ、またいつ終わるかわからない戦が続く、じゃ音を上げてしまうよね。
越前に戻った朝倉義景は、朝倉景鏡の領地に避難するよう呼ばれ、行った先で殺されてしまいます。
ドラマではヤケになって一乗谷燃やそうとした義景を止めるために景鏡が殺したことになってたけど、実際のところは不明です。
結果としては多くの朝倉家臣が織田に組み込まれることになりました。
そんで引き返して小谷城総攻撃。
激戦の末に市と娘三人を引き取って落城させることができました。
お市は長政の介錯はしてないと思います。
重臣の赤井清綱(ドラマの地図でも赤井屋敷が本丸のすぐ横にあった)と弟も一緒にいたのでどちらかが解釈したのでしょう。
ちなみに、素人介錯は上手く首が切れなくて、首の骨に当たったりして余計に痛いらしい。
市も武士の妻だから多少の心得はあっても、介錯は武士ですら難度が高いとされるので。
えと、万福丸。
ドラマでは朝倉に人質に出したまんま行方不明(たぶん死んでる)でしたが、史料上では織田に捕まって処刑されています。
信長公記では万福丸とは書いてないものの、「浅井長政の10歳の嫡男を処刑」とあって、わんさんが持ってる現代語訳だと注釈で万福丸と書いてあります。
また、ウィキによると「浅井三代記」では万福丸は家臣に連れられて脱出したものの、信長は「万福丸が心配だ」と市を騙して呼び戻させて串刺しにしたと記述されてるとのこと。
まあ、この方向だとドラマのこれまでの流れと矛盾しちゃうし、長政許す方向なのに万福丸殺しちゃったらどういうこと?ってなるので。
ちなみに、浅井長政には兄弟もいるしお市以外にも側室いて子がいます。
ふう。
長かった。
読んでくれた皆様ありがとうございます。
今回の解説はこんなところで。
次回は、いよいよ秀吉が城主に、なるのかな?
一応情勢は、浅井朝倉は滅んだけど武田はまたすぐ攻めてくるし、一向一揆とも戦闘中。
てか一向一揆との戦はここからが本番。
三好残党もうろちょろしてるけど、信長は権威を高めるために朝廷や公家と交流もたくさんしなきゃならない。
そんな感じです。
どんな感じで戦勝シーンが描かれるのか、乞うご期待!
