わんわん物語

わんわん物語

~異界から目薬~

昨日は無限観客オンラインワンマン、見てくれた方々ありがとー

見逃しちゃった方も配信した映像はそのままYoutubeに残してあるから、Youtubeの中で「シンデレラキャッスル」で検索してね。

 

配信のライブは何回もやって毎回1時間やってきたんだけども、やっぱり「ワンマン」って題してやるからいつもよりも準備たくさんしたし、新曲も用意したし、わんたろうコーナーもがんばったし、なので今日は体がガシガシになってもうたよ。

 

カメラスタッフやってくれたベティと病子も2時間カメラ持ちっぱなしですごくがんばってもらっちゃいました。

二万電圧スタッフにもセッティングをがんばってもらって、ほんとたくさんの人に感謝でした。

 

昨日は、やっと新曲のネコバンを披露できました。

なので、恒例の曲の解説を。

 

この曲はちょうど1年前のロキバースデーワンマンのわんたろうコーナーで「新曲作ってるけど1コーラスしかできてないから、そこまでアコースティックで」って言ってやったままなかなかできなかった曲でした。

 

その後7月はレコーディングとリリースで10月ワンマンには間に合わず、12月ワンマンまでに作ろうと思ったんだけどもどうしてもできず「違う曲作った方が先にできる!」と思って12月のワンマンでは「関ヶ原のガチ恋」を初披露、4月の配信でも新曲披露が「彼氏彼女の武将」でネコバンは忘れ去られた、と思いきやちゃんとできていたのでした。

 

目が覚めたら猫になってた主人公、どうして猫になってしまったのかわからないし、助けてくれる人も誰もいない。

歌詞では「目が覚めたら猫になってた」でなんじゃそりゃってところから始まるんだけども「独りぼっちだった」と続いて2フレーズ目で突然のシリアスな物語になってしまいます。

 

それでも絶望せず、諦めないで生きていく。なぜならば大切な人に会いたいから。

 

そんなところから物語が始まります。

 

自分がどこにいるのかもわからず、手がかりはなぜか持っていた大切な人からもらった指輪だけ。

人間からは「猫が指輪持ってるぜー」「どこから拾ってきたんだよ」「まさに猫に小判だな」などなどからかわれるけども、他人に理解されなくてもいい、これは自分だけの宝物なんだ。

 

自分が大切なものの価値は自分が決めるんだ。

 

そして、会いに行けば猫のままでも、たとえ言葉がわからなくても、一緒にいることが幸せなんだ。

 

そういうメッセージの曲です。

 

ここまでが1番の物語なんだけども、ここから先のストーリーがなかなか決まらなかったり、決まっても歌詞にまとめられなくてとても時間がかかってしまったのですよ。

 

続きは、歌詞をご覧ください。

 

というわけで、主人公が猫になったのは事故か病気か、意識が無い状態になっていたからなのでした。

 

自分の部屋で眠ったままの自分、その手をずっと握ってくれる大切な人。

一見美談な風景だけども、それはけして幸せな状態ではない。

中途半端に生きていて大切な人を悲しませるなら、いっそのこと消えてしまえばいい。

 

猫に小判って言われてた指輪を大切に持っていたけど、自分こそがあの人にとって無駄なもの、まさに自分が猫に小判だったじゃないか。

そう思って、やっと見つけた大切な人だけども、立ち去ろうとしました。

 

ところが、猫に気づいた大切な人は自分を抱き上げます。

その時に気がつきました。

宝物は指輪じゃなくてこの温かさだったんだ、と。

自分にとってこの温かさが宝物なら、大切な人にとってもこの温かさが宝物なんだ。

 

ならば、自分が今しなくちゃいけないことは、立ち去ることではなくて、目を覚ますことだ。

 

諦めちゃいけない。

今、ここにいることが幸せの証なんだ。

 

そういう物語になりました。

 

猫に小判、略してネコバン、ってフレーズからここまで話が広がりました。

すごいアップテンポの曲なんだけど、6分の曲になってもうた。

 

物語は幸せを探す話だけども、シンデレラキャッスルで出会ったみんなに、出会えたことを感謝したいし同じ空間で一緒に楽しくライブできることの感謝を伝えたい曲です。

 

もうね、何だっていいんだよ、みんな集まってライブできれば、それだけで幸せなんだよ。

 

早くライブやりたいね。

 

7月は会えると思うので、みんなでネコバン、楽しみにしててね。

もうすぐ今日の大河が始まってしまうのでその前に急いで書きまする。

今日は桶狭間の戦いでついに今川義元が討ち取られるわけですが、先週の大河の解説です。

 

ざっくりのあらすじだと、今川の大軍が攻めてくるにあたって松平元康を味方にしよう、そのために手紙を届けよう、というお話しでした。

 

なかなか今までの桶狭間の物語には無い展開ですが、わんさんの桶狭間の戦いの研究ではそんな感じの方向の考察です。

 

というか、なぜこの考察がされていないのか不思議なのですが、戦には目的があります。

何回か書いてるけど、個人レベルでの憎い相手を殺すことが目的では無いのです。

 

で、桶狭間の戦いの目的は何だったか、という研究があまりありません。

それはそのはずで、桶狭間の戦いは従来から大軍で攻め寄せる今川軍を織田信長が奇襲で打ち破った戦い、つまり織田信長の目的は防衛だとされていて、そこから離れていないからです。

 

ゆえに、せっかく義元を討ち取って今川軍を壊滅させても三河に侵攻せず、義元の死によって独立した勢力となった松平と同盟を結んで美濃を攻めた、と。

 

なぜそのまま三河に侵攻しなかったかというのは桶狭間の戦いの大きな疑問の一つです。

 

ところが、前回の解説コーナーで書いた通り、信長は三河に対して謀略をしかけまくっています。

桶狭間の戦いの直前にも鳴海城を守っていた山口教継という武将を裏切りの偽情報によって切腹に追い込んでます。

 

つまるところ、信秀が死んで家督を継いだ1552年から桶狭間の戦いの1560年まで8年間ずっと今川を目標にして動いてたわけです。

それが、今川義元を討ち取ったら方向転換して北に侵攻するというのはあまりにも欲が無さすぎですね。

 

というところで発送を転換して、桶狭間の戦いは信長の方から仕掛けた戦いだと考えるといろいろ辻褄が合うのです。

 

まず、信長は今川に奪われた鳴海城と大高城を5つの砦で包囲します。

包囲を始めたのは桶狭間の戦いの1年前、逆に言うと1年も攻め落とさずにいたということです。

 

大河ドラマではなかなか攻め落とせないと家臣が言うシーンがありましたが、わざと攻め落とさなかったのではないかと思われます。

大高城は兵糧が尽き、木の根を煎じて食料にしていたという記録もあり、本気で攻め掛かれば落とすことは可能だったはず。

だけども落とさずにいたのは、今川本隊を援軍に来させて決戦をするつもりだったからです。

 

そして、決戦の前に大高城に兵糧を運ぶミッションが家康に与えられ、「大高兵糧入れ」として家康の活躍シーンの一つに描かれますが、兵糧入れは1回だけでなく奥平氏なども兵糧入れに成功しています。

 

これがまた上手い具合に織田の包囲をかいくぐってるわけですが、織田もそうなんだけども水野氏の領地も通るわけで、なんとなくわざと兵糧入れを成功させてるような感じもします。

 

で、家康が桶狭間の戦いの直前に水野氏の元にいる母に会いに行ったという言い伝えもあったりで、家康の動きがなんとなく今川を裏切ってるように見える感じに仕立てられてるんですね。

 

つまり、桶狭間の戦いの目的は松平を寝返らせることだったんじゃないか、と考えています。

 

それを、直接家康と交渉したのでは寝返らせることは不可能なので、怪しい事実を積み重ねるのと、家康の陣の方向からの奇襲で寝返ったことにしてしまおう、という作戦だったんじゃないかと思ってます。

 

ドラマでは丸根砦は「ほどよいところで退却しろ」って指示がありましたが、実際の記録では大激戦で丸根砦の城兵は全滅、勝った松平軍にも戦死者多数で大高城で休息の命令が出るほどでした。

この記録を見るとあらかじめ松平軍が裏切る予定だったとは思えません。

 

ところが、その日の昼過ぎには今川軍は壊滅で義元は討ち死に、その報せが水野氏から来ます。

水野氏は敵のはずですが、家康は妹の子なので死なないように計らうのはわかります。

が、桶狭間のあと1年くらい水野と松平が交戦してるっていう謎の展開になります。

 

家康はわけわかんないうちに今川を裏切った疑惑ができて、それを晴らすために水野と戦ってるわけです。

 

だけどもやがては今川軍の被害が甚大なことを知り、独立できることを悟って織田と同盟を結ぶ、と。

 

信長の方も、今川を壊滅させたならば少なくとも岡崎までは易々占領できたはずだけども侵攻はしなかったのは松平を味方にして今川と戦うのは松平に任せようとしていたからではないかと思います。

 

だから、今川義元を討ち取れたのは偶然なんだと思うのですよ。

「狙うは義元の首ただ一つ!」っていうのは桶狭間のシーンではお決まりですが、そうじゃなかったと思います。

 

ただ、今川軍に大打撃を与える策はあったはずで、それが本隊への奇襲とその後の包囲戦滅戦なのですが、本隊への奇襲の史料はあるのに5000の兵を討ち取った様子がさっぱりわかりません。

柴田勝家、水野信元ら織田の主力を率いる将がどこにいたかもわかりません。

 

逆に今川軍の方はだいたい布陣の様子がわかっていて、どこにどの将がだいたい何人の兵で布陣していたかはわかっているのですが、それがどういう風に壊滅したかがわかっていません。

 

ただ、算を乱して無傷で逃げ帰ったわけではなく、ちゃんと戦って多数が死んで、生きて帰れた者も多くが負傷をしているという戦だったわけで、義元のみを討ち取って勝ったわけではなかったんですね。

 

なので、かなり研究していろいろ調べたので、今日の大河見たらまた桶狭間について語ってみます。

 

ドラマはドラマで、桶狭間の戦いがどう描かれるか、楽しみに見ましょう。

 

 

桶狭間モードですね。

明智光秀は越前にいるので、もちろん桶狭間には無関係です。

 

今日ので既に1560年5月になってるのですが、斎藤道三が死んだ長良川の戦いは1556年なので、あっという間に4年経ってます。

 

先週は信長が尾張を統一し、上洛して将軍に会いに行く話でこれが1559年。

いろいろ話がすっとんでますが、清洲城主だった織田彦五郎を刺した織田信光はいつの間にか死んでいます。

 

すっ飛んでる間の流れを補完すると、

1552年父信秀病死

1553年

1月平手政秀自害

8月萱津の戦いで織田彦五郎軍撃破

斎藤道三と会見

村木砦の戦いで今川軍撃破

安食の戦いで織田彦五郎軍撃破

1556年

斎藤道三死去

稲生の戦いで弟信行の軍を撃破

1558年

信行、再度謀反を企て殺される

浮野の戦いで岩倉織田氏撃破、尾張統一

1559年

上洛して将軍に会う

 

というわけで、道三死後の信長はすごくピンチな描かれ方してたけども、道三が死んでから3年で尾張を統一してしまいます。

 

上洛した目的は定かではないのだけども、尾張統一の報告し、尾張の統治者として認めてもらうことが目的だったんじゃないかと思います。

要するに尾張守護職があれば良かったわけで、ドラマではそれよりも上の相伴衆という役職と、朝廷での官位の左京大夫というのを与えられるのを拒んでいましたが、さっぱり意味がわかりません。

 

信長のこの時の官位は自称で上総介だったので、正式な官位の左京大夫は尾張を統治する上でかなり有利になるものだったと思います。

上総介とは、だいたい千葉の上総国のナンバー2の役職です。房総半島の総の部分ですね。

ナンバー1は守(かみ)なんだけども、上総は親王(天皇の一族)が守を務める国だったので上総守という官位は存在せず、実質的に介がナンバー1という感じで。

で、それまで信長の織田弾正忠家が名乗っていた弾正忠の官位を捨てて、わざわざそれより強そうな上総介を名乗ったわけなので、左京大夫を断る理由が無いのです。

 

幕府の権威失墜を描こうとした過剰演出ですね。

実際この2年後に上杉謙信が関東管領になってめちゃめちゃ力をつけるので、京都近郊ではあまり意味がなくても地方では絶大なパワーを持っていたし、ドラマでもそれまで斎藤氏が美濃守護になろうと躍起になってる様子を描いてたのに。

 

そして、将軍に謁見した信長は「今川に対して手も足も出ない」みたいなことを言ってましたが、全然そんなこと無いのです。

 

父信秀の晩年は小豆坂の戦いで負け、せっかく奪った安祥城も奪還されて長男信広を捕らえられてせっかく手元に置いて人質にしていた岡崎城主の竹千代を人質交換で失い、今川に対して劣勢だったけど信長が継いでからは三河国衆が相次いで今川に対して挙兵を始めています。

 

だから信長が尾張統一戦で清洲織田や弟信行と戦ってる間に今川が攻めて来なかった、というか信長は尾張統一戦しながら今川に謀略しかけまくってたっていうすげえ事実が浮かび上がってくるのです。

 

一つ、大原雪斎をあれだけ出しておきながらカットされてた重大事件がありました。

それは、今川、北条、武田の三国同盟です。

 

静岡と神奈川と山梨の同盟ですね。

三国お互いに婚姻関係を結んで1554年には成立しました。

それまでこの三国は戦を繰り返してましたが、この同盟を結ぶことで武田は信濃(長野)の支配を固めて上杉謙信(当時の名前は長尾景虎)とがっちり戦うことができ、北条は関東へ支配を広げ、そして今川は尾張へ進軍できるはずでした。

 

が、なぜか今川はさっぱり進軍できていません。

三河で反乱が起きまくってたからです。

 

そして、ここからはわんさんの説になりますが、武田が裏で即裏切ってます。

武田信玄は長野を越えて美濃まで進軍して岩村城の遠山氏を降しますが、遠山氏は独立のままの従属という形でした。

で、遠山氏はどのタイミングかわからないけど同じくらいの時期に織田信長の叔母と結婚してるんですね。

だから、武田と織田は遠山氏を通して結んでしまってたわけです。

 

っていう考証の根拠が名倉船渡橋の戦いっていう1558年(桶狭間の2年前)にあった戦いで、これは奥三河の山奥の岩小屋ってところに突如織田の拠点が出現し、今川はその討伐軍を出して包囲するのですが、織田方の援軍としてなぜか遠山氏が出兵、奥平氏(1556年に大反乱を起こしてまた今川に帰順してた)が遠山軍を撃破したものです。

 

岩小屋は浜松北方で織田と今川の国境からすればかなり今川に食い込んだ地点で、ここを今川に対する反乱軍が占拠し織田の兵を迎え入れてしまうのですが、道を考えると遠山氏が全面協力していたはずです。

一旦反乱を起こして帰順した奥平の領地もすり抜けているからかなりの神業です。

 

そして、それに武田に臣従していた遠山氏が加勢に向かう、と。

 

武田信玄、、、

 

というわけで、信長が家督を継いでからの三河はぐちゃぐちゃだったわけです。

 

その相次ぐ反乱を討伐しまくってたのが、城主(竹千代)不在の岡崎衆っていう、涙ぐましいがんばり方をしてたのです。

ちなみにその大将の一人が徳川四天王で一番何してたかわからない酒井忠次です。

本多忠勝、榊原康政、井伊直政は家康と一緒にいっぱい活躍してるけど、酒井忠次は家康がいない時に大活躍だったのです。

わんさん的には榊原康正が一番よくわからんけど。

 

だから信長は尾張を留守にして将軍に会いに行けたのですね。

 

ドラマでは劣勢の織田軍な感じが描かれていますが、史料ではけして劣勢ではなく、三河は世紀末状態、ここから桶狭間の戦いに進みます。

 

次回は今日みたやつ、桶狭間前夜ですね。

 

ちなみに、今日のでいつの間にか家康が初陣を済ませてましたが、その初陣も岡崎の西の寺部で、あの辺にいっぱいいる鈴木さんが反乱を起こしたので討伐する戦いでした。

 

来週までには書きたい。

 

 

 

うし、明日の大河の前に解説追いついた。

 

今回のお話しは光秀が越前に行く話で、なぜ越前へという疑問は残るものの、越前にいたことは前半生が不明な光秀の史料に残る信憑性の高い足跡です。

 

というわけで、越前について語りたい。

越前とは現在の福井県で、越前の著名な拠点と言えば、大谷刑部の敦賀城、柴田勝家の北ノ庄城というイメージですが、信長が攻略する前は朝倉氏が盤石に治めていました。

 

朝倉氏の拠点は敦賀でも北ノ庄城でもなく、山奥の一乗谷というところで、当時の敦賀は室町時代に日宋貿易の拠点として栄えた港町で城は無く、というか恐らく越前と若狭の国境だから堺などと同じく武士の統治が届きにくい自由港だったんじゃないかと思います。

 

北ノ庄城はのちに家康の次男の結城秀康が入って福井城となり、越前松平藩として幕末には坂本龍馬を支える四賢侯松平春嶽が藩主となるところですね。

 

で、ユースケサンタマリア演じる朝倉義景。

朝倉義景というと、勝手な偏見ですが、好きな人はあまりいないんじゃないかと思います。

 

弱いから嫌いなんじゃないのです。

弱い武将には結構ファンが多く、今川氏真、小田氏治、山名豊国、斎藤龍興、尼子勝久などゲームで最弱クラスの能力の武将にはマニアックなファンがつきますが、朝倉義景が、なんともなんとも、そこまで弱くない、でも強くない。

悪いやつでもないけど良いやつでもない。

 

信長の敵役としては中ボスなんだけど、敵役の中でもそこまで悪いキャラじゃないのにイメージ良くないのです。

 

何がダメって、浅井長政に信長を裏切らせ、死なせてしまうってのが致命的なのです。

 

浅井長政とは、いずれ麒麟が来るでも出てくると思うけど、信長の妹のお市の方の婿で要するに信長の義弟。

長政とお市の娘には秀吉の側室で秀頼の母となった淀、だいぶ前に大河にもなった二代将軍秀忠の妻お江などがいる歴史上超重要キャラなのですが、朝倉氏といろいろ縁があって信長と朝倉氏が戦う際に信長を裏切り、結果負けて長政は死んでしまうという悲劇キャラなのです。

 

そのきっかけを作ったのが、大した信念も無いくせに信長と戦った朝倉義景なのです。

 

繰り返しますが、史料上で戦いっぷりを見るとけして弱くはないのです。

将軍足利義昭の要請に応じて信長包囲網を形成し、大いに信長を苦しめて、織田徳川連合軍対朝倉浅井連合軍の姉川の戦いでは途中まで優勢であったし、3年間にわたって信長と戦い続けます。

 

が、義景よりも父孝景と長老格の一門の宗滴さんが強すぎた。

義景が家督を継いだ時は既に朝倉氏は越前守護でしたが、押しも押されぬ朝倉氏を作り上げたのは孝景と宗滴だったのです。

 

義景は父の死により家督を継いだけども、宗滴が生きてる間は誰も越前に手が出せませんでした。

宗滴の死後もしばらくは越前は安泰でしたが、今日を終われた足利義昭が頼ってきたのに特に動かず、義昭は愛想を尽かして美濃を平定した信長の元に行ってしまいます。

 

信長は義昭の訪問に大義を得て一気に京を制圧、その後は上洛要請に従わず、信長と義昭が不和になってやっと義昭の要請に応じて信長と戦うことを決め、包囲網を形成して信長を苦しめるも、信長は徐々に敵を打ち破り、姉川の戦いで負けると防戦一方になり、ついには一乗谷城を包囲されれて落城、朝倉氏は滅びます。

 

まあ、決意する時に決意し損ねてるわけですね。

 

で、浅井、朝倉氏が滅んだところで、この2つの勢力の旧領から、坂本が明智光秀に、長浜が秀吉に、北ノ庄が柴田勝家に与えられるわけです。

 

そう言えば柴田勝家出てきてたね。

 

この人もあだ名が鬼の鬼柴田です。

籠城戦になった時に城内の水瓶を全部割って飲み水無くして決死の覚悟で戦ったことから瓶割り柴田とも言われてます。

 

元は信長の弟信勝(信行)の家老で、1回目の戦いはカットされてましたが、道三が死んで大変な時に信長と戦って負けてます。

その時に、以前出てきた同じく信行の家老だった佐久間信重は信長方について活躍してるし、前田利家も佐々兄弟も大活躍だったのですが、以前出しておいたのに活躍シーンを出さないという謎伏線。

 

水野さんどこ行った。

 

信行の1回目の謀反の際は大激戦になったわけですが、生き残った信行方の武将はほぼ皆許されてます。

2度目の謀反の際に柴田勝家が信長に密告して、信行は殺されることになります。

 

その後、柴田さんは信長軍団の有力な侍大将として活躍し、朝倉氏が滅んだ後は北陸方面軍の司令官として、越後の上杉謙信と戦っていくわけです。

 

いろんなキャラ出したいし信長についても描きたいけど本筋は光秀だから描ききれない、みたいな感じですが、この後また越前で明智光秀何してたかよくわからないのどうするんだろう。。。

 

次回からの展開は予測がつかないからかなり期待してます。

 

次回、っていうか明日、お楽しみに!

ちょっとブログが追いつかなくなってきたから2回分まとめて。

 

この2回は長良川の戦い、斎藤道三と義龍(高政)親子の確執を描いた話でした。

 

はて、長良川の戦いとは・・・?

というのは一般的なことだと思いますが、戦国好きな人たちにとっては誰もが知ってる信長の一大イベントです。

 

こう、○○の戦いっていうのは、教科書に載ってるのだと桶狭間、長篠、関ヶ原、大阪の陣くらいだと思うのですが、そういう知識だとある日突然どこかの大名が「あいつを倒すぞ!」って決意して軍勢を率いて攻め込み、攻められる方も「返り討ちにしてくれるわ!」とこちらも軍勢を集めてお互いの勢力の中間点で大激突、みたいなイメージだと思うのだけども、もちろん実際はいろんな事情が絡んできます。

 

桶狭間も長篠も関ヶ原も大阪の陣も、何年もかけての境界地点での小競り合い、謀略戦、外交戦を繰り広げた上で、勝機を見出して起こす戦だし、攻める理由も単に憎いから攻めるわけではなく、領民同士のいざこざから始まることもあれば利害が大きく絡むこともあり、利害を超えた義心から起こることもあります。

 

この長良川の戦いとは、義龍にとっては自身の立場を父道三や弟たちに脅かされないための防衛であり、また、道三にとっても義龍からの防衛でした。

 

お互い防衛とはいかに、ということですが、そこに土岐氏を登場させた今回の大河の描き方の上手さがあるわけです。

 

そもそも長良川の戦いは、信長の物語を面白くするための後世の脚色もあって、権謀術数の限りを尽くしてのし上がり蝮(マムシ)の道三と恐れられた斎藤道三が信長を気に入って数々の援助をする良いキャラになっていたものが、それを妬んだ息子と戦になる、それを何とか助けようと自分も四面楚歌な信長が自身のピンチも顧みず助けに向かうものの間に合わず道三は討ち死にするという劇的な話になっています。

 

今までのドラマだと、土岐氏とか当時の幕府の権威に対する国人が持つイメージなどを入れると複雑になって本筋が何だかわからなくなってしまうから、上記の感じの単純な親子喧嘩になってしまうのですね。

 

ところが、「麒麟が来る」では主人公が土岐氏というところから、飾りの権威ではなく幕府の守護職として国人たちに大きな発言力を持つ存在として扱われ、土岐頼芸が追放されるシーンでは息子義龍始め多くの国人たちから反感が出るところも描かれていました。

 

国人というのもまたドラマの中でよく出てくるワードですが、家臣というのとは若干イメージが違って、わかり安いイメージだとフランチャイズ店の店長っていう感じでしょうか。

 

美濃っていう会社の社長が土岐頼芸で、稲葉一徹や日根野備中や長井なんちゃらってのがそれぞれ独立したフランチャイズ店の店長、斎藤道三が最大手チェーンを持つフランチャイズ店の社長で外敵が攻めて来た際は代表として他社を含めた美濃の各店長をまとめて対応する役割を持っていた、って感じかな。

 

その中で明智氏も国人なわけだけども、ほぼほぼ道三の傘下にあるフランチャイズ店、って感じでしょうか。

 

なので、道三が土岐氏を追放するというのは、勢力に差があったとしても広い目で見れば同格だった斎藤氏が勝手に本社を乗っ取ったという形であって、他の国人たちからするといきなり主になったから従えと言われた感じになって大きな反感が生まれるわけですね。

 

で、義龍は追放された本社の社長の子だという噂がある。

 

で、義龍は家督を譲られたものの、道三は未だ健在で弟たちをかわいがっている。

 

国人たちにとっては気に食わないこの状況を元に戻すチャンスだと思うわけですね。

 

このパターン、実は武田氏もそうで、バンバン戦をして国を疲弊させた武田信虎に対して国人たちが反感を持ち、武田信玄に父信虎を追放させてしまうのです。

 

信虎は追放されたままだいぶ長生きしましたが、道三は息子と戦をして命を落とします。

 

なぜこうも劣勢なのに戦を挑んだのか、道三ほどの武将が戦の勝ち負けを予測できなかったはずは無いと思いますが、意地だったんじゃないかと思います。

 

ドラマでは隠居して、美濃の政治は全部義龍に任せて悠々自適な隠居生活をしていましたが、実際のところでは実権は握り続け、家督を譲ったのも形式的なことだったのではないかと思われます。

 

ウィキペディアによると国人たちによって半ば強制的に隠居させられたとありますが、その場合だと武田信虎のように完全に権力を奪っておかないと反撃されてしまうので、その後も道三はいろいろ動いているからあまり力を削ぐものではなかったのではないかと。

 

家督を早めに子に譲るのは、自分が築き上げてきたものを他者ではなく子が継ぐとはっきりさせるためであり、また子同士で家督争いが起きないようにするためで、信長も早々に家督を譲っているし、家康も二代目将軍秀忠に将軍職を譲ってから大御所政治をしています。

 

家督を譲ったからといって一般的な隠居ではなく、何も変わらず実権を握っているわけですね。

 

だから、義龍が弟を殺したのは奇襲であって道三はいきなり攻撃をしかけられたことになります。

なので早々に対峙する構えを見せ、戦を挑むものの戦況を覆せず、討ち死にとなるわけです。

 

ドラマには出てきませんでしたが、道三は死ぬ前に信長に宛てて美濃国譲り状を渡したとの記録があります。

美濃を信長に譲る、という宣言ですね。

 

これの真偽がはっきりしないのですが、本物であるとするならば道三が負ける戦とわかっていながら死にに行った理由になると思います。

降伏したり追放されたりして完全に実権を失うよりも、自分が期待した信長がいずれ美濃を治めることが望みだったわけですね。

 

この戦を読み解こうとするといっぱいドロドロしたところが出てくるのですが、最後は結局ドラマチックという、まあ、だからこそ斎藤道三が成り上がるまでにたくさんの汚いことをやったにも関わらず魅力的なキャラになるんだろうけども。

 

だいぶ長々語ってみたけど、親子の確執から土岐氏やら国人やらの関係などいろんな面のある戦なわけです。

 

次回、やっと新展開で越前へ行く光秀、なんとか来週までに解説書きたい。

朝倉サンタマリタについて語りたい。

 

というわけで、また1週間前の解説です。

いろいろバタバタで解説遅れて申し訳無い~

 

ちなみにおとといのはまだ見れてません。

序盤のクライマックスな話だと思うのでドキドキですよ。

 

っていうか、斎藤道三を知らない人がこのストーリーを初めて知ったらめちゃめちゃ衝撃的な展開だと思う。

例えばこれがSF映画だとすれば、ここまで濃いキャラがこういう退場の仕方をするのはほんと一番最後のクライマックス、大どんでん返しのところなわけで。

 

スターウォーズに置き換えるならば3作目のラスト、ハリーポッターならばたぶん6作目のラストシーンだったかな。

そんなシーンなわけですよ。

詳しくは次回の解説コーナーで。

 

今回の解説のは、その悲劇の始まりの部分なわけですけども、もうね、今回は日根野さんの解説をしたい。

孫四郎を斬った人ですね。

 

ドラマの中でもちゃんの「日根野!」って呼ばれていたので間違いありません。

 

日根野弘就、通称は日根野備中。

一瞬出てきただけのキャラですが、わんさんこの人すげえ好きなのよ。

っていうかこの人すげえのよ。

 

ウィキペディアによると1518年生まれ【要出典】とあるので不確かで、1518年生まれならば義龍と道三が争う1555年には38歳ですが、その後の活躍を考えるともっと若そうな気がします。

 

何せ、この人は1600年の関ヶ原の戦いの際まで大暴れするのです。

 

語り始めるとめっちゃ長くなるから要点だけ挙げていきますね。

 

・斎藤氏の親子争いでは義龍の側に付き、孫四郎と喜平次を斬殺

・その後は美濃に攻めて来る織田軍と戦い続ける

・裏切りが続く中で斎藤氏滅亡まで従い、1567年稲葉山城落城の際は脱出して流浪

・滅亡間際の今川氏真に仕えて、完全包囲された最後の拠点の掛川城に氏真と共に立て籠もり5ヶ月抗戦、落城ではなく和睦して開城となるまで持ちこたえる

・掛川城籠城の際に出撃して包囲してる徳川軍の砦を陥落させ、敵の援軍も撃破

・浅井氏に仕えて織田と抗戦するもいろいろ揉めて出奔

・長島一向一揆に投じて織田軍と抗戦、信長から名指しで日根野に気をつけろと業務連絡が回る

・長島一向一揆は2万人完全包囲大虐殺となったのに無事脱出

・その後、織田家に仕えて信長の馬廻り衆に。何でや!!

・織田が越前に攻め込んだ際は一軍を率い、今度は敵となった一向宗を撃破

・荒木村重が謀反を起こした際も一軍を率いて有岡城攻めに参加

・本能寺の変の際も京都で信長の身辺にいたものの、側近や近習がほぼ全員死んでるのに無事脱出

・信長死後は秀吉に仕え、反秀吉派の旧織田軍や徳川家康と抗戦、守備を任された拠点を守り切る

・朝鮮出兵にも参加

・関ヶ原では東軍についていたものの西軍に内通疑惑

・息子が大名になる手柄を立てたので、自分の内通疑惑が邪魔にならないように切腹

・切腹した後に証拠隠滅してなかったことに気づいて内通の証拠を片付ける

・翌日死亡。なんじゃそりゃ

 

箇条書きにしてもこんだけエピソードが。

それだけ各所で大暴れしてめっちゃ目立った有名人だったわけですね。

 

あと、戦国時代にとても流行った兜の形を日根野兜と言いますが、それはこの人が考案したデザインらしい。

 

そんなわけでいろいろ大暴れの上、常に滅亡間際、死にそうなところにいる変なヤツなので、デス武将とか日本版劉備とか言われてる人です。

 

斎藤家:滅亡
今川家:滅亡間際に仕官して滅亡
浅井家:滅亡間際に仕官して出奔後滅亡
長島一向一揆:2万人大虐殺で壊滅
織田家:本能寺で信長死んで解体
豊臣家:関ヶ原の後滅亡
西軍:壊滅

 

そして、これだけやってて息子は大名になって諏訪湖のほとりに高島城を築きます。

復元だけど綺麗だったよ。

 

 

 

残念ながら孫の代に嗣子ができずに改易となってしまうんだけども、旗本になっていた弘就の次男、三男の家系はずっと続いてるそうな。

 

ドラマの中では孫四郎を斬る大役ながらも「日根野!」って一言呼ばれただけの名前があるのか無いのかわからないキャラだったけども、これだけの武将なわけです。

 

ここでこそ残虐な役割だけども、こういう役って主君からかなり信頼が厚いのと、武勇が認められていないと任されない役なわけで、残虐なことしたから悪いヤツってわけではありません。

主君の命令なわけだし。

 

悪いヤツは、どちらかと言えばこれだけ義龍の黒幕のようなポジションにいながら斎藤氏を裏切った稲葉一鉄なわけだし、それに対して日根野さんは最後まで忠義を尽くし、斎藤氏滅亡後も信長と戦い続けるし、戦い続けてどんどん武名が上がっていくし、最後の切腹エピソードもすげえし、こんな派手に戦国を生きた人は数ある戦国武将の中でも稀なわけですよ。

 

しかもポジションは、最初は美濃の有力国衆、最後は1万6千石の大名だけども、途中は小隊長、一部隊長、もしくはソロなわけで。

馬廻りって近衛兵だし。

大軍を任されたわけでも、一国を任されたわけでもないのにこの活躍。

 

やばいね。

 

というわけで、日根野さんの登場にテンション上がってた回でした。

 

次回、長良川の戦いについて解説するのでお楽しみに!

まず見なきゃ。

 

ほい、先週分のが書けてなかったので今日のじゃなくて先週の回の解説です。

 

先週は正徳寺の会見で信長と道三が初対面して、道三が信長をめっちゃ気に入るっていう戦国時代のターニングポイントでした。

いきさつ等の解説は前回の解説コーナーで書いたので省きますが、戦国の名シーンなので信長が主人公の物語には必ず出てくるため、脚本家、演出家、役者の腕の見せ所ポイントです。

 

まあ、見せ所は前回の準備段階のところの帰蝶の活躍でしたね。

目新しいところは、前田利家と佐々成政を登場させたくらいですが、別に意味は無いような。

 

二人とも桶狭間の戦いの時にはどこにいたかわかりません。

前田利家はこの後の尾張統一戦でも活躍しますが、桶狭間の戦いの前年に同僚とケンカした挙げ句に殺してしまって信長に怒られて一旦追放されます。

桶狭間の戦いに勝手に参加して手柄立てたものの許されず、更にその後の斎藤氏との戦いにも勝手に参加して敵を討ち取ってやっと帰参が許されるという、従兄弟の前田慶次郎に劣らぬやんちゃぶりです。

 

佐々成政は、二人の兄が小豆坂の戦いで活躍して小豆坂七本槍に数えられ、この時点で武勇の誉れ高い有名人でした。

ちなみに今日出てきた織田信光も小豆坂七本槍の一人で、びびりながら彦五郎討ち取ってたけどかなりの猛将キャラのはずです。

 

成政の兄二人は数少ない信長が信頼できる家臣でしたが、桶狭間の戦いで敵軍に少数で突撃、同じく信長が信頼していた熱田神宮の宮司千秋季忠(序盤の加納口の戦いで死んだ宮司の子)と共に玉砕します。

 

何回か前に一瞬出てきた佐久間盛重もそうだけども、桶狭間の戦いでは数少ない信秀時代からの信長の理解者とも言える腹臣が捨て駒のように、というかまさに捨て駒にされて討ち死にします。

絶対に死なせたくない家臣たちのはずなのに、勝てる策を立てても絶対死ぬポジションに置くっていう不思議が桶狭間の戦いにはあるのです。

 

なお、佐々成政は加藤清正の前の肥後(熊本)の国主で、肥後に行く前は富山を治めて本能寺の変後は秀吉や上杉と対抗しながら勢力を維持し、最終的に降伏するも、その前に家康と同盟を結ぶために真冬に富山から浜松まで立山連峰を越えてのスーパー登山をしたやべえヤツです。

西は秀吉の友達の前田利家、東は上杉、だから真南に山越えて浜松まで。

百戦錬磨の猛将が遭難死しなくて良かった。

 

話を戻しまして、最後の方に村木砦の戦いやってました。

こちらは余りドラマ等に取り上げられることがないのでレアなシーンだと思いましたが、ドラマにできないポイントとして、再現が難しいっていうのがあります。

 

まず、名古屋のあたりは地形が今と全然違っていて、割と海っていうことで実際のイメージも難しいのですね。

 

信長公記にはちゃんと記載されているのですが、数字的なものは曖昧で、他の記録でも楽勝っぽかったり接戦で双方死者多数だったりですが、ドラマでは斎藤側は出兵を拒んでいたものの史料ではちゃんと兵を出して、参戦はしてないけど敵対する清洲、岩倉織田家を牽制していたようです。

 

ドラマでは戦いそのものはほとんど再現されてなかったけど、戦いの流れとしては、

いろいろ謀略戦の結果織田方の武将が今川に寝返る

織田方の水野氏の城を今川が攻めるに当たって村木という所に砦を建設、そこを拠点に水野氏の城を攻める

あわや水野氏滅ぶかと思われた時に信長が斎藤氏の協力を取り付け、封鎖された領地を抜けるため嵐の中にも関わらず船を出して川を渡って村木砦を奇襲、鉄砲を駆使して今川軍を撃破

っていう戦いです。

 

せっかく水野信元出してたんだから、ここ大事な出番だったと思うんだけど出てこなかった。

 

こんな戦い方してるんだからこの時点で信長うつけの評判は無くなると思うんだけども、ここで信長があまり活躍しすぎるとうつけ設定で動く他のキャラが困るっていうのが村木砦の戦いがあまり出てこない理由かもしれない。

 

そんなわけで、先週の解説はこんなところなんだけども、時系列では気づかぬうちに数年経ってます。

物語スタートは1548年、3ヶ月くらいたって信長と帰蝶が結婚したのが1549年、そこから早くて信秀死んだのが1552年、正徳寺の会見1553年、村木砦の戦いが1554年、今週は1555年です。

 

1552年の信秀が死んだ直後に清洲織田氏と戦った萱津の戦いっていうのがありましたが、信長が戦から帰ってきて「清洲方の城に火をつけてやったわ!」の一言で終わってたし。

 

とりあえず今週分の解説コーナーも来週までに書きます!

わんさんが好きな武将の一人の日根野備中さんも出てきたので。

 

じゃ、また近いうちに!

 

 

いろいろあって書くのが遅くなりました。

正徳寺の会見になる話だね。

 

大河では聖徳寺になってたけど、どっちでも良いのかな。

 

このあたりの話は信長のうつけエピソードの代表が並ぶんだけども、

・万松寺で信秀の葬儀の際に喪主であるはずの信長が出席せず、葬儀の終盤にその辺暴れ回ってたラフな格好で現れて信秀の位牌に焼香を投げつける

・平手政秀自害-この流れだと信長のうつけを諫めるため、という説になる

・正徳寺の会見で斎藤道三の度肝を抜く

っていうのが信長公記にも書かれている話なのです。

 

大河では信秀の葬儀は無し、平手政秀の自害は自分の命と引き換えに織田弾正忠家よろしくねっていうメッセージで信長に「そんなの意味無いわ」でさらっと流されるっていう、かなりすっ飛ばした感じになってました。

 

信秀の死によって織田弾正忠家の勢力はガタガタになって信長の周りが敵だらけになるっていう流れなんだけども、何回か前の室町幕府を解説した時の話通り、相続ルールがちゃんと決まってない時代だったから信長に限らず当主が死ぬと多くの家が一気に支配力を失って内輪での争いが近隣を巻き込む形で起こっていくわけです。

 

ま、それはさておき、こういった信長のうつけエピソードが無いと正徳寺の会見が生きないと思うのですが、どうでしょう。

 

正徳寺の会見とは、うつけと言われていた信長が、実はとても優れている人物だと斎藤道三に認められるイベントです。

 

なので、ラストのシーンにあった感じで道三は先に街道にひそんで「うつけの信長ってどんなヤツだろう」ってのぞき見するのです。

その横で「やっぱ噂通りのうつけですな」って言って会見の時の変貌ぶりにびっくりする引き立て役がこれまた前のブログで触れた堀田道空さんだったりするのですが、その役は光秀に奪われてましたね。

 

で、この時の信長が連れてきた軍勢は鉄砲が多いだけではなく、通常使われている槍よりもとても長い槍で揃えた槍隊、他に大将クラスの武将がいないってことにも道三は驚きます。

 

通常より長い槍とは、訓練が十分でなくても戦える兵士であり、その長さが全て揃っているというのはこれまた兵一人一人の強さではなくて統一した戦術で戦うということだし、その装備を全て信長が支給している=財力、武器の生産力を見せていることになります。

 

また、他に大将クラスの武将がいないっていうのは信長が連れてきた軍勢は全て信長の直轄部隊ってことです。

多くの大名は国衆の連合の親玉だし、自分の直の配下であってもそれぞれ土地を割り当ててそこから連れてくる兵なので、直の配下の兵は自分の兵では無かったりするんですね。

なので、直轄部隊を多く持っている信長(土地と関係無く金で兵を雇える財力)にも驚くわけです。

 

そして、信長公記には弓鉄砲500とあって、弓と鉄砲の割合は不明なんだけど、どこから揃えたかというがまた議論になるわけですが、大河では良い感じの兵士を集めてくれるキャラを作っていたのでそれで解決させてました。

当時の鉄砲の流通量から考えると数百もあったらとてもびっくりなのですが、鉄砲を持ってる兵士(根来衆)ごと雇うのならまあ、有りなのか、根来衆って当時の信長の状態でも雇えるものなのか、、、

 

ま、次回はそんな感じの道三が信長に驚く話になるわけですよ。

 

そして、そもそもこの正徳寺の会見の意味は、というと、美濃の実質上の国主である斎藤道三が、信秀の後継者は信長だ、と認めたことになるっていうのが一番の意味です。

 

弟の信勝を擁立する一派があったり、他の織田本家が信長を倒そうとするのだけども、そのどれでもなく、美濃の国主が対等の立場で会見するのは信長だ、っていうことですね。

 

もちろん実際にあって信長じゃダメだ、となればその場で絶縁となったり下手すると殺されたりするわけだけども。

 

この戦国史でも重要で有名なシーン、どう描かれるか、次回をお楽しみに!

 

 

無限観客ライブ、ありがとうでした!

見逃した方、後からでも見れるのでこちらから。

https://youtu.be/II22Fz2EbP0?t=746

 

4月22日と4月24日はどんな配信になるか、ちゃんと決まったら告知するのでしばしお待ちを。

 

今日は初披露の新曲をやったので、例によって歌詞を。

 

また主人公が女子になってしまった。。。

 

さて、最初の1行目から意味がわかりませんね。

彼氏彼女の武将とは、、、

 

まあ、カレカノです。

漫画もアニメもドラマも見たこと無いけど。

 

なので、彼氏彼女の武将というフレーズから、どう物語を作ろうか、の前に彼氏彼女の武将って何?ってところから作らねばならなかったのでした。

 

で、恋の神様ができてしまった、と。

 

ちなみに、そんな武将いません。

下の※の部分は作詞する上での自分用の設定メモです。

 

この設定で物語を作ろう、と思ってAメロ作ったら、彼氏彼女の武将の物語は2行で終了し、そこから先は恋の神様にお願いする女子の話になったわけですね。

 

女子の話だけど、中高生の男子もBメロの歌詞のように、出会い頭ぶつかりたいし雪山で遭難したいし文化祭の時壁ドンしたいわけですが、男子を主人公にしてそういうこと言うとかわいさよりも下心のイメージが強くなってしまうので女子にしました。

 

自分で作っておいてなんだけども、

「鏡の中の姿がかわいくないの助けて」

「その手触れてみたいのに花びらが邪魔をする」

「お願い込めた5円玉投げ入れて縁結び」

などなどグッとくるフレーズが結構出てきて自己満できる歌詞です。

 

そして、曲の方は、いつも通りのキラーチューン、必殺のメロディになってるはず。

ダダッダッダも、ドラムでダダッダッダってやってるんだから言っちゃえ、って思って言っちゃうことにしました。

みんなはイェイイェイの方を一緒にやってね。

そして2番の後のBメロランラーンララララも一緒に歌ってね。

 

今日の映像では42分37秒のところから。

https://youtu.be/II22Fz2EbP0?t=2557

 

いろいろミスってるけども、、、歌詞で補完してくださいまし。

 

さしあたっては次回の配信の準備するので、次回もお楽しみに!

 

あ、これじゃ大河ドラマ解説コーナーと締めが同じだ。

 

ちゃんと練習してくるわ!

2月に織田信秀の城に行ってきた話が途中だったのと、大河ドラマで末森城が出てきたので一緒に語ってしまいましょう。

 

まずは、前回の織田信秀の城の行ってきた話で使った地図をご覧ください。

 

 

勝幡城と津島に行ってきたブログは前回までに書いたのですが、写真も確認してください。

模型だけど勝幡城。

公演だけど、津島。

とっても平なところなんです。

勝幡城から津島まで3キロほどで、勝幡城自体も川と繋がっていて船でも移動できるので津島の支配に便利なところに本拠を置いていたことがわかります。

 

その後織田信秀は今川氏の勢力があった那古屋城を攻略し、今川に対するために拠点を東に那古屋、古渡、末森と拠点を移します。

上の地図を見て貰えるとわかりやすいのですが、那古屋、古渡、末森の三角形はそれぞれ3~4キロずつで互いに連携した城となっています。

 

で、織田信秀の津島とならぶ収入基盤の熱田は古渡から南に4キロほどで、やっぱり貿易港へのアクセスが便利な感じではあるのですが、

末森城の写真がこちら。

 

ここだけ他の平地の城と違ってばりばりの山城です。

周囲にも起伏が多く、商業地域へのアクセス重視だったそれまでの城とは違ってかなり戦を意識した城になっています。

 

ここに拠点を移した時の今川との緊張状態と、攻めではなく守りに入った織田家の弱体化が伺えます。

 

というわけでここから大河ドラマの話になりますが、信長が末森城が欲しいと信秀に言っているシーンがありました。

 

信長も楽市楽座だったり、琵琶湖の港や堺を欲したようにものすごく商業を重視していましたが、城は山城が好きだったのです。

大河ドラマの現時点では那古屋城主ですが、この後に本家の織田氏を倒して奪った平城の清洲城以外は、小牧山城、岐阜城、安土城とずっと山城を拠点にしています。

 

信長は他の大名と違って領土が拡大すると前線の方へ拠点を移していましたが、これは新たに獲得した領地の支配を早く固めるため、次の侵攻に素早く対応するためなどのメリットもあったけどまだ敵の残党やなじみの無い領民の多いところに行く危険もありました。

 

が、信長は居城を一度も攻められていません。

実は信長、籠城戦をしたことが無いのですね。

 

奪った山城をすぐ改築して攻めにくく、高いところから偉容を示してちょっとやそっとでは攻める気が起きない効果を作ったのでした。

 

「末森城が欲しい」でその後の信長の城の好みに伏線を張る演出、良かったと思います。

 

そして、もう一つ「佐久間信重が欲しい」とも言っていました。

佐久間盛重については、イマイチ知名度が低いキャラだけど信長にとってはしばらく重要キャラになるのでまた出てきた時に語ろうかな。

次回の解説コーナーで語るかもだけど。

 

有名なのは同族で織田軍団の総司令官佐久間信盛の方だけども、信重さんも重要キャラなのに捨て駒にされるという怪しいポジションになっているのです。

そして信盛も、、、

 

という謎の佐久間一族、そのうち語ります。

 

明日またお楽しみに!