大河ドラマの解説コーナー㊼ #どうする家康 | わんわん物語

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~異界から目薬~

乱世の亡霊の回の分です。

 

徳川家康ってなんか陰湿で暗いイメージがあるんだけど、そのイメージの大部分はこの大阪の陣の部分なんだよね。

 

信長、秀吉の方がよほど残酷なことをしたんだけども、それ以上に革新的な政策、戦略と派手で勢いのある生き方で死の間際以外は明るいイメージなんだけども、まあ、この二人と対比するからなんだけど、家康は強引な豊臣の滅ぼし方のせいでね、なんかね。

 

ドラマではちょっと作り過ぎな演出もあったけど、イメージに囚われずに史書を見れば、地味なんだけども卑怯なことは少なく、謀略も正攻法な駆け引きで、なおかつ家臣団は強くて局地戦では勝ったり負けたりだけど20年で5カ国の大大名となりました。

 

本能寺の変までは、信長に従ったり武田信玄に追い回されたりするいじめられっ子なイメージはあっても陰湿なところは無いのですね。

 

それが、小牧長久手の後に秀吉に従い、秀吉の死後に権勢を振るうようになると、今までのアレはこの時のために耐え忍んできたのか、従いたくない相手におべっか使って裏でいろいろ企んでいたんだろう、というイメージになっちゃうのね。

 

そして鐘銘の文言に強引ないちゃもんをつけて豊臣を滅ぼす、と。

 

本能寺の変の前後で家康の性格が変わることについては、石川数正が秀吉に寝返って軍制を変えたこと、本多正信が帰順して家康の参謀的なポジションについたことなどがありますが、本能寺の変から数年後には世は豊臣一強でその中での自勢力の維持が最優先事項になるわけだから、どうしても豊臣政権の中での権力争いになってしまうのです。

 

そういう家康の人生を今回の大河では上手く家康が悪くならないように描いてきましたが、やっぱり大阪の陣のところはシリアスになってしまうのですね。

 

冬の陣の和睦も、和睦の条件以上に大阪城を破却したとか大阪方の担当になっていた部分も徳川方が強引に進めたとかいう記述もあって、これは家康が先に帰って秀忠がやったと言われることもあるところですが、陰湿なイメージを強調します。

 

wikiを見るとそういった記述は後世のもので、ほんとは大阪方も了承していたとあるけども。

 

この和睦の部分で最終回前の1話使ってましたが、大阪冬の陣は10月から12月で、翌3月には大阪方の敵対行為が始まって5月に落城なので、実質冬の陣と夏の陣の間は3ヶ月ほどです。

 

ドラマでは家康は和睦の維持に努めて、淀殿と秀忠の妻のお江の妹の初(常高院)とで淀殿を説得し、淀殿は心を打たれて秀頼に判断を委ねるところまで譲歩するようになりましたが、このあたりはフィクションなので。

 

なお、秀頼が「信長、秀吉の血を継いでいる」とセリフがあったけど、秀頼の祖母のお市は信長の妹なので信長の血は継いでません。

信長の父の信秀と浅井長政の血は継いでます。

 

この辺、淀、秀頼、千姫の関係はイメージしかないので豊臣家にいる頃の千姫がどんなだったかも余りわかりません。

 

千姫は秀忠とお江の娘なので、秀頼とは従兄弟同士で7歳で結婚していて、大坂の陣の時は19歳、豊臣滅亡後は本多忠勝の孫の忠刻に嫁ぐのですが、忠刻の母は松平信康の娘なのでこちらは父方の従兄弟です。

 

で、70歳まで生きるので、秀頼の妻だった時よりその後の方が遥かに長いわけですね。

 

千姫は秀頼と側室の子を養女としますが、この養女は鎌倉の東慶寺に入って天秀尼と名が伝わります。

東慶寺は縁切り寺(離婚したい女性が駆け込む寺)で、養女といえど家康の曾孫となった天秀尼が入ったことで「(東照大)権現様御声懸かり」の寺となって縁切りの駆け込み寺として確固たるポジションを築くことから小説のネタになったりもしてます。

 

隆慶一郎も「駆込寺陰始末」で書いてるし、歴史上の女性を主人公にしてる永井路子も書いてます。

 

話を戻すと、千姫自体の豊臣時代の性格は周りの状況からの推測が大部分で、淀殿や秀頼との関係も推測やイメージなわけですね。

 

今日のブログはやたら”イメージ”という言葉を使ってますが、歴史をエンターテイメントにした時に大事な部分だからね。

史実を無視したり捻じ曲げたりしてもダメだし、史実でなくとも長く伝わってきた逸話をスルーしてもダメ。

 

上手く解釈したり、史書に書かれていないところを他の記述されているところから推測して作りあげるところが作家の腕の見せどころです。

 

特に女性キャラは史料が少ないから大変なのよね。

 

ちょっと話飛ぶけど、ロミオとジュリエットって出版が1595年くらい、関ケ原や大阪の陣の時に戦国武将に伝わっていたとしたらロマンチックだと思いませんか?

 

「どうしてあなたはノブオなの?」と言われて「いや、ノブカツだ」と言って大阪城を出た織田信雄、みたいな。

 

それはどうでもいいんだけど、娘がキリシタンの伊達政宗がロミオとジュリエットを知って真田幸村の娘を家臣の妻として引き取るみたいなね。

 

ま、話を戻して、あと、ラストで家康が書いてた「南無阿弥家康」の文字、Xでちょっと騒がれてますね。

 

これは有名なやつかと思いきや知らない人には意味わからないから、この部分もなんかエピソード作れば良かったのにと思うのですが、まあ、そもそも書いた現物だけあって何で書いたか理由は不明なので、ドラマで出すならやっぱなんか説明と理由作って欲しかったかな。

 

お経にある”南無阿弥陀仏”とか”南無妙法蓮華経”とかの”南無”の部分はインドから伝わった時の発音の当て字で南と無に意味はありません。

 

ナムの部分は””~に帰依します”という意味なので、「oh my god」のオーマイの部分、「いでよ神龍」のいでよの部分みたいなニュアンスで捉えておけばOKです。

 

なので、”南無阿弥陀仏”という魔法は「阿弥陀仏様お願い!」という意味なのですが、「南無阿弥家康」だと、南無と阿彌陀佛で分かれる単語なので”阿弥家康”だとおかしいのだけど、””阿弥”だけなら法号として、田楽の祖的な観阿弥、世阿弥や家康と同時代の書家の本阿弥光悦とかがいます。

 

なので徳川家康に阿弥号をつけるなら徳阿弥か家阿弥なわけですが、語呂の都合で”南無阿弥家康”と書いたんでしょうね。

 

この戦の罪は阿弥陀仏じゃなくて家康が背負う、と。

 

そう解釈してますが、まあ、なんとなく書いた的だったりするのが真実だったりする可能性もあるわけで。

 

悩み事がある時になんとなく「わんたろう最強」とか書いてみたりする感じで。

 

というわけで、次回は最終回です。

 

南光坊天海が登場するのに役者が伏せてあるということネットではかなりざわついていますが、、、、

マジでやってくれたらそれだけで今回の大河は過去最高の大河だと思います。

 

最終回、お楽しみに!