大河ドラマの解説コーナー㉛ #どうする家康 | わんわん物語

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~異界から目薬~

小牧長久手の戦い前編の回の分です。

 

柴田勝家を滅ぼした秀吉は織田家中を掌握し、主君として立てていた三法師と織田信雄を蔑ろにするようになりました。

 

というところから始まるのですが、いまいち頼りなく描かれる信雄、この人が大阪の陣も乗り越えて生き延び、大名としての織田家の血筋を残していくと思って見るとまた見方が変わるのでそう思って見てみましょう。

 

氏真と重なる部分があると思います。

 

秀吉に蔑ろにされた信雄は、天正壬午の乱で北条と和議を結びつつ甲斐と信濃をゲットした家康を頼り、家康はしばらく様子を見ていたものの秀吉との対決を決意します。

 

物語などでは自然な流れで秀吉と家康が対決していく話になるのですが、天下の形勢的なことはともかく、家康の心中はどうだったんでしょうね。

 

もちろんただの親切心で信雄を支援したわけはないのですが、戦略的に何を狙ったものなのか、というのは史料が無いので考察の幅が大いにあります。

 

というのは、秀吉と家康の差は圧倒的に秀吉の方が大きく、直接対決の一戦で勝利したところで秀吉を討ち取れるわけでもなければ秀吉の勢力が崩壊するわけでもありません。

 

なんとなくな雰囲気だと、本気で秀吉を倒そうとしてたというよりは、このままの秀吉の勢いに負けてしまうよりは合戦で優位に立って有利な条件で和議を結ぶというのが狙い所だと思っているのですが、それこそが物語から植え付けられたイメージなのでしょうか。

 

ドラマでは本多正信が策を立てていましたが、ウィキでも秀吉包囲網というのがありまして、四国の長宗我部氏、丹波国衆、紀伊国州、越中の佐々氏らと結んで秀吉の勢力を包囲し各所から圧力をかけていました。

 

ただし信長包囲網と違って歴史用語として「秀吉包囲網」という言葉があるわけではなく、将軍足利義昭が中心になって形勢した信長包囲網のように家康が盟主的な存在だったとも確証もなく、家康が秀吉を本気で滅ぼして天下を獲ろうとしていたのかは定かではありません。

 

もちろん年単位の長期戦略では秀吉を滅ぼそうという狙いはあったかもしれませんが。

 

ただ、本能寺の変後の秀吉の、賤ヶ岳→小牧長久手→四国九州征伐→小田原征伐→天下統一の流れの中で、小牧長久手の戦いを「史上最大の決戦」と副題をつけて大きく描くのは良いですね。

 

結果を知っている後世からすれば秀吉軍10万のうち戦ったのは2万人ほどで本隊は動かなかったので大戦な感じは薄いのですが、よく考えたら羽柴軍2万対徳川軍3万でも長篠級の大戦だわ。

 

で、主戦場だけではなく全国規模で徳川と同盟を結んだ勢力が秀吉の勢力と戦っている。

 

関ケ原のような大規模な大乱と認識してみるとまた見方が変わるわけですね。

 

秀吉と家康の一大決戦として見ても、小さい戦場ではなく広大な戦線があって、戦場での駆け引きだけではない知略のぶつかり合いでもあり、参戦武将も数々の戦をくぐり抜けてきた一流の武将たちが戦うわけです。

 

突然鬼武蔵が出てきました。

 

森長可(ながよし)、信長の尾張統一戦の頃から活躍していた重臣森可成(よしなり)の子で、長可の長は信長からもらった字です。

弟の蘭丸が有名なのですが、戦国のDQN四天王の一人でネット上をざわつかせる人物です。

 

なお、四天王あとの3人は伊達政宗、細川忠興、島津忠恒です。

 

まあ、もはやDQNも死語なのでアレですが、鬼武蔵もかなりいろいろやらかしながらも信長のお気に入りなのとその武勇で本能寺前は海津20万石の大名でした。

 

本能寺の変後は海津は放棄するものの地元っていうか旧領の美濃金山まで戻って離反したり混乱してる勢力を自力で鎮圧して東美濃を統一、岳父の池田恒興と合わせてほぼ美濃一国を支配する勢力になっていました。

 

ドラマではここからの登場なので威張ってるくせに負ける人なのですが、この時27歳にして既に多くの武勲がある期待の若手武将でした。

 

戦歴辿ると13歳の家督相続から27歳の小牧長久手まで大暴れで当主なのに最前線で槍を振るう猛将であり、だけども内政にも力を注いで領地を発展させるっていう名君でもありました。

 

が、やんちゃなこともいっぱいやったのでDQN四天王の仲間入りなのですが。

 

そんな森長可と池田恒興の軍を、酒井さんが粉砕します。

 

小牧長久手の戦いと一括りに言いますが、その中にもいろんな戦いが含まれていて、初戦で酒井さんが池田、森隊を破ったのは羽黒の戦いと呼ばれます。

 

そして、徳川軍は前進して、かつて信長が居城とした小牧山城を大改造して要塞化し、本陣としました。

 

この天守は資料館で、復元された建物です。

信長が岐阜に居城を移した後は城下町ごと引っ越して放置されていましたが、武家屋敷の跡地等を大改造して戦用の要塞にしたわけです。

 

 

ドラマの最後に犬山城や楽田城から小牧山城が見える様子をやっていましたが、小牧山からもこの高さなので写真ではわかりませんが犬山城や楽田城が見えます。

 

お互いの本陣が見えるところでの戦だから膠着したってのもあるんでしょうね。

 

小牧山城は秀吉に勝利した記念の地として幕府から入場禁止になっていたので遺構がよく残っています。

軽い登山ハイキングにもなるのでおすすめの山城ですが、小牧駅は他に観光できるようなところが無いのでそのまま犬山城に行きましょう。

 

ちなみに、要塞化したものの小牧山城で直接戦闘は行われておりません。

 

ま、本陣が堅固っていうのは敵はびびるし味方は安心する効果があるのでそういうのも大事よね。

 

次回は小牧長久手の本戦です。

 

激戦シーンに期待で。

 

次回もお楽しみに!