大河ドラマの解説コーナー㊳ #どうする家康 | わんわん物語

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~異界から目薬~

唐入りの回の分です。

 

舞台は主に肥前の名護屋になりますが、ナゴヤという地名、一般的には秀吉の地元尾張名古屋なので紛らわしいけど何なの、ってところから。

 

まあ、ナゴヤという地名の由来はググるとたくさん出てきて、「ナゴ」と「ヤ」で分けて「ナゴ」の部分は”なごやか”で「ヤ」は湿地を意味するとか、武士の館を意味する根小屋からというのもあってこちらは「ナ」と「ゴヤ」で分けた言い方だから全く違う方向の説になって、さっぱりわかりません。

 

肥前の方は那久野という村があって、そこから名護屋になった説もあるのですが、戦国時代当時は地名でも人名でも口頭で言われたものを文書にする時に適当に当て字をすることが多いので、聞き間違いから那久野に名護屋という字が当てられた説も十分可能です。

 

鈴木氏が魚の鱸氏になってる文書とかたくさんあるし。

 

で、言いたいのは「ゴヤ」の部分なんだけど、ゴヤは「コヤ」で、川の前に別の語を置いた時に〇〇ガワとなるのと同じようにナゴヤのようにゴヤになるわけで、元の「コヤ」漢字にすると小屋、古屋、古谷、小谷だったりします。

 

なので「ナ」と「コヤ」で分けるなら名護屋の護は当て字の可能性が高いんだけど、那久野から名護屋になった説だと「ナゴ」と「ヤ」の可能性も高いから「なごやかな野」なのかな。

 

現地風景の映像からは野の感じはしないけど。

 

問題は「ヤ」で、屋、谷、野など漢字の候補がいくつかあるから地形を確認しないとわからんね。

 

「コ」の部分は意味が可能性もあって、漢字では小とか古を当ててるけど、「ヶ」と同じだったりするかもしれない。

 

最初の根小屋説を取ると、根小屋と根城が同じものってことになるから小屋は城と同義な地域もあるだろうし、岩や崖が屋根のように覆いかぶさってるところも小屋と言ったりするのでそういう地形のところもコヤがついたりもします。

 

つまるところ、突然肥前名護屋城っていうのができるけど、ナゴヤっていう地名は当時はありふれた地名だったんだね、って話です。

 

特別な地名になったのは尾張の名古屋城が徳川将軍御三家の城となったからだと思います。

 

 

さて、唐入りの話に入りましょう。

 

唐入りと言うように、朝鮮出兵の文禄・慶長の役は中国に攻め入るのが目的でした。

 

秀吉の出兵の動機は諸説ありますが、物語的なイメージというと、狂った、というところでしょうか。

 

信長の家臣だった頃は、理想を掲げて天下統一の覇業の一翼を担う英雄だったのが、本能寺の変後に織田の勢力を掌握すると悪質な謀略が目立ってきてくるようになります。

 

それでもそこは天下統一のためと、それまでは戦わずに勝つという戦略だったのが、戦わずに相手を降して勝ってしまうと家臣への褒美として与えられる土地が少ないからぶっ殺して領地全部獲っていく方向になった、と考えれば理解できなくもありません。

 

だけども天下統一が成し遂げられると贅沢の限りを尽くすし、宴会シーンは何度かありましたがそれまでライバルだった武将たちと共にどんちゃん騒ぎを繰り返します。

 

ほんとに残虐になるのは次回の太閤がくたばる前で描いてくれると思いますが、秀吉には前回のラストで無くなった鶴松以外に子はできませんでした。

 

秀吉はたくさんの側室がいて女好きで有名な武将なのに子ができないというのは歴史の闇だと思いますが、天下統一して年を取ってからようやくできた子の死はとても辛いものであったと誰もが想像できることから、これでおかしくなったとする説も否定できません。

 

そういったところで秀吉の変わりようを物語にしていくのは多々ありますが、朝鮮出兵の理由の説も他にも多々あります。

 

その中に、朝鮮の立ち位置を誤って認識していた、もしくはさせられていたというのがあります。

 

朝鮮は日本の属国だ、だから明に攻め入るのに協力すべきだという認識で、それに従わないから攻めた、と。

 

このあたり、なかなかドラマでは上手く描いてくれないんだよね。

朝鮮での戦闘シーンも、最終的には惨敗するんだけど、多数の敵兵に囲まれながらも逆撃して勝っちゃうみたいなやばい戦い方を鬼島津とか西国無双の人がやるのに、再現が難しいのと外交的な話で描けないのかな。

 

「花の慶次」の原作の方の「一夢庵風流記」では朝鮮出兵の前に慶次が朝鮮に派遣されて現地の様子を見てくるシーンがありますが、その中では帰還した慶次は”官軍は弱いがその後の義勇軍に苦戦する”というような報告をします。

 

ま、結果を知っててそう書いてるんだからそうなるんだけど、その前提として、対馬の大名の宗氏らが誤った情報を秀吉に与えて、それも朝鮮と秀吉両方に上手い具合に報告をしていたことでバランスを取っていたものが、秀吉が出兵に向かって動き始めたことでそのバランスが破綻して保身のために更に嘘を重ねて・・・という流れの設定でした。

 

wikiでもたくさん説が載ってるので本当のところはわかりませんが、史料上はともかくエンタメでは詳しく描いてくれない部分なので物足りないのですね。

 

第一次の文禄の役では朝鮮の多くの城を落とすも、李舜臣率いる亀甲船の水軍に負け、兵站を維持できなくなって講和します。

信長が作った九鬼水軍の鉄甲船はどこに行ったんだろう、と思うんだけどこの頃はもう無かったらしい。

李舜臣の亀甲船もどうなったか不明だけど、李舜臣は慶長の役の停戦後、日本軍が帰還するところを追撃中に戦死しました。

 

ちなみに明を征服するっていう目的ではこの文禄・慶長の役は既に財政破綻していた明に大ダメージを与え、後の女真族の建国や李自成の乱発生の一助となります。

 

明が滅ぶのは文禄・慶長の役から約50年後だけど、世界史的にも影響があった戦争なのですね。

 

なお、朝鮮側では文禄・慶長の役は、壬辰・丁酉の倭乱と記されてます。

 

今回分は文禄の役の部分で終わりますが、慶長の役は秀吉死後に講和するため次回分とセットです。

 

次回のタイトル、「太閤、くたばる」がXで話題になってますが、どうくたばってくれるんでしょうか。

 

次回もお楽しみに!